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今年も迎えたと思ったらあっという間に送り盆だ。 提灯に灯をともす夕暮れ、夏至の頃より確実に短くなった日の長さと、ほんの少しだけ秋の気配を忍ばせた風に、些かしんみりとする。 季節は巡る。時代も、世代も巡ってゆく。今日、8月15日は終戦記念日である。 今はどうなっているのか私は知らないが、昔、私が小学生の頃使っていた国語の教科書には、必ず一話、戦争に関する話が載っていた。つまり、どの学年の時も、毎年必ず一編の戦争読み物を教材として読んでいたわけである。 印象的な物語が多かったが、中でもいまだに涙なくしては読めない作品が2つある。 1つは「かわいそうなぞう」、もう1つは「おかあさんの木」だ。 これはいけない。この2つの作品は、クール&ドライを地で行く私を一撃で沈める。涙腺直撃だ。 「涙を誘う物語」としては、世間では「フランダースの犬」がしばしば挙げられているが、あれは私にとっては、そのラストシーンも含めてメルヘンである。理不尽で哀しいストーリーはあるが、最後に全てが美しさへと昇華していくメルヘンである(意見・感想には個人差があります)。 ところが、この2編はダメである。どこを取っても悲しすぎるのだ。涙。ただもう涙、また涙だ。しかもこれが、年を取れば取るほど効いてくる。もう絶対にダメだ。 戦争はいけない。このような悲劇を廃絶せねばならぬ。 クロアチアの諺に"Čovjek je čovjeku vuk."(人は人に対して狼である)というのがある。一面の真理を鋭く突いた言葉だと思うのだが、戦争という「空気」は、これを狂気にまで増幅させるもののようだ。一旦戦争が起こってしまえば、良いも悪いも、全ての価値観が狂ってしまう。戦争は、人から人間性を奪うのだ。 そして、戦争には全体主義の恐ろしさがつきまとう。この国にもわずか65年前まで思想弾圧や言論統制の歴史があったことも忘れてはなるまい。息子を奪われた悲しみを表立って口にすることすらできず、嫌なことを嫌だ言うこともできなかった時代を思えば、安全な場所で、思ったことを好きなように口にできる(表現できる)現代がいかに幸せな時代であるか分かるだろう。 「平和」は天から降ってくるものでもなければ、放っておいても誰かが与えてくれるようなものでもない。それは、現代の日本においても同じことだ。今日までの平和は、明日の平和を保証するものではない。 この国の進む道を決める人達を決めるのは私達だ。私達一人一人が選挙で投じる一票が、あるいは投じない一票が、もしかしたら子孫を戦場へ送ることになるかも知れないのだ。 繰り返してはいけないからこそ、どんなに辛くても、直視して受け継いでいかなければならない過去がある。
もうこれ以上、悲劇を増やしてはいけない。新たな「悲しい物語」は、もういらない。 |

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