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今日は広島原爆忌だ。 この日が近付くと、いつも思い出すのがクロアチアの若き友人、マルティンのことだ。 4年前に知り合った当時、彼は16歳。スラリと手足が長く長身で、大人っぽく、非常にしっかりした青年。9歳の弟ととても仲が良く、私はこの兄弟と仲良くなって何度も一緒に遊びに出掛け、滞在中多くの時間を共に過ごしたものだった。 マルティンの誕生日は8月6日。そのことを私に教えてくれた時、彼はこう言ったのだ。「僕の誕生日は8月6日。広島の日だよ」と。「ああ、そうだね、よく知っているねえ!」と私は感心したのである。「ヒロシマ・ナガサキ」が海外でもよく知られているという話は聞いていたが、クロアチアの16歳の若者がその日付まで正確に知っていて(彼は長崎の日も知っていた)、しかもこんな風に日常の会話の中でさらりと口にするということが驚きであったし、それは日本人として感動を覚えることでもあった。 間借りしていた家に帰って家主さん(クロアチア人の女性)に話をした。「マルティンの誕生日は8月6日で、彼はその日が広島の日だって知っているんですよ。彼、長崎の日も知っていましたよ。彼は日本のことをよく知っていますねぇ!」と言ったら、家主さんはちょっとあきれたように私にこう言った。「ああ、原爆のことはみんな知っているわよ」さらに、「それは一般常識よ」とも。 そうか、それはクロアチアでは一般常識か。 日本では…大丈夫なのだろうか? 12月8日、8月6日、8月9日、8月15日…これらの日が何の日か、確かに日本人なら知っていなければならない常識であると私は思う。日本の終戦、敗戦は65年前だ。この年月を長いと見るか短いとみるか。とにかく、たかだか65年前まで、日本の都市に焼夷弾が降り注ぐ時代があったのだ。紛れもなく、日本は戦場だったのだ。そのことを若い世代は、いや、戦後生まれの我々は、どれほど現実のことして捉えられているだろうか。 私は同居の祖母から戦争体験をよく聞かされたものだった。私自身が戦争を知らなくても、実際に戦争の時代を生きた人の口から、直接その話を聞くことができたのだ。この先、あと1、2世代ほど先に行くと、おそらくもうそれもできなくなっていくだろう。戦争は語り継いでいかなければならない。しかし、それを語るのが戦争非体験世代だけになった時、はたしてその言葉は、体験者の語るそれと同じ重さを持ち得るだろうか?考えると心配でもあり、何だかゾッとするような恐怖も感じる気がする。 クロアチアは1991年から95年まで続いた紛争の歴史がある。国内では「祖国戦争」と呼ばれる、民族対立と独立をめぐるこの戦争は大量の死傷者と難民を生み出した。自分の故郷や幼馴染に銃を向けなければならない悲惨な民族紛争に人々の心は傷付き、世界遺産の町並みや建造物も大きな被害を受けた。 それから15年。町やインフラの復興や整備は進み、特に観光地では、かつてここで戦争があったことなど想像もできないような明るさを取り戻しているように見える。戦争を知らない子供たちも増えてきた。 クロアチアは、日本は、世界は、これからどんな未来を造り出していくのだろうか。その責任の一端を、現在生きている人間は誰しも僅かずつ持たされているのだということを、こうして年に一度ぐらいは考えてみようか。××党や総理や官僚や某超大国のせいばっかりにしないでさ。
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