明日は明日のクロアチア

「買っても買ってもどこかに行ってなくなってしまう物、な〜んだ?」「リップクリーム」(私の場合)

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9月1日、今日は関東大震災から87年目に当たる「防災の日」だ。あまり話題にもなっていないような気もするが。でも今日の「コボちゃん」は避難訓練ネタだった。現代日本の歳時記、コボちゃん。

我が家は関東地方にあって、祖母が震災を体験している。とは言っても当時満1歳で、本人の記憶にはないそうだが。祖母は末っ子で、地震発生時、兄姉は学校、筆屋だった父(私から見て曾祖父)は行商中で、家にいたのは赤ん坊の祖母とその母(私の曾祖母)の二人だけ。地震と同時に、祖母の母はびっくりして表に飛び出したそうだ。自分一人で。その後、近所の人に「あんた、みーちゃん(祖母のこと)は?」と聞かれ(突っ込まれ?)、初めて「あっ!!」と気付いて家に戻ったら、グラグラ揺れている家の中で、祖母がニコニコしながら壁を支えに伝い歩きしていたとか。なにこのノンキな家族。長嶋さんか。

関東大震災は死者10万人を越す大惨事となり、首都東京も甚大な被害に見舞われた。この時、世界各国から義援金や救援物資が送られていたということを、私は最近になって知った。アメリカ、イギリス、ドイツ、ベルギー、ペルーなどから、そして当時対立を深めていた中国(中華民国)や、未だ第一次世界大戦後の復興途上にあったオーストリアからの援助もあったそうだ。何かを考えさせられる話だと思う。こういう時には、よく「人道主義の見地から」なんて言い方がされるけれど、個人的には、「困った時はお互い様」という言葉の方が、リアルな人のぬくもりや繋がりが伝わって好きである。また、この事があった十数年後に、日本がそれらの国々(の一部)を敵に回す戦いに突入してしまったことは非常に残念に思われる。

大地震のニュースを見るたび、「今、この映像を見ている自分は安全な場所にいるけど、この光景は決して他人事ではないのだな」と感じてきた。阪神・淡路大震災の時もそうだった。あの、倒壊した高速道路からバスが身を乗り出した映像を見た時、悪い冗談だと思った。刻一刻と増えていく死者の数を呆然とする思いで聞きながら、「これは本当に現実の出来事なんだろうか?」という気持ちを拭えずにいた。その一方で、「これは他人事じゃないんだ。この国で暮らす以上、同じ事が明日自分の身に起こっても不思議はないんだ」と考えていた。
しかし、いつか来るだろうという覚悟はしていても、具体的な備えは何もしていない。うちは古い木造で、耐震にも免震にも縁がないし、家具の転倒防止対策もほとんどしていない(たぶん、そんな大地震が来たら、家具云々よりも家ごと転倒するに決まっていると思うのだ、うちの場合)。不安はあるのだが、その他の不安と同じように、解決するでも深く悩むでもなく、ただ放置してそのまま放りっ放しである。この心理を5字以内で説明するなら、「ま、いいか」である。ノンキさを曾祖母から受け継いでしまったのかも知れない。

「天災は忘れた頃にやってくる」−というのは、夏目漱石の門下生としても有名な物理学者の寺田寅彦の言葉だと言われているけれども、正確には、それに相当する文言が「天災と国防」という彼の作品の中に記されているということらしい。
昭和9年に書かれたこの小品は、科学者らしい理知的な視点からの分析・啓蒙がなされていて、今読んでも「なるほど、その通りだな」と思わされる。「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」と寅彦は看破し、現代の科学文明国民として相応の精神的な進化をするべきだと我々に促す。すなわち、自然の脅威に対して平生から国民一致協力し、世界第2位の科学力(ここ政治風刺)を用いた対策を講ずるのもまた、人類の進歩であり、愛国心の一つでもあるというわけだ。ごく短い作品なので、是非ご一読をお勧めしたい。下記に全文が掲載されています。すぐに読めますよ。

青空文庫|寺田寅彦「天災と国防」: http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.html

「地震の巣」に暮らす我々日本人は、良くも悪くも、少なからず「地震慣れ」しているところがあるらしい。外国でも「日本=地震の国」というイメージがあるらしく、クロアチアに行った時、地震のことを結構聞かれた。「地震はどれぐらいの頻度であるの?」「人間が感じない地震なら毎日起きてる。人間が感じる地震は、小さいのも含めれば1カ月に2回ぐらいかな?」「地震、怖くないの?」「んー、あんまり怖くない。慣れているし、あんまり大きい地震が来たら、その時はもうしょうがないと思っているから」と答えたらかなり驚かれた。
知り合いのクロアチア人が何名か、数年前まで日本に住んでいたのだが、彼女達は地震をすごく怖がっていた。一緒にいた時、震度2ぐらいの揺れで椅子から飛び上がって驚いていたし、震度4の地震があった時、慌てて風呂から飛び出して転んで怪我をしたと言っていた。もう5年とか10年とかの滞在歴があるのに、だ。そんなわずかなサンプルから全体を推測するのも何なのだが、何となく向こうの人達は、「地面が揺れる」という感覚が非常にショックらしいというのが伝わってきた。
もっとも、クロアチアにも地震はある。勿論、日本と比較すればヨーロッパは地震の少ない所ではあるが、イタリア周辺は結構な地震スポットであるし、クロアチアも歴史上何度か大地震に見舞われている。中でも有名なのが1667年の大地震で、ドゥブロヴニクでは貴重な建造物を含む多くの建物が崩壊し、5,000人を超す市民が犠牲となる甚大な被害が発生した。その後、町を捨ててよそへ移住した人々もいたが、残った市民は町の復興に心血を注ぎ、自分達の手によって元の通りの美しい町並みを取り戻したという歴史がある。

「悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならない」−もう一度寺田寅彦の言葉を引いて、自分自身への戒めとしたい。いざという時に、後悔だけはしたくないからだ。

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ドゥブロヴニクのメインストリート、ストゥラドゥン(プラツァ通り)。繁栄の陰には必ず市民の涙と汗があるものだ。いつの時代も、どの町にも。

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