明日は明日のクロアチア

「買っても買ってもどこかに行ってなくなってしまう物、な〜んだ?」「リップクリーム」(私の場合)

リンパ浮腫

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前編のあらすじ】
私はリンパ浮腫になり、心臓血管外科医のT先生の患者となった。T先生は名医で、私を病気の悪化から救ってくれた。

そしてもう1つ、これこそが私の人生を決定付け、後にはクロアチアへの出会いにもつながる出来事だったのだが、それは私がT先生の患者となってから3年目に起こった。
この頃、前編の冒頭に書いた「誰にも言えない、解決できない問題」によって、私の精神状態はかなりオカシな事になっていたのだ。追い詰められて食事がほとんど取れなくなり体重が15キロ減ったり、かと思うと今度は逆に、自分の体がミステリーゾーンになったかと思うぐらいバカスカ食べまくって、そこから25キロ増えたりした(細くなったり丸くなったり、月か、お前は)。
もう本当に、存在していることが耐えられないほど嫌で辛くて、「この金使い果たしたら、最後に睡眠薬と酒買って、青木ケ原に行こう」と本気で考えていたのだ(身辺整理までしていた。あの時は本気でグッドバイするつもりだったし本当に辛かった…はずなのだが、今思い返そうとしてみると、何だか他人事みたいだ。ちょっと不思議)。

で、もう今月が終わる頃には…とか考えていた折、診察日にT先生の所に行ったら(おかしな事だが、仕事とか、そういう日常の部分は表面上普通に、と言うか律儀にこなしていたのだ)、「この頃どうしたの?」と聞かれたのだった。そりゃあ、それだけ体重が変われば、顔つきも体つきも一見して分かるほど、コロコロ変わっているわなぁ。
その時の私は、誰にも言わなかった(言えなかった)はずの問題がひょんな事から家族やら友人やらにバレて、寄ってたかって人格否定&進路妨害されて行き場も居場所もなくしていたのだったが、その時T先生に尋ねられて、どういう心境からか、ポロッと先生に本当の事を、洗いざらい話してしまったのだった。最後の最後に、全部誰かに話して楽になりたいという気持ちがあったのかも知れない。
その時午前の診察時間の最後で、私は都合4-50分も話していたと思う。とにかくヒドイ精神状態だったから、たぶん話も話し方もメチャクチャだったんじゃないかと思うのだが、その時T先生は、私の言う事を最後まで、怖いぐらい真剣な顔で聞いて下さったのだった(医者に向かって「もう死にたい」とか、真正面からケンカ売るようなセリフだったと思うのだが…)。

T先生は、私の話を最後まで聞いた後、「だったらファイトしなきゃ。周りが理解してくれないと嘆くよりもね」とおっしゃったのだった。その言葉は私にとって非常に驚くべきものだった。なぜなら、それまで事情を知った私の周りの人々が一様に示した態度は、ヒステリックに私を非難するか否定するものばかりだったからである。私は初めて、「自分のことを否定しない人」に出会ったのだ。これはある意味で衝撃的なことだった。
T先生は続けて、道は必ずしも閉ざされているものではない、解決が全く不可能な問題ではないはずだとおっしゃり、「まずは小さい目標、目に見える目標を立てて、それをクリアすることから始めていこう」という道標を私に示して下さった。まずは、脚の浮腫のためにも、体重を少しずつでいいから元に戻すこと(マイナス15キロの後プラス25キロで、都合プラス10キロの体重になっていた)、そして、この先お金は必ず必要になってくるから、お金を貯めること、そこからでいいから始めてみよう、と…。

その後私は、何と言うか、憑き物が落ちたみたいになって、やけに素直にT先生に言われた通りの生活を始めたのだった。体重も、2年ぐらいかけて元に戻した。不思議なことに、自分の生き方が変わってくると、あれだけ頑なに理解を示そうとしなかった周りの人達の態度にも変化が見られるようになった。
その後も多少紆余曲折があって、精神的にキツかったことも一度や二度ではなかったが、その度に何とか切り抜けて、「こっち側」に留まることができた。ちなみに、この時支えになっていたのはT先生から教えて頂いた坂口安吾の堕落論などのエッセイだった。これらがまるで自分のために書かれているんじゃないかと錯覚するほどで、私にとって正にバイブルとなった(おそらく、「この時」に出会ったのでなければ、こうはならなかっただろう。例えば高校生ぐらいの時に読んでいたとしたら、非常に「分かったつもり」になっていたと思う。この時期にこの状況下で坂口安吾に出会えた事も、T先生に感謝である)。

結局私は新しい道を歩き出すこととなり、仕事も変えてやり直すことを望んだ。
それにあたって、私はどうしても、T先生の影響無しに考えることはできなかった。
ここで私が、「感動して、自分もT先生と同じ医者になりたいと思い、医学を志した」ということになるとドラマとしての完成度もグッと高くなってくるのだが、残念なことに、私は生まれつき文系細胞100%で構成された生命体であった。そこで私が選んだのが、「医療事務」という仕事だった。文系で事務仕事しかできない自分でも、少しはT先生に近い世界で働ける、そんな気持ちで、この新しい仕事に就く事を決めたのだ。

こうして医療事務の仕事を得て病院で働き始めたことが、後に私をクロアチアへと結び付けることとなったのである(次回でようやくクロアチアに話がつながります)。
とにかく、医療事務の仕事や病院という世界に携わることがなければ、クロアチアを知るきっかけに触れることすらなかったはずなのだ。そして、私を医療の世界へ導いたのはT先生であり、T先生と知り合えたのは、紛れもなく、このむくんだ右脚のおかげ…という事で、「リンパ浮腫がなければクロアチアを知ることもなかった」という事が言えるのである。

何か大きな力に引っ張られているような気がしてならない。「私にはクロアチアと縁する定めがあり、何かを為すべき宿命があるのかも知れない」なんて、不遜ではあるがチョットだけそんな事を思わなくもない。しかし、それならばもう少し、「大きな力」が私のクロアチア語上達を助けてくれてもよさそうなものだという気はする。それと、できることならもう少し穏やかな方法で導いてくれてもよかったと思う。
昨日の記事では「リンパ浮腫」について説明をさせて頂いた。

私の右脚にむくみが現れたのは、今から14年前の二十歳の時、郵便局に就職して半年ほどが経った秋の始め頃だった。
発症の原因となるようなエピソードは特に思い当たらない。ただ、その時の私が、さまざまな仕事を覚えたり窓口で苦手な接客をしたりするのにかなり神経を使っていたことと、それとは別に、当時の自分にはどうにも解決のしようがない、そして誰にも話すことのできない問題を抱えて八方塞がりの状態で、精神的にも肉体的にも相当疲弊していたことは確かだ(ちなみに、その問題は現在ではある程度解決されており、自分の中でも折り合いがついている。どんな重大事も過ぎてしまえばこんなものである)。

ある日自分の足を見ていて、「なんだか右足の甲が、左に比べて少し腫れているような…?」と気付いたのが始まりだった。最初は市内の整形外科医院を受診したのだが、検査でも異常が見当たらず、腫れの原因は不明。しばらく様子を見たが、腫れの状態も一進一退ということで、先生が総合病院の心臓血管外科を紹介してくれた。
この、何やら病院初心者には衝撃的すぎる響きの科の部長先生(とは言っても当時まだ30代後半だったと思う)が私を診てくれることになったのだったが…。

この先生との出会いこそが、この先の私の運命を大きく変えたのだ。この先生と会っていなければ、間違いなく今の私は存在しないし、それどころか、今私はこの世に存在しない。もしも将来私の伝記が書かれることになったとして、私がヘレン・ケラーだとすれば、この先生こそがサリヴァン先生だ(たとえ話のつもりで余計に訳の分からない事を言っている気がする)。以後、T先生としよう。

私は昨年の春までの9年間、医療事務を本職としていたのだが(社長の手伝いは以前からチョコチョコとさせてもらっていたが、本業はあくまでも医療事務だった)、私がある事情により郵便局を辞めた後(法に触れる行いをしたり免職になったりしたわけではない。念のため)医療事務の職を志したのは、ひとえにこのT先生の影響によるものだ。

T先生は、私を2つの事から救ってくれた医師であり人物だ。
1つは勿論リンパ浮腫のこと。このリンパ浮腫という疾患、ここ最近でこそ新聞の医療記事欄などにも取り上げられるようになってきて、少しずつ認知度が上がってきてはいるのだが、「命に関わる病気ではない」という性質のためか、医療関係者の間ですら適切な知識や情報が浸透しているとは言い難い状況なのだ。
患者会に入って、たくさんの先天性・原発性リンパ浮腫の方から話を聞く機会があったが、かかった医者の知識不足のために正しい診断がつかないまま何年も何十年も放置またはたらい回しにされて無駄な時間を過ごしたり(当然その間に病状は進んでしまう)、見当違いの処置や逆効果の手術によって状態を悪化させたりこじらせたりしてしまったという人が少なくないのだ。私の場合、最初の整形外科の先生が早い段階で循環器系の異常を疑って心臓血管外科を紹介して下さり、紹介先のT先生が正確な診断をして下さったため、病状が進まないうちにストッキングによる圧迫治療を開始することができたわけだが、これは非常に幸運なケースだったのだ。家も人間も、「誰に直してもらっても同じ」と考えたら大間違いだ。

つづく

私の右脚

今日は、私がボランティアでスタッフを務めている、ある患者会の事務局(都内某所)まで出掛けて事務仕事をしてきた。私は他のスタッフよりずっと少ない月1回(+イベント時)というペースで参加させて頂いているだけなので、全く大したことはできていないのだが。
それでも、クロアチアへの渡航中、2カ月間事務局へ出られなくなってしまうので、その間に必要となるデータや書類の作成など、色々とやるべき用事を済ませてきたのだった。

この患者会は、「リンパ浮腫」という病気の患者およびその支援者を対象とした組織で、全国に500名以上の会員がいる。
リンパ浮腫とはどういう病気かというと、循環器の一部であるリンパ管が何らかの原因によって機能不全を起こし、本来なら毛細血管から漏れ出た組織間液(リンパ液)がリンパ管を通って心臓へと戻ってくるべきところ、その戻りが悪くなって腕や脚に大量のリンパ液が溜まってしまい、異常なむくみ(浮腫)を呈するものである。
原因は大きく分けて2つ。1つは生まれつきのリンパ管の発育不全などにより、生まれた時から浮腫がある、あるいは比較的若い頃に特別な原因もなく発症する原発性(先天性)のもの。もう1つは、子宮がん、卵巣がん、前立腺がん、乳がんなどの手術でリンパ節の切除や放射線照射をした人に起こる(稀に怪我が原因となって起こる場合もある)続発性のものだ。
症状は、多くの場合、左右どちらかの脚または腕に発生して、徐々に進行していく。最初は浮腫が出たり引いたりを繰り返すが、次第に引かなくなり、皮膚も硬くなっていく。これが通常のむくみとは違うところだ。普通の人でも、一日立ち仕事をすれば脚はかなりむくむ。しかし、普通のむくみは、一晩寝れば回復するものである。リンパ浮腫の場合、脚や腕に溜まったリンパ液に含まれるタンパク質によって「線維化」と言われる組織の硬化現象が起こり、こうなるともう元に戻ることがない。患部が次第に硬くなってゆき、むくみも悪化してゆく。放置すれば、最後には脚や腕全体が膨れ上がったように変形し、皮膚も象のようにガチガチに硬くなる。直接命に関わることはないが、症状が進めば歩行や日常生活も困難となり、また、栄養たっぷりのタンパク質を溜め込んだ患部は細菌にとって快適な居場所となりやすいため、高熱と疼痛を伴う「蜂窩織炎」という感染症を非常に起こしやすくなる。現代医学では完治する方法がなく、なかなか厄介な疾患と言える。

私の参加している患者会のスタッフは十数名いるが、全員がリンパ浮腫を持った患者(あるいは、がん手術後の予備軍)でもある。かく言う私自身もそうで、二十歳の時に右脚に発症した原因不明のリンパ浮腫と、もう十数年の付き合いになる。
一時はかなりむくみが強く、ジーパンやスラックスや革靴などが全く履けないような状態だったが、幸い適切な治療によって見違えるほど回復し、今では「健常な左脚と比べると、ややむくんでいるか?」と感じる程度のむくみとなり、良いコンディションをキープして上手く付き合うことができている状態である。

「完治する方法はない」と書いたが、私が成功したように、「状態を良くする」あるいは「悪化させない」方法はある。その治療の柱となるのが、弾性包帯や弾性着衣(ストッキングやスリーブ)による圧迫と、ドレナージュと呼ばれる、リンパの流れを良くするためのマッサージだ。専門の治療機関もあって(数は多くはないが)入院治療を受けられる施設もあるが、圧迫にしてもマッサージにしても継続して行う(基本的には一生)必要があるため、正しい方法を覚えて、セルフケアすることが大切になってくる。自分のためとはいえ、これらを根気よく続けていくことはなかなか難しい。

この疾患について知った時、人によっては「一生治らない病気なんですか!?」とか「治療は一生必要なのですか!?」などと言って悲痛な表情を見せ、うつむいてしまう方もいる。確かにケアは面倒でお金もかかるし、症状が良くはなっても、それなりの苦労はつきまとう(見た目の問題、服や靴のサイズが合わない、正座ができないなど、大した問題ではないように思われるかも知れないが、実際には日常生活において、結構不便が生じるものなのだ)。しかし私自身は、「一生治らないことや一生続けなければならないことが、そんなに特別なことだろうか?」と感じている。そんなに深刻に悩むような問題だろうか?短足や不細工や性格上の欠点だって一生治らないものだし、食事や呼吸も一生続けていかなければならないものである。嫌でも何でも受け入れるしかないことについては、真剣に悩むだけ無駄だし損なのではなかろうか。

私は右脚のむくみと十年来付き合ってきており、むくみは既に私の人格の一部となっている(とも言える)。しかし当然のことながら、こんなものは無い方がスッキリしていていいに決まっている。が、私の場合、単純にそうとも言い切れない事情があるのだ。と言うのは、もし私がリンパ浮腫でなかったら、クロアチアと「出会う」こともなかったはずだし、そしておそらくは、今ここにこうして生きてさえいなかっただろうと思うのだ。

この続きは稿を改めて、私がクロアチアと出会うまでの縁のつながりについてお話しさせて頂こうと思う。

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Photo by Jjron
ラクダの瘤の如く、私の右脚には、いざという時のためにリンパ液が蓄えられている(どういう時のためかは不明)。

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