気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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前回、前々回と、子供の家庭教育に関する投稿が続いたので、ついでにと言っちゃ、何ですが、一言、学校教育についても、触れておこうと思います。

というのも、私(わたくし)的には、最近の学校教育の改革論議に関して、学者・識者、或いは政治家達の意見に、なるほどそうだと、心から肯けるようなものが、ほとんど見受けられないからである。

一方、ブログ上でも、「学校教育とは、一体何なのか?」を問う、悩める若者の姿を、よく見かける。

そういう、まじめな若者であればあるほど、最近の学校教育に対しては、より一層、疑問を感じているのだろうし、さりとて、昨今の、学者、識者、政治家達の教育論議にも、私以上に納得できないのではなかろうか、と思うのである。

結論を、先にしたほうが私も話しやすいので、そうしたい。

近年の、学校教育の一番の問題点は、学校というものは、「人間如何に生きるべきか」を教える所であるべきであるのに、「職業教育」一辺倒になっているところである。

最近の校内暴力や、若年層における凶悪犯罪の多発、といった問題も、全ての原因がここに集約される、と言っても、過言ではないのである。

上で、近年と言ったが、それは具体的には、明治以後を指す。逆に言えば、明治維新までは、教育と言えばそれは、「人生、如何に生きるべきか」を教えることを、意味したのである。

例えば、佐藤一斎先生、江戸時代後期、明治維新が始まる約9年前に、亡くなったが、この人が書いたもので、「言志四録」という本がある。

徳川家の藩校に昌平校という学校があった、それは、今で言えば、の東京大学のようなものと思ってくれればよい。江戸時代末期、彼はそこの学長をしていた。

彼のすごい所は、明治維新の英雄、元勲と言われる人たちの殆どが、この佐藤一斎先生から直接間接、思想的影響を受けているところである。そいう意味で、彼こそ明治維新の精神的原動力であった、と言っても言い過ぎではない、のです。

彼の思想的影響を受けた人で、皆さんもよくご存知の方を、数人挙げると、次ぎの通りである。
佐久間象山、山田方谷、横井小楠、勝海舟、坂本竜馬、吉田松陰、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、西郷隆盛などである。

特に、西郷隆盛などは、この「言志四録」を愛読し、その中でも、特に心に残ったもの、百一を抜粋して、座右の銘として、日々の行動を戒めたと言われている。それが、現在でも、「西郷南洲翁言志四録百一手抄集」として残っている。手抄とは、自分で書き写した、という意味である。

佐藤一斎先生が何を教えたか、と言うと、一般的には儒教と言われるものだが、さらに具体的に言うと、朱子学であったり、陽明学であったり、論語であったりするのだが、個々についての説明は、難しくなるので省略する。

そういわれても、よくわからない、という向きには、
大雑把に言えば、朱子学とか、陽明学とか、論語とは、「人間学」と、言うべきものである。と私は、考える。そしてその、人間学とは、「人生如何に生きるべきか」を、考える学問である、と思っていただきたい。

では、その人間学とは何なのか、と訊かれたら、その答えは、次の言葉にに尽きる。

「それ学は、通(立身出世)の為ならず、窮して苦しまず、憂えて意(こころ)衰えざるが、為なり」荀子

特に解説しなくても、大体の意味はわかると思うが、蛇足を付け加えると、「勉強するのは、金儲けをしたり、いい生活をする為にするんじゃないよ、病気になっても、不幸にあっても、泰然自若、虚心平気、そういう時にも、全然動じない、あわてない、そういう心を作る為に、するんだよ」ということである。

仏教、特に、禅なんかでも、その目的は同じである。

坐禅は何の為にするか?それは究極は、悟りを開く為にするのだが、悟りとは、どういうことかと言うと、上と同じである。「不幸があっても、病気になっても、あわてず、騒がず、いつもと同じような、穏やかな心でいられることを、悟り」、と言うのである。

安心立命を目的とする点では、上で述べた、儒教も禅も同じなのである。では、何故「安心立命」でなければならないのか?と言うことになるが、

ある禅の老師は、よく、こう言ったそうだ、「フン、管長だの老師だのぬかしおって、病気をするような奴はみなにせものじゃ、ほんとの坐禅はしておらんのじゃ」と

と言われても、禅問答のようで、その意味がよくわからない、という方が殆どだろうと思うが、どうだろうか?上の言葉が、安心立命と長生きとどんな関係があるか、おわかりだろうか?多分、「わからない
」と答える人が大部分でろうと思うのだが、

それは、「わからない」のが当然なんです。「本当に坐禅すれば病気にならない」と、言われたってわからない、という言うのが本当なんです。

何故わからないか?それは、「気」と言うキーワードが、中間に抜けているから、わからないんです。これを、このように説明すると、どうでしょうか。

「坐禅をすると、心が安定します。心が安定するとは、心の中に、心配だとか、怒りだとか、怖れだとか雑念妄念のが、出てもその分量が少なくなります。坐禅は、心の中に、雑念妄念が出なくなるようにするためにするんです。難行・苦行の為にするんではないんです。」

「心が安定してくると、自然に人間の体に気が入ってくるようになっています。人間の体はそういう仕組みになっています。」

「そして、特にここで一番大切なことは、人間の体も、心も、否、この自然界の、森羅万象全て、「気」を材料として出来ている、ということです」

「勿論、人間の体も気を材料として造られています。病気と言うのは、この「気」が不足している個所を、指して言うのです。だから、病気というのは、「気が病む」と書くのです。」

「気が人間の体に入ってきて、心の力となれば、心が強くなり、体の力となれば、健康になるのです。」

「だから、どんな宗教でも、心も持ち方、を言うのです。昨今の、プラス思考、マイナス思考とかも、気との関連において初めて、具体的説明が成立するんです。つまり、心の中がプラス思考で一杯になると、気が入って来るんだよ、と」

私のブログのタイトルが、「気と心と宇宙法則」となっているのも、このような、心と気の関係を、わかっていただきたいが為なんです。

だから、私に言わせれば、先ほどの禅の老師の言葉は、次のようになるでしょう。
「フン、管長だの老師だのぬかしおって、「気」がわかっていない奴は、みんなにせものじゃ」と。

「気」の話をすると、そちら方に気を取られて、話が、どんどんそれて行きそうなので、ここで、この稿の本来のテーマである、学校教育に話を戻す。

実は、既に、明治維新の時に、学校教育に関しての大論争があったのです。その為に、西郷さんは、当時の政府に反旗を翻して、あの西南戦争が始まった、と言ってもいい位なんです。

もっとも、西郷さんが明治政府に反旗を翻した理由は、軍事とか、政治とか、経済とかあって、教育だけの問題ではなかったのですが、それらも突き詰めて考えて行けば、結局は、教育に行き当たるのではないかと、私は思っている。

つまり、あの戦争というのは、人に重きを置くか、経済や、政治制度や、科学技術に重きを置くかの、争いではなかった、と思うのです。もっと具体的言うと、学校教育を、人を育てることに重点を置くか、富国強兵、殖産技術に重きを置くかの、争いではなかったかと思うのです。

今で言うと、「人冶」か「法冶」か争いではなかったか、と思うんです。つまり、こういうことなんです。

わが国は、長いこと鎖国をやっていた。そこにペルーの来航を初めとして、外国からの通商貿易を求める圧力が相次ぎ、そして交渉していくうちに、彼らの近代欧米文明に接して、大いに驚いた。

これは大変だ、ぐずぐずしていたら、日本は亡ぼされてしまう、というので、いかにして一日も早く彼らに追いつくか、つまり、彼らの持っている科学技術文明を、日本に如何にして取り入れるか、ということが、国を挙げての、取敢えずの目標になった。

つまり、上で述べたような、従来から、わが国、学校教育の伝統であった、人格教育を忘れてしまって、何でもいいから、一日も早く鉄道を敷かねばならん、電気もつけなければならん、石油もいる、石炭もいる、近代兵器も、法制も整備しなければならない、と言った知識技術教育一辺倒になってしまった。

そこで、それに役立つ人材をどうやって養成するか、ということになって、外国に負けないような良い大学を造らねばならん。

子供を、いきなり大学に入れるわけに行かないから、その予備校として、高等学校を造る、又その予備校として、中学校、小学校を造る、ということで、学校教育を全て、大学を頂点とする、知識技術を習得する為の、予備校組織にしてしまった。

ここに、現代の悲劇的学校教育の基がある。

一方、政府に楯突き、そして敗れた、西郷さんは、どう思っていたかである、

彼、自らが、書いたものではないが、「南洲翁遺訓集」というのがある。原本のまま書くのが、正確という意味では、正しいのであるが、

そうなると、ただでさえ、難しいと言って敬遠されがちな私の話が、言葉によって更に難しくなる虞があるので、これを避けるため、鎌田流意訳とも言うべきものを、下に紹介しておくことにする。

「欧米諸国の制度や技術を取り入れ、わが国を発展させたいと望むなら、先ず、わが国の基礎(国体)を固めてから、徳と教育によって、国民を善化して、それからゆるゆると、他の国の長所を取り入れるべきである。そうしないで、あわてて、よその国の真似をしようとするならば、道徳は乱れ、国民は怠惰となり、もって国力は衰え、遂には、その国の属国になってしまうであろう」

今次、大東亜戦争の敗戦は、わが国古来からの伝統と慣習を忘れ、あわてて、ヨーロッパやアメリカの真似をしようとしたところに、真の原因があると思うが、現在でも、教育改革、教育改革と言っている割には、そのことに気がついている人が少ないのは、極めて遺憾である。

そして、続けて西郷はこうも言っている。

「どれほど制度・組織を論じてみても、それを運営する人がダメなら、その制度・組織がうまく行くはずがない。即ち、人があってその制度・組織も、うまく運用される」

今の若い人は知らない人が多いと思うが、昔から言う「修身、斎家、冶国、平天下」というのは、そういうことなんです。つまり、身を修めて(人格が出来て)はじめて、家や、国を治めることが出来る。

又、あるところで西郷はこうも言っている。「徳は結果として、財をもたらす元である。徳が多ければ財はそれに従って生じる。徳が少なければ財も減る。なぜなら、財は国土をうるおし、民に安らぎを与えることによってしか、生まれて来ないからである。これを一言で言えば、「利は義の和」ということであろう。

ここで、紙数がつきましたので、稿を変えました。パート(2)をお読み下さい。

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傑作を押しました。本当は大傑作です。 こんな、素晴らしい話を読めないでいる人はほんとに勿体無いことをしているとしか言いようが有りません。多くの人にこれを読んで貰いたい。 日本人が日本の歴史を知らないのですから、話になりません。教育は人間作りが第一です。小学生から英語を教えろ等、何を考えているのでしょう。「読み、書き、算盤」の寺子屋の方が余程、人間作りには役に立ちます。そろそろ日本人が目を覚まして貰いたいものです。(猶興)

2007/1/24(水) 午後 6:57 kan*u*uuk*u

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