気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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リアリスト

最近、リアリストとは、なんだろう?と、思ってしまう。

私は、これまで、ズーッと、リアリストと言うのは、「自分が直接見たり聞いたり、経験したりしたこと以外は、信じない。そして、自分の今日の一歩、明日の一歩に役立たない、つまり、実際、現実に役に立つこと以外は、価値を認めない。自分ができることしか、言わない」ことと思ってきた。

今、リアリズムという語を辞書で引くと、「あるべき理想よりも、実際的な・利害を重視する考え」とあるが、

言葉の正しい意味はどうあれ、私は、リアリストというのを、上のように解釈し、そしてその通りに生きてきた。

「気」に目覚めるまで、私は、「気」の世界などは、全く縁のない世界であり、そういうことを言ったりしたりする人に対して、一種の嫌悪感さえ持っていた。


私が、天風会鎌倉支部に入会したのは、平成10年4月だった。

その年の秋には、瞑想の途中、頭のテッペン(頭頂)に針の先で突っつかれるような、軽い痛みを伴って、何ものかが頭の中に、渦を巻きながら、侵入して来るのを感じた。

そのうちに、その渦巻きに合わせたように、体が回転運動を始め、そのうち、その回転運動は、ますます激しくなり、それに加えて、さらに前後左右、上下動が激しくなって来た。

同時に、頭の中で、シーンとツーンのちょうど中間ぐらいの、静かな森や、誰もいない平野に一人でいる時に、聞こえるような音が、聞こえだした。

その音は、時には、高い金属音にも似た、キーンという音がすることもあった。

その音は、こうやってパソコンのキーを叩いている時でも、意識すれば、すぐに聞こえてくる。



それからだった、「気」について、興味をもち、本で調べたり、有名な気功家を訪ねて歩いたりし始めたのは。

それというのも、これはきっと、「気」の仕業であろうぐらいのことは、天風さんの本を読んで、うすうす、察しがついていたからである。

こうして、有名な気功師を訪ね歩くことが、半年くらい続いただろうか、

それらの気功師たちを、訪ね歩いているうちに、彼らがやっている、病気を治すとか、人を気で飛ばすこととか、自分にも出来るじゃないか、と気がついた。

彼らがするように、人が、5メートルも10メートルも、激しく吹っ飛ぶようなことはなくても、

私が、後ろに立っているだけで、その人の体がゆらゆら動くとか、こちらに引っ張られて、倒れそうになるとか、

患部をじっと見ているだけで、神経痛の痛みが治るとか、首筋を指先で触っただけで、頭痛が無くなったとか、電話による遠隔治療も、試してみると簡単にできるようになった。


今にして思えば、こうなるのは、生まれる前から決まっていた、私の運命ではなかったか、と思うのだが、

有名な気功師達がやることを、自分にも出来るようになってから、それまで脱サラして始めた人材紹介とか、経営コンサルタントの仕事に、全然身が入らなくなってしまった。

「お前は、そんなことをしていてもいいのか?」とささやく、内なる、何者かの声がしきりと聞こえるようになって、落着かなくなってしまった。

これが、今日、これまで、私が、サイ気療にのめり込むキッカケだった。


ところで、天風先生も、私同様、リアリストという言葉が、大変好きだったようだ。本を読んでいても、しきりとリアリストという言葉が出てくる。

天風先生の「成功の実現」という本には、天風さんと、天風さんのヨガの師匠であるカリアッパ師との、こういう会話が出てくる。

「誰も間違いだといわなければ、間違いでも、正しいことになるか。いやさ、だれもそれが間違いといわなければ、間違っていても、正しいことになるか」と、カリアッパ師。

「いや、それは間違っていることだったら、百人が本当だと言っても、間違いは間違いです」と、天風さん。


それに関連して、天風さんは、あるところで、こんな事も言っている。

「間違いでも、正しいと言えるのは、あの議会だけだよ。あの議会というのは、間違っていても、賛成という人が多ければ、そっちの方が正しいことになる」と。

サイ気療のことでも、100人が100人と言っていい程、ペテン師か、インチキ宗教がやっている、何かのまやかしのように思っている。


カリアッパさんじゃないけど、100人が100人間違っていると言っても、私の方が正しいんだよ。疑っているあなた達が間違っているんだよ。

間違っている証拠に、どんなに、医者だ、薬だ、食物だ、いや水だ、空気だサプリメントだ、と言っても、癌一つ、風邪一つ、神経痛一つ、現代医学は、ろくに治せないじゃないか。


それは、医学の進歩が、未熟だからじゃなくて、その方向性を間違っているからだよ。

肉体だけが、目に見える物質だけが、この世の全てだと思っているから、そういうことになるんだよ。

世間が、皆、そうだから、それが正しいのだというなら、世間の人、皆、救われていなけりゃならない筈じゃないか。

そういう世間の100人が100人、救われていないじゃないか。現代医学で救われていないじゃないか。


いや、あそこの医者にかかったら、難しい病気も治りましたという人がいたら、それは、治る時期が来ていたから、そうなったんじゃないか、ということも考えなくちゃ。

治らない病気も、名医のところに行けば治る、とあなた達は思っているが、そう思われている医者ご本人は、そうは思ってないんだぜ。

お医者自身は、自分は、どんな病気も治せる、と思っている医者は、一人もいない、と言っていいんだぜ。お医者自身は、自分が風邪一つ治せないことを、よく知っているのだよ。

お医者が病気を治せるなら、お医者は皆、病気にもならず、皆、長生きするはずだが、事実は、全く反対だといわれている。

つまり、お医者やその家族ほど、病気がちで、短命なものはない。

それは、私たち人間の命が生きている素とも言うべきものが、わかっていないからだよ。私たちは、何をエネルギーとして生きているか、わかってないからだよ。


私は自分のブログで、難病、難病といって、治らない病気のように思って、取り乱したり、慌てふためいたりするが、それは、あなた達自身、勉強が足りないからだよ、と言っているが、

私に言わせれば、「気」さえわかってしまえば、医者が治らないと言ったって、どんな病気でも治るのに、自分が、迂闊で、勉強不足なのは、棚にあげて、病気の治らないのは医者のせいにしたりするバカがいる。

私の所にサイ気療を受けに来る人すら、最初、大半は、半信半疑で来る。顔を見ていれば、信じているのか信じていないのかは、すぐにわかる。

自分が、間違っているのに、自分が無知なのに、世間の人がみなそう思っているからと言って、「気」で病気が治るなんて、そんなことがあるもんか、どうせインチキだよ、などと思っている。


そういうことからすれば、リアリストというのは、自分がそう思っているから、リアリストなのだろうか、それとも、世間がそうだ言うから、そうなのだろうか。

普通は、人の評価は、他人つまり、世間が決めるものである。自分がいくら立派だと思っていても、世間がそう思わないものは、そうとは言えないが、

この「気」の世界だけは、私のサイ気療だけは、世間が、いくら間違っていると言おうと、世間から、いくら非現実的とか、オカルトチック、と、思われようと、

これまで、縷々、述べてきた如く、私が、現実に、身をもって感じ、体験して来たことだけに、これこそリアルな世界なのだ、ということを強く主張しないわけには行かない。

つまり、私の方こそ、真のリアリストで、貴方達こそ、夢のような非現実的な世界にいるのだ、ということを。

その証拠に、病気一つ、運命一つ、自分の思うようには、処置出来ないでしょ、あなた達は。

それは、あなた達が、リアリストではないからだよ。

生き方間違っているからなんだよ。

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