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「君子は器ならず」、の外にも、「大器晩成」とか、「あいつは器が小さい」とか、「器量」とか、「器」を使った言葉は、色々ある。
「器」とは、勿論、何か分量を量るための、入れ物の事のことだが、人間の価値をはかる尺度としても、使われるようだ。
ところで、ここで言うところの、「器」という言葉の意味だが、西郷隆盛がこういう事を言っている。
これが一番「器」の意味を簡潔にして、要をえた解釈だと思う。こうだ。
「道具と言うものは、便利なものであるが、一つの目的になしか使えない。飯茶碗は飯を盛るにはいいが、敵を切る刀としては役に立たない。刀は、それで飯を盛ることはできない。」と言っている。
西郷さんは、「器」を、「道具」に例えて言っているが、「道具」を、「職業」と、言い換えても、良いと思う。
「君子は器ならず」は、後にするとして、
「大器晩成」というのは、若いうちから、ある一定の型にはまった人間になるな、と言う意味なんだよ。また、「大器は、晩年にしか、成らない」とも、取れるんだ。
それは、若くして、ある一定のステイタスを得たり、大金を得たり、ヒーローになったりして有名になったら、得てして、その後は、努力を怠りがちだろ。「未完の大器」のままに成りやすいんだよ。
逆に言えば、本当の人格者として、人の為、世の為になるような、人物(君子)になるには、20や30の青年ではなれない、もっともっと、社会で、揉まれて、苦労を積まなければならない、と言う意味なんだよ。
西郷さんも、こう言っているよ「幾度か辛酸を経て、志堅し」と。現実の世界で、実際に辛酸を経なきゃ、物になる人間には、なれないんだよ。
そういう意味では、社会の荒波にもまれる前に、ある一定の社会的な名声と、地位と、大金とが得られるような、職業は、随分危険な職業ともいえるんだよ。
そういう意味では、危険な職業とは、なにも、弁護士とか、医者ばかりじゃないぞ、
野球選手や、サッカーの選手、或いは、芸能人という仕事なども、若いうちに大金を掴んだり、ヒーローになったりする人がいるが、そういう意味では、非常に危険な職業だと言わなければならない。
何故なら、こういう職業は、西郷流に言えば、若い人間的にも未熟なうちに、刀になったり、飯盛り茶碗になったりするようなものだからなんだよ。
若いうちから、ある一定の型にはまった人間になると、その後は、つぶしが効かない人間になるからなんだよ。
「つぶしが効かない人間」とはね。
よく聞くだろ、サラリーマン時代は、部長にも、重役にも、社長にもなったりしたような人が、会社を辞めた途端、何にもできない、ただの木偶の坊のような人間になってしまった、というような話を。
家では、奥さんには、「濡れ落ち葉」、なんて軽蔑されてさ。
あれを、「つぶしがきかない人間」と言うんだよ。
奥さんは、社会的な地位とか、名誉とかに惑わされることなく、旦那を見ているからね。近くにいるから、よく見えるんだよ、旦那の実態が。
何の本だったか、忘れたが、若い頃読んだ人事の本に、こういうのがあった。「秘書に嫌われているような社長は信用するな」と。
秘書だって、近くにいて、社長の素顔を見ているからね、ごまかしが効かないんだ。
そういう意味では、旦那だって、身近でその様子を見ている、女房や子供たちに、信頼されるようでなくては、いけないんだよ。
よく聞くよね、「あんな立派な人の子供が」、という話を。
一見、立派な家庭のように見えるけど、子供が問題を起こして、警察のご厄介になって、新聞種になったりする。
ああいうのを、見ていると、どうも、旦那の職業が、弁護士とか、警察とか、学校の先生とか、銀行員とか、一般に、堅い職業と見られている家庭に、多いようだよ。
それは、本人達も世間体を考えて、そと面は堅く、まじめそうに振舞っていても、
家庭の中で、子供や奥さんに見せる本当の姿は、外に向かってみせる顔とは、かなり違っている為ではないかと、思うよ。子供達は、親に、普通より、余計、幻滅を感じる。
会社で言えば、秘書とか、家庭で言えば、奥さんや、子供たちといった、身近の人が、その人をどう言っているか、というのも、人を見る時の、立派な評価基準になるようだ。
余談になったが、
とにかく、「君子は、器ならず」という言葉は、「君子というものは、何でもできなければ、いけない」という意味である。
この言葉の意味を、さらに強調して、解説すると、「あれはできない、これがダメ。つまり、立派な人間とは言えない」という意味なんだよ。
「君子は器ならず」とは、論語に出てくる言葉だが、孔子さんは、何でも上手に出来た人だったと言うし、
中村天風さんも、「信念が強くなってから、何でも上手になった」、と言っている事からすると、人間の人格が上がってくると、人のできる事なら、何でも上手に出来るようになるみたい。
というのも、人が、何をなす事ができるかは、偏に、その集中力によっているようだが、その心の中に雑念妄念の出が、少なくなって、信念が強くなり、集中力が増すと、人間何でも出来るようになるようだ。
宮本武蔵だって、誰かに就いて勉強した形跡は全然ないが、晩年になって、あのような、見事な書や絵を、残している。
中村天風さんも、若い頃は、全く、ぶきちょで、絵なんて、団子きりしかかけなかったというが、信念が強くなってから、書でも絵でも、彫刻でも何でも上手になった、と言っている。
なぜ団子かと言うと、団子は、丸を三つ書いて、そこに、棒を一本引けばいいだろ。子供だって出来る。
天風さんは、若い頃、そういう事しか出来なったと言うし、また、若い頃の自分の字は、自分で見ても、よくわからない、などと言っている。
そういうことからすると、一見、遠回りのように見えても、人の為・世のため、この世で何かを成して、この世を去る時、満足して死ぬためには、人格を磨く方が、近道のようにも見える。
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とても深遠な内容と思いました。
有名人で人気があるとかは、祭り上げられているという、仮の状態のようなことと思います。
お祭りが終わったあとの逆境でこそ真価が問われると思います。
旦那の真実を見抜いているのは奥さんと思います。
家庭にある時と、仕事の場にある時と違う生き方をしていると、定年になったあとに破綻を来す可能性があると思います(笑)。
2008/3/27(木) 午前 10:53
mk3ag10:いつも適切なコメントありがとう。
2008/3/28(金) 午前 6:13