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先日、不幸があって、久しぶりに東京に行ってきた。
葬式のついで、というというのも、少し気が引けたが、会わずに帰れるものか、という気がしたので、次の日の夜、大学時代の親友二人と、久しぶりに、銀座で、杯を酌み交わした。
その夜は、料理屋は勿論、カラオケも、一つでは足りず、はしごなったので、帰りは、多分、深夜12時を過ぎていたと思う。
私は、近くのホテル泊まりだったので、特に支障はないが、友人の二人は、おそらく、タクシーでのご帰還ではなかったか、と思う。
それに、最近あまり行くこともなくなったという、銀座だったので、随分、散財させたのではないかと思うと、少なからず、心が、痛んだ。
最初から、割り勘にしようと、申し入れたのだが、にべもなく、拒否されて、つい、甘えてしまったのだ。
その時は、気の置けない、二人だったので、私ばかりでなく、彼らも、随分遠慮のないことを、言ったように思う。
あれから、既に、一週間も経とうとしているが、私も、自分が言ったことは、今でもはっきりと、思い出すことが出来る。
それは、小島直記という伝記作家の、「伝記に学ぶ人間学」という本からの、引用したものだった。
小島直記という作家は、東大法学部出身者だが、あの大学が、大嫌いだと言っている。
その本から、引いたのが、次である。
「しかし、日本人社会は、肩書きの社会です。肩書き、学歴がものを言います。本人自身の内容、実質、人間性を離れて、どこの大学を出ているか、ということをまず問題にします。」
「そして、例えば、東大を出ていれば、社内でも優遇されるとか、まず本人自身が自惚れるということがあるわけです。私自身あの大学を出ていますが、学校はいいかもわからないけれども、来ていたのはろくなヤツではなかったなあ、という印象が強いんです」
「もっと身近な話をしますと、われわれの仲間で、ある会合をして、その流れで二次会に行くと、大体私たちの年齢では、現役を退いています。そういう連中が宴席では必ず過去の栄光を語ります」
「『俺が局長の時は、だれとだれとだれを呼んでおいて、俺は床の間に座って、あいつらにへいこらさせたものだ』というふうな過去の栄光を語ります」
「その話が尽きると、次は薬の話です。ヨヒンピン(強性剤の一種か?)とか何とか、変なのがあって、特効薬だと聞くと『おお、それはどこで売っている』『いや、あれは効かないよ。それよりも鯨のきんたまがいいぞ』というヤツがいると、『それはどこで買えるか』などと、そういうことばっかり言っています」
「そして、最後は、財テクの話です。『この株は儲かるぞ』『いあや、あれはいかん』とか、そういうことを聞いていると、寂しくなります。」
「自分達は、天下の秀才だと、昔、言っていたのに、日本がどうなるかという未来を全然見ていません。話すことは、過去の栄光であり、薬であり、お金の話です」
「その後、二次会などでバーなどに行くと、やはり、威張ります。自分が威張りたい時は、友達を威張ります。『この人は、昔、なんとかで、偉かった』というと、こっちは、『いや、この人こそ』などと、お互いにほめあっています。そうすると、マダムが『ま、そうでございましたか』などというので、よけに反り返って、さんざん昔話をしますが、」
「その後で、勘定になると、さっき威張った手前、一応『ここは俺が払う』と言って、内ポケットの財布に手をかけますが、けれども、見ていると、『俺が払う』『俺が払う』と言いますが、財布の中身を出すヤツは、一人もいないんです。」
ところで、私の今年の年賀状の挨拶は、中国の三国志に出てくる、曹操の「老驥、櫪に伏す、志、千里に在り、烈士、暮年、壮心已まず」というものであった。
全くの自己流な解釈であるが、意味は、
「俺は、今は、しがない、田舎暮らしだが、志は、はるかなかなた遠く、千里の外にある。それくらいの、希望と志と、理想とを持っている生きている」ということであろうか。
私は、小島直記のように東大法学部卒ではないが、学生時代の仲間といえば、私の仲間も、多くは、似たりよったりである。
ひどいのになると、政治や経済の話どころか、病気や、子供や、お金や、出世の話ししか、しないヤツもいる。
小島直記さんならずとも、志を千里の外においているわが身としては、そういう輩と話していても、ちっとも、おもしろくも、楽しくもない。
会っても面白くないから、ここ2〜3年は、積極的に友人の取捨選択を心掛けていて、会って、時間の無駄のような友達は、年賀状など、向こうから来ても、こちらからは、出さないようにしている。
それというのも、残り少ない人生、少しでも、有意義な時を過ごしたいと、考えるからである。
数年前、東京から、古里鹿児島に帰って来たので、高校の同窓会に出席することもあるが、この学校の同級生達にも、これも又、実に、しらけた気持になるヤツが多い。
高校時代の、ある時期、割と仲良くしていた、ある友人など、出世して、現在、市の教育長などしているヤツがいるが、こいつなど、教師の風上にも置けない人物、と思っている。
この一事を以って、鹿児島県の教育界のレベルの低さが、窺い知れると、言うものである。
彼は、鹿児島の大学を卒業後、直ぐに教師の道を歩き始め、順調に出世して、教育委員会の人事課長をしたり、わが母校(鶴丸高校)の校長をしたりして、現在鹿児島市の教育長をしているが、
私が、彼のどこが、気に入らないかと言うと、先ず、人事課長の時、同窓会で会った時など、名刺を差し出しながら「おい!鎌田!俺は、教育委員会の人事課長だ」と言った。
後で聞いた話だが、教育委員会の人事課長と言うのは、教師の配置や人事については、絶大な権限を持っているポストだという。
次に会ったのが、彼が、教育委員会の次長をしている時であった。同じ同窓会であったが、この時も、名刺を持ってきて、さも得意そうに「俺は、次長になった」と言った。
次に会ったのは、やはり、同窓会の席上、彼が、母校の校長の時であった。
この時は、名刺は持ってこなかったが、写真撮影の時、なんと、同窓会に招待した、かっての恩師達と肩を並べて、最前列に、腰掛けていた。
こういうことなど、言うも恥ずかしいくらい、たわいもないことなのだが、先ほどの、小島直記氏の東大法学部ではないが、組織の中で、序列だけを気にして、序列が上のほうが、人間が偉いと考える、浅薄な、思想が感じられて、
そいつと会う度に、その、あからさまな、上昇志向、出世主義には、陰部を、額にくっつけて歩いている人物を見るような、そんな、不愉快さを禁じ得なかった。
その度に、吾が郷土の大先輩、西郷隆盛が、この男をどう評価するだろうか?とか、「なるほど、田舎の一流は、京の三流か」などと思ったりする。
ところで、先ほどの友人二人も、今や、組織のトップにまで上り詰めた。大変おめでたい話に水を差すようで、申し訳ないのだが、
私は、もう既に、65歳。彼らも、多分、似たようなもので、私より、1〜2歳、下だろう。
願わくば、何時まで経っても、天下国家を論じ、人生を語り合えるような、そんな、みずみずしくて、若々しく、しかもはつらつとした精神を持った人間であってほしい、と願っている。
小島直記の一文を引きながら、銀座の宴席で、そんな話をしたように思う。
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「本当にそうだな〜」と思いました。
それにしても銀座のママさんは、お金のためとは言え、毎晩毎晩自慢話のオンパレードを聞かされて相槌を打っているのは敬服に値します。
不当に高い収入を得ているヤツからの一部回収とでも思っているのでしょうか(笑)。
2008/4/28(月) 午前 8:22
地位や名誉や制服=自分自身・人間が偉いと勘違いしている人間は多いですね…特に公務員に多いです。で…そんな方は退職後、自治会等の社会生活もまともに出来ないのに、未だ自分は偉いと勘違いしてます…。あぁ言うのを煩悩と言うんですか?!
2008/4/28(月) 午後 1:34
いつも
すごく内容の濃いブログですね、
とても勉強になります。
ヨカッタラ、こちらの方にも遊びに来てくださいね。
2008/5/3(土) 午前 2:25 [ 山本 ]
なにがいけないんだ!?
2012/11/25(日) 午前 7:19 [ takahiro4 ]