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天風先生の講演録、「盛大な人生」を読んでいたら、こういう文章に出くわした。
「悟りというのは、真我が自分なりと思うことがその第一であると同時に、いわゆる真我が自分だと言うのは、肉体が自分ではなくて、目に見えない霊魂というものが自分で、そうしてそれが自分の一切を動かしているんだ、と思うところに、本当の悟りがあるわけなんだ」
「不弧」(こならず)というが、意味は、「一人ぼっちじゃないよ、お前には、宇宙霊がついていて、その宇宙霊の中にお前はいるんだよ」ということなんだ。
先の「盛大な人生」の中には、こういうことも言われている。
「けど、おおむね大抵の人がねえ、自分がある目的をもって生まれて来た、ということがわかってないんだ。初めから注文を受けて出てきた覚えがないもんだから、ある時、ある家庭に、ある人の子供として、偶然な動機でこの世に生まれてきたように思っている」
「けっして人間、この世に偶然に生まれてきたんじゃない。一人一人、人間として生まれてきた者は、それぞれ造物主の意図によってつくられた、尊いとも尊い存在なんだ」
「だから、宇宙を司る力が、我々のとっている態度と同じ態度をとって、我々の人生を良くも悪くもする」
だから、「不弧」というのは、いつも、宇宙霊の心と同じ心でいなきゃいけないよ、という意味なんだ。
ところで、宇宙霊の心は、真、善、美、だけだった。
宇宙霊によって、お前の仕事は、この世の進化と向上に尽くすことが、目的だよ、と言って送り出されたものが、その目的に反したことばかりしているから、運命も健康もよくならないんだ。
いつも、宇宙霊の心である、真、善、美の心持で生きていたら、宇宙霊の心が、スーッと人間の心に、その霊魂を通じて、通ってくるんだ。
その宇宙霊の命ずるままに、生きることが、即ち、「悟り」の心で、生きることになるんだ。
だって、この世を創った宇宙霊と、人間の真我である霊魂とは、全く同じものであり、同じものだから、常につながっているんだもの。
宇宙霊も、霊魂も、目に見えないものだから、宇宙霊の意思と違った、勝手なことをして、健康も運命も、自ら、ぶち壊していたんだ。
ああ、私たちは、「不弧」(こならず)なんだ。
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