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先日書いた「心配性と運命」という題のブログの中で、私は、この世を造った造物主にも心があって、その心に思い描いた目的に従って、森羅万象が生まれ、全宇宙の営みが運行されている、と言った。
そして、この世を創った造物主は、自分に成り代って、この世の進化と向上を果たしてもらうために、人間にだけ、自分と同じような能力を付与して、この世に送り出した。
造物主が、自分の代わりにと言って人間だけに与えてくれて能力が、すなわち、私たちの心というものである。
人間に神と同じような能力が与えられているとすれば、神と同じようなこともできるはずである。
ところで、今、私の手元に、「ヒマラヤ聖者の生活探究」(ベアード・T・スポールディング著、仲里誠吉訳、霞ヶ関書房刊)という本がある。
全5巻、10年ほど前に購入したものだが、数回の転居に耐え、今なお、こうして私の手元にあるということは、何か特別なご縁を感ぜずにはいられない。
昨日、思い付いて、今日、改めて、読み直していると、次のような一文に出会った。
「神はこのようにして、すべてを創り給いました。神は初めに黙し、瞑想して光を内観し給い、然る後に言い給うた、『光あれ』と。すると、その通りになった。同じ方法で、神は『空あれ』と言い給うと、その通りになった。他の被造物(宇宙の森羅万象)も全て同じ。神はそれぞれの形、或いは、理念をしっかり意識の中に持ち続けてから、言葉を発し給う。すると理念が具象化した。人間の場合もその通り。」
「人は、神の像に似せて創られたのである以上、神は人間に対して神同様に、自由に、しかも全く神と同じやり方で、この創造力を駆使することを期待し給うのではないでしょうか。そのやり方というのは、先ず必要な物を確かめ、その型を意識の中に描き続け、そのうちでも崇高なるもの、理想的なものを観じ、それから『既に得られたり、よし』と言葉に出して言うことであります。そうすると心的普遍資料(気のようなもの)がその中に流れ入って、型の中味となり、観じた通りの善きものとなって、出現するのです。」
おおかたの意味は、おわかりと思うが、少し、補足しますと、
神様が、この世を創られた時、瞑想して、「光」のことを思い続けました、然る後、「光あれ」と言うと、この世に、光がさし始めた。同じように、「空気」のことを心の中で、じっくり思われた後、「空あれ」というと、空気ができた。
神は、自分と同じようなやり方で、ものごとを創造する力を、人間に与えられた。
そのやり方とは、
神様がやったように、先ず必要な物を確かめ、その型を意識の中に描き続け、そのうちでも崇高なるもの、理想的なものを観じ、それから『既に得られたり、よし』と言葉に出して言うことです。
そうすると心的普遍資料がその中に流れ入って型の中味となり、観じた通りの善きものとなって、出現するのです。
さらに、「ヒマラヤ聖者の探究」よりの抜粋を、続ける。
「イエスが十字架に処せられた時、その外郭である肉体は失われたが、それは肉体よりもなお深いところに霊的体のあることを示す為であって、イエスが墓から出で給うた時に現れたのが、この霊的体でした。『この宮をこぼつとも、われ三日後にこれを建てん』とイエスが言い給うたのは、実はこの体(霊的体)だったのです。私ども人間にも同様に全く同じ霊的体があり、イエスがなし給うたみ業は、すべてわたしどもにもできることを示す為に、イエスは十字架にかかり、そして、また甦り給うたのです。」
つまり、イエス・キリストが、十字架の上で磔にされ、殺されてから、三日後に生き返ったのも、実は、私たち人間に、神様と同じような能力があることを、イエス・キリストの体を、通じて教えたかった、という意味です。
次は、ヒマラヤ聖者の一人である、エミールという人が、キリストと同じようなことをやってみせる、場面です。本からの抜粋です。
「『しかし、何故、父なる神がわたしどもに与えてくださったもっと高度の、もっと完全な法則を使わないのでしょうか。ただ、そのために必要なのは、心を静め、麦を心の中で観ずること、言い換えればその理想的状況を心中に描くことです。
そうすると、きちんと手入れされて使用するばかりになっている麦が手に入るのです。もし本物かどうか疑わしいのなら、それを集め、粉にひいてパンにしてみるがよい。』
すると私たちの目の前に麦が生え出て、みるみるうちに伸び、チャンと手入れされた状態になったので、それを集めて挽き、後でパンにしたものである。」
「エミール師は、なおも語り続ける。『皆さんは、今、これを目前に見て信じた。今度は一層完全な法則を適用して、一層完全なもの、即ち、皆さんの丁度望んでいるもの、つまり、パンを出そうではありませんか。この完全な法則を適用して、私が自分のまさしく必要とするもの、即ち、パンを出し得ることがおわかりになろう。』
私達が、まるで棒でも呑んだように呆然と立ち尽くしているうちに、大きなパン一個、彼の(エミール師)手の中に現れたではないか。しかもそれが次々に現れて、テーブルの上にエミール師自身の手で、合計四十個並べるまで尽きないのである。『ご覧の通り、皆に行き渡るだけあります。もしそれで足りなければ、ありあまるまで供給できます。』
一同がそのパンを食べてみたところ、確かに美味しいと声に出すほどであった。」
福音書6章11節―13節の中にある、イエス・キリストが、ガリレアで、水をぶどう酒に変えたり、六つのパンと、二匹の魚を、五千人以上の人を賄えるように増やした、とかいった奇跡も、同じように、人間が神様と同じような能力を持っていることを示すものである、とエミール師は、次のように言っています。
「それから、イエスはパンを割き、弟子たちを通して飢える人々に配って腹を満たしてあげ、しかもなお、籠二杯分のパンが余ったのです。
イエスはご自身や他の人たちの必要を満たすのに、人の余りものに頼ることは決してなされなかった。(自分で新しく創った、という意味)
われわれに必要なものは、一切の供給の源泉である普遍的資質(気のようなもの)の中に既にあり、われわれはただそれを創り出すか、引き出しさえすればよいと教えられました。」
このように、私が、延々と似たような話を、「ヒマラヤ聖者の生活探究」を引きながら、紹介してきたのは、結局、今日のテーマでもある「成功の法則」について、
「ヒマラヤ聖者の探究」で話されていることは、天風先生が「成功の実現」という本の中で言っていることと全く同じであり、「ヒマラヤ聖者の探究」を言葉を引用することによって、天風先生が言っている、「成功の法則」について、できるだけわかりやすく、説明したかったからです。
天風先生は、「成功の実現」という本の中で、「成功の法則」について、次のように言っている。
「信念の重要性を認めている人でも、それが自分の人生に対する宿願や念願を達成する為の原動力になり、もっとやさしく言えば、信念が確固不抜になれば、つね日頃自分の心の中で、ああもなりたい、こうでありたい、と念願していることが、全て、思い通りに叶ってくる、と確信して生きている人は、このなかにそうたんといないだろうとおもうが、どうだろうか。
信念が確固不抜のものになれば、宿願達成の一番最初の原動力が、身のうちに出来上がるんだ。」
「これから聞かれることは、偶然の動機でインド哲学(ヨガ)を実際に研究して、その結果悟れた信念煥発法なんです。
想像力を応用して、心に念願する事柄をはっきり映像化することによって、絶えざる気持ちでぐんぐん燃やしていると、信念がひとりでに確固不抜のものになる。」
「ああなりたい、こうなりたいということをだね、一つの現実の絵にして、自分の心の中にはっきり描かなければいけないんだよ。それを絶え間なく、オリンピックの聖火のように絶えず燃やし続ける。」
「心の中で思ったり、考えたりすることを、心のスクリーンに想像力を利用して描くと、それが期せずして強固な信念となる。信念となると、それがいつかは具体化するのが、必然の神秘なんだ。これなんだよ『思考が人生をつくる』という言葉の意味は。
これで、「ヒマラヤ聖者の探究」で話したことと、天風先生が、言っている「成功の法則」が、全く、同じであることを、理解していただけましたでしょうか?
くどいようですが、最後に、天風先生の次のような言葉を、付け加えておきたい。
「およそ、人間の心の中の思い方、考え方というもの、いわゆる『思考力』というものは、それはそれは、ものすごい魔力のような力をもっていることを知らなければだめだよ。」
「ところが、世間の人は、心があらゆる力の源泉であるという貴重な事実を知りませんよ。境遇なり、運命なり、健康なりの出来事を、自分の心があらゆる力の源泉になっているがために、こういう結果がきたんだ、なんて、気が付いて反省する人はいないようだなあ。」
人間に神と同じような能力が宿っているとすれば、インドの聖人、サイババが何もない空中から、ビブーティといわれる粉や、ブレスレットや、腕時計を取り出したりすることも、あながちウソではなさそうに思えてくる。(というより、確かに、こういことも、起こりうることだろうなあ、と思う)
とは言っても、こういうことが、本当にわかるかようになるには、少なくても、自分の中に、肉体とは別に、目に見えない気体でできた、もう一つの本当の自分というものがある、ということをわかるようにならなければならない、と思う。
つまり、瞑想の中で、自分の肉体の中に、真我と呼ばれる肉体とは別の、気で出来た組織があることを、はっきり、意識できるようにならなければ、わかることではない、と思うのである。
自分自身、「成功の法則」についても、また、これまで、よくわからなかった、サイ気療の原理についても、
自分の中の、「気の組織」を、ハッキリ、意識できるようになって、次第に、はっきり目に見えてきたような気がする。
ホームページアドレスが、下記のように、変更になりました。
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
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心に染み入るお話 ありがとうございます
2010/9/16(木) 午前 10:31 [ 雲はこころ ]
コメントありがとうございます。
2010/9/16(木) 午後 4:39