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先日来、紹介している、池袋の小坂整形外科の、小坂院長の「身体の痛みを取るには気功がいい」!という本の中に、次のような一節があったのを思い出した。
「私が気功治療を受けて驚いた経験をご紹介します。その方は何年も前から本を読んだりネットで追いかけていた浦田紘司先生で、私が目標としている方です。浦田先生が身体治しでは日本一と言われるのも当然ですが、あまりにもすごすぎてなかなか信じてもらえない、わかってもらえない状態が長年続いています。」と。
ここを読んで、その時、「浦田先生が、信じてもらえない、わかってもらえない状態が長年、続いている」のは、当然だろうな、と思ったのです。
つまり、浦田先生が信じてもらえない、わかってもらえない」のは当たり前だろうな、と思ったのである。
なぜなら、彼が目指している方向(目標)は、間違っているからである。
話は変わるが、先日ある方から、「先生の御著書にも書かれている浦田紘司先生の空の会に入会して 云々」という趣旨のメールを頂いた。
このメールに接して、一瞬、迂闊にも、「そんなことを書いた覚えはない、誰か他の人と勘違いしたのだろう」と思ったのである。
後で、己の本をめくってみて、実は、私の勘違いだった、と知って、一人赤面したのであるが、
なぜそう思ったのか、その理由は、この本(人物論と宇宙論)が初めて出版されたのが、2001年7月で、今から12年以上も前のことであり、記憶が定かでなかったこと。
そして、次に、当時から、浦田さんの本を読んだり、空の会(浦田さんが主宰する気功の会)に行ってみたりするうちに、彼のやっていることが、私が目指している方向とは、全然違うことを、強く感じていたからである。
行ってみればわかるが、彼のやっていることは、所詮、ショー、つまり、見世物に過ぎない。
言うならば、その時、私は、「人を飛ばして」、何になる、と思ったのである。
今、彼は、自分のことを、「身体治し日本一」と自称しているらしいが、当時はいざ知らず、今では、こと病気を治すことにおいては、私の方が優っているだろう、と自負している。
つまり、「身体治し日本一」のは、私の方だろう、と思っている。
なぜなら、あれから十四・五年、その後も、彼は、ひたすら、人を投げ飛ばすショーを行い、その間、私は、ひたすら、病気の治療に打ち込んで来たからである。
彼ほどではなくても、おそらく、私でも、人を飛ばしたり、じっと、背中から手で触らず、ただそこを見ているだけで、ギックリ腰くらいの痛みは、瞬時に治すことができる。
彼のブログや、本を見る限り、程度の差はあっても、彼のやっていることなら、私でもできる。
先日も、患者の背後から治療しようとしたら、患者の身体が、くにゃぐにゃ曲がったり、動いたりして、治療に困難を来すほどだった。
浦田先生が言ったりしたりしていることも、原理的には、これと同じだろう、と思う。
浦田先生が、癌やその他の難病をどうやって治しているのか、どれほどの実績があるのか、公表されていないので、「身体治し日本一」の程度がいかほどのものか、わからないが、
おそらく、言ってしまえば「治る人は治る、治らない人は治らない」という程度に過ぎないのではないかと、考える。
即ち、こうしたら、絶対に病気が治る、という具体的方法は持ち合わせていないのではないかと思う。
そういう点で、「身体治し」、つまり、病気の治し方だったら、私の方が上だろうと思うのである。(具体的な方法については、私のこれまでのブログを見てください)
なぜ、私が彼のことについて、そう思うかと言えば、
どこを見ても、彼は、人間の命というものが、何によって保たれているのか、そして、病気というものがどうして起きるのか、あまりよくわかっていないように思うからである。
気で人を投げ飛ばす方に、気持ちが行き過ぎて、人間の命が、何によって保たれてるか、生かされているのか、といった原理原則、引いて言えば、この世の真理については、極めて暗いのではないかと、思うからである。
何事もそうであるが、枝葉末節の技術論に走り、原理原則を疎かにした時、その成長の程度や、その行きつく先は、およそ予測できるのである。
繰り返すが、小坂先生が言うように彼が、自身のことを、「わかってもらえない状態が長年続いている」と思っているとするなら、それは、原理原則を無視して、枝葉末節に走り過ぎた結果だと、言わねばなるまい。
世間は甘くない。
よく「めくら千人に、目明き千人」といわれるが、世間はよく見ているのである。
即ち、世間の多くの人が、彼に、一種の「胡散臭さ」が感じているからである。
日蓮さんは、禅のことを批判して、「禅天魔」と言った。
つまり、日蓮さんは、「禅」をやると、悪魔になるぞ、と言ったのである。
禅でも、気の力の発現を目的として、修業することを、「魔境に入るぞ」と言って、戒めている。
彼のやっていることは、ヨガで言えば、ハタヨガになるが(ハタヨガ、そのものと言っていい)、中村天風先生も、ハタヨガのことを、「インド乞食がやること」と言って蔑んでいる。
日蓮さんが「禅天魔」と言ったり、天風先生などが、「インド乞食」がやること、などと警告を発しているのは、
それは、浦田さんのような「気」の力は、修業の途中で派生的に発生するものならいいが、「気」の発現そのものを目的として修業してはならない、と考えたからである。
なぜ、このように、「気」の発現、それ自体に、興味を持ちすぎてはいけない、と言うのかというと、
その理由について、今、詳しく触れている余裕はないから、興味のある方は、クンダリニー(ゴービ・クリシュナ著、中島巌訳、平河出版社刊)に詳しく載っているので、参考にされたい。
但し、この本が、現在、どこかで、売られているか、廃刊になっているか、よくわからない。
この本だったか、どの本だったか、記憶が定かでないが、精神病院に入院している患者の何割かは、精神の浄化が進まないまま、クンダリニー(仙骨な辺りに眠っていると言われる、神秘的な力)が動き出た人ではないかと、言っている。
つまり、このクンダリーという神秘的な力は、あまりに強力なため、心の受け入れ態勢(心の浄化)ができてないまま、動き出しと、精神に異常を来すというのである。
「魔境」と言うのは、具体的には、こういう危険性のことを指して言ってるのである。
私は、こうなりたくて、つまり「気」を使えるようになることを目指して修業した結果、こうなったのではなくて、天風会に入って瞑想をする内に、はからずも、こうなったのである。
だから、浦田先生の教室に行ったのは、そういう力が発現した後、何故、自分にそういう力が備わったのかを、検証するために行ったのである。
そういうことからして、浦田さんの教室に行った時、そのやり方の危うさ、胡散臭さ、について、十分気がついたのだ、と思う。
さる読者の方から言われるまで、自分の本の中で、浦田さんの「空の会」について触れていることを失念していたのは、それまで、ずっと、浦田さんのやり方を、否定し続けていたからではないか、と思う。
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キツネか狸でも憑いてるのか?
2015/11/10(火) 午前 10:16 [ 名無し ]