気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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「応待辞令」という言葉の意味について、念の為と思って、ウェブを開いて調べると、そのページのトップに、私が、かつて、ブログに書いた、「泉田新潟県知事の応待辞令」(2013年7月6日、掲載)という記事がそのまま、載っていて、ちょっとびっくりした。
 
 
その時にも、「応待辞令」という言葉について、安岡正篤先生の活眼活学という本から引いて説明したが、今回も、改めて、次に紹介しておきたい。
 
「(応待辞令というのは)即ち人物ができているどうかの問題です。(応待辞令というのは、人物ができているかどうかを見るためのモノサシ、という意味)
(人物ができているかどうかは)お互いに相対して座りますと、もうそれだけで、この人はできているなあ、あるいは、軽薄だなあ、などと、大体わかるものであります。ましてものを言うことになりますと、できた人物の言葉には、必ず味があります。反対に、できておらぬ人の言葉にはたわいのないことが多いものです。
だから、この応待辞令が非常に大切であります。ところが、こうなると甚だ微妙なデリケートな問題で、俄か仕立てではどうにもなりません。平素の修養、教養にまつほかありません。特に学校では応待辞令等についてはちっとも教えませんから、大学を出ても本当の学問修養をしておらない人は、人間的にまずいのであります。」
 
 
私の、泉田新潟県知事の人物評価については、ブログ末尾に、結論的に
 
「ちなみに、奥田裕彦新潟県知事の経歴をウィキペディアで引いてみると、新潟県知事3期目、年齢50歳、京都大学法学部卒、経済・産業省出身の元キャリア官僚、とある。
なるほど、経歴だけは立派だが、それだけにテレビ画面に映るその幼い横顔を眺めていると、この人、本当の勉強をちっともしてこなかったのじゃないか、などと考えることだった」、
 
とあることから、ご理解願うこととして、
 
 
さて、今回ノーベル物理賞を受賞された、赤崎勇さんの応答辞令についてですが、
 
テレビがあまり普及してなかった当時の受賞者については、そもそも、その言動を、直接知る機会も少なかったことから、別として、
 
最近数十年の間にノーベル賞を受賞した人達の中で、赤崎さんほど、その人格・識見において、傑出した人を、私は知らない。
 
 
もっとも、同賞を選考した、ノルーウェーの選考委員は、その記者会見で、「人類のより良い生活につながる発明に賞を与えるとしたアルフレッド・ノーベルの思いにまさに合致する」と言っているくらいだから、
 
受賞者の人格とか人柄については、あまり選考の時の基準にされてないことは、十分考えられるのだが、
 
 
それかあらぬか、
 
これまでの、わが国のノーベル賞受賞者を見ていて、実績や、社会的な貢献度については、なるほど、と納得もするのだが、
 
さすがノーベル賞受賞者、この人なら、人間的に立派で、信用できる、と思われるような人は、極めて少なかったように思う。
 
 
言葉を変えて言うなら、テレビに映る、その風貌、立ち居振る舞いを見ていて、この人は安心した日常生活を生きていて、定めし、本人も周囲の人も幸せだろう、と思われるような人はあまりなかったように思う。
 
なるほど、勉強はできたかもしれないが、世間に出すと、学者としてしか、通用しない、いわゆる「学者バカ、専門バカ」とでも言ったような、少し常識に欠けた、性格的に少し偏った性格の持ち主、と思われるような人が、ほとんどだったように思う。
 
 
さて、今日の話題の主、赤崎勇さんの応待辞令である。
 
記者会見場に現れた赤崎さんは、むしろ、周りにいる人達の方が、浮き足立つて興奮しているように見える中、さして、喜びに浮かれる様子もなく、
 
さりとて、無理に平静を取り繕うとするわけでもなく、常に淡々としていて、記者との質疑応答にも、いつもと変わらないような、冷静な受け答えしているように見えた。
 
 
話は、突然変わるが、
 
天風先生の「真理のひびき」という本の中に出てくる、六然訓という誦句がある。
 
自処超然 対人靄然(あいぜん)
無事超然 有事嶄然(ざんぜん)
得意淡然 失意泰然
 
これは、東郷平八郎元帥の愛誦句でもあったと言われる。
 
 
上の言葉の意味を、天風先生は、「真理のひびき」という本の中で、で次のように解説してくれている。
 
天風箴言 第十四
 
「人生に 最も注意すべきことは 得意の時に 一しお心の備えを 緩めぬよう心かけることである。」というのがある。
 
「大定心というのは、どんなとき、どんなことにもいささかも動揺せぬ心、いいかえると、いかなる場合にも、怖じず、怖れず、急がず、焦らず、いつも淡々として極めて落ち着いている心である。これをもっと適切な状態で言えば、何事もないときの心と同様の心の状態である。」
 
「心の状態をその時その時によって、猫の目のように変異させてしまって、極言すれば、心というものを天風教義で厳戒している感情や感覚の奴隷にあえてしている。そして、その結果、心は絶えず安定を欠いて同様の状態にある。
これでは結局、生命の確保と運営の中枢に相当する何よりも大切な神経系統のボルテージが低調になるから、いくら生まれつき健康な人間でも、ある時期が来ると急激に健康状態に変調をきたすのは当然である。」
 
「こういうことがあるから、私は常に『完全なる人生』に活きるのは、先ずその先決問題として心の状態を積極的にせよと力説し、その作成要諦の中に、有事無事常若無心、ということ、すなわち執着なき心を平常心として、人事世事一切の人生に対応して行くべきであることを講述しているのである。」
 
 
話は前後するが、
 
先ほどの六然訓をそのまま直訳すと、次のようになる。
 
自処超然 対人靄然:自分の損得については、常に後回し、他人に対しては愛想よく
無事超然 有事嶄然:身辺に何もないときは、悠然と暮らし、何か事が起きた時は、一刀両断する如く、毅然とした態度を保ちなさい。
得意淡然 失意泰然:得意の時には、有頂天にならず、失意の時には、平然と構えなさい。
 
 
このことを、突き詰めて、端的に言うなら、長い人生の中には、良い時も悪い時もあるが、どんな時でも、同じような気持ちでいなければならない、ということだろう。
 
その為には、特に、「最も注意すべきことは 得意の時に、一入、心の備えを緩めぬようにすべき」というのは、天風箴言が言う通りである。
 
 
赤崎勇さんが、ノーベル賞受賞、発表の時の見せた、あの淡々とした、いつもと変わな
いような言動は、日頃の心がけ・訓練がなくては、決してできるものではない。
 
 
天風先生が言われるように、上の六然訓が、悟りの境地に達した人の言動を言うのだと
したら、もしかしたら、赤崎氏も、悟りとまでは行かなくても、或いは、それに近い心
境まで達している人なのかもしれない。
 
 
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