気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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無碍自在

単行本にもなっているから、天風先生の「運命を拓く」という本は、わかり易い本かというと、決してそうではない。
 
初心者にとっては、わかりにくいどころか、むしろ難解と言った方が良い、難しい本である。
 
なぜなら、それは、天風先生が、弟子たちに、最終的には、「無碍自在」ということをわからせようと思って、修練会の真理瞑想行の時の講話を、編集して創られた本だからである。
 
 
話は変わるが、私は、「成功の実現」という本のP、376〜378の、カリアッパ師が天風先生に言っている「そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。いつも猛獣と相対峙していたようなーインドの先生の言った言葉はいまだに忘れないよー無邪気な気持ちになれ」って言ったんだ。
 
カリアッパ師が何故、天風先生にそう言ったか、その前置きが、少し長くなりますが、「成功の実現」P、377から引用します。(話は前後します)
 
「一挙手一動どんなささいな行動でも、みんなそれが自分の心の中の思い方や考え方の現れであると、ピッシャッと気がついた。どんなことで気がついたかっていうと、気がつく時はきわめて小さな動機でねえ、インドの山の中でした。
『もう死にやしないかしらん。ほんとうにこうやって毎日毎日、山の中で座っているだけで、俺はもう、親兄弟の顔も見ないで、このまま名も知れないこの山の中で死んじまうんだ』。
それでもう、一分一秒といえども、ああ、気持ちがいい、なんてことは感じないんだからね。フウーッと気がつけば、すぐ息苦しくなったり、脈が乱れたり。
そのときにだよ。フウッと膝頭のところに妙な感じを感じたの。何か軽石でこすられているかのような気持のね。ヒョイッと目を開けたら大きな豹がね、目の前に腰をすえて私をじっと見ているんだよ。
もう病の苦しさも、死にゃしないかという気持ちも何もなくなっちゃった。恐ろしいという気持ちもないんだよ。ただ、その爛々として光る豹の目をウッと見すえて、にらめっくらしたわけだなあ。にらっめくらという気持ちもないんだよ。ハッと思って、ハッと見ただけだ。そうしたら、スウーッと向こうへ行っちまいやがった。
無念無想に打たれたんだな、むこうが。おっかないと思ったら、パッと来るだろうけども。
こういう話をわかってくれる人が果たして何人あるか知らないけど、戦争にでも行って、もうどうにもしようがないときに、絶対の諦めがくると、そう言う気持ちになることがありますよ。何も考えない、ただ無我夢中。無我夢中というのも心だよ。やっぱり。心のいわゆる乱雑なる妄想が瞬間、止まったときなんだ。」
 
天風先生が、こう言った時、カリアッパ師が、上で紹介したような、「無邪気な気持ちになれよ、そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。」と言ったんです。
 
 
貴方達わかります?
 
「無邪気な気持ちになったら、病なんかどっかへ吹っ飛んで行く」と言われて、無邪気な気持ちでいたら、何故、病が吹っ飛んで行くのか、その理由がわかります?
 
 
その前に、目の前に座っていた豹と「ハッ」と思って「ハッ」と、にらめっくらしたら、豹がスーッと向こうへ行っちまいやがった、と言っているが、なぜ向こうに行ってしまったのかわかりますか。
 
天風先生はその理由を、「無念無想に打たれたんだな、むこうが。おっかないと思ったら、パッと来るだろうけども」とか、「戦争にでも行って、もうどうにもしようがないときに、絶対の諦めがくると、そう言う気持ちになることがあります」と言ってますが、
 
 
正直言って、長いこと私も、ここのところ、よくわからなかったのです。
 
つい最近になって、「無邪気な気持ち」とか、「無念無想」とか、「戦争にでも行って、絶対の諦めがきて、乱雑なる妄想が瞬間止まった時」とかの言葉が、ここを理解するキーワードであることにやっとy気がついた。
 
 
話は二転三転するが、修練会の時の、天風先生の真理瞑想行での講話集である「運命を拓く」という本のことである。
 
そもそも天風先生は、「真理瞑想行」の目的を、第二章「人生を支配する法則」、P、68で、「それまで人間の心の行う思い方や考え方が、人事の万事を良くも悪くもするものだということを知らなかった。知らないのも無理はない。人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを知らなかったからである。これを正しく心のものとするために、『真理瞑想行』を行っているのである。」と言っている。
 
簡単に言えば、真理瞑想行は「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」自覚させるために行っている、ということである。
 
では、「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」正しく自覚できたらどうなるかというと、
 
 
「運命を拓く」序章、朝旦偈辞、P、38〜39で次のように言っている。
 
「人間の思ったり考えたりする『心』の作用というものは、『霊』の働きで動いているとすると、その霊という気は、宇宙を創っている創り主である宇宙本体が霊なのだから、やはりそれに通じている、ということである。
電灯に抵抗の強いものを当てると、ショックはたちまち変圧器にきて、すぐにヒューズが飛ぶ。それは結局、つながっているからである。そうすると、この宇宙霊という気の元が、一切の万物を創る力があるということである。この当然の連結関係を手繰っていくと、人間の心で思ったり考えたりするということが、あだや疎かにできないのだということに、すぐ気がつくはずである。
まことに、峻厳侵すべからざる宇宙真理である。だから、どんな場合があっても、消極的な方面から、物事を思ったり考えたりしてはいけないのである。
この法則を厳として自覚し、常に、この法則を乱さないように活きるならば、人生は、期せずして、大きな調和のもとに満たされる。そして、無限の強さと、生命の無限の自由というものが、自然的に出てくる。これが仏教でいう〝無碍自在〟である。」
 
 
やっと、ここで〝無碍自在〟という言葉が出てきました。

つまり、「人間の心が、人間の霊魂と宇宙大霊を結ぶ回路である」ということがわかるようになると、無碍自在という状況が現れる、というのである。
 

これが、カリアッパ師が、「無邪気な気持ちになれよ、そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。」という言葉の意味なのである。
 
つまり、無邪気な気持ちでいたら、「無限の強さと、生命の無限の自由というものが、自然的に出てくる」、つまり、無碍自在の状況が生まれる、というのです。
 
 
同じように、目の前に座っていた豹と「ハッ」と思って「ハッ」と、にらめっくらしたら、豹がスーッと向こうへ行ってしまったのも、心が無念無想になっていたから、宇宙大霊と人間の霊魂とが繋がった結果、無碍自在という状況が生まれたせいなのです。
 
無碍自在という言葉、そのものを説明することは難しいが、少なくても、人間の霊魂とこの世を創っている宇宙大霊とが、繋がった結果、人間が、宇宙大霊そのものになってしまった、と解釈してもいいと思います。
 
宇宙大霊が、この世の出来事のすべてを差配しているのだから、つまり、この世は宇宙大霊の意志の元に動いているわけだから、豹も、宇宙大霊の意図に従って、スーッと向こうへ行ってしまった、と解釈していいのです。
 
 
天風先生が、平炭鉱の暴動を鎮めに行った時、炭鉱へ渡る橋のつり橋へ、片足を掛けた途端、向こうからパンパン鉄砲を撃ちかけて来たにもかかわらず、サッサッと渡って行った。
 
後で調べたら、外套の腰のところを五つ弾が抜いて、そして、ズボンの端を二つ抜いていたが、体には一つも中っていなかった。
 
という話は、天風先生を研究しておられる方、よくご存知の話だと思うが、
 
弾が中らなかった理由について、天風先生は、「成功の実現」、P、248で、次のように述べています。
 
「そうすると、例の平炭鉱に私が行ったときなんかも、こういう話を正しく理解してない人は、無謀だなあとか、あるいは無茶だなあとか、あれだけの胆力がなあ、と思うかもしれないが、胆力でも何でもないんだよ、これは。そうだろ。私は無邪気に入っていったんだもの。胆力で、『くそ、こんちくしょう、おっかなくあるもんか』なんて気分で入っていったんじゃないんだもの。」
 
と言って、鉄砲をパンパン撃ちかけられても、無邪気な気持ちで入って行った、と言っています。
 
無邪気な気持ちで入って行ったから、自在境というものがあらわれて、鉄砲の弾が、自分の身体に中らなかった、と次のように言うのです。
 
「何も考えないの。何も考えない、いわゆる無我無念のときに、自在境(無碍自在)というものがあらわれるものなんだ、ねえ」
 
 
だから、「無碍自在」とか、「自在境」というのは、心の中に、雑念妄念がなくなって、人間の霊魂と宇宙大霊とが結びついたとき、神様が自分を守ってくれる、と解釈してもいいのではないでしょうか。
 
反対を言えば、心に中に雑念妄念がいっぱいの時が、最も危ないんだ、自分の思う通りにことが運ばないのだ、ということができる、と思います。
 
 
さっきも言ったように、天風先生は、真理瞑想行というものは、「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」自覚させるために行っている、と言っています。
 
「宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂」が結合した結果、「無碍自在」と状況が現れるのだとしたら、真理瞑想行は、つまり、「無碍自在」という状況を自覚させるために行われる、と言っていいのです。
 
 
ただ、難しいのは、「人間の心が、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを交流結合させる回路である」ということがわかるには、実際に、自分の霊魂と、宇宙大霊とが直結しているということを、身を以て体験できなければわからないだろう、ということです。
 
つまり、瞑想の時、霊魂と宇宙大霊が結びついている、ということを、身を以て実感できなければ、いくら理屈で考えても、そして、真理瞑想行で、天風先生の講和を、何回きいたところで、ただ聞いただけではわからないだろう、と思うことです。
 
 
真理瞑想行の時の、天風先生の講和を集めて作られたのが、「運命を拓く」という本であるとすれば、その内容を理解するのは、難しくないはずがないのです。



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