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今日(2月10日)は、こんな良心的な医者がいることを知って、嬉しくなった。
良心的な医者とは、順天堂大教授、天野篤(あまの あつし)教授のことである。
彼の名前は、2012年、天皇陛下の心臓の手術を、執刀したことで、世間によく知られることになった。
2015年2月10日(火)、読売新聞に群馬大病院問題を考えると題して、天野教授のインタビュー記事が載っていた。その中で彼は次のように言っている。
「手術の前、私なら、手術以外の選択肢も含めてよく説明し、一般的な手術成績の後に、自分の成績も話したうえで同意を得る。(手術の)利点だけでなく、マイナス面を隠さず言うことも大事だ。説明の仕方として、医学用語を並べて相手をけむに巻き、「わからないからお任せします」という言葉を導き出す医師もいる。しかし、患者と家族という『受け止める側』の言葉を使い、理解して同意をしてもらわなければ、十分とはいえない。」
彼は、「説明の仕方として、医学用語を並べて相手を煙に巻き、「わからないからお任せします」という言葉を導き出す医師もいる。」と言っているが、
むしろ、こういう医者の方が、一般的と思った方が良い。
ひどいのになると、「お任せします」と簡単に言わない患者に対しては、脅し、透かし、誘導尋問などして、強引に自分の方針に従わせようとする医者も、随分沢山いる。
また、彼は次のようにも言っている。
「手術をするに当たり、私は、手術中の判断ミスで患者が2人続けて亡くなれば、心臓外科医を辞めると自らに課した。緊張感を伴う決めごとだが、今もそれを守っている。人の命を預かる手術という医療行為は、それほどの覚悟と矜持で臨まなければならない。」
常識から考えても、人の命を左右するような仕事は、当然それくらいの倫理観と良心があってしかるべきと思うのだが、群馬大病院で腹境鏡手術によって患者8人を死亡させた、あの医者は、手術中、何を思い、何を考えながら、メスを振るい続けたのだろう。
そのことを思うと、背筋がぞっと寒くなるのだが、天野医師は、次のように断じている。
「手術で患者を亡くすことは、外科医にとって、とても大きな問題だ。もしも、それを大したことと考えず、いわば(自分が医者として実績を積み、成長して行く過程における)一ページくらいしか思わない外科医がいるとしたら、極めて残念だ」と。
同業者として、多少の遠慮があるため、遠まわしに言っているのだろうが、彼が本当に言いたかったことは、結局、群馬医大の問題の医者は、「実績を作る」目的で、次々に腹境鏡手術を試した、ということだったに違いない。
天野教授が、今回、ここで、特に触れているわけではないが、
近藤誠先生は、お金儲けのために手術をしたり、副作用が強いことを承知しながら、無理な投薬をする医者が、殆ど一般的、という現状だから、「医者に殺されない為の47の心得」を書いたのだろう。
高い倫理観と良心があって初めて、人の命を預かる医者という職業が成り立っているはずなのに、天野教授のような良心的な医者が、今日極めて稀になっていることが、現代医療の大きな問題の一つなのだ。
つまり、この特集記事のタイトルにもあったように、「命を預かる覚悟と矜持(プライド)」を持った医者が、極めて少なくなっていることが問題なのだ。
一方、こういう医者の所には、行かない方がいいよ、と忠告したくなる医者の一人が、兵庫県尼崎市で町医者を営む近藤和宏という人である。
読売新聞に、「群馬大病院問題を考える」という特集記事が、掲載された同じ日、つまり、2月10日の一面記事下に、このような本の広告が載っていた。
「家族よ、ボケと闘うな!(著者)医師長尾和宏×役人近藤誠」というものである。
長尾という人については、週刊文春に「近藤誠先生、あなたの犠牲者が出ています」という内容のインタビュー記事を載せ、読者から、ネット上で猛烈なバッシングを受けた、ということは、以前から、私も知っていた。
大体、今度の本の表題からして気に入らない。
「家族よ、ボケと闘うな」というのは、明らかに、最近、「医者に殺されない47の心得」を出版した、近藤誠医師の「患者よがん闘うな」という本の名前をまねたもの、と言うよりも、はっきり言って、パクリとも言うべきものである。
なぜ、パクリだと言うかというと、本の表題に、医師長尾和宏と役人近藤誠の、共著と言っていることである。
私も、最初、この本の広告を見た時は、「役人」という言葉があまりに小さくて、見えにくかったため、あの近藤誠医師のことかと、勘違いしたくらいだった。
先ほどの週刊文春の記事のことや、この「家族よ、ボケと闘うな」という、ふざけた本の表題からして、中を読まずとも、この本、インチキまがいの内容の薄い、パクリ本と断じざるを得ない。
この医者、これまでに何冊も本を出版しているようだし、また、あちらこちらで、講演もして歩いているようだから、
とにかく、世間に自分の名前を売って、己の病院が儲けさえすればいいと考えている、つまり、医者という職業を、ビジネスと考えている、売名医者、儲け第一主義の医者と思って間違いないと思う。
医者という職業をビジネスと考え、お金儲けをして何が悪い、と考えるところから、医者が、必要もない手術をしたり、又、診療報酬を少しでも大きくしたいがために、無理に、副作用の強い薬価点数の高い薬を使ったりすることを思えば、
こういった、儲け主義の、売名ばかり考えているような医者の所には、最初から、近づかない方がいいと言わざるを得ない。
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後藤健二さんが、イスラム国に殺害されたと報道された直後、2015年2月3日に、ブログに「後藤健二さんのこと」と題して、投稿し、後藤さんの無責任な行為を強く非難した。
その後、テレビなどで、後藤さんが、何か立派な仕事を成し遂げたかのように、賞賛するような報道が、あい次いでいるという噂を耳にした。
先日も、NHKの夜のニュースで、国外で、後藤さんのやったことが、高く評価されている旨の、報道がなされていた。
おそらく、NHKは、自分達が言いたいことを、直接言わずに、無理に、国外のある一部の人の意見を引っ張って来て、自分達の代わりに言わしているのだろう、と思ったから、すぐに、チャンネルを他局に変えてしまった。
日頃どんなに高邁な意見を持っていようと、そして、今までやって来たことが、それなりに評価されることであったにしても、
結局は、国に迷惑をかけ、損害を与え、あまつさえ、よその国にまで迷惑を及ぼしたことを思えば、「晩節を汚す」という言葉を持ち出すまでもなく、その人の実績は、その最後の一事によって、評価されるべきではないかと思う。
実は、投稿の後、テレビなどの一連の報道を見て、私の方が間違っているのではないか、また、多くの国民は、私と違った感想を持っているのではないか、と多少不安になりかけていたところ、
はからずも、ブログ投稿に対して、6ケものナイス評価を頂き、自分の意見が、多くの人の支持を得ていることに、とても嬉しかった。
これまでも、2ケや3ケのナイス評価を頂いたことはあったが、こんなに多くのナイスを頂いたのは初めてだったのである。
ところで、今日(2月8日)の読売新聞によれば、世論調査の結果、「テロ事件に巻き込まれた場合、『最終的な責任は本人にある』とする意見が、83%に上ったのということである。
後藤さんの死をどう評価するか、ということと、直接、関係はないにしても、少なくても、彼の行動が自己責任を果たしてない、国家国民に損害を及ぼし、迷惑を掛けたとする、普通の国民の一般的な感想と受け取ってもいいのではないかと思う。
テレビなど、マスコミに登場する評論家たちと違って、一般の国民の方がまだ、健全な思想・意見を持っていることに、今、ホッと、安堵の胸をなで下ろすような、そんな気持ちになっている。
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本を出版したり、ブログを書いたりしていると、さぞや万巻の書に埋もれて生活いるだろうと、想像する人もいるかもしれない、
実際、家族の者に訊いても、常に、自分の部屋で本を読んでいる、というのが日頃の私の印象だという。
そいうことからすると、常に、本を前にしているのが、私の日常であることは、間違いなさそうである。
しかし、私の部屋の本棚にある本を数えてみると、大小あわせて、せいぜい、200〜300冊のものだろう。
ということは、結論から申せば、ほんの限られた数の本を、繰り返し、繰り返し何遍も読んでいる、ということになる。
サラリーマン時代、人事の仕事をしている時は、「人物」論に関する本、特に安岡正篤先生の東洋哲学に関する本ばかり読んでいた。
最近、十数年の間は、天風先生の本ばかり読んでいたようだが、安岡先生にしろ、天風先生にしろ、1回や2回、或いは数回読んで、すぐにわかるようなものではない。
安岡先生の本は、論語とか、陽明学とかいっても、「帝王学」つまり、国家や組織のリーダーとはどうあるべきかを説いたものだから、難解とは言いつつ、まだ、なんとなくわかるところもあるが、
天風先生と言ったら、なにしろ、宇宙真理がわからなければ、本質的にはわかり得ないという代物だけに、読めば読むほど、ますます、迷路に入ったように、わからなくなってしまう。
だから、同じ本を何回も何回も、数百回も、数千回も読んで、本の背表紙がボロボロになって、剥げ落ちてしまうところまで、読むことになる。
こういう硬い本ばかり読んでいると、普通の小説に類するような本は、時間の無駄のように思えて、バカバカしくて、読む気にもならない。
と言っても、恋愛小説とか、冒険ものとか、旅行記とか、スリラー小説だとか、それぞれに筋書きの面白さだとか、修辞学的な、言葉の表現の面白さだとか、それなりの楽しみ、喜びがあることは十分承知しているが、
己が、実際に人生を歩んで行く際の、今日の一歩、明日の一歩の糧となるようなもの以外は、その価値を認めない、といった、いわばリアリスト的な活き方をしてきた者にとって、へのツッパリにもならないような小説など読んで、何になると思ってしまうのである。
あんなもの、テレビを見たり、漫画を読んだりといった、食事を楽しんだりとか、旅行をしたりとか、一時的な快楽を与えてくれるものと、どこが違う、と思ってしまうのである。
話は変わるが、天風先生の本で、これまで、なんとなく無視して読み飛ばしていたようなところで、最近、あっと気付かされたことがある。
「運命を拓く」、P、131に次のように書いてある。
「凡人の域を脱した天風会員は、要らないことはどんどん忘れて、要ることだけをどんどん覚えてくれりゃいいのだから。
心を積極的に持つようになると、要らないことはどんどん忘れて、要ることだけを覚えてくれる心になるのだ。
だから、諸君と座談すると、私は黙って聞いているだろ……。話すことないもの。あなた方は、べらべら油紙に火のついたように、いろんな下らないことばかりをしゃべりだす。
演壇でこれだけしゃべるから、先生は、膝を交えて話したら、さぞ話すだろうと思ったら大間違い。私も昔はそうであったが、それがだんだんと心を積極化してくるに従い、しなくなった。要らないことはしゃべる必要はない。
要らないものばかり持って歩く人があったら、諸君はそれを賢い人間だと言うだろうか。
(途中省略)
心の中に随分と要らないものをたくさん持っていると、肝心要のものを覚えようとするときに、要らないものが詰まっているから、程よく覚えられない。」
私が心配するのは、恋愛小説とか、歴史小説だとか、推理小説ばかり読んでいると、結果として、潜在意識の中に、消極的な観念要素を一生懸命詰め込んでいるようなことになりはしないか、ということである。
つまり、天風さんが言うように、要らないものばかりを、大きなずた袋に詰め込んで、重い重いと言いながら、持ち歩いているような人になりはしないだろうか、ということである。
だから、禅寺にしろ、ヨガの道場にしろ、新聞もテレビもない、もちろん本もない、人里離れた山奥に建てられているのではないか、と思うのです。
これまで、特に、そういうことを意識してやってきたわけではないが、テレビもほとんど見ない、街中にあふれかえっている小説のごとき本は、めったに買わない、読まない。
ただひたすら、天風先生の心身統一法の教えを実践し、天風先生の本だけを読み、天風先生の哲学・思想だけを、追い続けて生きたことが、結果として、潜在意識の中を浄化させ、今日の自分を作ることができたのではないかと、思う。
特に、俺は、読書家だと、自分自身を、誇りにしている人は、
それが積極的なものか消極的なものか、選択することなく、潜在意識の中に取りこんでしまた結果、やたら消極的な観念要素だけが増えてしまって、自らの手で、自ら首を絞めるようなことになってしまっているのではないかと、猛省してみる必要がありそうである。
インテリと称される人達は、天風先生の時代も、今も、最も救われない、可哀そうな人達であることに、変わりはなそうである。
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無論、強く非難されるべきは、後藤さんではなく、後藤さんを殺害したテロリスト集団、イスラム国には違いないのだが、
さりとて、後藤さんお母さんや、後藤さんの奥さんなどが、「彼は私たちの誇りです」と言ったり、
一部のマスコミが、紛争地で困難な環境に置かれた子供達に対して、なにがしかの貢献をなした、と言って、人の為世の為、他人には成し得ないような立派なことをしたかのように賛辞を贈ったりしているのは、間違いではないだろうか。
そもそも彼が、空爆の最中、飛行機が墜落して、イスラム国の捕虜になったヨルダンのパイロットの如く、国の為、国民の為、お国の命令で行って捕まったのなら、まだしも、
彼の場合、国が行ったら危ないからと言って再三引き止めるにもかかわらず、「自己責任ですから」、つまり、責任は自分で取りますからなどと言って、行って、ある意味、捕まるべくして捕まっている。
自己責任とは、口ばかりで、結局は、お国に迷惑をかけ、多くの国民に心配をかけ、あまつさえ、関係のないヨルダン政府や国民にまで、多大なご迷惑を掛けることになってしまった。
お金に換算すれば、数億円単位以上の損失を、国家・国民に強いたことになる。
何度も行かないよう引き止めた、政府関係者にすれば、「だから、言わんこっちゃないか!」とばかり、舌打ちの一つでもしたくなるところだろう。
報道によると、彼は「紛争地で困難な立場に置かれた子供たちのことを世界に知らせたい」と言っているらしいが、そういう気持ちが心のどこかにあった、ということまで、否定するつもりはないが、
本音と建て前という言葉があるように、そういう彼の建て前の裏には、一攫千金、紛争地での報道は金になる、或いは、世間に自分のことを広く知らせたい、とでもいったような功名心がなかったとは言えまい。
私も、かつて、中東の地に身を置いたことがあるが、あの辺りには、何らかの理由で日本におられなくなった、いわば、中世の脱藩・食い詰め浪人みたいな日本人が、お金欲しさに、ウヨウヨ、ウロウロしていることは、よく知っている。
後藤健二さんが、それらの、食い詰め浪人みたいな輩と、どこが違うというのであろうか?
彼のお母さんや、奥さんが「彼は私たちの誇りです」と言うのは、自分のお子供を可愛いと思ったり、旦那のことを大事に思わない人はいない、ということからすれば、彼女たちが、「誇り」という言葉を使ったとしても、まだわかるとして、
新聞やテレビなどが、欲の皮が突っ張ったり、変な功名心で膨れ上がったような人が、たとえ、テロの犠牲になって死んだからと言って、
お国のために立派なことをした英雄や偉人かのように、祀り上げて言うのは、マスコミは身内には甘いと言われても仕方ないだろう。
誰も頼みもしないのに、自分の趣味・趣向の為に、結果として、お国や他の国々に、迷惑を掛けたような人は、むしろ非国民(?)として、軽蔑・非難されてしかるべきではないかと思う。
二度と、このよう犠牲者を出さない為にも。
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単行本にもなっているから、天風先生の「運命を拓く」という本は、わかり易い本かというと、決してそうではない。
初心者にとっては、わかりにくいどころか、むしろ難解と言った方が良い、難しい本である。
なぜなら、それは、天風先生が、弟子たちに、最終的には、「無碍自在」ということをわからせようと思って、修練会の真理瞑想行の時の講話を、編集して創られた本だからである。
話は変わるが、私は、「成功の実現」という本のP、376〜378の、カリアッパ師が天風先生に言っている「そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。いつも猛獣と相対峙していたようなーインドの先生の言った言葉はいまだに忘れないよー無邪気な気持ちになれ」って言ったんだ。
カリアッパ師が何故、天風先生にそう言ったか、その前置きが、少し長くなりますが、「成功の実現」P、377から引用します。(話は前後します)
「一挙手一動どんなささいな行動でも、みんなそれが自分の心の中の思い方や考え方の現れであると、ピッシャッと気がついた。どんなことで気がついたかっていうと、気がつく時はきわめて小さな動機でねえ、インドの山の中でした。
『もう死にやしないかしらん。ほんとうにこうやって毎日毎日、山の中で座っているだけで、俺はもう、親兄弟の顔も見ないで、このまま名も知れないこの山の中で死んじまうんだ』。
それでもう、一分一秒といえども、ああ、気持ちがいい、なんてことは感じないんだからね。フウーッと気がつけば、すぐ息苦しくなったり、脈が乱れたり。
そのときにだよ。フウッと膝頭のところに妙な感じを感じたの。何か軽石でこすられているかのような気持のね。ヒョイッと目を開けたら大きな豹がね、目の前に腰をすえて私をじっと見ているんだよ。
もう病の苦しさも、死にゃしないかという気持ちも何もなくなっちゃった。恐ろしいという気持ちもないんだよ。ただ、その爛々として光る豹の目をウッと見すえて、にらめっくらしたわけだなあ。にらっめくらという気持ちもないんだよ。ハッと思って、ハッと見ただけだ。そうしたら、スウーッと向こうへ行っちまいやがった。
無念無想に打たれたんだな、むこうが。おっかないと思ったら、パッと来るだろうけども。
こういう話をわかってくれる人が果たして何人あるか知らないけど、戦争にでも行って、もうどうにもしようがないときに、絶対の諦めがくると、そう言う気持ちになることがありますよ。何も考えない、ただ無我夢中。無我夢中というのも心だよ。やっぱり。心のいわゆる乱雑なる妄想が瞬間、止まったときなんだ。」
天風先生が、こう言った時、カリアッパ師が、上で紹介したような、「無邪気な気持ちになれよ、そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。」と言ったんです。
貴方達わかります?
「無邪気な気持ちになったら、病なんかどっかへ吹っ飛んで行く」と言われて、無邪気な気持ちでいたら、何故、病が吹っ飛んで行くのか、その理由がわかります?
その前に、目の前に座っていた豹と「ハッ」と思って「ハッ」と、にらめっくらしたら、豹がスーッと向こうへ行っちまいやがった、と言っているが、なぜ向こうに行ってしまったのかわかりますか。
天風先生はその理由を、「無念無想に打たれたんだな、むこうが。おっかないと思ったら、パッと来るだろうけども」とか、「戦争にでも行って、もうどうにもしようがないときに、絶対の諦めがくると、そう言う気持ちになることがあります」と言ってますが、
正直言って、長いこと私も、ここのところ、よくわからなかったのです。
つい最近になって、「無邪気な気持ち」とか、「無念無想」とか、「戦争にでも行って、絶対の諦めがきて、乱雑なる妄想が瞬間止まった時」とかの言葉が、ここを理解するキーワードであることにやっとy気がついた。
話は二転三転するが、修練会の時の、天風先生の真理瞑想行での講話集である「運命を拓く」という本のことである。
そもそも天風先生は、「真理瞑想行」の目的を、第二章「人生を支配する法則」、P、68で、「それまで人間の心の行う思い方や考え方が、人事の万事を良くも悪くもするものだということを知らなかった。知らないのも無理はない。人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを知らなかったからである。これを正しく心のものとするために、『真理瞑想行』を行っているのである。」と言っている。
簡単に言えば、真理瞑想行は「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」自覚させるために行っている、ということである。
では、「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」正しく自覚できたらどうなるかというと、
「運命を拓く」序章、朝旦偈辞、P、38〜39で次のように言っている。
「人間の思ったり考えたりする『心』の作用というものは、『霊』の働きで動いているとすると、その霊という気は、宇宙を創っている創り主である宇宙本体が霊なのだから、やはりそれに通じている、ということである。
電灯に抵抗の強いものを当てると、ショックはたちまち変圧器にきて、すぐにヒューズが飛ぶ。それは結局、つながっているからである。そうすると、この宇宙霊という気の元が、一切の万物を創る力があるということである。この当然の連結関係を手繰っていくと、人間の心で思ったり考えたりするということが、あだや疎かにできないのだということに、すぐ気がつくはずである。
まことに、峻厳侵すべからざる宇宙真理である。だから、どんな場合があっても、消極的な方面から、物事を思ったり考えたりしてはいけないのである。
この法則を厳として自覚し、常に、この法則を乱さないように活きるならば、人生は、期せずして、大きな調和のもとに満たされる。そして、無限の強さと、生命の無限の自由というものが、自然的に出てくる。これが仏教でいう〝無碍自在〟である。」
やっと、ここで〝無碍自在〟という言葉が出てきました。
つまり、「人間の心が、人間の霊魂と宇宙大霊を結ぶ回路である」ということがわかるようになると、無碍自在という状況が現れる、というのである。
これが、カリアッパ師が、「無邪気な気持ちになれよ、そんな気持ちでしょちゅういたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいちまうわい。」という言葉の意味なのである。
つまり、無邪気な気持ちでいたら、「無限の強さと、生命の無限の自由というものが、自然的に出てくる」、つまり、無碍自在の状況が生まれる、というのです。
同じように、目の前に座っていた豹と「ハッ」と思って「ハッ」と、にらめっくらしたら、豹がスーッと向こうへ行ってしまったのも、心が無念無想になっていたから、宇宙大霊と人間の霊魂とが繋がった結果、無碍自在という状況が生まれたせいなのです。
無碍自在という言葉、そのものを説明することは難しいが、少なくても、人間の霊魂とこの世を創っている宇宙大霊とが、繋がった結果、人間が、宇宙大霊そのものになってしまった、と解釈してもいいと思います。
宇宙大霊が、この世の出来事のすべてを差配しているのだから、つまり、この世は宇宙大霊の意志の元に動いているわけだから、豹も、宇宙大霊の意図に従って、スーッと向こうへ行ってしまった、と解釈していいのです。
天風先生が、平炭鉱の暴動を鎮めに行った時、炭鉱へ渡る橋のつり橋へ、片足を掛けた途端、向こうからパンパン鉄砲を撃ちかけて来たにもかかわらず、サッサッと渡って行った。
後で調べたら、外套の腰のところを五つ弾が抜いて、そして、ズボンの端を二つ抜いていたが、体には一つも中っていなかった。
という話は、天風先生を研究しておられる方、よくご存知の話だと思うが、
弾が中らなかった理由について、天風先生は、「成功の実現」、P、248で、次のように述べています。
「そうすると、例の平炭鉱に私が行ったときなんかも、こういう話を正しく理解してない人は、無謀だなあとか、あるいは無茶だなあとか、あれだけの胆力がなあ、と思うかもしれないが、胆力でも何でもないんだよ、これは。そうだろ。私は無邪気に入っていったんだもの。胆力で、『くそ、こんちくしょう、おっかなくあるもんか』なんて気分で入っていったんじゃないんだもの。」
と言って、鉄砲をパンパン撃ちかけられても、無邪気な気持ちで入って行った、と言っています。
無邪気な気持ちで入って行ったから、自在境というものがあらわれて、鉄砲の弾が、自分の身体に中らなかった、と次のように言うのです。
「何も考えないの。何も考えない、いわゆる無我無念のときに、自在境(無碍自在)というものがあらわれるものなんだ、ねえ」
だから、「無碍自在」とか、「自在境」というのは、心の中に、雑念妄念がなくなって、人間の霊魂と宇宙大霊とが結びついたとき、神様が自分を守ってくれる、と解釈してもいいのではないでしょうか。
反対を言えば、心に中に雑念妄念がいっぱいの時が、最も危ないんだ、自分の思う通りにことが運ばないのだ、ということができる、と思います。
さっきも言ったように、天風先生は、真理瞑想行というものは、「人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路であるということを」自覚させるために行っている、と言っています。
「宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂」が結合した結果、「無碍自在」と状況が現れるのだとしたら、真理瞑想行は、つまり、「無碍自在」という状況を自覚させるために行われる、と言っていいのです。
ただ、難しいのは、「人間の心が、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを交流結合させる回路である」ということがわかるには、実際に、自分の霊魂と、宇宙大霊とが直結しているということを、身を以て体験できなければわからないだろう、ということです。
つまり、瞑想の時、霊魂と宇宙大霊が結びついている、ということを、身を以て実感できなければ、いくら理屈で考えても、そして、真理瞑想行で、天風先生の講和を、何回きいたところで、ただ聞いただけではわからないだろう、と思うことです。
真理瞑想行の時の、天風先生の講和を集めて作られたのが、「運命を拓く」という本であるとすれば、その内容を理解するのは、難しくないはずがないのです。
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電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
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