気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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大悟徹底の人

決して、自分が、悟っているとは思わないが、天風先生の研心抄の中で、これまでわからないと思って来た部分が、最近になって、よくわかるようになった。
 
「わからないと思って来た部分」、と言ったが、それは、研心抄、40頁、次の、部分である。
 
「故に哲人覚者と称される人々は、一様に何事を思量する時と雖も、その心が霊的境地に置かれているために」
 
 
天風先生のどの本を見ても、「心が霊的境地」に置かれている状態というものが具体的に、説明されてない為だろうと、と思うが、
 
「哲人覚者というのは、常に、その心が霊的境地に置かれている」と言われても、なぜ、哲人覚者というのは、その心が常に、霊的境地に置かれているのかということがよくわからなかった。
 
 
最近になって、「心が霊的境地に置かれている」ということは、即ち、普段から、心の中の雑念妄念がなくなって、心が、無念無想近い状態なっているから、そう言うのだ、と気が付いた。
 
 
そして、心の中の雑念妄念がなくなった、ということは、つまり、信念が強くなった、ということを意味するから、
 
研心抄で言うように
 
「古来悟りを開いた人のことを覚者とか又は哲人というが、これは要するにその種の人は、蓋し『われ』なるものの本体が何であるかを、特殊の心的訓練を施して、その心をよく霊的境地に置くことを得せしめ、この信念的自覚念を発動して知得し得た人なのである」
 
とあるが、「霊的境地」というものがどんなものであるか、わからなかったのは、結局、「われ」なるものの本体が何であるか、わからなかったためだろう、と思う。
 
 
つまり、「われ」というものの本体がなんであるか、わかって初めて、「霊的境地」というものが、どんなものであるか、ということもわかるようになる、ということであると思う。
 
 
研心抄に、「要するに、『われ』なるものの本体たる実在のものを、わが意識の中に完全に把握思量し得る信念的自覚念というものは、心を霊的境地という特別の境地に置かぬ限りは決して発動せしめる事ができないものなのである」と言っているが、
 
「心を霊的境地という特別の境地に置かぬ限りは、信念というものは発動してこない」ということは、信念が強くなることなしには、「われ」の本体もわからない、ということでもある。
 
つまり、「われ」の本体が何であるかがわかるということは、即ち、信念が強くなったからわかるのであり、そして又、信念が強くなったから、心は常に、霊的状態になっている、ということである。
 
つまり、心を霊的状態に置かぬ限りは、信念は強くならないし、反対に、信念が強くなったということは、心は霊的状態にあるということを意味するのである。
 
 
瞑想をしていて、そういうことが、わかったのだ。
 
 
最近は、瞑想の時、殆どと言っていいほど、無理に、無念無想になろうと、努力する必要はなくなった。
 
何故なら、以前は、特に、座った当座というものは、それこそ、雑念妄念が、むらくものように湧いてきて、始末に困ったものである。
 
ところが、最近は、足を組んで、瞑想を始めても、全くとは言わないが、以前と比べたら、雑念妄念が湧いて出てくる分量が、極めて少なくなっていることに気付いたのである。
 
だから、無理に、雑念妄念を払って、無念無想になろうと努力しなくても、しばらく時間が経つと、自然に無念無想になれるようになった。
 
 
それは、瞑想の時、座る以前から、雑念妄念が出なくなっていたがらだ、ということに、最近になって気が付いた。
 
 
結論を出すのが遅くなったが、冒頭で、私は、「研心抄」の中の、「哲人覚者と称される人々は、一様に何事を思量する時と雖も、その心が霊的境地に置かれているために」という所がわからない、と言った。
 
つまり、なぜ哲人覚者というのは、日頃から、心が霊的境地に置かれている、というのかわからなかった、と言ったが、
 
 
何故、私が、そういうことをわかるようになったか、というと、順序を追って、言えば、次のようになる、と思う。
 
    「われ」なるものの本体は、信念的自覚念というものが発動してこなかったら、わからない、
 
    信念的自覚念が発動する、ということは、信念が強くなった、というのと同じ意味だから、
 
    信念的自覚念というものが発動してきて、「われ」の本体がわかるようになるということは、即ち、信念が強くなったことを意味する。つまり、信念が強くなったから、「われ」の本体がわかるようなった、ということである。
 
    また、信念が強くなったということは、雑念妄念というものが、心の中に殆ど湧いてこなくなった、ということを意味し、
 
    心に雑念妄念が湧いてこない、ということは、心が霊的境地に置かれている、ということでもある。
 
結局、「われ」の本体が何であるか、わかるということは、信念が強くなったからであり、信念が強くなると、雑念妄念が湧かなくなり、そのことは、即ち、心は常に、霊的境地に置かれているということを意味する。
 
 
以前わからなかった、「哲人覚者という者は、常にその心が霊的境地に置かれている」ということが、わかるようになったのは、瞑想の時、心の中に、雑念妄念が出なくなっていることから、霊的境地というものがどういうものか、わかるようになり、延いては、天風先生が言っていることも、わかるようになったということである。
 
 
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