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先日、「近く結婚する君へ贈る言葉」と題して、投稿しましたが、この度めでたく結婚式を挙げ、近くご夫婦で私の事務所に挨拶行きたいという話があり、その時に手渡そうと思って、用意したものです。
前回のは、一家の主人としての心得を説いたものですが、今度は、その奥様となった方への、主婦としての心得を説いたものです。
O.Mさんへ、(主婦として最も大切な心得)
S君へは、結婚する前に、一家の主人として、どうあるべきか、ということについて、アドバイスしてあげました。
S君に、一家の主人としてどうあるべきか、という心得が必要であるとすれば、当然、一家の主婦としての、Mさん、貴方にも、健全な家庭を築き上げて行く上で、主婦としてどうあるべきか、という心得が必要なことは言うまでもありません。
心得なんて言っても、決して難しいことではありません。たったの一言で済むのです。
それは、いずれ子供が出来るでしょうが、その子供の前では、主人S君の悪口を決して言ってはならない、ということです。
出来たら、子供たちへは、「あなた達のお父さんは、世界一立派なお父さん」だと言ってあげて下さい。
それは、S君へのアドバイスの中でも言いましたが、猿や犬の動物は愛だけでも育つのですが、人間だけは決して、愛だけでは育たないからです。
人間が、まっとうな人間として育つには、愛の外に、敬が必要なのです。
敬とは、簡単に言えば、人間は、常に、尊敬する対象を求めて生きているということです。
これは、人間だけがもっている、永遠なものを(神)求める心に、通じるものだと思います。
事実、生きて行く上で、神を思い、神を必要とするのは、人間だけです。
人間以外の他の動物が、神の話をしたとか、言ったとか、という話は、聞いたことがありません。
幼い子供たちは、その神を思う気持ちにも通じる、敬の対象、つまり、尊敬する対象を父親に求めるのです。
子供達にとって、父親というものは、神の次に、世界中で一番立派で、尊敬する人物なのです。
いや、子供というのは、そう思いたいのです。
傍から見ると、いかにもみすぼらしい、貧相で、ボロを纏った、貧乏人でも、子供たちにとっては、世界中で一番、立派な、偉い人なのです。
S君に言いたかったことは、子供たちの、そう思っている、そう思いたい、切なる夢を、希望を、自ら壊さないようにして下さい、ということなのです。
同じことは、Mさん、貴方にも言えることなのです。
つまり、不用意に子供な前で父親の悪口を言って、子供たちの心をズタズタに傷つけないようにして下さい、ということです。
世の中に、青少年の凶悪な犯罪は絶えませんが、それは、幼い頃に、敬の対象である父親、つまり、理想とする人間像をマチャクチャにされたことが、その原因だとするのは、統計学的に認められていることなのです。
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又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、土、日、の17:00〜18:00の間を予定していますが、どうしても無理な場合、ご相談に応じます)
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。
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サイ気療日記
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先日5日の、菅官房長官と翁長沖縄県知事の会談に、注目していた。
会談で、翁長知事が何を喋るかについて、特に、注目していた。
会談冒頭の公開部分を、テレビでも見たし、今朝の新聞も見た。
4月6日の読売新聞によると、会談で、菅官房長官が、「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えた時に、辺野古移設は唯一の解決策」と述べたのに対し、
翁長県知事は、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していく」と応じたといわれる。
会談を見ていて、ガッカリしたのは、県知事ともあろうものが、しかも、公開された公式の場で、「上から目線」という言葉を使っていることだった。
この言葉一言だけで、私は、翁長知事の人間的な力量を、はっきり見た気がした。
先ず、第一に、菅官房長官が、政策を訴えているのに、つまり、冷静に、理論で話し合おうとしているのに対して、翁長知事は、政策としては何の意味も持たない、感情的な「上から目線」という言葉を使っていることである。
そもそも、上から目線と感じるか、そうでないかは、偏に、その人、個人の感覚や感情、或いは活き方、人生観に根差すものではないだろうか。
つまり、その人に、「見下されている」とか「軽蔑されている」というコンプレックスがある限り、相手が何を言おうが、上から目線と受け取ってしまうのではないだろうか。
事実、菅さんが使ったと言われる、「粛々と」という言葉には、相手を見下すようなニュアンスは、どこにもないように見える。
これは、いわば、言葉尻を捉えた、揚げ足取り、と受け取られても仕方いないのだろう。
本人の心底に、「見下されている」「軽蔑されている」というコンプレックスがある限り、相手が、どんな言葉を使おうが、「上から目線」という感覚感情はなくならない。
二人だけの、非公式な場での発言ならいざ知らず、全国民が見つめる、公式の場で、しかも県民を代表するような地位にあるものが、
「上から目線」などといった、自らを貶めるような言葉を使うこと自体、その人に、その程度の人間的な力量しかないと思われても仕方ないだろうと思う。
今度のことによって、翁長知事は、図らずも、己の心の中の暗い闇も暴露したことになるが、更に悪いのは、本人自身が、全くそのことに気がついてないということである。
翁長知事は、「上から目線」などといった、意味のない、卑屈な言葉など使わず、正々堂々、胸を張って、沖縄県民の為に、正論を主張してしかるべきではなかったのだろうか。
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暇な時、時々、テレビの春の選抜高校野球を観ていた。
何回か、敦賀気比高校の試合を見る機会があった。
その度に、不思議に思っていたことは、敦賀気比の選手たちが、感情をあまり表に出さないことだった。
つまり、チャンスが来て、得点しても、ピンチになって、失点しても、その表情がほとんど変わらないことだった。
松山選手が、連続満塁本塁打を打った時も、丁度、観ていたが、三塁を回ったところで、わずかに、右手の拳を突き上げただけで、その表情を見ていると、普段と変わらない静かな顔をしていた。
高校生というと、多感な年ごろだからなのか、或いは、監督が選手たちを、ムードに乗せて、試合を有利に運ぼうとしているせいなのかわからないが、
他の多くの学校では、チャンスが巡ってきたり、点数が入ったり、或いはリードされていた試合を、ひっくり返して、逆転したりすると、
本人ばかりでなく、ベンチにいる、他の選手たちも、躍り上がって喜んだり、拳を何遍も空に突き上げたりして、喜びを爆発させたりしていた。
それが普通だと思っていたら、敦賀気比高校の選手たちは、そうではなかったのである。
その謎が解けたのが、今日(4月2日)の読売新聞の2面、「顔」というコラムだった。
コラム「顔」の写真は、敦賀気比の東哲平監督(34)が、選手たちから胴上げされて様子であり、そしてそのタイトルは、「選抜高校野球で初優勝を飾った敦賀気比の監督」というものだった。
「謎が解けた」と言ったのは、ほかでもない、その記事の中で、東監督が、次のようなコメントをしているのを知ったからである。
東監督は、次のように言っている。
「春夏3度の甲子園で得た教訓は『大切なのは技術よりも精神力。感情制御できれば必ず力は出せる』と。
この言葉を聞いて思い出したのは、剣道でいう「残心」という言葉である。
天風先生は、「真理のひびき」という本の中で、「残心」とは、
「闘う前の心構えと、闘う最中の心構えと、闘い終わったときの心構えに、いささかも差別があってはならない戒めなのである」と。
そして、何故かというと、
「人生に最も注意すべきことは、得意の時に一しお心の備えを緩めぬよう心がけることである」と言い、
「勝った、という得意感を心が感じた際は、たいていの人がたちまち有頂天になって、その結果として心の備えを緩めがちである。」と言い、
「勝った!という得意感が生じると同時に、心の備えに緩みが生じて、武道家の最も怖れる隙というものが付随して生じるからである。この隙というものは、心理学的にいうと、『放心から生ずる有意注力の欠如』という心理現象なので、この心理現象が精神生命の内容に発生すると、心のもつ変応可能な自在性という大切なものが委縮される」
「だから『残心』というのは、事前事後いかなる場合にも隙を作らぬよう心に備えをもてということなので、いいかえると、古諺(こげん)の訓える『終わりを慎むこと初めのごとくあれ』というのと同様のことである」
「有意注意力」とか、「心のもつ変応可能な自在性」とか言われても、天風先生を専門に研究している人でなかったら、わからないと思うが、
要は、くだけた言い方をすれば、日常生活の中で、勝ったとか、負けたとか、を含めて、何か事がある度に、感情や感覚のまま、心を揺るがせていては、いざという時に、臨機応変に事に対処することができなくなる、という意味である。
特に、野球などの勝負事は、ピンチとチャンスが、それぞれ交互に波が打ち寄せるように、やってくる。
その時、チャンスだといって、その度毎に、心を躍らせたり、点数が入ったといって、有頂天になっていては、逆にピンチになったら、心が震え、足がすくんでしまって、冷静な判断が出来なくなる、という意味である。
だから、「残心」というのは、特に、剣道の中で使われる特別な言葉のように見えるが、剣道の試合だけでなく、剣道に特に関係のない私たちの、日常生活の中でも言えることである。
よく天風さんは、絶対の積極精神、或いは究極の積極精神を、「虚心平気」という言葉でもって表すが、
「虚心平気」とは、
「事あるも事なきときも、常にその心が、泰然不動の状態であるのをいう。要約すれば、何事があろうが、たとえば、病難に襲われようと、運命難におちいろうと、心がこれを相手とせず、いいかえるとこれにそれに克とうともせず、また負けようとも思わず、超然とした心の状態」と言っているが、
剣道や、野球をする人に限らず、私たちも、日常の生活の中で、小さな感情や感覚に、一喜一憂、心を躍らしていては、事あるも事なきも常に心が泰然不動という心には決してなり得ないのである。
敦賀気比の東監督が、どんな指導をしているのか、コメントして残された、わずかに「大切なのは技術よりも精神力。感情制御できれば必ず力は出せる」だけでは、知る由もないが、
少なくても、日頃、練習をする時から、或いは、日常生活の中でも、彼は「勝ったとか、負けたとか、その度に、小さな感情や感覚の波に、一喜一憂してはいけない」と生徒たちに教えている、と思って間違いなさそうである。
この東監督が、監督を務めている限り、敦賀気比高校は、今後も、常連校として、常に甲子園に、出場して来る事は、間違いないと、思う。
予言めかしいことなど、めったにしない私であるが、敢えて、ここに、断言しておく。
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北九州より、月1回、2日間、治療に通って来る人がいる。
この人は、私の事務所に入ってくるなり、いつも、決まって、次のように言う。
「先生の事務所の1キロ程手前から、体が揺れて、特に、事務所のドアの前に立つと、中に引き込まれるような気がする」と。
そのくせ、この人、最後は、必ず、手を合わせて私を拝みながら、「毎回、毎回、こちらへ来て、先生に会えるのが、楽しみで、楽しみで」と言葉を締めくくる。
これに似たようなことは、このブログでも何回も紹介してきたし、私にとって別に珍しいことでもなく、むしろ日常茶飯事的に、起きていることと言っていい。
さて、話は変わるが、先日、暇のつれづれに、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいたら、次のような場面に出会った。
司馬が、取材に鹿児島に来た時の、伝聞であったろうが、実際に自分の耳で見聞きしたことを、書いたものであると思われる。
「西郷が出て行ったあと、内田の老母は大きな吐息をついた。『気でん、抜けたごったっ』気でも抜けたようだ、という。西郷が内田家の玄関先に立っていたのは、ものの十五分ほどでしかない。老母も内田も、西郷と交わした言葉は二ことか三ことにすぎなかったが、なにか巨大なものが去ったという感じがしたし、そのあとの虚脱とまではうかなくても、家に中にひどく空しい風が吹き通っているような感じがせぬでもない。
そういう意味で、老母は、西郷という人物をふしぎな人間のように思った。
『いままで、ああいうお人に出会ったことがありません』という意味のことを政風にいった。
『ああいうお人とは、どのような?』『と、いわれてはこまるけど』
小柄な老母は、笑顔を消して考えこんでしまった。この玄関先に、わずかな時間立っていたというだけ、重大な充実感がそこにあったという感じなのである。
『あなたは、世間に広く出ています。世間にはああいう人が、たくさんいるものですか』
『そう問われては、ちょっと困りますが』
『なぜですか』
『いままで考えたことがなかったからです。吉之助という男は元来ああいう男だと思っていただけで、それを他の人間とくらべたことは、無かったものですから』」
しばしば、本の中で、司馬は、西郷のことは、直接会ってみなければ、よくわからないと、次のように言っている。
「結局、西郷に一度も会っていないということは、西郷論を展開する上において致命的な弱みだ」とか。
「理想像としての西郷という存在は、その輪郭がどこまで広がっていて、どういう形態をしているのか、きわめて理解しがたい。作者はこの作品を書くことによって、少しずつ、それを知ってゆきたいと念願している。しかし、いま、数語でその形態を示せという問いが出されても、白紙答案を出す以外になく、ただ、霧のむこうの山容をうかがう思いがしているだけだ」とか。
「西郷という、この作者にとってきわめて描くことの困難な人物を理解するのは、西郷にじかに会う以外なさそうにおもえる。我々は他者を理解しようとする場合、その人に会った方がいいというようなことは、まず必要ない。(後世に伝えられている、伝聞や書き物なだけで、理解することができる、という意味)
が、唯一といっていい例外は、この西郷という人物である」と言っている。
司馬の西郷論の致命的な欠陥は、彼は、この世に、形として現れたもの(形而下学、最たるものが物質界)についてはよくわかっているが、それ以上の、いわゆる宗教など、形のない世界、つまり、形而上学については、全くわかってないということである。
だから、司馬は、西郷について「会ったらわかるかもしれない」と暢気に考えていたようだが、形而上学について、全く知見を有しない身で、西郷に会ったところで、何がわわかるというのだろうか。
もっと直接的な、言葉を用いれば、彼は、既に悟りを開いていたのである。
悟りを開いた者を、悟りを開かない、というよりもそういう素養を全く持たない者が、いくら努力してもわかろうはずがないと、と思うのである。
例えば、ここに、一幅の書があるとする。
そこには、「敬天愛人」と書いてある。勿論、西郷の手によるものである。
おそらく司馬は、その書の巧拙、つまり、上手い、下手はわかっても、その字句の持つ意味については全くわからなかったに違いないと、思う。
その人を本当に理解するのは、その書がどういう目的でもって、つまり、何を言わんとして書かれたものかを、知ることが最も大切だと、思われるのに、司馬にはそれがない。
彼が、西郷を、最後まで理解することができなかった所以も、ここにあると思う。
さて、先ほどの、内田政風の老婆が見たもののことである。
あれは、間違いなく、悟りを開いた者が発する、オーラだったに違いない。
ただ、このオーラだって、誰にでも見えるというわけではない。
特に宗教を信じていなくても、又、何らかの修業を積んでいなくても、心の中に雑念妄念がなく、澄み切った心になっている人にはわかるのである。
内田政風の老婆という人は、生まれつきそういう性格だったからなのか、或いは、そういうピュアーな生き方をしてきた人だったのだろう、だから、西郷の持つオーラを感じ取れたのである。
さて、例の、月、1回程度、北九州から、通って来る人のことに話を戻そう。
この人も又、生まれつきそういう性格なのか、或いは、努力してそうなったのか、わからないが、実にピュアーな性質の持ち主である。
天風先生は、心の中に雑念妄念が少なくなる程度(つまり信念が強くなる程度に応じて)潜在勢力が、潜在意識の中から発現して来る、と言っているが、
この人も、きっと、いずれ私のような、潜在勢力、つまり、人を癒せるような力が発現して来るのではないかと、期待している。
何故なら、私が見るところ、十数年前に、わが身に起きたようなことと同じようなことが、この人にも、現に、起きつつあるからである。
ただ、そのことについて、本人が、気が付いてないようなのは、少し、気がかりでもある。
遠隔治療無料体験について
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
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無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、土、日、の17:00〜18:00の間を予定していますが、どうしても無理な場合、ご相談に応じます)
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先日、続けて、日頃、私の遠隔治療を受けている、子供のお母さんから、嬉しい報告を頂いた。
一人は、長いこと、ネフローゼ症候群を患っていた、幼い子供。
もう一人は、甲状腺肥大と言われ、副作用があって薬が使えない為、手術しか方法はないと言われていた中学生の女の子。
母親は、幼い子供に手術だけは受けさせたくないと言う気持ちで、私を頼って来たようでした。
ネフローゼ症候群の子供は、過去に何回か私の所に来て、直接のサイ気療を受け、良くなり、その後、遠隔治療を受けている。
先日、電話による口頭での報告であったが、「他の幼稚園の子供たちは、皆、風邪を引いているのに、うちの子供だけ、風邪も引かないで、元気に幼稚園に通っています」というものだった。
勿論、続いて、「先生のお蔭です。本当にありがとうございます。」という言葉が続いていました。
もう一人の、甲状腺肥大の子供は、事情があって、鹿児島まで治療に行けないと言うことで、初は遠隔治療で始まったのだが、
私が、東京に出かける用事が出来た時、母親共々、ホテルまで来てもらって、2時間ほど治療を行って、驚くほど良くなり、その後も、続けて遠隔治療を受けている子供。
今度はメールだったが、次のようにあった。
「昨日病院で娘の検査がありました。正常値まであと少しというところまで良くなっていました。脈拍も落ち着いており、順調に回復している、とのことでした。先生のお蔭です本当にありがとうございます」というものだった。
私も人の子、難病を抱えた母親が、どんな気持ちでいるかぐらいは、言われなくても、聞かなくても、よくわかります。
だから、こういう報告を受けると、殊更、嬉しく思うのでしょう。
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