気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

サイ気療日記

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慢性疲労症候群という病気は、別に、筋痛性脳脊髄炎とも言うらしい。
 
昨日(98日)の、朝日デジタルニュース、「慢性疲労症候群厚労省実態調査へ」で、そのことを知った。
 
 
この病気については、私のブログでも、これまでに、何回も取り上げて来ているので、病状など、今回、殊更、詳しく、説明することはしない。
 
いずれにしても、一言で言うなら、原因不明の激しい疲労感が、長期にわたって続く病気、と言うことが出来るだろう。
 
 
それでも、今回、私が、「オヤッ!」とばかり興味を引かれたのは、この病気が、別名「筋痛性脳脊髄炎」とも呼ばれていることだった。
 
前に、「脳」という字が付くのは別にして、「脊髄炎」と言うからには、背骨の中の、中枢神経が炎症を起こしてなる病気、と思ったのである。
 
 
これまで私は、このブログで、何回も、この病気は、背骨の中枢神経が炎症を起こしてなる病気である、と言っているように、
 
この病気の原因が、中枢神経が炎症を起こし、背中全体が浮腫んだように腫れ上がることは、これまでの治療によって、既に、私は、十分知っていたのである。
 
十分知っていたからこそ、この度の報道によって、この病気に、こんな別名があることを知った時、原因不明とはいえ、お医者さんも、この病気が中枢神経が炎症を起こしてなる病気であること位は、知っていたのか、つまり、「オヤッ」と、興味を引かれたのである。
 
 
又、報道によれば、「厚労省は患者の日常生活や実際の診断・治療の状況を把握する調査を始める。重症で寝たきりに近い患者も少なくない病気だが、実態がはっきりしてないためだ。調査結果を診断や治療法の確立に役立てるほか、患者の支援につなげていく。」とあるのが、これを見て、「いくら調査したって、原因なんか、わかるもんか!」と思ったのである。
 
何故なら、この病気こそ、「気」が関係して起きている病気だからである。
 
 
日頃、私のブログを読んでくれている読者の方は、よくご存じだと思うが、
 
病気、特に難病と称して現代医学が治せないような病気は、その殆どが、神経を流れる「気」の分量が不足するか、或いは、流れが停滞することによって、起きている、と言っていることを。
 
何故なら、私たちの命というものは、神経を流れる「気」によって、生かされているからである。
 
 
不足したり、流れが停滞して起きるものは、不足するものを、補うことによってしか、治すことはできない。
 
これが、「気」の存在すら否定する現代医学が、難病はおろか、基本的に、殆どの病気を治せない原因であるし、
 
反対に、私のサイ気療が、現代医学が治せないような難しい病気を、いとも簡単に治してしまう、原因でもある。
 
自慢ではないが、この病気の患者を、これまでに、5〜6人扱ったが、一人として治せなかった事例はない。
 
 
このように、慢性疲労症候群という病気を、これまで、私が、割と簡単に治すことが出来たのは、
 
この病気が、神経を流れる「気」の分量が不足するか、或いは、流れが停滞して起きる、典型的な病気だったからである。
 
 
言うまでもなく、私たちの身体の隅々にまで行き渡る、神経網は、全て、この中枢神経を通じて、配置されている。
 
 
この神経の束のような中枢神経が、炎症を起こすから、つまり、「気」の流れが悪くなるから、長期にわたる激しい疲労感が生じるのである。
 
そういった意味では、この慢性疲労症候群という病気は、典型的な、神経を流れる「気」の分量が不足するか、流れが停滞して起きる病気だと言うことができる。
 
 
なぜ、神経の中を流れる「気」の分量が不足したり、流れが停滞したら病気になるのか?と言えば、
 
外部から「気」を、体内に取り入れる分量というのは、心のあり様に、密接に関係しているからである。
 
つまり、心が、積極的(プラス思考)である場合、「気」が豊富に私たちの命の中に入って来、反対に、心が、消極的(マイナス思考)になってる場合、入ってくる「気」の分量が極めて乏しくなるからである。
 
つまり、直截に、言うならば、慢性疲労症候群の原因は、ストレスによるもの、と言うことができるのである。
 
 
このように、本来、心と体は、密接不離、一体のものであるのに、心と体を別々のものと扱っているところに、現代医学の最大の欠陥と、不幸が潜んでいるのである。
 
つまり、慢性疲労症候群を始めとして、現代医学が、難病という難病、全て、治すことができない原因が、ここに、存するのである。
 
 
 
遠隔治療無料体験について
 
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
ご希望の方は、必ずメールでお申込み下さい。
 
メールアドレスは、私のホームページhttp://www.psykiryou.com「サイ気療研究所」の中にあります。(電話でのお申込み、問い合わせ等はご遠慮ください。)
 
又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
 
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、休業日の土、日、の17:00〜18:00の間
を予定しています)
 
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。

私の心意気

直接私の、施療所に来た人は、良く知っていると思うが、初めての治療が始まる前、必ず、下に載せて置いたような「私の基本方針」について、説明があり、同意が求められる。
 
これは、過去12〜3年の間、サイ気療に当たってきた経験から割り出された、いわば、「こういう人の治療はお断り」、とでもいった、いわば、私の心意気を示すようなことでもある。
 
 
中でも、特に、1項と2項が最も大切で、この二つが守られない場合、最初から治療をお断りすることはないが、よしんば、治療を開始しても、私の方から、苦言や不満を呈さざるを得なくなって、気まずくなって、結局、来なくなってしまうことが多いということになる。
 
 
人の考え方は様々であり、お金が何より大事と思っている人もいるだろうし、社会的な地位こその人の価値と信じている人がいることは、十分承知しているし、また、一概に否定するつもりもないが、
 
ただ、私は、サイ気療の場合ばかりでなく、一般論として、そういうことに、大した価値を認めてないし、一言で言うなら、そういう考えの人とは、体質的に合わない、と言った方がいいかもしれない。
 
 
そう言うと、仕事だったら、多少のことは我慢すべきだし、貴方は、少し、我がままが過ぎやしないか、と言う人もいるかもしれないが、
 
 
世の中、様々で、毛色の違う、変な人も沢山いる。
 
ある中小企業の社長は、数十万の札束で膨れ上がったような財布を、開けたり閉めたり、見せびらかすようにしたり、或いは、持っている時計を、この時計は何十万円したとか、この度、数百万円もするベッドを購入するとか、訊かれもしないのに言うバカもいた。
 
 
又、ある、息子が医者をやっているという、婆さんなんか、分厚い札束の入った封筒を、ポケットから出したり入れたり、時には、誤って取り落としたりして見せて、自分がお金持ちであることをアッピールする嫌味なヤツもいた。
 
 
又、東京のある大きな弁護士事務所の所長は、最初来た時、飛行場から電話をかけて来て、のっけから「少し、遅れますが、必ず行きますから」なんて言って、それが一向に失礼なことと思ってない非常識な人もいた。
 
そういう場合、先ず、「約束の時間に遅れてすみません」と、お詫びを言うのが、当たり前じゃやないだろうか。
 
この人は、その後も、しばらく、東京から通って来たが、私のことを、自分の秘書か事務員かのように、上から目線で、指図しようとして、その度、私に拒否されたりした。
 
 
こういう極端な例でなくても、お金を払う方が、お金を貰う貴方より偉いんだ、とばかり、いわゆる「客顔(きゃくずら)」をして、我儘に振る舞おうとする人は結構、これまでも、沢山いた。
 
 
考えてみれば、このような人達がいるのも、お金があったり、社会的な地位があったり、偉い人の紹介があったりすれば、それだけ特別に扱ってくれる所があればこそ、私の所でも、同じように振る舞うとするのだろう、と思うが、
 
私の考えは、サイ気療は、他が治せないような難しい病気を治すところだから、マッサージや、指圧や、整体や、何とかセラピーなど、といったような、一時的な快楽を求めて行く所と、勘違いしてやってくる人は、許せないと思うのかもしれない。
 
 
以上が、「私の基本方針」第一項で、私が、「私は、お金で仕事をしません。この人はお金持ちだとか、社会的な地位のある人だとか、だれそれの紹介、ということで、特別扱いすることはありません」と言うことの趣旨である。
 
 
第二項の「病人と雖も、常識と礼儀を弁えない人は、治療を断りすることがあります。私にも患者を選ぶ権利があります」というのは、
 
「お金では仕事をしない」ということは、言葉を変えて言えば、「お金の奴隷ではありません」ということであり、そう言った意味で、患者も私も、立ち位置はフィフティフィフティ、同じ、ということからすれば、「私にも患者を選ぶ権利がある」というのは、至極当たり前のことと思う。
 
また、常識的に考えて、患者だから、我儘に振る舞ってもいい、という理屈はどこにもない。
 
過去、そういう人がいましたよ、末期がんで、いい年をしているのに、周りの人が、甘やかし過ぎたせいか、私の所でも、子供のように、我儘に振る舞おうとする人が。
 
その内、私から、ガツンとやられて、来なくなり、数か月後に死んだとか聞いた。
 
 
病気になるのは、突き詰めて言えば、その人の生き方が悪いから、そうなるのであり、恥ずかしいことではあっても、決して、名誉なことではない。
 
病気になるのは、神様が、そういう生き方をこの際直しなさい、といってその人に与えた試練だとしたら、その人の生き方を正すという意味からも、決して、病人を甘やかしてはならない、と思っている。
 
もっとも、お金が大事と思っている所は、治す治さないには二の次で、一日でも長く通ってもらう方が得だから、「患者様」などと言って、お世辞を言ったりして、患者を甘やかすのだろうけど。
 
 
この「私の基本方針」は、私の思想・哲学をバックボーンとするものだから、当然、直接のサイ気療ばかりでなく、「電話による遠隔治療」の中にも生きている。
 
遠隔治療では、お互い顔が見えないだけ、誤解が生じたり、なれなれしくなったりして、気持ちが離れてしまう結果、長く続かないことがある。
 
だから遠隔の場合、私は、特に、朝の挨拶だけは気持よく交わすよう、求めている。
 
 
遠隔を希望して来る人の中にも、「お金をさえ払えばやってくれるだろう」とか、礼儀も知らなければ、常識に欠けるような人もいるから、遠隔を始める前に、朝の挨拶の仕方など、お互いが守るべきルールを、簡単に、文書にして、お願いしているが、
 
それでも、守られない場合、途中で、私の方から、注意を与えることになるから、お互い気まずくなって、結局、長続きしないことになってしまうことになる。
 
 
これら遠隔のことも、「お金では仕事をしない」という、私の心意気、と言えるかもしれない。
 
 
 
私  の  基  本  方  針
患者  各位
サイ気療研究所 代表 鎌田 毅成
 
1、私は、お金で、仕事はしません。だから、この人はお金持ちだとか、社会的な地位のある人だとか、だれそれの紹介、ということで、特別扱いすることは、一切ありません。
 
2、病人と雖も、常識と礼儀を弁えない人は、治療をお断りすることがあります。私にも、患者を選ぶ権利があります。
 
3、サイ気療は、一回、治療を受けただけで、自覚症状によって、今後よくなるかどうか、自分で判断できます。従って、治療を、週、何回にするか、自分で判断して、予約して下さい。ただし、相談があった場合、アドバイスすることはあります。
 
4、サイ気療は、薬と違って、副作用は全くありません。従って、治療中、或いは治療後、いかなる症状が表れようとも、こちらは、一切、責任を負いません。
 
5.サイ気療は原則、私が、患者の肌に(神経)触れて治します。この点、予め、ご了解をお願いしておきます。
 
6、私は検査道具を一切持ちません。だから、最終的に、病気が治ったか、治っていないか、或いは、どの程度治っているかは、病院の検査によるようにして下さい。
 
7、予約は次の要領に従って下さい。
    営業日・営業時間:月、火、水、木、金、の13:00〜17:30の間
    休業日:毎週、土曜日、日曜日、及び、祝祭日
    完全予約制になっていますので、治療を受けるには、予め日時の予約が必要です。
    施療時間は、一時間単位で、何時間でも予約できます。
    料金:ご芳志を頂いています。(目安:1時間4、000円)
    予約及びキャンセルは、少なくても、前日までに済ませるようにして下さい。
    予約連絡先:090−3456−1098 鎌田
参考
ホームページアドレス:「サイ気療研究所」http://psykiryou.com
ブログアドレス:「気と心と宇宙法則」http://blogs.yahoo.co.jp/jngwk691
 
 
 
遠隔治療無料体験について
 
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
ご希望の方は、必ずメールでお申込み下さい。
 
メールアドレスは、私のホームページhttp://www.psykiryou.com「サイ気療研究所」の中にあります。(電話でのお申込み、問い合わせ等はご遠慮ください。)
 
又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
 
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、休業日の土、日、の17:00〜18:00の間
を予定しています)
 
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。
 
気でもって、病気を治すことを使命としている、私にとっては、天風先生の「心に成功の炎を」という本の中の(p、13)、次のような言葉は、何遍、強調しても強調し足りない言葉だ。
 
「もしも我々が肉体だけを本位として、それ注射だ、それ薬だ、それ栄養だといって、豊富な肉体生活をしていることによって丈夫になれるとしたら、人生これぐらい気楽なものはありません。第一、医者ならびに医者の家族がみんな丈夫なはずだ。
ところが、どういうものか、お医者さん自身があんまり強くない人が多いんです。医者の強くないのは『紺屋の白袴』ですよ。医者の家族がまた、どういうものか、あんまり強い人がいない。私も医者だからよく知ってます。
私がまだこういう消息を知らないで、医学だけでもって人生に生きている時分には、私の家の者は、決して私に病を診てくれとは言わないんですよ。うちの主人の本当の腕前を知っているもの。
しかし、これは医者が悪いんじゃないんです。医学に欠点があるんでもない。生命というものは、肉体だけの処理では完全に解決がつかない存在であるからなんです。
その肉体が生きていけるのは、生命を生かすエネルギーがあって、それを心が受け取って、生命活動という現象があるんです。」
 
天風先生は、ここで、要は、肉体が生きているのは、食物とか、空気とか、水とか、日光とか、土とかの生命維持の為の五大要素の外に、「気」という私たちの命を生かしている根本要素がある、と言いたいのです。
 
少し蛇足を加えるなら、私たちは、普通、いわゆる五臓六腑というものが動いて、食物や水から、血液を作り出し、その血液が体の隅々まで栄養を運んで行くから、私たちの命は生きている、と思っている。
 
しかし、その血液を作り出す五臓六腑というものは、何で動いているかというと、「気」によって動いている、と天風先生は、言っているのである。
 
 
そして、その「気」は、心が積極的か消極的かによって、肉体が「気」を受け入れる分量が違ってくる、と言うのである。(分量が多いか少ないかによって、その人の健康も運命も、決定される)
 
天風先生が、心と肉体を分けて考えてはいけない、つまり、心身は統一して使わなければ、いけないというのは、心と体との間に、このような密接な関係が存在しているからなのです。
 
 
そして、上で、天風先生が、「ところが、どういうものか、お医者さん自身があんまり強くない人が多いんです。医者の家族がまた、どういうものか、あんまり強い人がいない。私も医者だからよく知ってます。」と言うのは、
 
医者が病気を治せるなら、医者が一番健康で、長生きしているはずなのに、医者というものは、得てして、病気がちで、短命であり、医者の家族も、これと同じように、病気がちで、短命、という事実があるからなんです。
 
つまり、天風先生は、医者は、病気を治せない、と言いたいのです。
 
 
しかし、「これは医者が悪いんじゃないんです。医学に欠点があるんでもない。生命というものは、肉体だけの処理では完全に解決がつかない存在であるからなんです。」
 
と言って、医者を庇っているようにも見えるのは、天風先生自身も、医者だから、身贔屓しているようでもあるが、
 
反対に、医者自身は自分達医者は、病気を治せないことをよく知っているのに、世間は、「医者は、病気という病気、何の病気でも治すことができる」と思い込んでいるが、そう勘違いしている世間の方が悪い、と言っているように受け取れます。
 
 
しかし、医者というのが、病気を治すことを専門とする職業であり、医者自身、それらしく振る舞っているとすれば、「病気を治せないのは、医学というものに根本的な欠点があり、医者が悪い」と言ってもいいと思います。
 
現代医学に決定的な欠陥があって、医者が、病気を治せないのは、それは、彼らが、人の命というものは、根本的には「気」によって生かされている、ということを知らないからなんです。
 
つまり、医者が病気を治せないのは、人間の命というものは、「気」によって生かされていることを知らないから、なんです。
 
 
現在、難病と言って、医者が治せない病気のその殆どが、この「気」に関係があるといっても過言ではないでしょう。
 
 
癌など、わが国ばかりでなく、欧米諸国でも、がん撲滅運動とか何とか言って、膨大な国家予算をつぎ込んでいるようですが、所詮、その原因が、「気」によるものである以上、未来永劫、現代医学は、絶対に癌を治すことはできないだろう、と思います。
 
テレビなどを見ていると、有名タレントなどが、重粒子線治療によって、癌が消えたとか言って、はしゃいだりしている姿を見ますが、原因がわかって治療をしてないという点では、何ら、病巣を薬で叩く化学療法や、或いは、がん摘出手術と何ら変わりはないのです。
 
つまり、重粒子線治療も、体に与える負担と言う点では、化学療法や、摘出手術などに数段勝っているにしても、再発の可能性という点では、他の方法と、五十歩百歩、何ら変わりはないのです。
 
 
気というものが、私たちの命を生かしている根本要素であり、従って、「気」はどんな病気でも治せると言っても、
 
サイ気療が、どんな難病でも、あっという間に、簡単に、というわけにはいかない、それなりの辛抱と、覚悟を必要とする。
 
又、最近、電話による遠隔治療の希望者が多くなっているが、鹿児島まで来てもらって、直接、私が、ピンポイントで触って治すサイ気療の方が、数段効果的なのは、言うまでもないことである。
 
 
遠隔治療無料体験について
 
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
ご希望の方は、必ずメールでお申込み下さい。
 
メールアドレスは、私のホームページhttp://www.psykiryou.com「サイ気療研究所」の中にあります。(電話でのお申込み、問い合わせ等はご遠慮ください。)
 
又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
 
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、休業日の土、日、の17:00〜18:00の間
を予定しています)
 
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。
我が身に起きていることじゃないからかもしれないが、サイ気療に関することは、私にもよくわからないことが多い。
 
 
昨日、治療に来られた人は、「私の事務所に近づくにしたがって、体の悪い箇所が、盛んに反応して困った」と言い、
 
一昨日、無料遠隔治療を受けた人は、「先生に無料遠隔を申し込んだときから、それまで、悪かったところが良くなった」といい、
 
又、ある人は、「あまりに痛いものだから、先生に治して貰おうと思って、途中まで来たら、痛みがなくなった」と言い、
 
また、ある人は「今日は先生の所で、治療を受ける日だから、あちこち、悪い所を治して貰おうと思って、家を出たら、途中ですっかり良くなった」などと言う。
 
 
電話による遠隔治療だって、慢性の糖尿病が治ったとか、慢性腎炎が治ったとか、或いは最近では、うつ病など、精神的な病が治った、とか、しかも、これらの病気が極めて短時日のうちに、治ることなども、普通ではわからない、不思議なことに違いない。
 
 
もっとも、わが身に起きたことならば、その原因がわからないこともないと思うが、これら全てが、私以外の、第三者の身に起きていることだから、わからないのかもしれない。
 
しかし、こういう事件が、たまに起きるのなら、偶然だろうなんて、笑って済ませられるかもしれないが、こう、しょっちゅう、頻繁に起きたら、「なぜだろう!」と考え込まないわけにもいかない。
 
 
以前から、天風先生を始めとして、ヨガ、禅の本など、色々読み漁って、調べてみるのだが、現在のところ、これらの現象について、具体的に説明している本には、まだ、出会ってない。
 
原因などわからなくても、別に悪いことが起きているわけじゃないし、特別、気にしなくてもいいのだが、
 
原因がよくわからないままだったら、電話などで、問い合わせがあった時、どう説明したらいいか、説明に困るのが、困る、と言えば、大変、困ることである。
 
 
電話などで、問い合わせてくる人だって、治る原因について、納得しないまま、治療を受けたいとは思ないだろうが、
 
わからなくても、納得できなくても、サイ気療だけは、実際に治療を受けてみなければわからないだろう、と思う。
 
 
だって、長いこと治療を続けている、私だって、なぜ病気が治るのか、わからないのだから、
 
ましてや、電話の先で、ちょっと、私の話を聞いただけで、治る理由など、わかる筈がないじゃない。
 
 
 
遠隔無料体験のお知らせ
 
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
ご希望の方は、必ずメールでお申込み下さい。
 
メールアドレスは、私のホームページhttp://www.psykiryou.com「サイ気療研究所」の中にあります。(電話でのお申込み、問い合わせ等はご遠慮ください。)
 
又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
 
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(都合の悪い方は、申し出て下されば、配慮いたします)
 
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。
先日、長崎県佐世保市で、起きた、高校1年生の女子生徒が、同級生を殺した事件に関して、
 
8月7日(木)のブログ上に、「なぜ人を殺してはいけないのか」というタイトルの記事を載せ、
 
同日の読売新聞に載った、同じタイトルの特集記事の中の、宗教学者の山折哲雄氏の次のような、一文を引いて紹介した。
 
「時代の流れの中で、人知を超える存在が失われた結果、我々は人間を理解したと錯覚した。何らかの分析、思考によって必ず人間を理解する答えが求められると誤って思うようになった。(科学で人間の心がわかるようになる、ということ)
今回のような事件が起きる度に、報道や研究の世界で使われる手法が、その象徴だ。まず社会背景を分析し、次に容疑者の心理的動機の解明に進む。捜査や取り調べての過程で、常軌を逸した、理解できない事が現れると、精神病理的な面からの追求が始まる。
この三つの手法で異常行動の意味がつかめるというのだが、根底には、人間は社会的に科学的に理解できるものだ、という傲慢さが透けて見える」
 
 
さて、これに関して、8月19日の読売新聞、論点は、早速、武蔵野大学教授(道徳教育論)の貝塚茂樹という人の、上の山折哲雄氏の意見に同調する、次のような一文を載せている。
 
「今月7日付けの本紙に掲載された山折哲雄氏の『死とは何かを教えない教育ほど弱いものはない』『宗教アレルギーから自由になって教育を見直す』という指摘を我々教育関係者は真摯に反省し、受け止める必要がある。」と。
 
 
もとより、「生」とか、「死」とか、「命」とか、人間の根源に関わる問題は、現代自然科学などの手におえるものではなく、ましてや、専門に勉強したこともない、学校の教師などが、自分がわかりもしないことを、子供たちに教えられる筈がない。
 
その自分がわかっていないことを、学校では、どうやって子供たちに教えているのだろうか、と不思議に思っていたら、
 
山折さんが「今回のような事件が起きる度に、報道や研究の世界で使われる手法が、その象徴だ。まず社会背景を分析し、次に容疑者の心理的動機の解明に進む。捜査や取り調べての過程で、常軌を逸した、理解できない事が現れると、精神病理的な面からの追求が始まる。」と言っているところからして、
 
学校でも、犯罪心理学とか、精神病理学とかいった、科学的な手法でもって、その原因を突き止め、その結果をもって、「なぜ人を殺していけないか」ということを、子供たちに教えようとしている、と思い込んでいたら、必ずしも、そうとも言えないらしい。
 
 
さきの武蔵野大学教授の貝塚茂樹氏は、教育現場に宗教アレルギーがある、と次のように言っている。
 
「戦前の『国家神道』に対する警戒感に呼応して、教育界では今も宗教へのアレルギー反応が根強い。教育基本法には宗教教育の項目があるにもかかわらず、授業で扱われないのは、その表れだ。」
 
つまりこの人、貝塚氏は、学校の道徳教育で、子供たちに宗教を教えることなしには、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問題を解決することはできない、と言っているのである。
 
 
しかし、学校の教育現場に、戦前の国家神道に対するアレルギーがあるにしても、子供たちにどうやって宗教を教えるかは、言うほど簡単ではなかろう。
 
なぜなら、宗教と言っても、お題目を唱えるだけならだれでもできるが、「生」とか「死」とか、延いては「命」とは何か、ということがわかって、宗教を教えるのは至難の業、と思うからである。
 
 
しかし、一方、宗教的、精神的なものの裏付けがない国家ほど危ういものはない。
 
それは、現在のアメリカと、中国を比較してみれば、直ぐにわかることである。
 
 
現在のアメリカの繁栄が、キリスト教のプロテスタントの教えがその精神的な支柱になっていることは間違いない。
 
プロテスタントの教えを守る人達を、ピューリタン(清教徒)とも言うが、ピューリタンという言葉が、英語のピュアーに由来するものである限り、もともと、この人達は清潔で潔白を旨として、生きて来た人達なのだろう。
 
 
話は変わるが、私は、かつて、外資の日本モトローラというアメリカの会社で働いていたことがある。
 
数十年も前のことであるが、その当時から、社内で、盆暮れの上司への付け届けは勿論、年賀状の、やり取りでさえ、社内規定によって厳しく禁止されていた。
 
ピューリタンと特別、関係はないとは思うが、おそらく、社内に腐敗不正が横行するようになることを防ぐ目的があったものと、思われる。
 
 
又、この会社では、社長であろうが、部長であろうが、その人を呼ぶとき役職名で呼ぶことはなかった、つまり、誰でも、彼でも、「○○さん」で呼んでいた。
 
現在アメリカが、今なお世界第一の経済大国に君臨し、経済的な繁栄を謳歌し得ているのも、こう言ったピューリタンとしての倫理道徳感が、その精神的支柱となっているのではないだろうか。
 
 
一方、中国を見てみよう。
 
世界第二の経済大国と言えば、聞こえはいいが、精神的な面から見れば、全くの拝金主義の国となり、精神的に堕落した結果、支配層の腐敗や不正が横行し、これに憤る民衆のデモが頻発し、今では、国家の存立させ危ぶまれるほどになっている。
 
これも、偏に、宗教はアヘンなどと言って、チベット族やウグル族を迫害する一方、宗教を否定し続けて来た結果である。
 
 
私は、いつもこのブログで、天風先生の言葉を借りて、「人生は心ひとつの置き所」「思考がその人の人生を作る」と言っているが、国の経済的な繁栄も衰退も、同じようにして、その国民の心の中から、生まれる。
 
痩せこけて、干からびた、国民の精神的土壌から、国家の繁栄という立派な実が、結実する筈がない。
 
預言者ではなくても、私には、これからの中国の先行きは、見えすぎるほど見えている。
 
 
難しくても、わが国でも、何らかの形で、学校で、宗教を教えなければならないと思う。
 
これは、一つ、子供たちに「なぜ人を殺してはいけないか」ということを教えるためばかりでなく、
 
将来のわが国の精神的なバックボーンを作り、延いては、わが国のさらなる繁栄を計る為にも、宗教教育は、国の教育として、是非、取り入れられなければならないものと、と考える。

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