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どこかの本に、こういうことが書いてないか、と思って、調べてみるのだが、今、私が、瞑想の時、感じているようなことが書かれている本は、どこにもない。
ともあれ、瞑想するのは、無念無想(その極致を三昧と言うのだが)になるのが目的であり、
なかなかその無念無想になれなくて、お経を唱えたり、木魚を叩いたり、鉦を叩いたり、或いは、天風会ではブザーを使ったりして、雑念妄念を払おうとするのだが、
私自身も、始めて、最初の7〜8年の間は、その内の一人だった。
もっとも、私が、ブザーを使って瞑想したのは、天風会にいた頃の2〜3年の間に過ぎなくて、ブザーを使う必要がなってからでも、今のように簡単に、無念無想にはなれなかった。
ところが、ここ2〜3年と言った方がいいのか、或いは1〜2年と言った方がいいのか、はっきりとはしないが、少なくとも最近は、
瞑想をする時、無念無想、無念無想などと、そうなろうと思って努力することは殆どなくなった。
瞑想を始めた頃から、自分の肉体の中に、肉体を揺り動かす、気で出来た組織のようなものがあることは、はっきり意識していて、それが、いわゆる真我(本当の自分)というものだろう、と薄々気が付いていた。
それが、数年前から、その気の組織らしきものが、丹田(下腹部)と頭部の額の部分が繋がって、つまり、頭から下腹部まで貫いたものとして、はっきりと、姿を現してきた。
それと並行して、特別、無念無想になろうと思わなくても、ただ、座っただけで、無念無想になれるようになった。
座っただけで、無念無想になれるということは、それ以前、座る前から、つまり、日常生活している時でも、無念無想に近い心の状態でいるのではないかと、思う。
だから、最近では、瞑想の時でも、ただ、座って、体の中に気の組織が、はっきり、その姿を現すのを待っていれば、やがて、その姿がはっきりすると同時に、無念無想のなれるようになった。
つまり、無念無想、無念無想と、特別努力しなくても、体の中に、気の組織がはっきり現れてくれば、それで無念無想、三昧になれるようになった。
ここまでくれば、自分としても、この気の組織なるものが、真我(本当に自分)であることは、疑いのないものとなったが、
それと言うのも、最近では、瞑想の時は、肉体も心も消え失せて、存在するのは、この気の組織だけ、という状況になっているからである。
そして、この気の組織の存在感は、明確に、そして、日増しに強くなって行くように感じられるのである。
ということから、この気の組織こそ、真我、つまり、本当の自分と思わざるを得ないのであるが、
しかし、天風先生を始めとして、真我、つまり、本当の自分について書いてある本は、沢山あるが、こういうことにまで、具体的に踏み込んで、書いてある本には、いまだお目にかかったことがない。
ところで、天風先生は、本当の自分について、「研心抄」(p、88)という本の中で
「(瞑想していると)やがて暫時にして心の複雑な活動が止む時が来る、その時である。心の活動が止んでもそこに一つ厳として自己存在の意識だけが残留していることを自覚されるに違いない。判りやすく言えば『われ在り』という意識だけは絶対に消滅しない。
そしてこの意識をたとえ朧げにでも自覚し得れば、自己(真我)というものは、心よりも又肉体よりも超越している一実在であるという意識観念が自然と確立され、諸君はという悟入自覚という精神的進歩の第一階級にその第一歩を踏み入れたこととなる。
そしてこの意識観念確立の程度に伴って益々自己(真我)の正確な自覚感に鮮明の度を加えてくることになる」と言っている。
先生は、上で、「われ在り」という意識だけは絶対に消滅しないなどと、意識という言葉を使われているが、
ところが、私が感じている「気の組織」というものは、意識なんて、そんな、あるかないかわからないような、生易しいものではない。
私が、これが真我(本当の自分)だろう、と思っている気の組織は、意識というよりも、もっとさらに具体的なものであって、
あたかも、それは、強靭で、柔軟で、薄くて軽い、ゴム人形のように感じるなにものかである。
しかも、これが、以前は、私の身体の中を、盛んに暴れ回って、私の肉体を散々、突き動かし、揺れ動かして来たものということから、意識というより、もっと具体的なものだと言うことを、わかっていただけるものと思う。
これが、次第におとなしくなり、体の中を暴れ回らなくなり、最近では、丹田と頭部を繋いで、しっかり、体全体を貫いて存在する気の組織として、その存在感を次第次第に、増しつつあるのである。
と同時に、自分ではよくわからないが、患者や、読者に反響によると、以前より、私のサイの力がパワーアップしているように感じるのである。
特に、以前は治せないと思っていた、うつ病とか、自律神経失調症とか、その他の神経症とかいった心の病が、最近では、簡単に治ったりするのをみると、私自身の精神的な力が、さらに一段、レベルアップしている為ではないか、と思うのである。
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サイ気療日記
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今日(7月28日)の読売新聞の第16面は、全面、日本医師会の広告で埋め尽くされている。
広告のタイトルは、大見出しで、「いまこそ、地域の力をひとつに」とあって、次に、その説明のつもりなのだろうか、少し小さな字ではあるが、堂々と、紙面の真ん中に、
「医療はライフライン。水道や電気と同じように医師のいないまちに人は住むことができません。私たちの願いは住みなれたまちでだれもが安心して暮らせること。
それは、『必要な医療が過不足なく受けられる社会づくり』に尽きます。
地域が一体となった在宅医療連携を推進するために全国の医師が一丸となって立ち向かいます。」とある。
ウキィペディアによると、ライフラインとは、「英語で命綱を意味し、日本では主にエネルギー施設、水道供給施設、交通施設、情報施設などを指し、生活に必須なインフラ設備を表す語」とある。
この広告が言いたい本音は、「だから、現在の国民皆保険制度を守りましょう」という事なのだろうが、
国民皆保険の可否について論ずる前に、私たちがしっかり考えなければならない事は、現在の医療、つまり、病院や医師たちが、水道や電気になど、社会インフラに例えれるほど、人の為、世の為を思って、社会に貢献しているか、ということである。
そういう立派な仕事をしているなら、国民皆保険も、異論を挟むつもりはまったくないのだが。
かつて、麻生さんが総理大臣の時、「医者というのは、常識のない、変な人が多い」と発言して、物議を醸したことがあったが、
この度の新聞広告の真ん中には、日本医師会会長横倉義武氏の大きな写真が載っていて、その横に、「医療はライフライン」とあることから、これは横倉さんの発言と、受け取っていいのだろう。
医師会の会長その人が、「医療はライフライン」と言うに至っては、麻生さんじゃないけど、「医者というのは、常識のない変な人ばかり」、と受け取っていいのかもしれない。
というのも、「医療はライフライン」という言葉の中に、医者という職業は、自分たちの利益を省みない、世の為、人の為だけに働く、いわば聖職者のようなもの、とでもいったような、自惚れに近い、思い込みが感じられるからである。
だから、自分たちの働きに対する報酬、つまり、医療費も税金で賄われて当然と思っているのではなかろうか。
だから、彼らは、あくまでも、「国民皆保険」を維持したい、と言うのだろう。
ところで、医者という職業の人たちは、果たして、ライフラインに例えられるような立派な仕事をしているのだろうか。
ライフラインと言えば、誰にとっても、誰に訊いても、日常生活に欠かせない、必要不可欠なものであり、第一、ライフラインは、それがあっても、人に害を及ぼすことは、100%ない、と言っていいが、
一方、医師たちは、絶対に人に害を及ぼすようなことはしてない、と言い切れるほど、立派な仕事をしているのだろうか。
第一、医者は、即ち、現代医学というものは、殆どの病気を治せないにもかかわらず、いかにも、どんな病気でも治せるかのように振る舞って、患者を騙しているではないか。
先日も、テレビでやっていたが、3人の医者が出演していて、司会者が、「ズバリ!貴方達に聞く、貴方達は癌を治せますか?」と訊いたら、3人とも「治せます」と答えていた。
何を根拠に、「癌を治せます」と言うのか知らないが、元慶応大学の近藤誠先生の言葉を借りるまでもなく、現代医学が、癌を治せないことは、今や常識となっている。
癌ばかりではない、医者が喘息や神経痛はおろか、風邪すら、ろくに治せないことは、昔から今日に至るまで、医者の間では、むしろ常識であった。
近藤先生が、自分の仲間を売ってまで、世間に告発したかったことは、医者が自分たちの生活や地位を守るために、必要でもない手術や投薬をして、患者の命を粗末にしていることを、一人の人間として、許すことが出来なかったからに相違ない。
これらの事実に照らしてみても、医者という職業の人たちが、ライフラインに例えられるような、立派な仕事をしてないことは、誰が見ても、はっきりしている。
「医療はライフライン」なんて、おこがましいというより、言っている本人が、恥ずかしく思わないのだろうか。
麻生さんは、「医者というのは常識に欠けた人が多い」というが、私は、むしろ「医者は、偽善者でなければ、仕事を続けられない」、と言った方が適当と考える。
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最近、ホームページを大幅にリニューアルしたのですが、その際、連絡先のアドレスを間違って、書き込んでいたようです。
ご迷惑をおかけした方もいるようですが、大変申し訳なく、心から、お詫び申し上げます。
さきほど、訂正いたしましたので、これに懲りませず、ご利用のほどお願い申し上げます。
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昨日、このブログに、「うつ病と遠隔治療」というタイトルで、遠隔治療を始めてから、1ケ月もならないのに、職場復帰できるまでに、うつ病が良くなった、と報告してきた人のことを書いた。
今日は又、その私のブログを見たと言って、他の遠隔の患者の方から、連絡があった。
この人も、つい5月末に遠隔を始めたばっかりなのに、これまで、20年間、苦しんできた神経症が、発病する前の状態まで戻ったようだ、という内容の、メールでの報告であった。
本人も、どうして、ここまでよくなったのかわからない、と言いながら、とにかく先生のお蔭です、ありがとうございました、と感謝の言葉を述べられていた。
このように、病気や病人のことを書く時は、プライバシーの侵害にならないよう、細心の注意払って、ご迷惑をかけないよう、心がけているいつもりだが、
さりとて、他の、同じような病気で苦しんでいる人のことを、考えれば、具体的な事例を挙げて、参考に供するのが、最もいい方法のような気がする。
とにかく、その人の、個人に属する情報に触れなければ、例えば、名前だとか、住所だとか、年齢だとか、に触れなければ、また、そう言ったことを推測できるよな書き方をしなければいいのかな、と思っている。
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