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坐禅も、瞑想も、無念無想になることを目的としてするのだが、究極の無念無想の状態を、三昧、という。
三昧について、自分では、よくわかっていても、言葉にして、他人に向かって説明するとなると、至難の業である。
以前にも、このブログで、本山博さんというヨガの研究者のことは、話したことがあると思う。
中村天風先生亡き後、この人が、わが国ヨガ研究の第一人者ではないかと、私が思っているということも、その時、言ったと思う。
しかし、本で知っているだけで、この人にまだ、会ったことはない。
その本山さんが、三昧について、「チャクラの覚醒と解脱」(本山博著、宗教心理出版刊)の中で次のように言っているが、
自らの経験に照らしてみて、私が知り得る限り、この人の三昧の説明が、最も当を得ているように思う。
彼は、「三昧に入る時の注意」という項で、次のように言ってる。
「物理的な次元や身体や心の働きは完全に止まるわけです。さっきも言ったように、呼吸が止まったようになり、すごく気力が充実して、呼吸などズーッとしなくてもおれるようになり、しかもはっきり目が覚めている。」と。
瞑想をしていると、先ず、体についての意識がなくなり、次に、心が動かなくなる。
心が動かなくなる、と言うことは、感覚や想念が湧いて出てくることがないということを意味するから、心についての意識もなくなる、と言うことになる。
ここまでは、別に、意識して、つまり、体についての意識があるかどうか、或いは、心が動いているどうか、自分で自分を、チェックしなくても、自然にわかっている。
だから、三昧の状態になっているかどうかについては、後は、呼吸をしているか、否か、ということになるが。
長いこと、呼吸については、意識することがなかったので、言われてみて、今朝、チェックしたら、殆ど、呼吸をしてないことを、確認できた。
そういう意味では、ここ数年、瞑想の度に、三昧の境地に至っていることが、自分自身、よくわかった。
我ながら、凄いな、と思うことは、その三昧に、最近では、意識して、つまり、三昧に入ろうと思って、入っていけるようになっていることである。
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1、休業日、及び診療時間 変更について
平成24年10月1日より、休業を、土曜日、日曜日、祝祭日に変更いたします。
従って、今後は、月曜日から金曜日までのウィークデイが営業日となります。
又、上記営業日の、診療時間を13:00〜17:30の間と致します。
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
3、遠隔治療無料体験(体験し、納得してから、正式な申し込みをしよう)
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場合によっては、無料体験、及びその後の遠隔治療を、お断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
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瞑想日記
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他のことは、天風先生に勝っている、と思うことは、なに一つないが、坐禅の組み方だけは、あまり、劣等感を感じることはない。
写真を見るたびに、「まあ、俺と似たり寄ったりだな!」とばかり、なんとなくほっとしたりする。
今、手元に、先生が石の上で、裸になって座禅を組んでいる、一枚の写真がある。
見ると、石の上だからかもしれないが、組んでいる足は、と言えば、禅でいう、結跏趺坐には程遠く、いわゆる半跏扶座にもなっていない。
それも、先生も、俺と同様、足が太くて長かったせいかなどと、同病相憐れむとでもいったような、変な同情を禁じ得ない。
ヨガの教本などでも、アーサナとかいって、よくインド人が、結跏趺坐の姿勢で瞑想をしている写真を、よく見かけるが、
あんな難しい体勢は、足が長くて細い、インドには向いているかもしれないが、我々、足が短くて太い日本人には、なかなか出来ることではない、と思う。
というのも、かつて、大学に入りたての頃、座禅サークルに入って、学校の裏にある禅寺で、坐禅を組んだことがあった。
その時の足の痛さと言ったら、無念無想になるどころではなく、足の痛みに耐えて、所定の時間が過ぎるのを、ひたすら待っている、というのが実態だった。
そんなことだったから、そのサークルは、およそ3ケ月も、もたなかった。
そう言えば、天風会に入った時は、瞑想の時、結跏だの半跏だの、背筋を伸ばしてだの、あまり難しいことは言われなかったように思う。
それに、天風先生の、講演など聞いていても、瞑想の時の姿勢について、あまり、うるさく言ってない。
誰も見てないからいいようなものの、毎朝、私がしている、朝の瞑想など、およそ人に見せられるようなものではないように思う。全くの我流に近い。
今日も(4月17日)読売新聞の記事下広告に、「坐禅に学ぶ」という本の広告が載っていて、その横の説明文に「ただまっすぐに坐ることからすべてが始まる!」とあったが、
そういった、足の組み方や、姿勢など強調する、禅やヨガ指導者からすれば、私の坐り方など、全くもって、なっちゃいない、と言うことになるだろう。
天風先生もそう思っていたのだろうと思うが、坐禅する時大切なのは、その姿勢ではなく、その時、神人冥合できるかどうか、ではないだろうか。
なぜなら、神人冥合が成らなかったら、無念無想が深まって、三昧に至ることは難しいだろう、と思うからである。
ということは、座禅の姿がいくらきれいでも、そして、いくら長時間座っていようと、神人冥合がわからなかったら、坐禅も、瞑想もその意味を為さない、と言える。
今朝も、1時間半ほど座ったが、その大半の時間が、無念無想、三昧の状態だった。
私が、そうなり得たのも、取りも直さず、神人冥合して、空の世界と、自分の魂とが、繋がったせいだと、思う。
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天風先生を研究している人は、皆、心身統一法の目的は、「本当の自分」とは何か?ということをわかることだと、知っている。
何故なら、「本当の自分」を体か、或いは、肉体と思っていると、体や心に使われてしまうからである。
なぜなら、私たちを悩ます雑念・妄念というものは、本当の自分が、体か心と思ってしまうところから来るからである。
何故、体や心を「本当の自分」と思うと、雑念妄念に悩まされるようになるか、ということについてのここでの詮議は、この際、後回しすることにして、
とにかく、「本当の自分」というものが、わかるようになると、人生観が確立し、結果、自己統御が容易にできるようになるのである。
自己統御が容易になるということは、人生に何が起きても、心が動揺することはない、つまり、人生を安心立命して生きられる、ということである。
だから、心身統一法の各種の修業の目的も、この「本当の自分」とは何か、ということを自覚する為にある、と言っても過言ではない、のである。
ただ、天風先生も、この「本当の自分」とは何か、と言うことについて、
私の知るところ、僅かに、次のように言っているに過ぎなくて、その御本など研究しても、このことについて、詳しく触れられている箇所はない。
思うに、それは、天風先生にしても、「本当の自分」というものを、誰にでもわかりやすく、言葉で以て解説するのは容易でなく、結局は、自分自身で、いわゆる自覚する以外、他に方法がない、と思ったせいなのだろう。
さて、天風先生は、「本当の自分」について、研心抄という本で、次のように言っている。
「やがて暫時にして心の複雑な活動が止む時が来る、その時である。心の活動が止んでもそこに一つ厳として自己存在の意識だけが残留していることを自覚されるに違いない。わかりやすく言えば『われ在り』という意識だけは絶対に消滅しない。そしてこの意識を例えおぼろげにでも自覚し得れば、自己(真我)というものは、心よりも又肉体よりも超越している一実在であるという意識観念が自然と確立され、諸君は悟入自覚という精神的進歩の第一階級にその第一歩を踏み入れたことになる。そしてこの意識観念確立の程度に伴って益々自己(真我)の正確な自覚感に鮮明の度を加えて来ることになる。」
天風先生に、異を唱えるつもりはないが、大袈裟な言い方をすれば、私は天風会に入会して数ヶ月後には、これが「本当の自分」と言われるものを、既に、掴んでいた。
つまり、天風先生は、「われ」というものを意識するようになる、と言っているが、
私は、天風会に入って数ヶ月後には、既に、「我」とは何かということを、意識なんて生易しいものではなく、より、具体的に、体全体で、わかっていたように思う。
このことに関しては、このブログで、これまでにも、何遍も、触れて来たので、存知の方も多いと思うが、
私は、天風会に入会して、およそ6ケ月くらい経った頃から、瞑想の時、体が、大きく揺れるようになった。
その動きは、回転運動だったり、上下運動だったりした。
当初2〜3年のうちは、動きも激しかったが、次第におとなしくなって行った。
それでも、瞑想の時、今でも、時折、体が、激しく、強く動くことがある。
この動きは、額から、喉、腹を通って丹田に至るまでの気体で出来た大きな棒状のものが、動くから、それにつれて体が動く、ということは、初から、自然に、わかっていた。
そして、この棒状の気体こそ、天風先生言われるところの「本当の自分」ではないか、ということは、最初からそう感じていた。(と言うよりも、それ以外に考えようがない、と言った方がいい)
そして、以来、十数年経った今でも、その思いは少しも変っていないどころか、ますます、深くなりつつある。
最近では、特に、瞑想の時と言わず、特に、一人で静かにしている時など、この棒状の気体が、肉体を押しのけるようにして、意識の表面に現れるようになった。
つまり、肉体の意識よりも、肉体の中にある棒状の気の組織が、強くはっきり、体の前面に現れるようになった、ということである。
従って、今では、この棒状の気の組織こそ、「本当自分」と信じて疑わないが、天風先生は、「本当の自分」とは、ただ、霊魂とよばれる気体である、と言っているだけである。
果たして、天風先生が、私の言うところの、額から丹田に至る棒状の気の組織を指して「霊魂」と言っているのか、或いは、この気の組織の一部に霊魂が存在する、と考えているのか、今のところ、私にも、しかと、わからない。
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天風先生の「盛大な人生」という本によると、無念無想とは、「心が命の一切を考えない時」らしい。
「心が命の一切を考えない」とはどういうことかというと、「心が肉体のことを考えない、また、心が心を思わない時」と、本は言っている。
私は、かねて、三昧とは、無念無想の究極の状態、と表しているのだが、
三昧と、無念無想とはどう違うのか、と訊かれれば、無念無想が永続的に続く状態と、と言わざるを得ない。
簡単に言うなら、三昧とは、無念無想が長い時間続くことをいう、と表していいと思う。
即ち、短時間の無念無想なら、誰でもなれるが、三昧となると、簡単に誰でも、という訳にはいかない。
短時間の無念無想というのは、いわば、ちょっと風呂に浸かって、直ぐ出てくるようなもので、三昧とは、お湯に、長時間、浸りきっているようなものである。
天風先生は、「盛大な人生」の中で、三昧について、「心が肉体を思わない、同時にまた、心が心を思わなかったら、命の全体が当然、我の本体である霊という気を通じて、宇宙創造の根本主体たる大霊の中に機能するというのが、人間の生命に与えられた自然現象」といっている。
だから、ちょっとの間だけ、無念無想になれても、「命の全体が当然、我の本体である霊という気を通じて、宇宙創造の根本主体たる大霊の中に機能」することはないから、そういう無念無想の状態を、三昧とは言わない。
そして、「宇宙創造の根本主体たる大霊の中に機能」するとはどういうことは、天風先生は、次のように解説してくれている。
「さて、宇宙の一切をつくる根本要素であるブリル(Vril)、そのブリルの存在するところが、宗教的に言えば神、仏のいましますところとなっている。特別にこういうところにいるてんじゃないんだ。くまなくは遍満存在しているわけだ。我々が座っているところにも神、仏はいましている。ただ、心が霊的境地に入らないと、人間の生命がその一つの特別なアトモスフェア(雰囲気)の中へフーッと導き入られないという結果がくるのです。
ところが、心がひとたび肉体を思わず、心が心を思わないという霊的境地に突入すると、スーッとこのブリルと自分の生命が一つのものになっちまうんだ。一つのものになれば、同じものなんだから、我々の生命の中へブリルがグングン流れ込んでくるのは当たり前です。スポンジを水の中へつけたと同じなんだ。スポンジの細胞組織のなかに水がみんなしみ込むと同じ結果がくる。」
言うなら、三昧とは、自分の命と、ブリルが遍満存在する世界とが、繋がることをいう、といってもいいと思う。
だから、いくら無念無想と言っても、繋がらなかったら、三昧とは言わないし、
天風先生も、繋がったから、ブリルが、自分の命の中へどんどん、流れ込んできて、結核が治ったことを思うと、繋がらなかったら、いくら瞑想して、無念無想になれたとしても、さして、意味がないこととも言える。
さて、自分のことを思い返す時、空の世界と繋がったから、無念無想、つまり、三昧になることができたのか、或いは、三昧になったから、空の世界と繋がったのか、その区別について、はっきりわからない。
とにかく、私の場合、あちらの世界(空の世界、ブリルが遍満存在する世界)と繋がるようになって、例えば、20分でも30分でも、無念無想、つまり三昧に状態でいられるようになったような気がする。
少なくても、あちらの世界と繋がらなかったら、無念無想が長時間続くこともないし、したがって、三昧という心の状態も、ないと思う。
そういうことからして、三昧とは、即ち、あちらの世界と繋がること、と表していいように思う。
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最近、再び、丹田の拡張工事が始まったようである。
丹田と言っても、あの稲を植える田圃のことではない。
我が身の、およそ、へその下、周囲10センチ四方、恥骨あたりまでの所を、丹田という。
これまでも、何度か、そういう経験はあった。
今回は、溜まるというのではなく、無理に風船を膨らます、といった感じなのである。
だから、風船が膨らむ途中では、強く圧迫されるから、下腹部に、軽い痛みを感じることもある。
さらに、これまでと違っているところは、額から入って来る気が、棒状となって、そのまま、ストレートに丹田まで降りていることである。
つまり、他を通過して、額と、丹田が、そのまま直結したように感じるのである。
裸になった時、そうと思って、しげしげ、自分の腹を観察してみると、いつか見た、天風先生が岩の上で、裸になって、瞑想をしてる写真に似ていると思った。
つまり、お腹と言っても、肋骨の下あたりが凹んでいて、その下、臍のちょっと上から、膨らみ始め、段々と、恥骨の辺りまで、大きく膨らんでいるのである。
天風先生のは、いかにも、サッカーボールを半分に切ったものを、そこに、伏せたように、明らかに、ポコンと腫れているが、私の方は、まだ、そこまでは行ってないようだ。
現在、拡張工事中だから、今に、私も、天風先生のようなお腹になるのではないかと、秘かに期待している。
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