気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

中村 天風

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何を信念するのか

天風先生の心身統一法は、別名、信念の哲学とも言われている。
 
ところが、天風先生を勉強する人達にとって、一番わからないことが、何と、この信念ということであり、
 
もっと具体的に言うなら、何を信念すればいいのか、わからないことである。
 
 
私も、長いこと、こういうことに、ひっかり、そして引きづり廻されて来た。
 
つまり、天風先生を研究し始めて数十年、このこと(信念)のことばかりを考え続けて来たし、さらに言えば、考え続けて来ても、これまでよくわからなかったのである。
 
 
ところで、ここに、一本の、「信念は人生の羅針盤」と銘うたれた、天風先生が、生前吹き込んだ、講演録がある。
 
もう何千回、何万回聞いたことだろう、テープが、すり切れてしまわないのが、不思議なくらいである。
 
 
わかってしまえば、簡単なことなのだが、それまでは千思万考、と言うより、七転八倒と言った方が適当だった。
 
ところが、最近になって、やっと、先生が言っている、信念とは、こうではないかと思えるようになった。
 
 
つまり、何を信念するかということなのだが、
 
結論を先にすれば、天風先生は、テープの中で次のように言っている。
 
「信念が強くなればなるほどそれに相呼応して、我々の命の奥に内在する潜在勢力というものが発現している。」
 
「信念が強くなり、この潜在勢力が知る、知らざるとを、問わず命の表面に発動してきますから、今度はそうなると大した努力や苦心をしなくても、健康も運命もきわめて完全な状態になって来ます。」と。
 
 
ところが、天風先生は、何に対する「信念」が強くなれば、「人間の生命の中に、何人にも与えられてある健康や運命を建設説する力」つまり、潜在勢力が発現して来るかについては、次のようにしか言ってないんですよ。
 
実際、これには、私も、迷わされた。
 
  1. 自己人生に対する信念の有無」、とか
  2. 人間の生命に与えられて生命の力を信ずる信念」、とか
  3. 「自分の生命の中の、力と言うものを信ずる信念」、等々
 
これまで、私が、何に迷って、何がわからずに苦しんできたかというと、結局は、「人間の生命の中に与えられてある力」、と「潜在勢力」とが同じだ、ということが、よくわからなかったからなのだ。
 
 
さて、この稿のテーマでもある、「何を信念するのか」ということについて、簡単に分かりやすく言えば、それは、「自分の命の中に健康や運命を建設する力、つまり、潜在勢力が存在するということを信念する」、ということになる。
 
 
そういうことがよくわかって、先生のテープを、改めて聞き直してみると、「何を信念すればいいか」について、先生は、ちゃんと、はっきり、次のように言ってくれているのだよ。
 
「人間の生命に与えられてある生命の力を信ずる信念を無条件で渙発することに努力するのが、自分に与えられてある生命に対する当然の義務」と。
 
つまり、「何を信念するするのか」について、「人間の生命に与えられてある生命の力を信ずる信念を無条件で渙発すること」と言ってくれているのです。
 
蛇足を加えれば、「何を信念するか」ということは、「人間の生命に与えられてある生命の力(つまり、人間の生命の中には、健康や運命を建設してくれる、潜在勢力が存在するということ)を信ずる信念を渙発する」ことだというのです。
 
 
その為には(信念を渙発する為には)、心を先ず積極的にしなければならないし、心を積極的にする為の、具体的な方法として、心身統一法と呼ばれる各種精神統御の方法、つまり、観念要素の更改法であり、積極精神集中力養成法であり、神経反射の調節法である、と先生は、言っているのです。

力の誦句について

「信念」、「信念」と言われても、何を信念すればいいのか、わからないという人が、天風哲学研究者の中にも、多いと思う。
 
敢えて、答えを先にするならば、それは、自分の中に、健康も運命も自由に獲得し得る力、というものがあるということを、信念することだと、思う。
 
そのことが端的に現されているのが、「力の誦句」だと思う。
 
 
「私は、力だ、力の結晶だ、何ものにも打ち克つ力の結晶だ、だから、何ものにも負けないのだ、病にも運命にも、否、あらゆる全てのものに打ち克つ力だ、そうだ強い強い力の結晶だ」
 
僭越だが、この力の誦句が正しく理解できたら、天風哲学を完全に自分のものにすることができたと、言えるだろうと思う。
 
 
ところで、今、手元に、「図解 中村天風」(中村天風財団編 鳥海者社刊)という一冊の本がある。
 
この本の巻末に、そらく、この本の結論として意識して、行われたであろう、と思われる、当時の天風財団理事長合田周平氏と元人事院総裁の内海倫氏の「天風哲学の神髄と人間天風」と題した対談がある。
 
その中で、以前から、特に、内海さんの「力の誦句」の解釈に関して、「少し、違うんじゃないか」と、強く違和感を感じていた所がある。
 
 
内海さんは次のように言っている。次は、長い話の一部を切り取るようにして、引用しているので、話の全部を、間違いなく、正確に知りたいと思う方は、是非、本そのものをお読み頂きたい。
 
内海:「天風哲学の原点は『力の誦句』にあるということにたどり着いたのです。それは天風の『悟り』とも言うべきものです。」
 
天風哲学の原点は「力の誦句」にある、ということも、それが天風先生の「悟り」(ということは、天風先生を勉強する人が等しく目的とすべきところであると言える)であるということも、私も、全く同感である。
 
 
次が、私が、内海さんと大いに見解を異にするところである。
 
内海:「(ヒマラヤの山奥で)ただひたすらに自分自身と対峙し、厳しい自然の中で孤高の修業を続けていたある日、大自然の一角で坐していた天風の頭の中に、一瞬にして鋭角的な気が流れ込んできた。そして、声にはなっていないが、『私は力だ』と叫んだ。天風哲学の最初の叫びです。」
 
 
結論を先にすれば、天風先生が、ヒマラヤの山奥で瞑想をしていて、「一瞬にして鋭角的な気が流れ込んできた」ということと、先生が「私は力だ」(つまり、力の誦句)と言っていることは、全く別の話だと思う。
 
確かに、当時死病と言われた奔馬性結核が、治ったのは、瞑想中に、気が流れ入ってきたからには相違ない。
 
そういう意味(気が病気を治したという意味)では、内海さんが言われるように、確かに、天風哲学で原点であろう。
 
 
ただ、あからさまに言えば、内海さんが「一瞬にして鋭角的な気が流れ込んできた」と言っているのは、私には、経験もないのに、従って、よくわかりもしないことを、美しい美辞麗句でもって糊塗しているようにしか思えない。
 
その時、私が側にいて、これを言いていたなら、きっと、「一瞬して鋭角的な気が流れ込んできた」ということは、どういうことですか、また、そのことによって、天風先生はどうして、「私は力だ」と叫んだんですかと、きっと、訊いたに違いないと思う。
 
内海さんが、自分も「一瞬して鋭角的な気が流れ込んできた」経験をしたというなら、まだしも、決して、そうではあるまい。
 
 
私の経験からしても、又、天風先生の現存する印刷物の、どこを見ても、「一瞬して鋭角的な気が流れ込んで来る」ということは、全く、あり得ない、と思う。
 
少なくても、「私は力だ」と感じるような物が、一瞬にして流れ込んでくるような、ことは普通ではあり得ない。
 
 
瞑想していて、無念無想になり、空の声を聞き、そして神人冥合を果たし、空の世界から「気」が流れ入って来て、そのことによって、病気も徐々に時間を掛けて、回復して行ったに違いないのだが、
 
少なくても、内海さんが言われるように、「一瞬して鋭角的な気が流れ込んで」来て、病気が瞬時にパッと、治ったわけではないのだ。
 
更に、内海さんの勘違いを指摘するなら、気と言うものは、ゆるゆると、時間をかけながら、少しずつ、徐々に入って来るもので、一瞬してパッと入って来るものなんかではない。
 
ましてや、気が入って来たことを自覚できたにしても、「私は力だ、力の結晶だ」を信念できるまでには、相当に時間を要するはずである。
 
 
と言うのも、「私は力だ、力の結晶だ」と信念できることと、本当の自分とは、肉体でもなく、心でもなく、「気で出来た組織である」とうことを自覚することと、全く同じことだからである。
 
これを、言葉を変えて言うならば、本当の自分とは、「気で出来た組織」であることを、自覚できて初めて、「私は力の結晶だ」と信念することができるのである。
 
つまり、「力の結晶」とは、具体的には、自分の中の「気で出来た組織」のこと指して言うのである。
 
このことは、先生の講演録テープ、信念は人生の羅針盤」を聞いていても、先生は、その中で、はっきりそう言っている。
 
 
天風会鎌倉支部に入会して、瞑想中に、頭頂から(後になって、額の印堂から)気が入って来るのを感じて以来十二・三年、やっと、自分の中に、「気で出来た組織」があることを確信できて、そして、これこそ、本当の自分であること信念することができるようになった。
 
 
だって、瞑想中、最近は、無念無想になると同時に、肉体の感覚も全て消え失せ、この「気で出来た組織」しか、残らなくなっているから、本当の自分が、この「気で出来た組織」であることを、信念するもしないも、これしか、存在しないのだから、そう思わざるを得ない、ということになっている。


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私は、長いこと、天風先生が「信念は人生の羅針盤」と言っていることの意味が、がわからなかった。
 
ということは、最近になってやっとわかった、ということだが、
 
 
そのわかったことを、結論から先にすれば、
 
信念がなかったら、人間なら、老若男女を問わず、誰にでも与えられているといわれる、健康も運命も自由に獲得できる、潜在勢力というものが、潜在意識の中から、発現してこないからなんだ。
 
逆に言えば、信念が強くなる程度によって、この潜在勢力というものが、命の表面に発現してくる、ということになる。
 
 
言葉を変えて言えば、潜在勢力というものは、信念に誘われるようにして、又、信念を水先案内人のようにして、命の表面に現れてくる、ということになる。
 
だから、「信念は人生の羅針盤」と言うのだ。
 
 
「信念は人生の羅針盤」という言葉に続けて、天風先生は、「信念のない人生はちょうど、長途の航海の出来ないボロ船のようなものだ」と言っているのは、
 
信念が強くなって、潜在勢力が命の表面に現れて来ないと、どんなに努力してみても、健康も運命も、結局、希望通り叶うことはない、ということを言っているのだ。
 
 
何故、潜在勢力が命の表面に現れて来ないと、健康も運命も良くならないのかというと、
 
それは、その前提として、私たちの命は、神経系統を流れる「気」つまり、神経系統の生活機能というものが保ってくれていて、その神経系統の生活機能というものは、心の状態に左右されるからなんだ。
 
つまり、心が積極的な時は、神経系統の生活機能が活発に働き、逆に心が消極的な場合は、その働きが鈍ってしまうからなんだ。
 
これを、「神経系統」という言葉ではなくて、「気」という言葉を使って説明すれば、心が積極的な時は、外部から、私たちの命の中に入って来る、「気」の分量が多くなる、ということになる。
 
 
では、そういった心の状態と、信念というものと、どういう関係があるか、ということだが、
 
その相関関係を説明するとなると、先ず、「信念」とは何ぞや、ということから始めなければならない。
 
ただ、信念というものは、信念が強くなって初めて、「ああ、これが信念というものか」というか、わかるもので、言葉で以て、説明するのは極めて難しい。
 
 
天風先生も、このことを、「心に成功の炎を」という本の中、P、410(訓言二十)で次のように言っている。
 
「その信念とは何だというと、毎晩、寝際に鏡に向かって『お前は信念が強くなる』と言っていると自然にわかるんだよ。
信念とはこんなもんだよと、見せられない。およそ何がむずかしいかって、『信念て、なんですか?』と聞かれると一番むずかしいわ。それは、毎晩毎晩、自己暗示(鏡に向かって、お前は信念が強くなる、ということ)を与えているうちに、『あ、これか』ということがわかってくるよ、言わず語らず。だから、それができてきて、はじめて私が今言っていることがわかるんで、『ああ、私は信念がでてきたな』ということが直観的にわからないと、今の言葉も皆目わからないんです。
とにかく、自分の人生を、信念というもので支配することのできる人、そういう人はやたらと悲しいとか悩ましいとかというものを感じなくなるんです、価値のない悲しみや悩みを感じない。」
 
 
「信念」というものを、言葉で以て言うのは、難しいといいながら、天風先生は、「信念」というものについて、次のように、説明してくれています。
 
「そういう人は(信念が出てきたら)やたらと悲しいとか悩ましいとかというものを感じなくなるんです、価値のない悲しみや悩みを感じない」と。
 
 
だから、言う通り、「やたらと悲しいとか悩ましいとかというものを感じなく」なったら、信念が出てきた証拠と思っていいのです。
 
つまり、これまでは、こういうことがあったら、居ても立ってもいられない位、心が動揺していたのに、今度はそうならなかった、ということが、しばしば、起こるようになったら、それは、信念が強くなった証拠、と思っていいのです。
 
 
さて、天風先生は、「信念は人生の羅針盤」という時、必ず、「信念のない人生は、ちょうど、土台を考えずに家を建てるに等しい」と言います。
 
これは、同じことを言葉を変えて言っているだけなんですが、
 
信念のない人生というは、結局、潜在勢力が発現して来ない人生ということになるから、潜在勢力が発現してない人生は、ちょうど、「土台を考えずに家を建てるに等しく」中途半端で、何をやっても、結局失敗に終わってしまう、ということを言わんとしているのです。
 
 
天風先生の本の中の一つに、「成功の実現」という表題の本がある。
 
本の表題の通り、天風先生は、人生において、信念の伴わないどんな企ても、努力も、結局失敗に終わる、
 
つまり、人生において成功するには、先ず、信念を作ることが先決だ、ということを言いたいのだと思います。
 
 
私たちの、健康も運命も、信念の有無にかかっているとすれば、私たちが何をさておいても、しなければならないことは、信念の渙発ということになる。
 
信念の渙発なんて言っても、そんなに難しいことではないんだよ。
 
毎晩毎晩、寝る前に、鏡に向かって「お前は信念が強くなる」と言っているだけで、黙っていても、自然に、信念は強くなって来るんだから。
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天風先生の「心に成功の炎を」という本の、P、126に、「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉が出てくる。
 
私は、長いこと、この言葉の意味が、よくわからなかった。全然、わからなかった。
 
理屈で、あれこれ考えてみるんだけど、考えれば考えるほど、わからなくなった。
 
 
この言葉のもつ意味が、天風先生が、「成功の実現」という本で、「無邪気な気持ち」と言っていることと、同じだ、とわかったのは、つい最近になってからのことである。
 
 
「成功の実現」P、377には、天風先生が、インドの山奥で、黒豹と、にらめっくらした、次のような話が出てきます。
 
「もう死にやしないかしらん。本当にこうやって毎日毎日、山の中で座っているだけで、俺はもう、親兄弟の顔も見ないで、このまま名も知れない山の中で死んじまうんだ。それでもう、一分一秒といえども、ああ気持ちがいい、なんてことは感じないんだからね。フウーッと気がつけば、すぐ息苦しくなったり、脈が乱れたり。
そのときにだよ。フウッと膝頭の所に妙な感じを感じたの。何か軽石でこすられているような気持のね。ヒョイと目を開けたら大きな豹がね、目の前に腰をすえて私をじっと見てるんだよ。
もう病の苦しさも、死にはしないかという気持ちも何もなくなっちゃった。恐ろしい気持ちもないんだよ。ただ、その爛々として光る豹の目をウッと見すえて、にらめっくらしたわけだなあ。にらめっくらという気持ちはないんだよ。ハッと思って、ハッと見ただけだ。そうしたら、スウーッと向こうへ行っちまいやがった。
無念無想に打たれたんだな、向こうが。おっかないと思ったら、パッと来るだろうけども。
こういう話をわかってくれる人が果たして何人あるかしらないけど、戦争でも行って、もうどうにもしようがないときに、絶対の諦めがくるとそういう気持ちになることがありますよ。何も考えない、ただ無我夢中。無我夢中というのも心だよ、やっぱり。心のいわゆる乱雑なる妄想が瞬間、止まったときなんだ。
『そんな気持ちでいたら、病なんか、どっかへ吹っ飛んでいっちまうわい。いつも猛獣と相対峙していたような(インドの先生の言った言葉はいまだに忘れないよ)無邪気な気持ちになれ』って言ったんだ。
無邪気な気持ちってのは、こういうものかと思ったよ。何も考えないのがいちばん無邪気なんだよ、結局。」
 
 
この時、カリアッパ先生が、なぜ、「無邪気な気持ちになれ」と言ったかについて、天風先生は、特に、解説してくれてないが、
 
天風先生が、平炭鉱の暴動を鎮めに行った時の話に、「無邪気」という言葉が出て来てくるが、この場合、これが、大いに参考になる。
 
「成功の実現」(P、231〜233)の中では、「無邪気」という言葉が、次のような状況の中で出てくる。適当に、ピックアップして、説明してみることにする。
 
 
「『あの橋は吊り橋か何かで、足でもかけるとドカンと落っこちまうんですか』
『いや、そんなことはないです。あれは石炭を運ぶ車が通うくらいですから、丈夫です』
『あ、そう。じゃあ、どうなんです』
『まあ行ってごらんなさい』
『そうですか。ではとにかくごめん』
テントの張ってあるところから十間と離れてないところですからね。トコトコ歩いて行ってその橋に片足かけてみた。そうしたらパンパンパンパンパンと鉄砲を撃ったんです。向こうから。」
 
「『行きます、私』と言ったらね、
『責任負いませんよ』
『決してあなたにご迷惑かけない』
サッササッサ歩いて行った。ドンドンパンパン撃ちやがる。外套の腰の所に五つ弾が抜いております。けれども、体を一つも抜かない。何も僕は撃たれに行ったんじゃないから、いくら向こうで狙ったからって平気ですよ。ここが、あなた方と私が違うところなんだ。」
 
ここで、248ページまで、ページを飛ばす。
 
何故、こういうことが出来たのか、天風先生は「無邪気」、という言葉を用いて、次のように、説明している。
 
「そうすると、例の平炭鉱に私が行ったときなんかも、こういう話を正しく理解しない人は、無謀だなあとか、あるいは無茶だなあとか、あるいはあれだけの胆力がなあと思うかもしれないが、胆力でも何でもないんだよ、これは。そうだろ。私は無邪気に入っていったんだもの。胆力で、『くそ、こんちくしょう、おっかなくなんかあるもんか』なんて気分で入っていったんじゃないんだもの。
正しいことをしている人間に正しからざる出来事の生ずるはずがない、ということが私の信念だから、そいつをそのとき、あえて改めて頭の中で、思いなおしなんかしませんよ。橋を渡りながら、いま俺は正しいことをしに来たんだ、従って、正しくない人間が鉄砲で撃ったって、私に当たりゃせん、なんて思って行きはしない。
何も考えないの。何も考えない、いわゆる無我無念のときに、自在境というものがあらわれるものなんだ、ねえ。」
 
もう、おわかりだと思うが、無邪気に入っていったから、自在境というものがあらわれて、鉄砲の弾が自分に当たらなかった、と天風先生は、言っているのです。
 
そうすると、先に紹介した、インドの山奥で、天風先生が、豹と、にらめっくらして、豹が何もせずにスーッと向こうへ行ってしまったのも、無邪気な気持ちになっていたから、自在境というものがあらわれたから、ということができるのです。
 
 
さて、ここで、今日のテーマである、「切り結ぶ太刀に下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉に、話を戻す。
 
そもそも、この言葉は、「心に成功の炎を」という本のP、126〜127に出てくる言葉です。
 
「こういう階級の高い哲学的な消息というものは、かんで含めて聞かせても、それが自分の心に『ああそうか』と受け取れませんよ。いつも私はこの話をしながら考えているんだけども、昭和三年から毎年この話をしてて、今の人間よりも戦時中の人間のほうがよくわかってくれたんです。
そこに坐っている井上さんなんかはね、戦争に行く前にこの話を聞かれて、『もう大丈夫です、先生、もう大丈夫だ。もう私は、ふたたび先生にお目にかかれないかと思って、お暇乞いにきたんだが、わかりました』と挨拶に来てくれた。そのとき私は井上さんに、戦争に行く者には誰にでもいう言葉を言った。『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。その意気で行け』『わかりました。今この土壇場にきて、なんべんか聞いた、我とは何ぞや、がはっきりつかめました』と言って、井上さんは戦地に向かったが、なんとあの人は、昭和十二年日支事変以来、六回も招集されているんですよ。
召される度に、悪戦苦闘して、ときによると、十重二十重と敵に囲まれて、たった一人になって、出ることも引くこともできないほどの状況になったこともあるんだ。そんなとき、不思議と私の顔が浮かび出たそうですよ。『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、どうにでもなれ、殺すんなら殺せ。もう生きようとも死ぬとも思わない』と。そういう場合に、生きよう、助かろう、逃げようなんて思ったら、必ずやられてしまいます。
敵に囲まれていて、敵がそこに井上さんが座っているのも知らずに、通りすぎちまったことが何遍あったかわからないそうだ。そして、不思議にいつも助かって帰ってきた。一年志願兵が少佐にまでなるなんてことは、そりゃあ破天荒なことなんですよ。」
 
 
ここで、私流の直訳を施すと、
 
前半の「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ」というのは、相手を、やっつけよう、相手に勝とう、勝とう、負けまい、と思っている時は、逆に、斬られて地獄に墜ちてしまうぞ、という風に受け取れます。
 
後半の「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というのは、「もうどうにでもなれ、勝とうとも思わない、逃げようとおも思わない」無念無想、つまり、無邪気な心になった時こそ、そこに勝機が生まれる、という具合に受け取っていいと思います。
 
なぜそうなるかというと、無念無想、何も考えない、つまり、無邪気な心になった時、自在境というのが生まれるからなんです。
 
 
つまり、天風先生が、インドの山奥で、豹とにらめっくらしたとき、カリアッパさんが、「いつも猛獣と相対峙していたような無邪気な気持ちになれ」と言ったのと、
 
天風先生が、戦地に向かう兵隊さんに向かって、必ず、「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉を与えたのも、同じの趣旨のことを、言葉を違えて言っているだけ、ということになるのです。
 
 
考えてみれば、天風さんの教えというものは、他では聞けないような、ものすごいことを、私たちに教えてくれているのだ、ということがわかります。

もっとも、わからいうちは、「猫に小判」、「豚に真珠」だけれども。



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読書について考える

本を出版したり、ブログを書いたりしていると、さぞや万巻の書に埋もれて生活いるだろうと、想像する人もいるかもしれない、
 
実際、家族の者に訊いても、常に、自分の部屋で本を読んでいる、というのが日頃の私の印象だという。
 
そいうことからすると、常に、本を前にしているのが、私の日常であることは、間違いなさそうである。
 
 
しかし、私の部屋の本棚にある本を数えてみると、大小あわせて、せいぜい、200〜300冊のものだろう。
 
ということは、結論から申せば、ほんの限られた数の本を、繰り返し、繰り返し何遍も読んでいる、ということになる。
 
 
サラリーマン時代、人事の仕事をしている時は、「人物」論に関する本、特に安岡正篤先生の東洋哲学に関する本ばかり読んでいた。
 
最近、十数年の間は、天風先生の本ばかり読んでいたようだが、安岡先生にしろ、天風先生にしろ、1回や2回、或いは数回読んで、すぐにわかるようなものではない。
 
 
安岡先生の本は、論語とか、陽明学とかいっても、「帝王学」つまり、国家や組織のリーダーとはどうあるべきかを説いたものだから、難解とは言いつつ、まだ、なんとなくわかるところもあるが、
 
天風先生と言ったら、なにしろ、宇宙真理がわからなければ、本質的にはわかり得ないという代物だけに、読めば読むほど、ますます、迷路に入ったように、わからなくなってしまう。
 
 
だから、同じ本を何回も何回も、数百回も、数千回も読んで、本の背表紙がボロボロになって、剥げ落ちてしまうところまで、読むことになる。
 
 
こういう硬い本ばかり読んでいると、普通の小説に類するような本は、時間の無駄のように思えて、バカバカしくて、読む気にもならない。
 
 
と言っても、恋愛小説とか、冒険ものとか、旅行記とか、スリラー小説だとか、それぞれに筋書きの面白さだとか、修辞学的な、言葉の表現の面白さだとか、それなりの楽しみ、喜びがあることは十分承知しているが、
 
己が、実際に人生を歩んで行く際の、今日の一歩、明日の一歩の糧となるようなもの以外は、その価値を認めない、といった、いわばリアリスト的な活き方をしてきた者にとって、へのツッパリにもならないような小説など読んで、何になると思ってしまうのである。
 
あんなもの、テレビを見たり、漫画を読んだりといった、食事を楽しんだりとか、旅行をしたりとか、一時的な快楽を与えてくれるものと、どこが違う、と思ってしまうのである。
 
 
話は変わるが、天風先生の本で、これまで、なんとなく無視して読み飛ばしていたようなところで、最近、あっと気付かされたことがある。
 
「運命を拓く」、P、131に次のように書いてある。
 
「凡人の域を脱した天風会員は、要らないことはどんどん忘れて、要ることだけをどんどん覚えてくれりゃいいのだから。
心を積極的に持つようになると、要らないことはどんどん忘れて、要ることだけを覚えてくれる心になるのだ。
だから、諸君と座談すると、私は黙って聞いているだろ……。話すことないもの。あなた方は、べらべら油紙に火のついたように、いろんな下らないことばかりをしゃべりだす。
演壇でこれだけしゃべるから、先生は、膝を交えて話したら、さぞ話すだろうと思ったら大間違い。私も昔はそうであったが、それがだんだんと心を積極化してくるに従い、しなくなった。要らないことはしゃべる必要はない。
要らないものばかり持って歩く人があったら、諸君はそれを賢い人間だと言うだろうか。
(途中省略)
心の中に随分と要らないものをたくさん持っていると、肝心要のものを覚えようとするときに、要らないものが詰まっているから、程よく覚えられない。」
 
 
私が心配するのは、恋愛小説とか、歴史小説だとか、推理小説ばかり読んでいると、結果として、潜在意識の中に、消極的な観念要素を一生懸命詰め込んでいるようなことになりはしないか、ということである。
 
つまり、天風さんが言うように、要らないものばかりを、大きなずた袋に詰め込んで、重い重いと言いながら、持ち歩いているような人になりはしないだろうか、ということである。
 
だから、禅寺にしろ、ヨガの道場にしろ、新聞もテレビもない、もちろん本もない、人里離れた山奥に建てられているのではないか、と思うのです。
 
 
これまで、特に、そういうことを意識してやってきたわけではないが、テレビもほとんど見ない、街中にあふれかえっている小説のごとき本は、めったに買わない、読まない。
 
ただひたすら、天風先生の心身統一法の教えを実践し、天風先生の本だけを読み、天風先生の哲学・思想だけを、追い続けて生きたことが、結果として、潜在意識の中を浄化させ、今日の自分を作ることができたのではないかと、思う。
 
 
特に、俺は、読書家だと、自分自身を、誇りにしている人は、
 
それが積極的なものか消極的なものか、選択することなく、潜在意識の中に取りこんでしまた結果、やたら消極的な観念要素だけが増えてしまって、自らの手で、自ら首を絞めるようなことになってしまっているのではないかと、猛省してみる必要がありそうである。
 
インテリと称される人達は、天風先生の時代も、今も、最も救われない、可哀そうな人達であることに、変わりはなそうである。



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無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、土、日、の17:00〜18:00の間を予定していますが、どうしても無理な場合、ご相談に応じます)
 
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。

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