|
日頃、私のブログを読んでいてくださる方は、わかっておられるだろうと思うが、これまで、私の最大の関心事、或いは、目的は、と言ってもいい、それは、「信念」ということだった。
つまり、どうしたら、「信念の人」になれるか、ここ十数年間、昼も夜も、そればっかり、考えて続けて来た。
その証拠の一つは、夜寝る前、布団に入る前、観念要素更改法の為の自己暗示誘導法で、鏡の中の自分に向かって言っている言葉は、常に、きまって、「お前は、信念が強くなる」ということだった。
これからも、そうだろうと思うが、それは、過去、十数年間、たったの一度だって、変わることはなかった。
だから、これまで、ブログに書いたことも、自らの最大の関心事である、「信念」ということについてだった。
お気付きの方もおられるかもしれないが、最近、この半年くらい、「信念」ということについて、一度も、書いてない。
その理由について、特別、心掛けて、自分の心の内を観察してとしたわけではないが、先日、天風先生の「心に成功の炎を」という本を読んでいて、
自分が、以前ほど、「信念」ということについて、興味がなくなったのは、次のよう理由によるものではないか、ということに気が付いた。
次は、「心に成功の炎を」という本から抜粋である。
「いやあ、自分がだいぶよくなったと思ったときは、まだ本当によくなっちゃいないんだよ。本当によくなっちまえば、おれもできてきたなあなんて思いやしませんよ。そんな自惚れなんか考えないんだ。」
ここで、天風先生は、特に「信念」ということに限って、言っているわけではないが、「信念」ということに言うなら、次のように言えるのではないかと思う。
つまり、「いやあ、俺も、だいぶ信念が強くなってきたなあ」と思う時は、そんなに「信念」が強くなっていない時、なのだよ、と。
ところで天風先生は、「信念」ということについて、「成功の炎を」という本の中で、次のように言っている。
「その信念とは何だというと、毎晩、寝際に鏡に向かって、『お前は信念が強くなる』と言っていると自然とわかるんだよ。信念とはこんなもんだよと、言って、見せられない。およそ何が難しいかといって、『信念ってなんですか』と聞かれると一番むつかしいわ。
それは毎晩毎晩、自己暗示を与えているうちに、『あ、これか』ということがわかってくるよ、言わず語らず。だから、それができて、はじめて私が今言っていることがわかるんで、『ああ、私は信念がでてきたな』ということが直感的にわからないと、今の言葉も皆目わからないんです。
とにかく、自分の人生を、信念というもので支配することのできる人、そういう人は、やたら悲しいとか悩ましいとか、というものを感じなくなるんです。価値のない悲しみや悩みを感じなくなる。」
敢えて、ここで、私が、天風先生に代わって、「信念」ということについて、説明しようとすれば、
つまり、上の文章の後半部分、「自分の人生を、信念というもので支配することのできる人、そういう人は、やたら悲しいとか悩ましいとか、というものを感じなくなるんです。価値のない悲しみや悩みを感じなくなる。」ということに、なるのではないかと、思う。
要は、信念が強くなると、人事世事であっても、運命であっても、健康問題であっても、殆ど、心配事というものがなくなるんだよ。
そして、怒りとか、怖れとか、悲しみとか、いった感情が出ることはあっても、それに捉われなくなるんだよ、つまり、執着しなくなるんだよ。
今、ロンドンオリッンピックが、盛んにテレビなどで報道されているが、あれを、見ていて、ハラハラ、ドキドキして見ているうちは、信念が強くなったとは、言えませんぜ。
私は、最近、「信念」ということについて、殆ど、関心も、興味もなくなった。
天風先生が、「いやあ、俺もだいぶ信念が強くなってきたなあ、と思っている時は、そんなに信念が、強くなっていないとき、なのだよ、」と言っておられるところからすると、
現在、私が、「信念」ということについて、関心も、興味もなくなっているということは、そういうことなのかなあ、などと思ったりする。
信念がなくて、困っているから、つまり、「信念」が必要だから、「信念」について思うんだよ。
何だって、それが手元にあったら、ことさら、欲しいなんて、思わないもの。
|
中村 天風
[ リスト | 詳細 ]
|
「運命を拓く」という本を読むと、「天風教義というのは、第一義的な活きたかたを教えるのが、その目的である」と書いてある。
第一義的な活き方というのは、「人間本来の正しい活き方」と言い換えても良いだろう。
つまり、普通私達は、「活きる目的」とか「人生いかに活きるか」などと言うが、その人間としての、本当の活き方を教えることが、天風教義の目的である、と言っているのだ。
さて、皆さん、「運命を拓く」という本の中に、次のような下りがあるが、どちらが、天風先生のいう、第一義的な活き方だと思いますか?そしてその理由は何だと、思いますか?
天風会に入って、3~4年たつ人が、先生にお礼を言う時。
「ありがとうございます。何も知らずに生きておりましたが、ご縁がありまして、先生のお弟子になって、色々と尊いことを教えていただいたお陰で、この頃は、弱かった体も、すっかり丈夫になりまして、そうして、家中が皆丈夫になり、商売も繁盛いたしまして、もう、なんという恵まれた幸せかと思って、本当に、明けても暮れても、先生に手を合わせて拝んでいるような始末でございます。ありがとうございました。」
と言われるのと、
「この頃はもう、先生のお話を聞いてから、どんな苦しいことがあっても、憂いことがあっても、それに負けなくなりました。そりゃ、まあ、時には病の出ることもあります。けれども、今までとは違います。病があれば、ああ、ありがたいなあ、自分の活き方が悪かったから、神様がそれを教えるために与えて下されたお慈悲だと、いつも先生がおっしゃっていらっしゃいましたが、私もそう思うようになりました。心が全然昔と違ってきまして、この頃では、憂いこと、苦しいこと、こっちから引き受けてする気が出てきているんです。ありがとうございます。」
天風先生は、上のようなお礼の言われかたをすると、「この人、一体、どんな聞き方をしていたんだろう」と思う、と言っている。
つまり、ガッカリ、失望する、と言っているのである。
反対に、下のようなお礼を言われると、「こういう言われかたをすると、その人を抱き締めたいような気持ちになる」と言っているが、
さて、どうしてなのでしょうか?
私自身、これまで、ここを読むたびに、上と、下と、どう違うのだろう?
上の人のような言い方でも、間違いではないのじゃないか、などと思っていました。
なぜ天風先生が、「ガッカリ、失望する」のかというと、上の人は、まだ、心が積極的になっていないから、つまり、心が強くなっていないから、そういう言い方をするのだし、
反対に、心が、積極的になって、強くなっていれば、下のような考え方、従って、言い方ができるようになるのである。
とわかったのは、つい最近のことである。
さて、天風先生は第一義的な活き方について次のように言っている。
「天風教義の目的は、どんな場合にも、たとえば身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが悪かろうが、その他の人生事情の如何にかかわらず、いつも一切に対して、その心の力で、苦を楽しむ境涯に活きる活き方をすることにある。これが第一義的な活き方なのである。」と。
また、天風先生は、「天風教義は、第一義的活き方を教えるのが目的」という時、よく「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」という句を使うが、こういう心境になることを第一義的な活き方と言うのである。
そういう活き方をするには、どうしたらよいか?天風先生は次のように言う。
「それには、何をおいてもまず第一に、人生に対する考え方を根本的に変えなければいけない、その根本的に変える考え方というのが、積極的だということ」
心を積極的な考え方に切り替える方法が、観念要素の更改法であり、積極観念の集中力養成法であり、神経反射の調節法などと言った、いわゆる心身統一法の諸教義なのである。
そして、さらに、第一義的な活き方をするための、もう一つの大切な方法が、安定打坐密法なのである。
なぜなら、天風先生言われる如く「たとえば身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが悪かろうが、その他の人生事情の如何にかかわらず、いつも一切に対して、その心の力で、苦を楽しむ境涯に活きる活き方」をするためには、第一に、瞬時に心を切り替えらられなければならないからである。
つまり、「身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが悪かろうが、運命が良かろうが悪かろうが、苦をも楽しむ活き方」ができるようになるためには、すばやい心機の転換を必要とするのである。
だから、「運命を拓く」の中で天風先生は、次のように言うのである。
「眼を開き安定打坐!理想的な安定打坐というものは、眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に、身耳を澄まし、空の声を聞けば、安定打坐になれるのである。
眼を閉じて、印を組んで、座らなければ、出来ないと思ったら大間違いなのだ。何をしている時でも、どんな仕事をしている時でも、なれるのでなければならない。もう刹那咄嗟に出来なければならない。(坐禅は)その予行練習をしているはずだからだ。」
つまり、先生の教える安定打坐というのは、日常生活の中で、即ち、仕事をしながらでも、瞬間的に心を切り替える(心機の転換)ことができるようになるための、予行練習をしているようなものだ、というのである。
第一義的活き方、つまり、「身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが悪かろうが、運命が良かろうが悪かろうが、苦をも楽しむ活き方」ができるようになるためには、安定打坐によって、瞬時に心を切り替えられるようにならなければならないのだ。
従って、逆に言えば、第一義的活き方ができるようになるには、心を瞬間的に切り替えることが出来るようにならなければ、そういう活き方はできない、ということになる。
だから、天風先生は、「運命を拓く」の中で、こう言うのだ。
「急行列車の中で、窓に写るいろんな景色を、フーッ、フーッと雲煙過眼する気持ちが、とらわれのない、執着解脱の心境なのである。
眼、これを見るといえどもこれをとらえず、耳、これを聞くといえどもこれにとらわれず、いわゆる不離不即、要らないことは、耳から入ってこようと、眼に触れようと、あるいは感覚に感じようと、つかず、はなれず、でなければならない。
ところが、あなた方は見るもの、聞くもの、触れるもの、皆、自分の人生に交渉を持つようにするからいけないのだ。出来ている人と、出来ていない人の相違は、ただこれだけの違いなのである。要らないことは、全然、心をおびやかされたり、関係させたりしないことである」
くどいようだが、こういうことが出来るようになって初めて、「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」の心境というのである。
ホームページアドレスが、下記のように、変更になりました。
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
遠隔治療無料体験のお知らせ
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
施療時間については、双方の都合を調整の上、実施させて頂きます。
遠隔を受ける際の要領は、上記ホームページ中の、「電話による遠隔治療要領」にありますので、事前に、一読の上、無料体験をお受け下さい。
ただし、場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
|
瞑想をしていると、色々な精神的風景に出会う。
天風先生は、信念について、「信念とはなんですか?」と訊かれて、これほど答えにくいものはない、と言っている。
私は、毎朝、1時間半ほど、瞑想することを日課としているが、
今朝、その約3分の2、つまり、約1時間くらいの間、温かくて、穏やかで、心地よい気持ちが、持続した。
腹の底から、そのような感情が、湧き上がるようにして出て来て、心を満たしてくれるのである。
その時、瞑想中に、「これが信念というものかもしれない」と、そう思ったのである。
つまり、「信念とはなんですか?」と訊かれたら、自分なら、「温かで、穏やかで、心地よい気持ち」と答えることができるかもしれない、と思ったのである。
ところで、天風先生は、「信念の誦句」といって、私たちに、次のような言葉を与えてくれている。
信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。
したがって、信念なき人生は、ちょうど長途の更改のできないボロ船のようなものである。
かるがゆえに、私は真理に対してはいつも純真な気持ちで信じよう。
否、信ずることに努力しよう。
もしも疑うているような心持が少しでもあるならば、それは私の人生を汚そうとする悪魔が、魔の手を延ばして、私の人生の土台石を盗もうとしているのだと、気をつけよう。
私は、長いこと、なぜ、天風先生が「信念は、人生を動かす羅針盤のようなものだ」と言っているか、その真意がよくわからなかった。
それはその後に続く、「私は真理に対してはいつも純真な気持ちで信じよう」という言葉に大いに関係してくるのだが、
その意味は、ただ真理を理解したり、知っているというだけでは、実際の生活において、いざという時に、役に立たない。
知っている真理が、信念となって初めて、つまり、知識に信念がくっついて初めて、実際の生活の中で役立つものとなる。
だから、「私は真理に対してはいつも純真な気持ちで信じよう」と言っているのは、知識として持っている真理を、信念となるまで、唱え続けよう(だから、誦句なのである)という意味なのである。
ということは、毎日、夜寝る前、その真理を唱え続けてさえいれば、真理が、信念になる、ということである。これ観念要素の更改法、という。
ということを、最近になって知った。
私は、毎晩、床に入る前、「私は、力だ、力の結晶だ、何者にも打ち克つ力の結晶だ、だから、何者にも負けないのだ、病にも、運命にも、否、あらゆる全てのものに打ち克つ、力の結晶だ」と一言、言って眠りに入る。
それは、この真理を、信念にまで高めたいから、つまり、信念にして、実際の生活に役立つものに、したいからそうするのである。
天風先生は、「運命を拓く」という本の中で、「生まれてくるとき、誰も、産んだ親の顔を見て出て来てない。ただ、自分の観念の中で、これは自分の親だと思うから、親と考えているだけだ。それが信念である。」とか、
或いは、「夜寝る時、起きられないだろうとは思わないから寝るのだ。そうやって眼をつぶっていても、また開けようと思えば開けられるから眼をつぶるのであって、絶対に開かないと思ったら、眼をつぶりはしない。」とか言っている。
つまり、夜寝る時、「翌朝、必ず、朝、起きられると思う」という信念があるから、夜目をつぶって、寝るのだ、と言っている。
ということは、「これが自分の親」という信念とか、夜寝る時「翌朝必ず、眼がさめる」という信念とか、色々な信念がある、ということになる。
長い間、「信念」と称される、唯一無二のものがあるのか、或いは、このように、○○に対する信念、と称される具体的で無数の信念というものがあって、そのことを指して「信念」といっているのかよくわからなかった。
唯一無二にして、霊性意識の中から出てくる「信念」と言うものがあって、日常、現実の世界で行なわれる言動にその信念がくっ付いて、具体的で、個々の○○に対する信念というものが出来上がるのだ、ということがわかったのは、つい、最近のことである。
自分の責任を、他に転嫁するつもりはないが、天風先生も、人が悪い。
こういう説き方をしていないから、つまり、唯一無二の「信念」と、個々の具体的な○○に対する「信念」とがある、と説明してないから、私が迷ったのだ。
今朝の瞑想の体験もあって、今は、霊性意識から発現してくる、唯一無二の「信念」というものがあって、それが、現実の言動とくっ付いて、個々の○○信念というものが、出来上がると、確信を以って、そう言うことができる。
だから、これからは、「信念とは何ですか?」と訊かれたら、私は、「信念とは、温かで、穏やかで、心地よい気持ち」、と答えることになるだろう。
ホームページアドレスが、下記のように、変更になりました。
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
遠隔治療無料体験のお知らせ
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
施療時間については、双方の都合を調整の上、実施させて頂きます。
遠隔を受ける際の要領は、上記ホームページ中の、「電話による遠隔治療要領」にありますので、事前に、一読の上、無料体験をお受け下さい。
ただし、場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
|
プラス思考といえば、悲しいこと、つらいことがあっても、やたら、はしゃいだり、楽天的に考えることが、そうであるように考え違いしている人がいる。
何か悲しいことがあったり、イヤなことがあったりしても、そう思っただけで、簡単に、そういうものがなくなるんだったら、プラス思考、などという言葉も生まれてこなかったはずだ。
どんなに思うまい考えまいとしたところで、悲しいこと、怖ろしいこと、腹の立つことは、生きている以上、どんな人にでもあるんだよ。
天風先生も、「心に成功の炎を」という本で、「人間というものは、いかに自覚が進み、悟りが開けても、人生の苦悩と称するものと縁を切ることはできない。」と次のように言っている。
「しかし、(マイナス思考と)縁を切ることはできないが、凡人凡愚と、自覚の進んでいる真人との違いは、凡人が苦しみ、悩みに血みどろになってのた打ち回っている時、自覚のできた人は、その苦悩をもっとよりよく魂の糧として、どんどんいいことに振り替えていく。だからやたらに失望したり落胆したりしない。
だから、今度、落胆するようなことがあったら、「よおし今度こそこの失望、落胆を俺の糧として(人間的成長の糧として)、この困難を乗り切っていくぞ」と、勇気をださなきゃ‥‥といつも言うだろう。勇気はつねに勝利をもたらし、恐怖は常に敗北を生むと。」
と言っていることからすると、少なくても、先生は、プラス思考ということを、何か不幸やイヤなことがあっても、そういうことを思わないように、無理に、はしゃいだり、明るく振舞うこととは、考えてなかったようである。
考えないように、思わないようにと、自分の気持ちを誤魔化そうとしても、生きている以上そういうことはできない、と言っているのだ。
できないから、
考えない、思わないように努力するのではなく、思っても、それを「よし、この困難を自分の人間的成長の糧にして、人間的な成長を遂げてみせるぞ」と心を切り替えるのが、プラス思考だと言っている。
こんな風に、心の切り替えができるようになれば、どんな不幸も、どんな困難も、そしてどんなストレスも、全て、自分にとって悪いことではなくなるから、人生の苦悩というのも、全て、なくなる。
だから、天風先生は、プラス思考、つまり、「積極的」という時、いつも、熊沢蕃山の次の言葉を、持ち出してくるのだ。
「憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん」
この歌だって、実際に、憂いことあったから、そう言うのだし、そういう憂い心を、積極的な心に切り替えようと思って、そう言っているのだろ。
ホームページアドレスが、下記のように、変更になりました。
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
遠隔治療無料体験のお知らせ
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
施療時間については、双方の都合を調整の上、実施させて頂きます。
遠隔を受ける際の要領は、上記ホームページ中の、「電話による遠隔治療要領」にありますので、事前に、一読の上、無料体験をお受け下さい。
ただし、場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
|
天風先生の心身統一法の教えというものは、言葉を変えていれば、信念を強くする方法、と言っても過言でないのです。
しかし、その先生が、「信念て、なんですか?」と訊かれると答えられない、と言っている。
なぜ、答えられないかと言うと、この信念と言うもの、自分で感じる以外、分かる方法が他にないからである。
だから、天風先生は「心に成功の炎を」という本の中で次のように言っています。
「人間と信念というものの関係は、ちょうどお魚と水のようなものなんだ。魚は水なくしては生きられない。それと同様に、人間は信念なくしては一日といえども生きていかれない。
その信念とは何だというと、毎晩、毎晩、寝際に鏡に向かって、『お前は信念が強くなる』と言っていると自然とわかるんだよ。
信念とはこんなもんだよと、と見せられない。およそ何がむつかしいかといって、『信念てなんですか?』と聞かれると一番むつかしいわ。それは、毎晩毎晩、自己暗示を与えているうちに、「あ、これか」ということがわかってくるよ、言わず語らず。だから、それができてきて、はじめて私が今言っていることがわかるんで、「ああ、私は信念がでてきた」ということが直感的にわからないと、今の言葉も皆目わからないんです。
とにかく、自分の人生を、信念というもので支配することが出来る人、そういう人は、やたらと悲しいとか悩ましいとかいうものを感じなくなるんです。価値のない悲しみや悩みを感じない。」
ここで、天風先生は、「ああ、私は信念がでてきた」と直感的に感じないと、自分の言っていることもわからない、と言いつつ、こうも言っているんです。
信念が強くなった人は、「そういう人は、やたらと悲しいとか悩ましいとかいうものを感じなくなるんです。価値のない悲しみや悩みを感じない。」と。
ここに信念の強弱を測るバロメーターがあるんです。
つまり、自分が信念が強いか、弱いかを測るバロメーターは、特に、何か身辺にトラブルが起きた時、「悲しいとか、悩ましい」とか、感じるかどうかなんです。
言い換えると、「悲しいとか、悩ましい」とか感じる程度に比例して、信念が強いかどうかかが、分かるのです。
だから、身辺に何かトラブルが起きた時、やたら、「悲しいとか、悩ましい」とか感じなくなったら、信念が強くなった、と思っていいのです。
「悲しいとか、悩ましい」とか考えないことに加えて、信念が強くなったたら、物事を、弱い方や、悪い方から考えなくなるのではないかと、思う。
以前は、何かトラブルが起きた時、常に、失敗しやしないかとか、負けるんじゃないかとか、もっと悪くなるんじゃないかとか、弱い方、悪い方からばかり、その事を考えていたのが、
最近、そういうことを、殆ど思わなくなっている。
私は、夜寝る前、布団に入る前に、必ず、鏡の中の自分に向かって、「お前は、信念が強くなる」といって寝る。
過去、14年間、こういうことを、一度も欠かしたことがない。
ホームページアドレスが、下記のように、変更になりました。
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
遠隔治療無料体験のお知らせ
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
施療時間については、双方の都合を調整の上、実施させて頂きます。
遠隔を受ける際の要領は、上記ホームページ中の、「電話による遠隔治療要領」にありますので、事前に、一読の上、無料体験をお受け下さい。
ただし、場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|


