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天風先生は、「運命を拓く」という本の、第九章(第一義的な活き方)の中で、天風教義の目的は、第一義的な活き方を教えることだ、と言っている。
「第一義的な活き方」と言われても、そもそも、私たちには、「第一義」という言葉の持つ意味があまり、ピンとこない。使い慣れていないせいだろう。
そう思って、ウェブをひくと、「第一義」という言葉の解釈にも、色々あって、迷うが、結局、「最も大切で、根本的な」という意味だろうと思う。
天風先生は、「第一義的な活き方」について、「どんな場合にも、たとえば身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが、悪かろうが、その他の人生事情のいかんにかかわらず、いつも一切に対して、その心の力で苦を楽しむの境涯に活きる活き方をすることにある。」と言っている。
又、天風先生は、これと同じことを、「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」とも言っていますが、
第一義的な活き方というものを「一切を、その心の力で苦をも楽しむ」と言われても、また、その心境を「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」と言われても、具体的には、何を意味するのかよくわからないだろうと思う。
このことを、天風先生は、次のように説明している。
「急行列車の中で、窓に写るいろんな景色を、フーッ、フーッと雲煙過眼する気持ちが、とらわれのない、執着解脱の心境なのである」と。
同じことを、天風先生は「運命を拓く」第六章(人生と運命)の中で次のように言っている。
「今は会社の立派な社長になっている人が、入会して間もない学生時代に、『一日も早く先生のように成りたいです』というから、『成れるとも、わけないよ。一生懸命に心を積極的にして人生を活きなさい』と言うと、『ああやっているうちに先生のように成れますか』『ああ、なれるとも』『そうですか、先生のように何も感じないように……』というから、『ちょいと待ってくれよ。先生のようになれますかというから、なれるよ、と言ったが、今のお前の言葉は気に入らないねえ。何も感じなくなるという言葉、それは何かね』と言うと、『いやあ、怒ることがあっても怒らない。悲しいことがあっても悲しまない。つまり喜怒哀楽の情を、先生はご自分の心が少しも感じられないのでしょう。』と言うから、『冗談言っちゃいけない。俺はお前と同じ人間だぜ。裸にしてみれば臍は一つしかない。痛い時は痛い。悲しい時は悲しい。腹の立つときは腹が立つよ』と言ったら、『でも一遍もそういう風に見えません』というから、『おれはそれにこだわらないからだ。走る列車の中で、窓外の景色を見ているのと同じで、列車がフルスピードで走っている時に、外の景色は気にしてはいないじゃないか。外の景色があると思っても眼に止まっただけで、スーッと行き過ぎてしまうじゃないか。それと同じようにするんだ。
腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまえばいいんだ。心を積極的にすることを心がけて、自分の心を汚さないようにするには、気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか。それをお前は、怒ったり、悲しんだり、痛いとか、憂いとかいう場合、それを感じると同時に、握ったら放さない。感じるなというのではないのだ』と。
「第一義的な活き方」というのが、
「走る列車の中で、窓外の景色を見ているのと同じで、列車がフルスピードで走っている時に、外の景色は気にしてはいないじゃないか。外の景色があると思っても眼に止まっただけで、スーッと行き過ぎてしまうじゃないか。それと同じようにするんだ。」と言われても、
どうしたらそういう心境になれるか、わからない。
天風先生は、心をを積極的にすれば、そうなれる、と言っているが、
「心を積極的にすればなれる」と言われても、なぜ、心を積極的に知ればそういうことができるようになるのか、
つまり、腹の立つことがあった時、悲しいことがあったとき、恐怖の感情が湧いて来た時、どうしたら、それを、打消し、心を、積極的な明るい方面に、切り替えることができるのか、その具体的な方法がわからない。
でも、天風先生は、「運命を拓く」九章(第一義的な活き方)の中で、次のように、ちゃんと、その方法を教えてくれているんです。
「眼を開き安定打座!理想的な安定打座というのは、眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に、心耳を澄まし、空の声を聞けば、安定打座になれるのである。
眼を閉じて、印を組んで、座らなければ、出来ないと思ったら大間違いなのだ。何をしているときでも、どんな仕事をしているときでも、なれるのでなければならない。
その予行演習をしているはずだからだ。そのために、静かに座禅を組み練習しているのだから。だがしかし、坐禅の本来の目的は、常住坐臥、人生を生活している刹那刹那に必要とするものなのだ。」
こうやって、ちゃんと天風先生は教えてくれているのに、わからないのは、それは、「心耳を澄まし、空の声を聞けば、安定打座になれる」という所がわからないからである。
「空の声」を聞き「安定打座になる」というのは、つまり、「空の声」を聞いたら、「無念無想」になれるという意味である。
たとえ、怒り、悲しみ、怖れといったマイナス感情が、心に湧いて来たとしても、「空の声」を聞いた途端、瞬時に無念無想になれるのであれば、つまり、そういった消極的な感情だ出て来ても、瞬間にそれを打ち消してしまうことができる、ということである。
打ち消した後で、心を積極的な方向へ切り替えればいいわけである。
といことは又、打ち消すことができないから、積極的な方向へ心を切り替えることも出ない、ということになる。
「空の声」を聞くということは、つまり、「空の世界」と繋がることを意味し、その「空の世界」には、「気」しか存在しないから、「空の世界」と繋がった途端、「空の世界」から人間の命の中へ、「気」が流れ込んで来て、それまであった怒り、怖れ、悲しみ、といった消極的な感情を排除してくれるから、直ぐに、無念無想になれるのである。
空の世界と繋がるということは、言い換えれば、人間の命と、神の世界とが結びつくことであるから、天風先生は、「神人冥合」とも言うのである。
天風教義の目的が、「第一義的な活き方」を教えることであり、その「第一義的な活き方」というのが、「どんな場合にも、たとえば身に病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが、悪かろうが、その他の人生事情のいかんにかかわらず、いつも一切に対して、その心の力で苦を楽しむの境涯に活きる活き方をすることにある。」であるとし、
そして、そうなる為には、「列車がフルスピードで走っている時、窓外の景色を見ているように」のように、「腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまう」ことであり、
「腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまう」方法が、安定打座をして、「空の声」を聞けば、そうなるのなら、
安定打座をして、「空の声」が聞こえるようにならなければ、詰まる所、結局「第一義的な活き方」もできない、ということになってしまう。
それに、一言付け加えるなら、観念要素の更改法や積極観念の養成法、神経反射の調節法といった、心身統一法の各種の方法を実行して、心が積極的にならなければ、いくら安定打座を長くやっても、「空の声」は聞こえてこないのである。
いずれにしても、安定打座によって、「空の声」が聞こえるようにならなければ、「第一義的な活き方」へ、その第一歩も踏み出せない、ということにもなる。
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中村 天風
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天風先生は、「盛大な人生」という本の中で、盛んに「空の声」について話しているが、このことについて、現在の天風会の幹部の中にさえ、質問して、まともに答えられる人はまず、いないと思う。
なぜなら、「気」がわからないと、「空の声」と言ったって、わかりっこないんだよ。
だから、「空の声」のことがわかっている人は、当然、「気」についてもわかっているはずだから、「気」について質問しても、ちゃんと答えてくれる筈なんだよ。
私は、天風会に入会して、半年経った頃には、瞑想の時、頭のてっぺん、いわゆる頭頂という所に、「気」が渦を巻きながら入って来るのを感じた。
と同時に、頭の中、つまり、頭がい骨の中の、耳の辺りに、「シーン」と「ジーン」ちょうど中間のような音が、聞こえ始めた。
その音は、聞こえるというよりも、むしろ、響くといった表現の方が適当と思われる。
「気」が私の頭の中に、渦を巻いて入って来て、「シーン」と「ジーン」との中間のような音が聞こえた刹那、私は、「アッ!これが天風先生がいうところの、空の声(天の声ともいう)だ!」と思ったのです。
その時から、既に、十数年にもなるが、その音は、時が経つに従って、小さくなるどころか、ますます、大きく、盛んに響くようになった。
こうして、今、パソコンのキーをたたいている時でも、うるさいほど、盛んに聞こえてくる。
だから、「空の声」についても、ますます、確信を深めつつある。
この音、つまり、「空の声」というのは、自分の霊魂と、外部の私たちを遍満なく取り巻いている「空の世界」と繋がった時に聞こえてくる音なんだよ。
おそらく、天風先生も、「空の世界」と繋がった時聞こえて来た音だから、「空の声」と名ずけたのだろう。
さっき私が、「空の声」がなんだかわかっている人は、「気」についてわかっているはず、と言ったのは、
霊魂(本当の自分)と、「空の世界」が繋がった途端、空の世界から、「気」が流れ入って来て、その気が流れ入った時に聞こえるのが、「空の声」と言うんだよ。
天風先生の奔馬性結核が治ったのも、「気」が充満している(気しか存在しない)「空の世界」から、「気」が流れ入ってきたから、治ったんだよ。
皆さんも、「気」が空の世界から流れ入ってくるようになり、「空の声」が聞こえるようになると、どんなに難しい病気だって、たちまち、治るんだよ。
先生の本を読めば、至る所で、私が、今言っているようなことが頻繁に出てくるのに、現在の天風会の指導者の中に、「気」についてまともに答えられる人が、一人もがいないというのはどういうことだろうと、まこと、不思議に思えてならない。
天風会さんは、「気」についてわからないで、一体、天風の何を教えているんだろう、と思う。
直接、私のサイ気療を受けている人は勿論、遠隔治療を受けている人でさえ、私の回りにいる人は、この「空の声」が聞こえている人は沢山いるだろう、と思う。
そういうもんなんだよ、その人が「気」について別に教えようと思わなくても、「気」がわかっている人の傍に行ったら、その人「気」の力の影響を受けて、本人の中の「気」が(霊魂と言ってもいいが)動き出すんだよ。
動き出せば、当然、「空の世界」繋がって、「空の声」が聞こえ始めるんだよ。
天風先生存命中は、天風会の中にも、天風先生の「気」の影響を受けて、「気」がわかっている人が沢山いただろうと思うが、
今の天風会に、「気」を語れる人が、一人もいないというのは、天風先生が亡くなって、他の人に「気」の影響を与えられるような人が、いなくなったせいだろうか。
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ブログで天風先生のことを書いていると、私のことを、天風会の会員か、或は、天風会ことを宣伝する、回し者か何かのように勘違いして電話して来る、迷惑な人達がいる。
結論的に言うと、私は、天風先生を尊敬し、天風先生のようになりたいと願う、天風教の信奉者ではあっても、現在、組織としての天風会とは、全く、何の、関係もありません。
関係がないと言っても、かつて、2〜3年天風会鎌倉支部に属して、活動をしていたので、天風会の出身者、卒業生、という意味なら、関係がないとも言えない。
さて、私は、天風会に入会してから、6ケ月経った頃には、もう既に、頭頂から「気」が流れ入ってくるのを感じ、
そして、瞑想中に、体が、前後左右或いは、上下に大きく揺れ動き、額(印堂)という所に脈動感というか、強い圧迫感とでもいったようなものを、感じることができていました。
これが、「気」の仕業だろう、くらいのことは、直観的に感じることができていたから、入会当初から、私の主な関心事は、このこと、つまり「気」にあったと言っても過言ではありません。
自分の身体に、大きな異変が起きていることだし、天風先生の本を読んでも、「気」に関する話は、至る所に出てくるから、講習会でも、必然、「気」に関する質問にならざるを得ませんでした。
ところが、講習会の指導者に「気」について、質問すると、必ずと言っていいほど、嫌な顔して、まともに返事をしてくれませんでした。
ある時、本部から講師として派遣された、何十年も天風会で修業を行って来たといわれる、古参の幹部(理事)に、頭頂に感じる「気」のことや、瞑想中、体が動くことなど話して、そのわけを訊いたら、
「貴方、病気じゃないですか、一度病院に行って調べてもらいなさい」と、まるで精神病者のようなことを、言われたたりしたこともありました。
それでも、自分が病気だとは思わないし、本などで調べれば調べるほど、わが身に起きている現象が、「気」の仕業であることに、ますます、確信を持てたので、
その後も、機会がある度に、講習会で、「気」についてのことを話題にしようとすると、その度に、嫌な顔をされ、ますます、私は、孤立感と、疎外感を感じるようになりました。
そんなこんなで、別に、天風会と、ケンカ別れしたわけではありませんが、「気」のわからない指導者の下に、これ以上いる必要はないし、その価値もないと感じるようになりました。
これが、結局、私が、天風に別れを告げる、キッカケになりました。
今でも、そういった状況は変わらないと思いますが、どうして「気」のわからない人が、天風先生の統一法の指導ができるのだろうか、と不思議に思えてなりません。
天風先生の本を読んだ人は、直ぐにわかると思いますが、天風先生の心身統一法というのは、人間の命を含めて、この宇宙の森羅万象というものは、「気」によってできている、という思想・哲学がその根本を成しています。
ということは、天風先生の教えというものは、「気」がわからなければ、その本質は、何もわからない、ということができると思います。
言い換えるなら、「気」が、わからなければ、心身統一というものは、わからない、と言ってもいいと思います。
伝え聞くところによると、現在でも、天風会では、「気」について、具体的には、何も言わない、教えない、ということです。
思いたくないのですが、天風先生の教えの根本でともいうべき、「気」というものがわからない人達が、天風教義を教えているとは、とても、考えられないことです。
そういった人達は、「気」はわからなくても、天風先生が教えた心身統一法の手順と方法さえ教えれば、それで事足れ、とでも、思っているのでしょうか。
天風先生の心身統一法の目的は、「本当の自分」(いわゆる真我)というものがわかって、正しい人生観を確立し、延いては、人生を安心立命の境地で生きることだと思います。
しかし、「本当の自分」というものを自覚するためには、結局「気」がわからなければ、わかることは絶対にありません。
それは、天風先生の安定打座密法というものが、瞑想によって、神人冥合を目的としていることからも、よくわかることです。
安定打座して、神人冥合して、無念無想の状態にならなければ、「本当の自分」というものはわからないのですが、
神人冥合というのは、つまり、「本当の自分」と、「気」が充満した、或いは、「気」しか存在しない「空の世界」と繋がることを、そう言うのです。
だから、神人冥合ということは、つまり、「気」がわかることだとも、言えるのです。
私には、「気」がわからない人が、つまり、神人冥合さえわからない人が、「本当の自分」というものをわかって、安心立命して生きているとは、とても思えないのです。
又、そういった人達が、天風先生の心身統一法を教えているとは、決して、思いたくないのです。
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天風会では、朝晩、つまり、夜寝る直前、そして、寝床から起きた直度、誦句を唱えることが、毎日の生活の中で行われる、きわめて重要な行事の一つとされている。
一言で天風誦句と言っても、一つや二つではなく、正しく数えれば、その数、二十や三十、いや、もっとあるかもしれない。
とすれば、一晩に一つ唱えたとしても、全部唱えるには、一ケ月以上もかかることになる。
数ある誦句の中で、私は、ここ数年間は、ただ一つ、次の「力の誦句」のみを唱えて、寝床に入ることにしている。
力の誦句
「私は、力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。そうだ!強い、強い、力の結晶だ。」
だから、私にとっては、この「力の誦句」こそ、最も大切な誦句と言うことができる。
従って、人に訊かれた時、必ず、この誦句を挙げて、勧めることにしている。
もっとも、その時、「お前は信念が強くなる」という自己暗示も、併せて、鏡に向かって、やっている。
だから、「最も大切な誦句を一つ」と言われれば、正確には、一つではなく、「信念の誦句」の誦句と、自己暗示「お前は信念が強くなる」という二つ、ということになる。
この教えが、最も大切な教えだからこそ、「運命を拓く」という本の中でも、本のトップ、第一章に、これを置いたのだと、私は理解している。
もっとも、本などで、天風先生の説教のやりかたを見ていると、先ず、結論を先に言って、次に、どうしてそのような結論に至ったかを説く、というのが常とう手段のようだから、この時も、その論法に従った、と見られなくもない。
とにかく、この第一章、「生命の力」の章で、天風先生の心身統一法の結論、或いは、目的とも、目されるべきものを、次のように言っている。
「そもそも生きているという不思議な命の力は、肉体にあるのではなく、霊魂という気の中に霊妙な働きを行う力があり、それはあたかも回っている扇風機にそれを回す力があるのではなく、電気がこれを回しているのと同様である。この例でも人間の命の力を正しく理解できるはずだが、肉体それ自体に活きる力があるように思うところに、大変な間違いがある。」
「『人間の生命に与えられた活きる力というものは、肉体に在るのではなく、霊魂という気の中にある』ということを、正しく、はっきりと理解する必要がある。これが最も正当な自己認証である。ところが、この自己認証が確立していないために、くしゃみ一つしても、せき一つしても神経を過敏にしてしまう。心が肉体に消極的に注がれると、肉体の生きる力(気)の受け入れ態勢が妨げられ、本来の強さを発揮することができない」
「命の力を豊富に受け入れられる活き方とは、いかなる場合にも心の態度を積極的に保つことであって、どんな場合にも最高度に引き上げられた自己認証をゆるがせにしないことである。」
「わかりやすく言えば、どんな場合にも、人間というものの生命は、一切の生命をしのいでいる力の結晶だ、と正しく思いこんでしまうことである。そしてこれを、いかなる場合にも、心にしっかりと堅持することである。」
これが、心身統一法を勉強する人の到達すべき究極の姿、つまり心身統一法の目的でなくて、何であろうか?
とは言っても、最も大切なものは、最も難しい。
何を隠そう、実は、この私も、つい最近まで、「私は力だ、力の結晶だ」と正しく思い込めなくて、困っていたのだ。
つまり、「人間の生命に与えられた活きる力というものは、肉体に在るのではなく、霊魂という気の中にある」ということを、正しく、はっきりと理解できなくて、困っていたのだ。
なぜ、そう思えなかったと言うと、一言で言うなら、「本当の自分」とは、「霊魂」と言われる気体である、と言うことが、わからなかったからである。
最近、瞑想をする度に感じるのは、自分の肉体の中に、ますますその存在感を増している、気の組織(天風先生はこのことを霊魂と称しているようだ)のことである。
「存在感を増す」というより、「俺こそ主人公だ」とばかり現れて来て、いずれその内、常日頃、意識するのは、肉体に代わって、この「気の組織」になるのではないかと、思わせるほどである。
このように、本当の自分とは、霊魂という気体である、ということがわかって初めて、自分は、この世を造った宇宙霊とか、宇宙大霊と繋がっていることを実感として、わかるようになるのではないだろうか。
又、「生きているという不思議な命の力は、肉体にあるのではなく、霊魂という気の中に霊妙な働きを行う力がある」ということもわかるようになるのである。
そうして初めて、天風先生が言うところの、つまり、
「『心とは何か』ということを考えてみよう。心というものは、人間の生命の本質である絶対に目に見えない霊魂という気の働きに対する名称である。気の働きがない限り心という現象は生じてこない。」
「そして心の行う思考は、すべて個人の命の原動力となっている霊魂を通じて、その本源たる宇宙霊に通じている。しかもこの宇宙霊は一切の万物を創造するエネルギーの本源である。」
「この絶対関係を揺るぎないものにすれば、宇宙エネルギーの受け入れ分量が多くなり、人間は生命の強さを自由に獲得することができる。」
「この偉大な事実が正確に悟れると、人間自体の生命の力の認証を最高度に引き上げた考え方を心に堅持することができるようになる。」
ということも、よくわかるようになるのである。
つまり、このことを逆に言うならば、「本当の自分とは」心でもなく、肉体でもなく、霊魂と言われる気体であるということを実感できないうちは、
この世を造った宇宙大霊(つまり宇宙霊)と自分の霊魂とが繋がっていることもわからないし、わからなければ、根本的に私たちの命を生かしている、宇宙エネルギー(気)の分量を豊富に受け入れる方法もわからない、ということになる。
どうして私が、そのようなことが、わかるようになったかというと、直接的には、私の中の気の組織が、次第に自らの存在感を増し、遂には、肉体を凌駕して、「俺こそ本当の自分だ」と主張するようになったからであるが、
日頃、寝る前に、「力の誦句」を唱え続けて来たから、つまり、誦句が信念となった結果、「本当の自分」とは、心でもなく、体でもない、霊魂と呼ばれる気の組織である、と言うことがわかるようになったのかもしれない。
どちらが先かわからないが、この力の誦句、「私は力だ、力の結晶だ、何ものにも打ち克つ力の結晶だ」ということは、本当の自分とは、霊魂と呼ばれる気体であるということが、わからない内は、この誦句のもつ本当の意味もわからないだろう。
なぜなら、「私は力だ、力の結晶だ、何ものにも打ち克つ力の結晶だ」と思えるのは、本当の自分というものが、「気」で出来た組織だとわかって初めて、自分は「力の結晶だ」思えるようになるからである。
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私も、実は、以前は、人間は「心のままに生きる」のが、素直な正しい生き方だと思っていたのです。
「心のままに生きる」ということが、神様が命ずるままに、ということなら結構なことなのだが、知らないこととはいえ、「心のままに生きる」とは、「感情に任せて生きる」ことだと勘違いしていたのです。
「心のままに」を「感情に任せて」と勘違いしていたものだから、「怒って何が悪い」「悲しんで何が悪い」「怖れて何が悪い」と思って生きて来ました。
だから、ちょっとした人事世事の出来事にも、大袈裟に怒ってみたり、悲しんだり、怖れてたり、していたのです。
「人間は感情の動物」と言うじゃないか、怒って何が悪い、悲しんで何が悪い、怖れて何が悪い、と思って、それが悪いことと思わないで生きていると、天風先生が言われるように、感応性能が狂ってしまう結果、いわゆる神経過敏の人間になってしまうんです。
神経過敏の人間というのは、ゲーテが言っているように、「凡人というものは、何事も信念なく諸事に応接するために、自然に不可解な苦しみに悩んで不安な人生を送る」ようになるんです。
或いは、「ちょうど、薄い氷の上に立っているようなもので、いつなんどき底知れない湖の中に落ち込んでしまうかもしれないような」そんな不安で危険な人生を歩まなければならないことになるのです。
話は変わるが、先日(8月8日)、このブログ上で、「なぜ人を殺してはいけないか」というタイトルの一文をUPしたところ、
ブログに「毎日、観念要素の更改法を始めとして、瞑想など、心身統一法の実践を欠かしたことがない。そのお蔭か最近では殆どと言っていいほど心が揺らぐことなくなった。心が揺らぐことがなくなったということは、心の中から、怒り、悲しみ、怖れといった雑念妄念が殆どなくなっていることを示す。天風先生の心身統一法に限らず、禅も、ヨガも、心の中からこの雑念妄念が出てこないようにするためにするんだよ」と書いたら、
ある読者の方から、次のようなコメントを頂いた。
「天風先生のお考えと少し違うようです。『運命を拓く』という本のp、158には、それをお前は怒ったり、悲しんだり、憂いという場合、それを感じると同時に、握ったら放さない、それがいけないのだ。感じない人間になりたかったら、墓へ入ってしまいなさい。そうすれば何も感じなくなるから、と言った」とあるから、
「自分は、怒り、悲しみ、怖れを感じるから、真理を悟る原動力が生まれるのであって、感じたことに執着を持たないようになるのが、真理瞑想の目的と天風先生は言っている」
結局、このコメントに対して、何も返事をしなかったのですが、その理由は、第一に
この人自身が、天風先生のように、怒り、怖れ、悲しみという感情が、心の中に発生しても、執着を持たないような心になっていて、私のことを批判しているならまだしも、その言っていることに、本人自身の経験らしきものが微塵も、感じられなかったからです。
つまり、「取るに足りず」、と思ったのです。
この際、ここで、お断りして置きたいのですが、
私は、ブログの中に、現在の、自分の気持ちや心境を書き遺したいとは思っていても、他を批判したり、或いは、他と論争することを、目的として書いているわけではない、ということです。
何故なら、他人を批判したり、論争をすることに、まったく、価値を見いだしていないからです。
つまり、人を批判したり、論争したりすることを好まないのです。
何故なら、批判とか論争は、人を不愉快にしたり、傷つけたり、その結果、反目し合うことはあっても、そのことによって、お互いに仲良くなり、理解し合えるということはないと、思っているからである。
さて、先ほどのコメントのことに返るが、
天風先生は、「心に成功の炎を」という本の中で、次のように言ってる。
「『人間だから怒るのが当たり前だ』って言う人がいるけれども、どういうわけで人間なら怒るのが当たり前?世のおおむね多くの人々は、『怒ったり、泣いたり、怖れたりするのは、人間だからできるんだ。犬や猫や豚や馬もやるかもしれないけれども、人間ほど繊細で、直観的な感情というものをもたないじゃないか』と言います。
そしてそういう人に限って、『人間は感情の動物なり』というような間違ったことを言って、間違ったことを言ってない、と思っている。『感情の動物だから、怒ったり、泣いたり、恐れるのはあたり前じゃないか』なんてね。へ理屈の出発点を間違えて、結論もやっぱり間違って、正当なとこへ到着するはずがないんです。」
「じゃあ人間とは何だろう。正しい真理の上から厳粛に言えば『人間とは感情の動物』ではなく、『人間とは感情を統御しうる生物なり』。これが本当の人間の姿なんであります。
しかるに、この本当の人間の姿という真理のうえから、厳しくあなた方の人生生活を考えてごらんなさい。感情を統御するどころか、しょっちゅう感情に追い回されているだろ。自分の心が怒っているか、泣いているか、恐れているか、悶えているか、迷っているか、苦しんでいるか、憎んでいるか、ねたんでいるか、そねんでいるか、このどれかしらに当たるわね。」
と言っているところから、天風先生の心身統一法の目的は、コメント氏が言うように、怒り、怖れ、悲しみといった感情が出ても、それに執着しないようになること、なんて大袈裟に言わなくても、平たく言えば、「感情の統御」が目的と言ってもいいのです。
コメントを下さった方は、私がブログ上で、「最近では殆どと言っていいほど心が揺らぐことなくなった」と言っていることを、「感情がなくなった」と言っているように誤解して、批判しているのでしょうが、
「感情が統御されている」から、何かあったらすぐ「心が揺らぐことがない」ようになるんでしょ。
ちなみに、天風先生は、「運命を拓く」という本の中、p、199で、「信念が本当に渙発されると、『実際、これが本当に自分の心か』と思うほど、驚くべきありがたさが自分の心に生じてくる。信念が渙発されてくると、くだらないことは考えなし、神経は過敏にならないし、ことあるも常にことなきのようになれるのである。」と言っているが、
私がブログ上で、「最近、心が、簡単に揺らがないようになっている」、と言っているのは、感情がなくなったということではなく、上で天風先生が「くだらないことは考えなし、神経は過敏にならない。事ある時も常に、ことなきのようになれる」と言っていることを、こののように表現しているのです。
天風先生の心身統一法の目的は、先ず、信念を渙発することでしょ。
その為に、観念要素の更改法とか、潜在意識の中をお掃除する各種の方法があるんでしょ。
貴方が言っている、怒り、悲しみ、怖れといった感情を感じても、それに執着しないようになるには、天風先生のように悟りを開いた人でなければ、できないことなんですよ。
我々凡人は、天風先生のように、悟りは開けないまでも、先ず、その前に、信念を渙発することによって、「くだらないことは考えないし、神経は過敏にならないし、事あるもことなきような強い心」を作らなければなりません。
私が、「揺るがぬ心」といっているのは、そのような心のことを言っているのです。
貴方は、信念というものがどういうものか、まだわかってないから、そういう風に間違って受け取ってしまうのですよ。
「信念が出てくると、事ある時も、事なきのようになれる」と言うのだから、そういう心境を表すには、「揺るがない心」というのが、最もふさわしい表現のように、私には思えるのですが。
それに、貴方は、怒りとか、怖れとか、悲しみ、感情があっても、それに執着しないようになるのが、天風先生の教えの目的だと言っていますが、
天風先生の言ってるこの言葉の趣旨は、悟りを開いた人でも、感情がなくなるわけではなく、感情は出て来ても、普通の人は、その感情が長く心の中に止まって苦しむのに、
悟りを開いた人と言うのは、それが、急行列車の中から、過ぎ去って行く外の景色を眺めるように、
意識して、そういう感情を、消し去ってしまおうと思わなくても、自然にそれができるようになる、ということを言いたいがために、天風先生はそう言っているのですよ。
よしんば、貴方が言うように天風先生の教えが、「感情が出てもそれに執着しないようになることだ」ということにあるにしても、それは、悟りを開いた後の人のことを言うのであって、
もし、貴方が、そういう心境に到達している人だったら、そう言っても構わないが、貴方だって、それまでに到達しておかなければならないことは、一杯あるでしょ。
先ず、心を積極的にして、信念を強くすることでしょ。貴方は、それができていますか?
そして、意志の力が強く出るようにする為には、精神は統一して使わなければならないでしょ。
精神を統一して使うためには、有意注意力を強化しなければならないでしょ。
有意注意力が強くなって、精神が統一され、意志が強く出てくるようになれば、霊性意識が出るようになるんでしょ。
霊性意識が出てくれば、「本当の自分」というものがわかるようになるんでしょ。
貴方が「感じたことに、執着を持たないようになるのが、真理瞑想の目的と天風先生は言っている」と言っているのは、
これらの過程を、全て跳び越して、天風先生の教えの目的は、「本当の自分」というものがわかって、悟りを開くことである、と言っているようなものなんです。
間違いではありませんが、悟りを開いた人が言うのならまだしも、貴方が言うと、なんとなく、リアリティに欠けた絵空事のように見えてしまうんですよ。
勿論、現在、私は、自分が悟りを開いたとは思っていません。
だから、悟りを開けないにして、その前に、到達することが出来たと思われる、現在の心境を、天風先生の本の中の言葉を借りながら、お話しているだけなんです。
「人間は感情を統御し得る生物である」というが、「感情を統御する」ということと、「感情をなくす」ということは、全く、別のことなんですよ。
遠隔治療無料体験について
電話による遠隔治療、無料体験を1回、10分間に限り体験できます。
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又、遠隔治療を受ける要領は、同じく、上記ホームページの「電話による遠隔治療要領」の中に掲載されていますので、必ず、一読の上、お申込み下さい。
無料体験の日時等に関しては、先ず、こちらの空いている時間を見て、指定させていただきます。(原則、休業日の土、日、の17:00〜18:00の間
を予定しています)
場合によっては、無料体験、及び、その後の遠隔治療をお断りすることもありますので、予めご承知おき下さい。
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