気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

教育・政治

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征韓論

今、夏休みを利用して、司馬遼太郎の「翔が如く」(文春文庫全十巻)を改めて、読み返している。
 
敢えて、「荒っぽい」言い方をすれば、この本は、征韓論に始まり、西南戦争で終わる、歴史小説と言っていい。
 
 
その為なのだろう、この本の中には、征韓論の背景となった、当時の韓国の、我が国に対する態度、そして、これに対する我が国の国民感情が、繰り返し、述べられている。
 
 
例えば、次の通りである。
 
「この時期、日本の朝野を問わず征韓論で沸騰しており、西郷はその渦中にいた。
というより、西郷がこの渦を巻き起こした張本人のように見られており、事実西郷という存在がこの政論の主座にいなければ、これほどの騒ぎにはならなかったにちがいない。
といっても西郷の心境は複雑で、かれは扇動者というより、逆に桐野ら近衛将校たちが『朝鮮征すべし』と沸騰しているのに対し、『噴火山上に昼寝をしているような心境』と、西郷自身が、この時期の心境を書いているように、自分の昼寝によってかろうじて壮士的軍人の暴走をおさえているつもりであった。」
 
「貴国も(韓国)開国せよ。と、(日本は)余計な忠告を朝鮮へ(使者を)送りつけてきたのである。朝鮮は日本の使者を犬猫同然にあつかい、そのつどがずかしめ、そのつど追い返した」
 
「すでに朝鮮は再三にわたる日本の開国のさそいに対し、言辞まことに無礼で、ことごとく蹴り、日本の使者を王都にすら寄せ付けなかった。」
 
「副島種臣は西郷よりも早くから征韓論者であった。かれは侵略主義者ではなかったが、国体の体面をきびしいほどに重んずる人物で、韓国のように、一個の独立国が他の独立国に対して、馬喰が悪態をつくようなおよそ批評するのもばかばかしいほどの態度をとったということを、そのまま放置しておいては、かえって永い善隣のよしみを失うという考えであった。このために西郷の渡韓ということについてはもろ手をあげて賛成したのである。」
 
「『朝鮮の無礼暴慢、なるほど重要である』岩倉はすでに議長でなく発言者であった。岩倉は、そもそも朝鮮は、と説き、かの国は清国を宗主国とし、その後ろ盾の大を恃むがゆえに日本に対して驕慢(おごり高ぶって、人を見下し、勝手なことをすること)である。いまもし韓都にむけ、日本から大使を派遣せんか、おそらく大使は殺されるであろう、結局は戦になる、という。」
 
 
読み進むうちに、この本にあるような、韓国の、我が国に対する非礼・傲慢な態度は、当時も今も少しも変っていない、などと、妙に感心しながら読んでしまった。
 
 
つまり、今日の従軍慰安婦問題、竹島領有権問題、ひいては、歴史認識問題など、テレビを通じて見る、韓国の、我が国に対する態度は、かつて、司馬遼太郎が、「馬喰が悪態をつくような」と言っているようなのと、少しも、変わりはない。
 
昔も今も、変わらない、ということからすれば、かの国の国民性とも思われるが、
 
それにしても、あの憎悪ともつかない、激しい感情表現からして、
 
「痩せ犬の遠吠え」、つまり、小さなスピッツが、巨大なシェパードや秋田犬を見て、恐怖のあまり、遠くから、激しく、吠えかかっているような感がしないでもない。
 
おそらく、韓国は、わが国が、怖くて仕方がないのだろう。(何が怖いのかわからないが)
 
 
今日、このテーマを選んだのは、外でもない、
 
前述のように「翔ぶが如く」を読んでいて、度々、今日の日韓関係は、征韓論の昔と、少しも変ってないじゃないか、と思っていたところ、
 
たまたま、今日の(8月19日)読売新聞で、次のような本の広告が、目にとまったからである。
 
 
その本は、歴史通(雑誌?)という本で、その2013年9月号の広告、ということらしいが、
 
そこには、「総力特集、『征韓論』から140年、反日に狂う韓国」とあった、のである。

終戦記念日に

今日は8月15日、先の大東亜戦争が終わった日である。
 
この日、テレビなどでは、様々な戦争体験が、語られる。
 
その大半が、判で押したように、平和の尊さを叫びつつ、
 
自らのみならず、家族親戚縁者が蒙った精神的・物質的な被害を、二度と繰り返してはならない、と涙ながらに訴える。
 
 
実は、私は、このように、テレビの中で、毎年繰り返される、年寄りの愚痴話のような話を、目をそむけ、耳を塞ぎたくなるような思いで見ている。
 
 
戦争が終わって68年、今日の読売新聞の社説を借りて言うと、「戦後、日本は昭和の戦争の反省に立って再出発し、平和裏に高度経済成長を達成した」。
 
つまり、戦争には負けたけれど、その後、その事を糧にして(バネにして)、努力して、今日の、平和と、経済的繁栄を達成することができた、という意味である。
 
 
私がなぜ、毎年のように繰り返される、悲惨な戦争体験を、見たくない、聞きたくない、と言うのか、というと、
 
戦争が終わって数十年、当時の不幸な出来事を、いまだに引きずるようにして生きてきた、つまり、テレビの中で見るような、あの戦争の語り部のような人たちによっては、今日の、我が国の平和と繁栄は、決して、作られなかった、と信ずるがためである。
 
 
中村天風先生は、終戦直後(戦争が終わったのは昭和20年8月)、既に、「真人生の探求」(この本は、昭和22年3月に、初刊が出版されている)という本の中で、次のように言っている。
 
「私は現在の日本を考え、単に不幸だと愚痴る人には、決して理想的の民主国家としての真日本の建設など到底覚束(おぼつか)ないと思う。
むしろ現下のお互い日本人は、現在のすべてを、真日本の建設という一大事実を現実化するために、天が我が日本人に慈愛を以て与えられた一大試練だと断定するならば、期せずして一切の事物現象が自己を磨き上げ、また自己をより高く積極的に啓発する題材となり、やがてその結果は、世界平和に協調し得る国家社会を作り上げることができると思う時、価値のない不平や愚痴は影を潜め、これにかわるに、限りない感謝念の湧然たるのを意識するであろう。」
 
 
天風先生の心身統一法の哲学を、一言で言うなら、「心は、常に、積極的に」と言うことであろう。
 
積極的な心とは、かの熊沢蕃山が言うところの「憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん」と言うことである。
 
病気になろうが、不幸に会おうが、それを自己を磨き上げる為の、神が与えた試練だと思えば、不幸も不幸でなく、病気も病気でなく、「ありがたい」という感謝の念が湧いてくるだろう。
 
 
覚えているだろうか、天風先生が、「運命を拓く」という本の中で次のように言っていることを。
 
「だから、よく言うことであるが、三年四年経った人が私にお礼をいう時この人は、本当に私の言うことを聞いていたな、と私が思うようなお礼を言う人は、まあ十人一人いるかいないかである。たいていの人は、『ありがとうございます。何も知らずに生きておりましたが、ご縁がありまして、先生の弟子になって、いろいろ尊いことを教えていただいたお蔭で、この頃は、弱かった体も、すっかり丈夫になりまして、そうして、家中が皆丈夫になり、商売も繁盛いたしまして、もう何という恵まれた幸せかと思って、本当に、明けても暮れても、先生に手を合わせて拝んでいるような始末でございます。ありがとうございました。』と言う。
こういうお礼を言われると私は、『この人は一体、どんな聞き方をしていたのだろう』と思う。
(途中略)
(反対に)『ああ、よくわかってくれたねえ、ありがとう』と私が言うのは、『この頃はもう、先生のお話を聞いてから、どんなに苦しいことがあっても、憂いことがあっても、それに負けなくなりました。そりゃ、まあ時には病の出ることもあります。けれども、今までとは違います。病があれば、ああ、ありがたいなあ、自分の生き方が悪かったから、神がそれを教える為に与えてくださったお慈悲だと、いつも先生がおっしゃっていらっしゃいましたが、私もそう思うようになりました。心が全然昔と違ってきまして、この頃では、憂いこと苦しいこと、こっちから引き受けてする気が出てきているんです。ありがとうございます。』とこう言われると、その人を抱きしめたいような気持になる。それが本当の目的だからである。」
 
 
心を常に積極的に保つ為には、心を、消極的から積極的に、切り替えができるようにできるようにならなければならない。
 
だから、積極的ということと、心の切り替えができる、ということとは、同じ意味と考えてもよい。
 
 
いま、私から、そう言われて、そう思いたくてもできない、切り替えたくても、簡単に切り替えられない、と思っている人は、
 
まだ、心の中に、「信念」というものが、出て来てないからなんですよ。
 
つまり、天風先生が、「この人は一体、どんな聞き方をしていたのだろう。」と思うような人は、信念がないために、心の切り替えができない人のことを、そう言っているんですよ。
 
だから信念が出てくれば、簡単に心を消極的から積極的な心に切り替えができるようになります。
 
 
その為に、天風先生は、心身統一法の中で、観念要素の更改法とか、積極精神の集中力養成法とか、神経反射の調節法とか言って教えてくれているでしょう。
 
あれは、信念を渙発して、心を、消極的から積極的に切り替えることが、簡単にできるようになるために、あるんでしょう。
 
 
天風先生が、お礼を言われた時、「この人、一体、どんな聞き方をしていたのだろう」と首をかしげたくなる人、信念が出てなくて、心を切り替えることができないから、そう言うのでしょ。
 
信念が出てない人というのは、また、天風先生の教える、観念要素の更改法とか、積極精神の集中力養成法とか、神経反射の統一法とかを、まじめにやっていない人、ということでもある。
 
 
先の大戦(敗戦)のことを、ただ、不幸なこととして、愚痴ってばかりいるような人は、心が、周囲の環境に負けているから、つまり、自分が置かれた状況を乗り越えることができないでいるから、愚痴ばかり言っているのでしょう。
 
心が、負けていたら、病気や不幸など、周囲の環境を乗り越えることが、できるわけないじゃないですか。
 
これは、理屈じゃないですよ。
 
心が、折れたり、落ち込んだりしていては、何事も、解決できないことは、日頃の経験からして、直ぐにわかることでしょ。
 
 
約二年前、わが国では、大東亜戦争の敗戦に次ぐ、大きな事件が、東北地方で起きた。
 
東日本大震災のことである。
 
あの事件を「風化させてはいけない」とか、「語り継ぐ」とか言って、いまだに、「不幸だ、不幸だ」と愚痴ってばかりいては、決して、東北地方の再興はできない、と思う。
 
現在進行中の東北の復興も、一日も早く、あの事件を忘れ、「神様が、与えてくれた試練だ、よし頑張るぞ!」と思った人達だけの手によって、起こりつつある、と思う。
 
 
過去の辛いことや悲しいことは、一日も早く忘れることだよ。
 
不幸な出来事や失敗を、思いだし、考えだし、毎日、毎日、その事にこだわり続けていては、復興の為の勇気や意欲は、どこからも、湧いて出てこないよ。
 
 
 
お 知 ら せ
 
1、サイ気療 休業日 変更について
従来、火曜日、木曜日、祝祭日を休業にしていましたが、平成24年10月1日より、土曜日、日曜日、祝祭日になりましたので、お知らせします。悪しからずご了承ください。
 
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
                                                           
3、遠隔治療無料体験について
 
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
 
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(仕事が忙しいので、電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
 
無料体験は、原則、こちらの都合(空いている時間に)により、日時を指定して、実施させて頂きます。
 
遠隔を受ける際の要領は、私のホームページ中の「電話による遠隔治療要領」にありますので、まず一読の上、治療をお受け下さい。
 
場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
 
現在、遠隔治療は、希望者が多いため、キャンセル待ちの状態です。

パフォーマンス

先日、インターネットニュースで、掛布氏が、阪神ドラゴンズの決めポーズに、「喝」を出していたことを知った。
 
その記事には、日刊スポーツ8月4日配信、とも書いてあった。
 
「(掛布氏が)4日朝、TBS系テレビ『サンデーモーニング』の張本勲氏のスポーツコーナーにゲスト出演、阪神のОBとして古巣に『喝』を二つ出した。
1つ目は、3日、巨人杉内とのエース対決に敗れた能見投手に対して、そして2つ目が、阪神打者が本塁打を打った時に、ナインがスタンドに向かって行う、決めポーズだった。『プライドをかけて戦っている相手に対して尊敬の念が感じられない。ダメとは言わないが、やる場面を考えてほしい。(あれは)相手を挑発する行為。米国だったら報復(死球等)されますよ。OBとして考えて頂きたい』と説明していた。」
 
 
私も、あの場面、テレビで見ていて、その時は、特別、何とも思わなかったが、
 
掛布さんが言っているのは、私のような観客のことじゃなくて、実際戦っている巨人の選手が、不愉快に思ったのではないか、と言っているのである。
 
事実、その日戦った、巨人の杉内投手も、試合後、それらしいことを言っていたらしいから、アメリカなどでは、死球などの、報復を受けやすい行為なのだろう。
 
 
私は巨人ファンだが、阪神との試合の時、選手のパフォーマンスに、時々、違和感を感じることも多かった。
 
実際に見たのは、かなり以前のことだが、(おそらく、この人、今でも同じことを繰り返しているんじゃないか、と思う。)
 
仮に、A選手と言っておこう。
 
 
ホームランを打った後、バットを2〜3メートルも上に放り上げてから、一塁に走り出すのである。
 
ホームランを打った時のバットは、上に放り上げなきゃ、下にそっと置けないくらい重いものだったら、そうするのもいいが、そうでもなそうである。
 
そして、何も、ホームランくらいで、あんなに大袈裟にしなくても、などと思ったりしたものである。
 
 
掛布さんは、こういった選手個人の行為にも、同じように、「喝」を出すのだろうか。
 
 
中村天風先生は、このようなパフォーマンスに対して、次のように言って、「喝」を出している。
 
天風先生は「真理のひびき」という本の中で、「人生に最も注意すべきことは、得意の時に一しお、心の備えを緩めぬよう心がけることである。」と言っている。
 
 
なぜそうでなければならないのか、その理由は次の通り。
 
「これをわかりやすくいえば、『大定心(だいじょうしん)』というのは、どんなとき、どんなことにもいささかも動揺せぬ心、いいかえると、いかなる場合にも、怯じず、怖れず、急がず、焦らず、いつも淡々として極めて落ち着いて心である。これをもっと適切な言葉で言えば『何事もない時の心と同様の心』である」
 
大定心とは、いわば、悟った人の心の状態をいうのだろう。
 
だから、こういう人は、「明日、お前死ぬよ!」と言われても、怯じず、怖れず、いつもの通り、淡々とした気持ちでいられるのだろう。
 
 
だから、こういう心になるには、日頃から、小さな出来事に一喜一憂してはならないと、天風先生は戒めているのである。
 
特に、得意の時は、一層心が緩みがちだ、と言っているのだろう。
 
 
剣道では、これを、「残心」という言葉で、教えている。
 
天風先生は、残心とは、「闘う前の心構えと、闘っている最中の心構えと、闘い終わったときの心構えに、いささかの差別があってはならない」、と言っている。
 
 
ヨーガという言葉は、元々、「馬に頚木(くびき)をかける」ということから来ているらしい。
 
何のために、馬に、頚木をかけるのか、というと、馬の動きを制御して、御者が思うところに馬を走らせる為に、そうするのである。
 
 
心を、馬と思ったらいい。
 
心も、馬同様、元々、放って置いたら、どこに走り出すかわからない。
 
 
ヨーガでは(禅も同じ)は、ほったらかして置いたら、暴れ回って、どこに動いていくかわからない心を、自分の思い通りに動かすために、修業をするのである。
 
だから、ヨガの根本経典と言われるヨーガスートラには、冒頭で、「ヨーガとは、心を止滅させることである」と書いてあるのである。
 
止滅とは、勝手に、動かないようにする、という意味である。
 
 
私もそうだったから、人のことを言えた義理ではないが、
 
貴方達の中にも、まだ、自分の心の動きに従って、つまり、喜怒哀楽に従って、生きるのが、素直で正しい生き方だと、思っている人がいやしませんか?
 
天風先生や、ヨーガが教える通り、心のままに生きたら、ますます、動揺しやすくなり、ちょっとした出来事にも、慌てたり、焦ったりするようになるものなんですよ。
 
 
掛布さんが、そういうことまで知っていて、タイガースのパフォーマンスに、ダメを出したのかどうかまでは知らないが、
 
彼も、日頃、身辺に起こる出来事に、簡単に、心を動かさないように心掛けていると、野球で、ピンチやチャンスに出会った時、あがったり、焦ったりしないで平常心で対応することができるようになる、ということぐらいは知っていたのかもしれない。
 
 
それにしても、心というものは、特に、得意の時、激しく、大きく、動くもののようである。
 
 
 
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わが東洋学では、人間ができているかどうか(人格)を測る方法として、応待辞令という方法がある。
 
故安岡正篤先生によると、応待辞令の、「応待というのは、いろいろの問題に応じ、かつその問題をきびきび処理して言うことであります。また、辞令とは、適当にそれに対して自分の考えを表現していくことであります。」とある。(安岡正篤「活眼活学」より)
 
このままでは、正しい意味を理解することは難しいが、要は、問題が起きた時、或いは、問題を処理するに当たって、どういう態度をとり、どういう言葉を使ったかによって、その人の器量を測る人物鑑定法、と言ってよい。
 
 
わが国には、応待辞令と共に、その人ができているかどうかを測る物差しとして、出所進退をみる、という方法もある。
 
言葉通り解釈すれば、その人が進む時どうしたか、又、退く時どうしたかを見ればその人の人格・器量がわかる、ということである。
 
さらに具体的に言うなら、役職に就く時、その人がどうしたか、そして、役職を退く時どういう態度をとったか、によってその人の人間性がわかる、ということである。
 
 
以前にも、このブログで紹介したと思うが、戊辰戦争時の越後長岡藩の英雄、河井継之助の、出所進退についてのモットーは「進む時は人任せ、退く時は一人で決せよ」だったという。
 
「進む時は人任せ」というのは、どういうことかと言うと、卑近な例で言えば、出世成功したいと思って、自らを売り込むような恥ずかしいマネはするな、ということであり、
 
一方、「退く時は一人で決せよ」と言うのは、
 
職を辞する時(退職する時)は、他人に(特に自分の近くにいる人たちに)相談したりせず、自分一人で決めなさい、という意味である
 
この言葉中で、特に大事なのは、後半の、出所進退の退、つまり、退く時が大切だと言われる。
 
なぜなら、進む時よりも、退く時の方が難しく、そして、よりその人間性が現れるからであろう。
 
 
では、なぜ、河井継之助は、「退く時は一人で決せよ」と言うのかというと、自分の近くにいる人たちに相談したら、絶対に反対されるのは、決まっているからである。
 
なぜなら、自分の周りにいる人たちは、その殆どが、その人にすがって、つまりその人を頼りにして、生きている人たちばかりだからである。
 
その人にすがって生きている人たちは、その人が辞めたら、たちまち生活の場、つまり、生きて行く手段を失うことになるからである。
 
すがりついてでも、その人を辞めさせまい、とするのは、当然のことであろう。
 
最近では、全柔連の上村会長の出所進退が、この最悪の例と言えるだろう。
 
 
余談が長くなったが、さて、応待辞令である。
 
今日(7月6日)の読売新聞には、次のような事が、報じられていた。
 
「東京電力の広瀬直己社長は5日、新潟県の泉田裕彦知事と会談し、柏崎刈羽原子力発電所6、7号機(新潟県)の再稼働について説明した。広瀬社長は、原発の新規基準が8日の施行された後、速やかに国に安全審査を申請する方針に理解を求めた。これに対し、泉田知事は地元への説明前に東電が申請することに不快感を示した。」
 
 
ここで私は、どちらが正しくて、どちらが間違っている、ということを論じるつもりは、全くない。
 
またそういうことに関して、判断できるような知識も持ち合わせていない。
 
 
問題なのは、この時の、泉田裕彦知事の東電社長に対する、応待辞令である。
 
記事の中にも、会談中の写真が載っているから、それを見てもよくわかるが、泉田知事は、片手を上げて、相手を追及しているように見え、一方、対面する東電の広瀬社長は、前かがみになって、いかにも、何かを懇願しているように見える。
 
新聞のこの場面は、朝の、ワイドショウでは、どのテレビ局も一斉に流していたから、私も、直接、この場面を目にした。
 
新聞の写真で見る通り、テレビの中の、奥田知事は、裁判官が犯罪を犯した被告を尋問、乃至は、詰問しているようにみえ、一方の東電広瀬知事は、下を向いて、ボソボソ、何かを一生懸命、言いわけしているように見えた。
 
 
中国では、「溝に落ちた犬は叩け」という格言があるらしい。
 
意味は、自分が勝っていると思ったら、或いは、そういう時は、相手が完全に参るまで、徹底的に叩きのめせ、という意味らしい。
 
 
一方、わが国には、「惻隠の情」という言葉がある。
 
弱い立場にある人の心情を思いやりなさい、という意味であろう。
 
 
例え、泉田知事の言い分に理があって、正しかったにしても、
 
あんなに、大勢の報道陣が見つめる前で、いやしくも、わが国を代表するような会社の社長を、辱めるかのような場面は、目を背けたいほど、醜く感じた。
 
また、長幼の序を言うまでもなく、わが国においては、年長者に対しては、一応の礼儀を以て接するのは、常識である。
 
 
安岡先生は、本「活眼、活学」の中で、応待辞令ということについて、次のように言っている。
 
「(応待辞令とは)人物ができているかどうかの問題であります。お互いに相対して座りますと、もうそれだけで、この人はできているなあ、或いは軽薄だなあなどと、大体わかるものです。まして物を言うことになりますと、できた人物の言葉には、必ず味があります。反対に、できておらぬ人の言葉には、たわいのないことが多いものです。
だから、この応待辞令が非常に大切であります。ところがこうなると甚だ微妙なデリケートな問題で、俄か仕立てではどうにもなりません。平素の修養、教養にまつほかありません。特に学校では応待辞令等についてちっとも教えませんから、大学を出ても本当の学問修業をしておらない人は、人間的にまずいのであります。」と。
 
ちなみに、奥田裕彦新潟県知事の経歴をウィキペディアで引いてみると、新潟県知事3期目、年齢50歳、京都大学法学部卒、経済・産業省出身の元キャリア官僚、とある。
 
 
なるほど、経歴だけは立派だが、それだけに、テレビ画面に映るその幼い横顔を眺めていると、この人、本当の勉強を、ちっともしてこなかったんじゃないか、などと考えることだった。
暴力、助成金問題、セクハラ等、相次ぐ不祥事にも関わらず、上村全柔連会長は、一旦示唆したとされる辞意を、撤回するつもりらしい。
 
 
ところで、幕末、戊辰戦争の英雄、越後長岡藩の河井井継之助のモットーは「進むときは人任せ、退く時は自ら決せよ」だったと言われる。
 
この意味は、昇進は他人任せ、引退するときは、周りの意見を聞いてはいけない、自分一人で決めなさい、ということである。
 
 
昇進は他人任せというのは、上司にゴマすったり、目立とうと思ってスタンドプレーしたり、夜陰に紛れて上司を訪ね、暗に昇進をおねだりするような、みっともない真似はしてはいけない。
 
また、上の人間は、そうやってモノほしそうに自分にすり寄ってくる人間を、昇進させたりしてはならない、という意味でもある。
 
 
なぜそういう人間を昇進させてはならないか、というと、それは、そういう人間を役職に就けたら、そういう人は自分のことしか考えていないから、才能のある部下と、才能争いをしたり、自分の地位を脅かしそうな有能な同僚・部下を、スポイルしてしまうからである。
 
その意味を、正しく理解している人は、少ないようだが、「退く時は一人決せよ」という意味は、
 
自分の身近にいる人たちは、経済的にも、世間的にも、本人を当てにしている人達ばかりだから、そういう人達に相談したら、反対されるのは目に見えているから、相談していけない、という意味である。
 
 
上村全柔連会長が、辞めない、と言っている理由も、おそらく、自分の周りの人たちは皆、「辞めないで欲しい」と切に希望してるから、というものだと思う。
 
直接本人に確かめたわけでもなく、あくまでも、憶測にすぎないが、大なり、小なり、彼が「辞めないで頑張る」と言っている理由は、そういうことだろうと思う。
 
だから、河井継之助は、「辞める時は一人で決断しなさい」と言うのである。
 
 
河井継之助だけでなく、西郷隆盛も次のようなことを言っている。
 
「廟堂に立ちて大政をなすは、天道をおこなうものなれば、些(いささか)たりとも私を挟みては済まぬものなり。いかにも心を公平にとり、正道を踏み、広く賢人を選挙し、その職に任(た)えうる人を挙げて政柄(せいへい)執(と)らしむるは、即ち天意也。それゆえ真に賢人とみとむる以上は、真にわが職を譲るほどの(人)でなくては叶わぬものぞ……。」
 
少し、前置きが長くなったが、ここで私が言いたかったこと、つまり、引用したかったことは、
 
後半の「それゆえ賢人とみとむる以上は、真に我が職を譲るほどの(人)でなくては叶わぬものぞ」という部分である。
 
 
ここも又、普通では、なかなか理解しがたい(誤解する)ところだと思うが、
 
西郷さんは、その人が、自分より(人格的に)優っている人と思ったら、すぐその人に自分の職を譲るようなそんな人でなければ、その地位に就けてはいけない、と言っているのである。
 
 
つまり、反対からすれば、一旦、その地位に就けたら、いつまでも、職(地位)にしがみつくような人を、その職に就けたらいけない、と言っているのである。
 
なぜかって?
 
それは、そういう人は、自分のしか考えないから、周囲の人を蹴落したり、いじめたりするからだよ。
 
地位にしがみつくようなバカが、しかも、長いことその座に居座ったら、組織がガタガタになるのは、火を見るよりも明らかなことじゃないか。
 
 
これらの視点から、この度の上村全柔連会長の言動を眺めると、
 
「あきれた」というか、「笑止」というか、正に、西郷さんや河井継之助が、就けてはいけないと言った人が、その職に就いてしまっている、としか言いようがない。
 
 
全柔連ばかりではない、こういう馬鹿が、鹿児島の私の身の周りにも、何人かいる。
 
直接、名前を挙げるわけにはいかないが、鹿児島市の教育界や、県の選挙管理員会にも、何年も何年も、その職に居座って、何ら恥ずかしさを感じていない、トップがいるようである。
 
他所に長いこといて、久しぶりに帰って来た、私のような者でも、これだけ気が付くのだから、こういう公職を私物化している例は、その他にも、沢山あるに違いない。
 
また、これらの不正・不義を糾すべき役目の、新聞・テレビ等のマスコミも、全く声を上げようとしてないところからすると、こいつらもまた、同じ穴の貉(むじな)なのか、と疑わざるを得ない。
 
 
こういったわが郷土の様を見聞きするたびに、鹿児島なんて、地理的にも、また時代の流れにも、世間から大きく取り残されてしまっているんじゃないか、と思わざるを得ない。
 
 
会社や組織が栄えたり、衰えたり、ひいては倒産したり、潰れたりするのは、それだけの理由が、そこにあるんだよ。

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