|
普通の人は、世の中、こんなに平和なのに、「まさか!」と、思っているのだろうが、
しかし、中国は、かなり以前から、どうやって尖閣を奪い取るか、現実に、具体的な計画を立てていたに違いない。
新聞報道などによると、それは、武装した偽装住民が、尖閣に上陸することによって始まる、と言われている。
軍による、正面切っての戦争なら、米軍が安保条約によって、介入して来て、中国に勝ち目はないから、
アメリカが、軍事介入すべきかどうか、迷うような、いわゆるグレーゾーンを狙って、仕掛けてくると言われているのが、上の、偽装住民による尖閣上陸作戦、ということである。
つまり、彼らが尖閣を取りに来るのは、安保条約という、日米の軍事同盟のスキを狙って、仕掛けてくるに違いない、と言うことである。
また、それに対する対策も又、アメリカ、日本双方において、既に、検討され、それに基づいて、実際の訓練が、行われているに違いない。
平和ボケした日本人は、「まさか、中国との間に戦争が起きるなんて」と考えている人が多いのだろうが、
上で述べてたように、既に、日中双方には、戦争のきな臭い煙が立ち始めている、というのが現実ではないだろうか。
さて、中国という「悪に対してどう向き合うか」という問題である。
安岡正篤先生は、「論語の活学」という本の中で、「悪に対してどう対処するか」について、次のように述べている。
先生が活躍しておられた時代から推察して、これは、主に、旧ソ連の共産主義による世界制覇の野望から如何に日本を守るか、その心構えを説いたものと、思われるが、
時代は変わって今、ソ連に代わって、中国の大国という野望(これを覇権主義という)の生贄にされそうな、そんな危機にわが国は直面している。
「論語の活学」の中で、安岡先生は次のように述べておられる。
「善人でも本当によく出来た人は、むざむざ、悪党の手に引っかかるようなことがなくて、身を全うする。だから、悪党の手にかかるのは、善人ではなるが愚か者だということになる。」
「そこで問題は、悪というものにいかに対するか、ということでありますが、人間の悪に対する態度、或いは人間としてのあり方をつきつめると、およそ次の五つの型がある。
第一、 弱肉強食型。泣き寝入り型と言ってもよろしい。強いものが弱いものを犠牲にして
も仕方がない、弱いものは強いものの犠牲になっても仕方がない、長いものには巻かれろというわけで、あきらめて泣き寝入りしてしまう態度。これは、全く、お話にならない意気地なしのとる態度です。
第二、 復讐型。殴られたら殴り返す。蹴られたら蹴り返す、という暴力的態度。これは野蛮で人間として確かに低級である。しかし、いかなる弱者といえども、『一寸の虫にも五分の魂』で、いかなる弱者といえども人間である以上、気概もあれば、憎しみ、怨みもあるわけで、第一の意気地ない態度に比べると、まだ元気があるというべきである。(一昔前の自分は、間違いなく、このタイプだった)
第三、 偽善型。蹴られても蹴り返すことのできぬ人間が、己の良心の呵責やら負け惜しみ、さらには人前を恥じてこれを繕わんとするコンプレックスから、立派な理由を付けてその意気地なさをごまかそうとする。そこで彼らは先ほどの『犯されても報いず』というようなというような人間の至極の境地(悟りの境地)を表した語をよく引用するわけです。例えばクリスト教で言うならば『目を以て目に報い、歯を以てはに報いるは卑し』とか、『誰か汝の右の頬を打たば、これにめぐらすに左の頬を以てせよ』、『汝の敵を愛せよ』等々。儒教にとれば『中庸』の『寛柔以て教え、無道に報いず』というような言葉。そういう達人達道の域を表す言葉を、その美しい実体を抜きにして借りてくる。そうして『俺は弱いのではない、相手を憐れんで、神の如く弱いのだ』などと文芸作品でも出てきそうなことを言って、他人ばかりか、そもそも自分をごまかしている。これが人を誤り、世を乱す。ところが今日、そういう偽善者が多いから困るのです。やれ平和主義だの、何とか評論家だの、宗教家だのと、偽善者が沢山いる。彼らは口を開くと、平和々々で、戦争はいけない、暴力はいけない、武力を捨てなければいけない、と言う。もちろん平和を願わぬ者はいないけれど、しかし、世界の現実は彼らが考えるほど甘くはない。もし日本がそういうことを実行したらどうなるか。いかなる覇権が及んで来るか。これらは卑怯な偽
善者の寝言に過ぎない。
第四、 宗教型。俗世間の一切を超越して、すべてを平等に慈愛の目で視ると言う態度。これは人間として最も尊い在り方であるが、しかし、これができるのは人間の中の極めて少数の優れた人たちにして初めて到達し得る境地であって、到底われわれ凡人にできることではない。宮本武蔵は剣の最高の境地は刀を使わぬところにあると悟って、とうとう丸腰になった。そこで初心者が、刀を持たないからといって武蔵に切りかかったらどうなるか。一撃のもとに倒されてしまう。またその丸腰に感心して、自分も丸腰になったら、たとい相手が百姓町人でもおそらくやっつけられてしまうでしょう。それと同じことで、宗教的態度は最も尊いものではあるけれど、凡人には到底出来ないことである。となると最後に残るのが
第五、 神武型。人の道を重んずるが故に、悪を憎んで断固としてこれを封ずるという態度。悪を憎むといっても、人間を憎むのではない、その人間の行う悪を憎むのである。 『武』もまたしかり。その人間を憐れんで悪から解放してやるのである。だから武という字は戈(ほこ)を止(とどむ)と書く。そうしてその人間が悪を悔いて改心する時は、心からすべてを許してやる。これを『尚武』あるいは『神武』と言う。そういう『武』というものが古来我々の悪に対する信念であって、その『武』がだんだん磨かれて『武士道』というものになった。
安岡先生は、最後の第五、神武型が、悪に対する理想だというが、先生が言う通り、人を憎むのではなく、人の行為だけを憎んで、その悪から解放してやる、と言われても、我々凡人には、なかなかできることではない。
先生が言う如く、悪を憎んで、悪からその人を開放することは出来なくても、人が悪を、なさないように仕向けることはできる。
これも、小なりと雖も、第五、神武型に属する、悪に対する対処法の一つには違いない。
そういうことからすれば、安岡先生が言っている、「尚武」とは、今風に言えば、戦争抑止力とでも言うのだろうか。
話は変わるが、人は、相手が弱いと思うから、襲うのである。これが現実である。
相手を襲って、自分が負けることを考えたり、自分もそれなりの深手を負うことを考えたら、めったに手出しすることはない。
これは理屈ではなく、生物が、その起源の時から、自分より弱い、他の動植物を捕食して、今日まで命を繋いできたという、いわば、動物の本能とでもいうものだろう。
国と国との間も例外ではない。
世界の歴史を見れば、強い国が、弱い国に、戦争を仕掛けて来た事実は、歴然として明白である。
さてそれでは、今、私たちは、尖閣問題で、傍若無人に振る舞う中国に対して、どう向き合えばいいのだろうか。
安岡先生の「神武」を持ち出すまでもなく、私たちは、彼等の為にも、今、彼らが絶対に手出しできないような、状況を作って置かなければならない、と思う。
遠い将来はいざ知らず、現下の人類の進化の状況から見る限り、現状においては、力に対しては、力だけしか、自分を守る有効な手立てはない。
力と言っても、武力だけが力ではない。経済力もあるだろうし、そして、何よりも、精神力(気概)が大事である。
少なくても、テレビなどに出てくる、いわゆる進歩的文化人、つまり、安岡先生いうところの、意気地なしが、よく口にする、外交力とか、交渉力とかだけで、国家間の紛争が解決できるような、そんな幻想だけは、絶対に持ちたくないものである。
悪であれ善であれ、基本的に、力に対抗できるものは、力しかないことを、この際、私たちは、とくと、肝に銘じておくべきだと思う。
お 知 ら せ
1、休業日、及び診療時間 変更について
平成24年10月1日より、休業を、土曜日、日曜日、祝祭日に変更いたします。
従って、今後は、月曜日から金曜日までのウィークデイが営業日となります。
又、上記営業日の、診療時間を13:00〜17:30の間と致します。
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
3、遠隔治療無料体験(体験し、納得してから、正式な申し込みをしよう)
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話での申し込み、お問い合わせ等はご遠慮下さい)
無料体験は、原則、こちらの都合(空いている時間に)により、日時を指定して、実施させて頂きます。
要領は、私のホームページ中の「電話による遠隔治療要領」にありますので、まず一読の上、治療をお受け下さい。
場合によっては、無料体験、及びその後の遠隔治療を、お断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
教育・政治
[ リスト | 詳細 ]
|
つまり、双葉山のような、大横綱にはなれないという意味。
白鵬は、双葉山を尊敬し、双葉山のような横綱になりたいと言っているらしいが、彼は、決して、双葉山のような大横綱にはなれないだろう、と思う。
白鵬を見たくてチャンネルを回したわけではないが、その時、丁度、遠藤と白鵬の取り組みが始まる直前だった。
結果から言うと、白鵬が勝った。しかも、あっけなく勝った。
立ち合い、白鵬は、遠藤の顔面を、強く張った。
強く張られて下を向いた、遠藤の頭を掴んで、引いた。遠藤はそのまま、前に、つんのめって落ちた。
そう、私だけが思ったのではない。解説の舞の海も、又、そう言ったのだ。
当然、舞の海は、「横綱が、残念だ」とも言った。
下の者が、上の者を張ったと言うなら、まだ許せる。取り組みの途中で、思わず、咄嗟に、手が出た、というなら、まだ許せる。
それに、立ち合いで、顔面を張るというのは、最初から、そうしよう、と思っていなければ、できることではない。
相撲の組手の中にあるから仕方がない、という人もいるが、双葉山なら、果たして、そうしただろうか?
双葉山は、横綱になってからは、立ち合いの時、相手が立ってから、自分も立ったと言われる。
少なくても、白鵬のように、立ち合いの時、張ったり、引いたりは、絶対に、しなかった筈である。
折しも、先日の読売新聞の記事下広告を見ていたら、古田博司という人が書いた「醜いが目をそらすな、隣国・韓国」という本の広告が載っていて、
その解説に(本の中の記事の一部かもしれない)、「韓国人は『卑劣』ということを、理解できない。なぜなら、ほとんどの国民の卑劣だからだ」、とあった。
横綱が、取り組みの中で、張ったり、引いたりするのは、私には、
力のない卑劣な人間が、ただ、相手に勝とうとする目的だけ(勝ちさえすればいい、というような)の為だけにする行為のように、見える。
白鵬だって、長いこと相撲界で生活している以上、親方から言われたり、周りの人間から聞いて、横綱が張ったり引いたりするのは、横綱らしくない、卑劣な行為であることは、十分知っているはずである。
それとも、韓国人だけでなく、モンゴル人もまた、「卑劣」という言葉を理解できない為なのだろうか。
幼い頃、友達と遊んでいて、「お前はエジ(鹿児島弁で、卑怯、という意味)が!」と言われた途端、裁判で、死刑の判決を受けたかのような、強いショックを、心に受けたものである。
お 知 ら せ
1、休業日、及び診療時間 変更について
平成24年10月1日より、休業を、土曜日、日曜日、祝祭日に変更いたします。
従って、今後は、月曜日から金曜日までのウィークデイが営業日となります。
又、上記営業日の、診療時間を13:00〜17:30の間と致します。
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
3、遠隔治療無料体験(体験し、納得してから、正式な申し込みをしよう)
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話での申し込み、お問い合わせ等はご遠慮下さい)
無料体験は、原則、こちらの都合(空いている時間に)により、日時を指定して、実施させて頂きます。
要領は、私のホームページ中の「電話による遠隔治療要領」にありますので、まず一読の上、治療をお受け下さい。
場合によっては、無料体験、及びその後の遠隔治療を、お断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
|
モンゴル出身の鶴竜が横綱になって、これで、横綱三人が全てモンゴル出身者となった。
別に、モンゴル出身者が横綱になるのが悪いと言っているわけでも、鶴竜が横綱になるのが悪いといっているわけでもない。
が、横綱が3人にいて、その全てが、モンゴル出身者で、その中に日本人が一人もいない、という事態に、相撲協会は、何の危機感も感じてないのだろうか。
天風先生に言われるまでもなく、あの人がどうで、この人がどうだとか言って、人によって分け隔てすることなく、つまり、「博愛、衆に及ぼす」でなければならないことは十分知っているが、
と言っても、オリンピックなどで、日本人選手が優勝したりすると、無条件で嬉しくなったりするのも、これもまた、人情として、当たり前のことだろう。
テレビで、相撲を観なくなってから、数十年が経つ。
外国力士が活躍するようになってから、見なくなったのかどうか、意識したことはないが、特に、ここ数年は、相撲に全く興味が持てなくなっている。
相撲に限らず、どんなスポーツでも、少なくとも、力や技を競い合うものだったら、個人だったら、自分が他に打ち克って、優勝しようと努力するのは、当たり前であり、
サッカー協会やバレーボール協会がそうであるように、相撲協会も、できるだけ、日本人力士が優勝したり、横綱になったりするよう、必死の努力をするのは当たり前ではないだろうか。
さて、この度、横綱になった鶴竜という人は、元関脇逆鉾が親方を務める、井筒部屋に所属する力士らしい。
先日の読売新聞(3月26日、顔)によると、鶴竜の横綱昇進が正式に決まった時、井筒親方は次のように述べたと報じられている。
「父から名門部屋を継承してから20年、モンゴルから来日当初、やせっぽちな少年に『床山にしようか』と思っていた鶴竜が最高位に上り詰め、『俺を男にしてくれた、ありがたい存在』と感謝する」
「俺を男にしてくれた」などといった、時代がかった、大袈裟な表現は、外部の者には、およそ理解しがたいものであるが、
こういう発言も、勘ぐって考えれば、横綱になれば、本人は勿論、その人が所属する部屋にも莫大なお金が転げ込むようになっている為ではないかと、思うが、
いずれにしても、この発言からは、現在、三人、横綱がいて、その中に、日本人が一人もいないということに関する反省などといった気持ちは、微塵も感じられない。
しかし、こういう態度は、なにも井筒親方に限ったことではなさそうである。
相撲協会のトップを含めて、協会幹部全員が、横綱に日本人が一人もいないことを、心から、恥じたり、残念に思っている人など、一人もなさそうに見える。
協会幹部も含めて、多くの親方連中は、日本人であろうがモンゴル人であろうが、自分の部屋にお金が入ってくれば、それでいいと思っているようである。
今、モンゴルでは、横綱が全て、モンゴル人になって、大喜び、かつてない快挙に大いに、沸きに沸いていることと思うが、
モンゴル人を喜ばせる為の大相撲なら、相撲協会は、協会ごと、モンゴルにもって行って、日本は、モンゴル相撲協会日本支部にでもすればいいと思う。その方がすっきりする。
少なくても、こういう状態が、今後も続くなら、次第に、相撲そのものに愛想をつかす人が多くなり、その内、相撲そのものがすたれて、相撲協会そのものがなくなってしまうのではないかと、危惧するものである。
|
|
読売新聞には、「よみほっと」日曜版、と称される、本体とは別刷りの紙面がある。
フランシスコ・ザビエルと言えば、鹿児島市の繁華街から、ちょっと入った、照国町という所にザビエル教会というカソリック教会がある。
また、鹿児島市の郊外と言えば、少し離れているが、日置市の伊集院という町には、フランシスコザビエルが、初めて日本にやって来た時、当時の薩摩藩城主、島津貴久に謁見した所と言われる、城山(じょうやま)公園がある。
城山というくらいだから、当時、島津藩主、島津貴久が居を構えていて、当時の城の跡が、現在公園になっているのである。
などといった月並みなことは知っていたが、ザビエルが、現代風に言えば、これほど、親日家だったということは、これまで、知らなかった。
彼の親日家については、去る、3月23日(日)、読売新聞「よみほっと」の中で紹介されている「フランシス・コザビエル書簡」の中の言葉として、知った。
つまり、ザビエルが、ローマのイグナチオ・デ・ロヨラ宛に出した手紙に中には、次のようのことが記されてあったという。
「日本の人たちに、どれほど感謝しなければならないか、書き尽すことはできません」と。
なぜ彼はそう言ったのか?
手紙の中に記されてあった次のような言葉で、そのことがわかる。
「神は日本人によって、私自身の限りない惨めさを深く認識する恵みを与えてくださったのですから、日本の人たちにどれほど感謝しなければならないか、書き尽すことはできません。」
何が、彼をして、それほど惨めにさせたのか?
その理由は、手紙の中にある「日本人より優れている人びとは、異教徒の間には見いだすことはできません」という言葉から推測できる。
つまり、それまで、彼は、キリスト教を信じる国民(彼はスペイン、バスク地方出身)が最も優れた国であり、民族だと思っていたに相違ない。
と同時に、彼が、わが国に到るまで、途中で、布教のため立ち寄ったアジアの国々の、生活文化の低さに、相当の幻滅を感じていたことを窺わせる。
そして、わが国に来て初めて、自国と同等、或いは、それ以上の文化文明を持った国民がアジアにいることを知って、自分がそれまで抱いいた、西欧人として、アジアの国々の人々に持っていた優越感を、深く恥じたものと思う。
だから、彼は「神は、私自身の限りない惨めさを深く認識する恵みを与えてくださった」と言うのだろうと思う。
ひところ、大東亜戦争に負けたことによって、私たちの祖先は、とんでもない悪いことをしたかのような、いわゆる自虐史観なるものが、それこそ猖獗を極めたことがあった。
現に、私が通った高校の、日本歴史の教師なんか、こんなに私たちの祖先は悪いことをしたのか、と思うほど、散々、戦争以前の日本のことをこき下ろしていた。
そして、今なお、テレビや新聞などで、そういう言動をなす者がいる。
昨日の読売新聞の、この記事により、戦国乱世、徳川幕府が成立する以前から、わが日本という国は、
世界でも有数の文化文明を誇っていて、そして、他の国々の人たちからも尊敬されていたことを知り、わが祖先の優秀さを思い、とても誇らしい気持ちになったのである。
お 知 ら せ
1、休業日、及び診療時間 変更について
平成24年10月1日より、休業を、土曜日、日曜日、祝祭日に変更いたします。
従って、今後は、月曜日から金曜日までのウィークデイが営業日となります。
又、上記営業日の、診療時間を13:00〜17:30の間と致します。
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
3、遠隔治療無料体験(体験し、納得してから、正式な申し込みをしよう)
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話での申し込み、お問い合わせ等はご遠慮下さい)
無料体験は、原則、こちらの都合(空いている時間に)により、日時を指定して、実施させて頂きます。
要領は、私のホームページ中の「電話による遠隔治療要領」にありますので、まず一読の上、治療をお受け下さい。
場合によっては、無料体験、及びその後の遠隔治療を、お断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
|
|
最近の中国や、韓国の反日の姿勢には、彼らをどう理解し、そして、日本人としてどう対処したらいいか、戸惑っている人が多いと思う。
実は、私もその中の一人です。
できるだけ、戦争は避けたいと思うし、さりとて、一部の過激な民族主義者達のように、目には目、歯には歯を式の、力対力式の思考方式にも、なんだか、馴染めないし、俄かには同意しがたい。
困るのは、中国にしても、韓国にしても、彼らが、どういう考えで、どういう感情で、反日を叫んでいるのか、よくわからないことである。
つまり、彼等が反日を叫ぶ、その理由がはっきりするなら、その対処の仕方も又、はっきりすると思うのだが。
そう思っていたやさき、折しも、今日、3月14日の読売新聞第4面に、米戦略問題研究所上級アドバイザー、エドワード・ルトワック氏に対する、「中国抑止へ近隣諸国と連携」と題する、インタビュー記事が載っているが、
これには、目から鱗が落ちる思いというか、少なくても、今後、中国や韓国と、どう付き合って行くべきかを考える上において、大いにヒントを得たような気がする。
中でも、私が、大いに共感・共鳴した箇所をピックアップして、次に紹介し、私の意見も、少し、加えてみたいと思います。
「中国の指導者は、内部からのプレッシャーにさらされています。人民は共産党支配に対する数世代にわたる非常に大きな怒りを抱いており、人民解放軍は反日だけでは満足せず、特に空母を欲しがる海軍は、米国を敵とする必要があります。」
これを見ていて、ふと思いだしたのは、かつて、読売新聞の当時の中国総局長(名前は忘れた)が、新聞に「大多数の中国国民は、共産党を憎んでいる」と書いてあったことでした。
ルトワック氏が「中国の指導者は、内部からのプレッシャーにさらされています」と言っているのは、「多くの国民は、中国共産党を憎んでいる」ということと、同じこと言っているのだと思います。
国民から、憎まれているのを知っている、その憎しみを外にそらすために、反日が必要だし、延いては、アメリカをも敵とみなす必要がある、と言うのでしょう。
「習近平国家主席は、『中国の夢』を提唱しています。その最も重要な政治的要素は、中国の力を世界中で行使するという民族意識です。こうした大国としての中国の振る舞いは、外部から大きな反発を生んでいますが、中国指導部は、内部のプレッシャーに伴う内向き姿勢のため、外からのメッセージを受け止めることができないのです。」
傍若無人というか、人もなげな、中国に対する反感は、日本やフィリッピンなどのように、近くにいて、領土・領海を争う国だけでは、ないでしょう。
東南アジアや、南アフリカなどに進出している中国企業の、自分たちの利益だけしか考えない、エゴイスティックな行動に、眉をひそめている人々が、多いと聞きます。
かねて、なぜ、こういった声が、中国の指導部には届かないのか不思議に思っていました。
それも、内部からのプレッシャー(不平不満)に対処するのが精いっぱいで、外からの声なんかに構っている余裕がないのだ、ということを、この記事で知りました。
「中国の政治システムは、日本への敵意を必要としています。それは酸素のようなものです。もし日本がお土産のように尖閣諸島を差し出しても、中国は即座に沖縄について話し始め、尖閣が欲しかったのではなく、琉球がほしいのです、言うでしょう。
中国人は、(相手を降伏させるために)謀略をめぐらす戦国時代の考え方が染みついており、もし日本が戦う姿勢を示さなければ、彼らはますます圧力を強めるでしょう。」
敵意を酸素のように、と言っているのは、彼らが必要としているのは、尖閣という島ではなくて、実は、尖閣は、敵意を煽る為の、手段でしかないということです。
そして、又、「中国人は、謀略をめぐらす戦国時代の考え方が染みついている」と言っているが、
なるほど、尖閣諸島や、南シナ海の南沙諸島に於いて、相手のスキを突いて、少しずつ、既成事実を積み上げながら、時が来たら一気に自分の領土にしてしまう手口なんか、昔の三国志の時代と、全く、変わらない、などと、妙に感心したりしてしまいます。
現在の中国の指導部が、そう言った、帝国主義以前の古い感覚でもって行動し、国家戦略を練っていることを、私たちは、しかと肝に銘じ、しっかり、備えをしておかなければならない、と思います。
「日本は韓国を自らの戦略の中に組み込むことはできないと思います。韓国は、中国を文化面で深く尊敬し、中国は(自国にとって)好意的だと常に考えています。一方日本には憎しみを抱いているのです」
「日本は韓国を自らの戦略の中に組み込むことはできない」と言っているのは、韓国は日本にとって、友好国とか、同盟国にはなり得ない、ということです。
「朴クネ大統領が昨年6月、中国の習主席に対して、伊藤博文を暗殺した安重恨の記念碑を中国・ハルピンに建てることを提案したのも、感情や非理性的な憎しみから来たものです。世界的に見て極めて異例です。
憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったからでしょう。暗殺者を顕彰しようとするのは、彼が日本と戦ったからです。」
中国や韓国が、海外で反日宣伝をして(朴大統領など、告げ口外交などと揶揄されています)、特に、アメリカなどでは、彼らの反日の宣伝の効果が効いて、多くのアメリカ人の間に、日本に対する反感が、広がりつつあるということを耳にするたびに、秘かに、胸を痛めて来ましたが、
外国人である、この人(ルトワック氏)の口から、「世界的に見て極めて異例」などといった言葉を聞くと、アメリカにも、常識と良識のある人達がいることを知って、ほっと、安堵の胸をなで下ろす思いがします。
「韓国人が日本を憎むのは、彼らが、日本の植民地時代、日本と戦わなかったのが原因で、伊藤博文を暗殺した安重根を顕彰するのは、彼が、日本と戦ったからである」、とする彼の説には、韓国人の日本に対する複雑な心情(コンプレックス)を初めて知ったような気がすると同時に、韓国の反日感情を知る上において、目から鱗が落ちる思いがしました。
「韓国の日本に対する態度は、日本が何をしようが関係ありません。いわゆる従軍慰安婦問題では、韓国の反応を期待して何かやっても、成果はでないでしょう」
韓国の反日感情は、植民地時代に日本と戦わなかったから、という、彼らの一種のインフォリオリティコンプレックス(国民性)にもとずくものだから、従軍慰安婦問題などで、妥協を図っても、彼らは又、別の問題を持ち出してくるでしょう、と彼は言っていますが、
司馬遼太郎が書いた「翔ぶが如く」には、明治初期、征韓論が沸騰した背景には、当時から、今と同じように、司馬のいう「博労が悪態をつく」ような韓国の反日行動があったことを思う時、
彼が言うように、韓国人が日本を憎むのは、日本の植民地と戦わなかったせいだとは、必ずしも言えないのではないか、と思ったりもする。
|



