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私ばっかりが、いつも、白鵬の相撲を批判をしているのか、と思って、多少後ろめたい思いでいたところ、
3月21日の毎日新聞スポーツ欄を見て、「俺ばっかりじゃないんだ」とばかり、ホッと、胸をなで下ろす思いがした。
実は、昨日の毎日新聞のスポーツ欄(ネット配信)には、次のような記事が載っていた。
記事のタイトルは、「大相撲春場所、白鵬勝利にやじ」、というものだった。
内容は概ね以下の通り。
「大相撲春場所は21日、(白鵬が)立ち合いで右に動き、おっつけ一発で稀勢の里をごろりと転がした。白鵬の横綱相撲とはかけ離れた勝利に、どよめく館内、控えめな拍手に『アホか!』などのヤジが交じった。」
「何より、白鵬が目指す戦い方は『後の先(ごのせん)』のはず。相手の攻めを受けて立ちながら先手を取る(相撲の)奥義のことで、『その完成が現役最後の目標』と常々口にしていたが、その目標に反する取り口だ」
「後の先」とは、不世出の大横綱と言われ双葉山が、現役の時の、相撲の取り口と言われているが、
白鵬が、その双葉山を尊敬し、双葉山のような横綱になりたい、と思い、日頃、口にしている事は、私も、よく知っている。
でも、日頃やっている彼の相撲は、それとは全く正反対で、立ち合いの時は勿論、取り組みの最中でも、盛んに張り手をかましたり、
又、昨日の相撲のように、立ち合い、受けて立つどころか、相手が当たってくるのを見越して、変化して引いてみたり、まるで、横綱という名前を汚すような相撲が目立つ。
「鳴かずば、雉も撃たれまいに」という諺もあるが、双葉山とか、「後の先」などと偉そうなことを言わなければ、彼にも、まだ良いところも一杯ありそうなのに、
口で言っていることと、やっていることがまるで、正反対では、新聞が言うように、「白けた相撲」と言われても、仕方ないと思う。
新聞には、「興ざめ、白鵬、変化にヤジ!」とあったが、そんな興ざめの相撲なんか、見に行かなきゃいいのに、と思うのだが、好きなものはそうもいかないのだろう。
北の湖理事長は、例によって「とっさの判断だと思う。負けられない意識があったのだろう」などと、暢気なことを言っているらしいが、
おい!北の湖。
そのうち、伝統ある国技の大相撲も、このままじゃ、プロレスやボクシングのように、「面白ければいい、とか、楽しければいい」とかいった、いわばストリートファイトにも似た、興味本位の、ただの興行になり下がってしまうぞ。
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知人の息子さんが結婚することになりました。式に出席することができませんでしたので、次のような言葉を手紙にして、餞(はなむけ)の言葉として贈りました。
O・S君へ
鎌田 毅成
結婚おめでとうございます。
残念ながら結婚式に参加できませんので、人生の先輩として、又、結婚生活の経験者として、せめて、一言、次のような言葉を送って、はなむけにしたい、と思います。
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白鵬は、双葉山を尊敬し、双葉山のような横綱をなることを、目指している、と聞く。
1月24日(土)の読売新聞によると、
「大相撲春場所で、横綱白鵬は、5場所連続33度目の優勝を決め、「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬が達成した32度の優勝記録を塗り替えた」、とあるが、
その「稀勢の里を下して、大鵬の記録を抜く33度目の白鵬」と書かれた記事の横にある写真は、白鵬が稀勢の里に、張り手をかまして、稀勢の里が顔をゆがめて、大きくのけぞっているものだった。
この写真を目にした時、私は、ふと、白鵬の張り手を批判する意図をもって、敢えて、この写真を載せたんじゃないか、と期待したのだが、
反対に、写真の下のコラム、編集手帳は、いかにも、白鵬をほめそやすように、「『日本人よりも日本人』と評される平成の大横綱は責任感も人一倍だが、この3月には30歳になる」とあって、いささか、がっかりした。
ところが、今日(1月24日)は、かの稀勢の里との、最初の取り組みで、審判団が、物言いをつけ、取り直しとなったことについて、優勝後の一夜明けた記者会見の席で、白鵬が、
「なぜ取り直しなのか。ビデオを見たが、子供がみても(自分が勝ったと)分かる相撲。なぜ、取り直しにした。(審判団は)もう少し緊張感をもってやってもらいた、と裁定に異を唱えた」という報道がなされると、
一転、この編集士は、1月27日の編集手帳で次のように、白鵬を批判している。
「横綱大鵬は物言いのつく、きわどい一番で、平幕戸田に敗れ連勝が45で途切れた。テレビ中継のビデオでは、大鵬の足が土俵に残っている。(大鵬が)勝っていた。『大変だ、誤審だ』と支度部屋に押し掛けた報道陣に大鵬は語ったという。『負けは仕方がない。横綱が物言いのつく相撲を取ってはいけない』勝負審判ではなく、あんな相撲を取った自分が悪い」という話を紹介しながら、
最後は「記録の上では相撲史の山頂を極めた人も、精神はまだ遥か下、山麓をさまよう途中らしい、好漢自重せよ。」と締めていた。
別に、「編集手帳」の編集士に、ケチをつけるつもりはないが、数日前には「日本人より日本人らしい」と持ち上げながら、
白鵬に、こういう発言があった途端に「精神はまだ遥か下、山麓をさまよう途中らしい」と直ぐに評価を引き下げる態度には、精神的なブレが感じられて、「この人(編集士)まだ、日本人というのも、相撲道というのも、よくわかってないんじゃないか」、と些かの疑問の念を禁じえなかった。
私は、特に、白鵬の相撲は、テレビでも、見ないようにしている。
何故なら、彼の相撲は、立ち合いから、途中の取り組みまで、何かと、と言ったら「張り手」の連発だからである。
ああいう、彼の相撲を見ていると、いつも、「相撲はボクシングじゃない」、と白けた気持ちになってしまうからだ。
相撲は、「相撲道」というくらいだから、ボクシングとは違う。
相撲は、ボクシングと違って、戦争とか、ケンカではない。
ボクシングは、そもそも、ストリートファイト、つまり、ケンカをする時、相手を殴り倒すことを、その発祥としていることは、明らかだが、
相撲は、日本の長い歴史とr習慣に培われた作法と、礼儀を持ったスポーツである、その作法と礼儀の裏には、脈々として、それを支える、思想哲学と、人生観が流れているはずである。
張り手も、相撲の組手の一つだという人がいるが、取り組みの最中に、思わず自然に出たものならまだ許せるが、彼の場合は、常に、意識して、相手を殴り倒そうとしている。
その証拠に、彼が取っている相撲で、張り手のなかった相撲を探すのが、難しいくらいである。
1月27日の記者会見では、記者から「今後は何を目指すか」と訊かれて、「後の先で頑張るというと、勝ち負けではなく違う世界がみられるという感じ。平成では白鵬が『後の先を』をやったと思ってくれたらうれしい。」などと、ぬけぬけと答えている。
「後の先」というのは、相手に先手を取らしておいて、その動きを見て、後で、自分がどう動くか、戦うかを、考えるというものである。
「後の先」のことで、思い浮かべるのは、昭和の大横綱とか、不世出の大横綱、と言われた双葉山のことである。
彼は、決して、立ち合いの変化とか、待ったをせず、相手が立てば立ち、相手に組手十分にならせてから、やおら、自分の業を掛けた、と言われている。
白鵬が、「後の先」という言葉を使って、「平成では、白鵬が『後の先を』をやったと思ってくれたらうれしい」などと言っているのは、双葉山を意識してそう言っているのだろうが、
立ち合いの時、必ず、相手に張り手を一発かましといて、相手が怯んだり、脳震盪を起こしてフラフラになったところを、攻め込んで行く、卑怯な相撲を取る者が、
「後の先」とか、「双葉山」などと言葉を口にすることすら、チャンチャラおかしい。
読売新聞の、編集手帳の編集士には、悪いが、
白鵬は「日本人らしい日本人」どころか、日本の心というものが、全くわかっていない、思わず「日本をなめてんのか」と思えるような外国人力士、と言わざるを得ない。
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日頃は、他人の、しかも、個人の批判は慎まなければならない、と強く自戒している身だが、
それでも、総理大臣とか、知事とか、そういった公職にある、公人の批判は許されると聞いている。
なぜ許されるとかというと、それは、例えば総理大臣個人を批判することなしには、その国の政策を批判することはできないし、知事個人を批判することなしには、県の失政を正すことができないからだろう。
つまり、個人と公の機関とが密接不離一体となっている時は、個人を批判しても構わない、ということだろうと、思う。
また、公の機関を批判する為に、その執行者個人を批判することは、延いては、その公機関を良くすることにも繋がるから、即ち、人の為世のためにする行為だから、許されてしかるべき、ということなのだろう。
さて、そういうことからすれば、サッカー日本代表も、日本を代表する公人と見れば、日本サッカーを良くするためなら、選手個人の批判も、許されていいはずだと思う。
そういう言いわけを考えながら、書くということは、まだ、心のどこかに、個人を批判するという、後ろめたい気持ちが残っているせいなのかもしれない。
FIFA日本代表、本田圭佑のことである。
先日のアジア杯豪州大会、アラブ首長国連合戦をテレビで見ていて、「本田が中心になっているうちは、日本はこれ以上、決して強くはならないだろう」と思った。
「本田以外に中心になれる選手が誰がいる」、と言われれば、それまでだが、
それでも、次のワールドカップまでに、誰か本田に代わるような選手が出てくるか、意図してそういう選手を育てなければ、決して、日本は、世界のトップクラスには入れないだろう、と思う。
本田のサッカーを、一言で言い表すなら、「雑」という一言に尽きる。
以前から、日本代表の欠点は、「決めきれない」ことにある、と言われている。
「決めきれない」ということは、つまり、途中までの試合運びは上手でも、ゴールを決められない、点が取れない、従って試合を決めきれない、ということである。
日本代表が、点を取れない、従って試合を決めきれないということは、取りも直さず、本田が点を取れない、決めきれない、ということになると思う。
決めきれない原因を、本田一人に背負わせるのは、可哀想だという意見もあるかもしれないが、
これまでの試合を見ている限り、ゴール前では、殆どの場合、本田一人にボールを集めていることからして、彼はそう言われても仕方ないと思う。
彼を「雑」だと言ったが、彼がゴールを決めきれない原因は、この「雑」な性格にあると思っている。
性格が「雑」ということは、つまり、集中力に欠ける、ということである。
集中力に欠けるから、ここぞという時に、ゴールポストを外すのである。
なぜ、私が、彼の性格が「雑」で、集中力に欠ける、と言うかというと、
具体的に言えば、「茶髪」、「チンピラみたいなサングラス」、「ビッグマウス」、「俺が俺が、という過度な自己主張」、などが挙げられる。
こういう態度を見ていると、要は、彼は、「目立ちたがり屋」なのだということが、よくわかる。
先日のUEA戦でも、試合が終わった直後、一人だけ上半身肌になって、いかにも、自分の素晴らしい肉体を、誇示しているかのようだった。
サポーターに謝っている時だって、一人だけ、裸になって、頭を下げていた。
折角、応援に集まって来てくれたサポーターに、感謝の意を伝える時ぐらいは、ちゃんと服を着て、頭を下げるのが、常識だろうと思う。
天風先生は、「真理のひびき」という本で次のように言っている。
箴言18「人生に活きる際 気取ったり ぶったり せぬように心がけると どんなに心に余裕が出来るか わからない」と言っているが、
本田の、あの態度は、気取ったり、ぶったり、していると考えられないだろうか?
天風先生は、この言葉の意味を次のように解説してくれている。
「禅の言葉に、『無碍自在』(むげじざい)というのがある。これは心に何ら執着のないときの心の力が、その融通性を百パーセントにして、その可能率を向上するという意味を喝破したものと思う。
これは理屈でなく、心に何らの執着もない場合は、いいかえると心が何もの何ごとにもとらわれていないときには、これを形容すれば、円転滑脱、自由自在に、臨機応変の対応ができるものであるということは、われわれが人生において経験する事実がしばしばこれを証明している。
反対に、心に何かの執着、すなわちとらわれがあると、心の力はたちまちに委縮して、その可能率が著しく低下する。」
要は、天風先生は、日頃、気取ったり、ぶったり、した生活をしていると、いざという時に、心が円転滑脱、自由自在に、臨機応変的に働かなくなる、と言っているのである。
だから、日頃から、気取ったり、ぶったり、つまり、何かに執着しないような生活を送らなければならない、と言っているのである。
つまり、彼が、ここぞという時に、ゴールを決めきれないのは、日頃から、つまらぬことに執着して、心の力(つまり集中力)を低下させているからだ、ということになる。
彼の、自己中心的な、目立ちたがり屋の性格は、他の選手の誰もが感じていて、皆、心の中では、彼のことを、決して快く思ってないに違いないと思う。
つまり、彼には、人望がないのだと思う。
中心選手に人望がないことが、他の選手のモチベーションを低くし、延いては、チーム全体の、団結力を弱くし、決定力を弱くしているのだと、と思う。
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正月3日(土)、暇を持て余して、見るともなく、テレビを見ていたら、BSジャパンで、「松井秀喜カリブを行く」という番組をやっていた。
前後については、よく見てなかったから、確かなことは言えないが、松井が、プロの野球選手を目指して、青少年たちが、野球漬けの毎日を送っている、ある合宿所を訪ねる、という場面を目撃した。
その国でも、プロ野球を目指す人にとっては、松井は、憧れの人らしく、ある若者が、「野球選手として最も、心がけておかなければならないことは何ですか?」と質問したところ、
松井は、即座に「日頃から、感情の起伏を少なくして置くことです」と答えていた。
松井と言う人は、何を考えているのか、その表情からだけでは、うかがい知れない所があり、これまでは、大して高い評価もしなければ、さりとて、野球人として、凡人とも思わない、といったような、ある意味では、特に興味を引かれないような存在だった。
松井のこの話を聞いた時、同時に私は、中村天風先生の、次のような言葉を思い出していた。
「真理のひびき」という本の中の箴言14に、次のような言葉があります。
「人生に 最も注意すべきことは 得意の時に 一しお心の備えを 緩めぬよう心かけることである」と。
これは、簡単に言えば、勝った時に、勝ったと思って、有頂天になってはいけない、という意味である。
本の中で、天風先生は、このことを、さらに詳しく、「残心」という言葉を用いて、次のように解説してくれています。
「(残心という言葉は)わかりやすく言えば、闘う前の心構えと、闘う最中の心構えと、闘い終わったときの心構えに、いささかの差別もあってはならない、という戒めです。」
「なぜならば、誰でも勝利を得ると、勝った!という得意感=安心感が即座に生ずるものである。すると同時に心の備えに緩みが生じて、武道家の最も怖れる隙というものが付随して生じるからである。
この隙というものは、心理学的にいうと、『放心から生ずる有意注意力の欠如』という心理現象なので、この心理現象が精神生命の内容に発生すると、心のもつ変応可能な自在性という大切なものが委縮される」
ここで、「変応可能な自在性という大切なものが委縮される」と言っているのは、咄嗟の事態に対応できなくなる、という意味である。
「しからば、『残心』という心構えとは、そもそもいかなる状態かというと、すなわち終始一貫平静の心、古語に『一以貫之』(一つの心でこれを貫け)というのと同様の心構えである。これを禅の方では『大定心』(だいじょういしん)といい、また『独坐大雄峯』(どくざだいゆうほう)とも称している。
これをわかりやすく言えば、『大定心』というのは、どんなとき、どんなことにもいささかも動揺せぬ心、いいかえると、いかなる場合にも、怯じず、怖れず、焦らず、いつも淡々として極めて落ち着いている心である。要するに、何事もないときの平静の心こそ、大定の心なりということである。」
「だから、平素の人生生活に活きる際、心の備えどころか、心の状態を猫の目のように変異させてしまっては、つまり、心というものを感情や感覚の奴隷にさせてしまっていては」ダメと言うのである。
つまり、日常の生活においても、簡単に怒ったり、悲しんだり、怖れたり、というように、心を、常に動揺させてはいけない、ということなのである。
言い換えれば、天風先生の心身統一法の教えと言うのも、結局は、この大定心、つまり、「いかなる場合にも、怯じず、怖れず、焦らず、いつも淡々として極めて落ち着いている心」を作る為の教え、と言ってもいいのである。
野球選手でも、或いは、大相撲でも、勝ったといっては、派手なガッツポーズをしたり、負けたといいっては、バット投げ捨てて悔しがったりする人がいるが、日頃から、あんなことをしていては、決して、大定心を作ることは、できないのである。
そして、大定心のない人は、特に、人生のいざ勝負という、大一番であればあるほど、心が動揺してしまって、大事なところで、一敗地にまみれてしまうのである。
松井が、こういった心境を、誰にいつ教わって、いつ身に着けたかは知らないが、言っていることは、天風先生が、「残心」で言っているような、大定心のことを指して言っていることは間違いない。
長島茂雄さんばかりでなく、松井に早く、巨人の監督なってほしいと、期待している人は、少なくない。
これまでは、松井については、特にその人柄・人格については、その機会もなかったことからして、よく知る由もなかったが、
今回の、この松井の言葉を聞いて、彼は、良い監督なるだろうと思うし、私自身、早く、巨人の監督になって欲しいと願う人の、一人になったような気がする。
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