気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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スミマセンでした

先週末、11月15日頃から、パソコンが故障していて、今日11月20日、ようやく、立ち上げることが出来ました。
 
ご迷惑や、ご不自由をお掛けした人もいるかと思いますので、ここに、お詫び方々、お知らせいたします。
 
今後とも、ご交誼のほど、よろしくお願い致します。
 
 
 
 
お 知 ら せ
 
1、サイ気療 休業日 変更について
従来、火曜日、木曜日、祝祭日を休業にしていましたが、平成24年10月1日より、土曜日、日曜日、祝祭日になりましたので、お知らせします。悪しからずご了承ください。
 
2、ホームページアドレスは 次ぎの通りです
http://www.psykiryou.comサイ気療研究会
                                                           
3、遠隔治療無料体験について
 
電話による遠隔治療無料体験:1回(10分間)のみ、「気」による遠隔治療を、無料で体験できます。
 
ご希望の方は、必ず、メール(アドレスは上記ホームページ中にあります)を使って、申し込んで下さい。(電話でのお問い合わせ等はご遠慮下さい)
 
無料体験の実施時については、原則、こちらから、時間を指定させて頂く事にしますが、それで都合の悪い場合は、その旨申し出てください、調整します。
 
遠隔を受ける際の要領は、上記ホームページ中の、「電話による遠隔治療要領」にありますので、事前に、一読の上、無料体験をお受け下さい。
 
ただし、場合によっては、無料体験をお断りすることもありますので、予め、ご承知置き下さい。
 
これは、本来一つのものとしてかかれたものが、制限字数を超過した為に、二つに分割して投稿するものです。今日は、その(2)です。前日の(1)と併せてお読みいただければ幸いです。
 
 
 
 
 
江戸時代の禅僧、沢庵さんが、「不動智」ということを言っているが、これは、天風先生言うところの、「精神統一」ということと同じ趣旨だと思うので、次に紹介してみたい。
 
松原泰道さんの、「とらわれない心、沢庵」(廣済堂出版)からの抜粋である。
 
「不動とは、うごかずという文字にて候。不動と申し候ても、石か木のように、無性(むしょう、意志や感情の無い)なる義理(意味)にてはなく候。向こうへも、左へも、右へも。十方八方へ動きたいように動きながら、卒度(少し)も止まらぬ心を不動智(不動明王の智慧)と申し候。」
 
残念ながら、沢庵さんは、「不動智」を作るためには、どうしたらいいか、その方法についてはほとんど言及してくれていない。
 
要は、どこにも囚われない心を作るには、日常生活の中で起きる小さな事柄に、一喜一憂してはいけない、ということを言いたかったのだろう、と思う。
 
 
だから、天風先生は同じ「真理のひびき」という本の中で次のように言っている。
 
「心の状態をその時その時によって、猫の目のように異変させてしまって、極言すれば、心というものを天風教義で厳戒している感情や感覚の奴隷にあえてしている。そしてその結果、心は絶えず安定を欠いて動揺の状態にある。」
 
「私は、常に『完全なる人生』に活きるには、先ずその先決問題として、心の態度を積極的に堅持せよと力説し、その作成要諦の中に、有事無事常若無心ということ、すなわち執着なき心を平常心として、人事世事一切の人生に対応していくべきであることを常に、講述しているのである。」
 
「要するにこの平常心をもって人生に処すれば、得意の時にもまたそうでない時においても、心に高低する波動的変動が来ないから、あえて特に意識的に用意しないでも、極めて容易にそのままの心で『残心』の要訣と同様の、心の備えに緩みのない理想的な心の態度が現実化しうる。」
 
 
実は、こういう事に関しては、偉そうに、原さんを責める資格など、私には、まったくない。
 
現在も、大事に、床の間に飾ってあるが、サラリーマン時代に私淑していた上司から、次のような色紙を頂いている。
 
六然誦句(りくぜんしょうく)と言う。
 
自処超然(みずからしょするにちょうぜん。自分の損得は勘定にいれない)
対人靄然(たいじんあいぜん。人に対しては、常に、やさしく、にこやかに)
無事澄然(ぶじちょうぜん。何にもない時には、穏やかに生活し)
有事嶄然(ゆうじざんぜん。事が起きた時は、意気軒昂として)
得意淡然(とくいたんぜん。勝ったからといって、有頂天にならず)
失意泰然(しついたいぜん。不遇のときこそ、悠然として)
 
一読して、意味は分かると思うが、要は、自分にとって、良いことであれ、悪いことであれ、その時々の、一時的な感覚や感情に、囚われるな、ということであるが、
 
なぜそういうのかと言うと、一々、自分の感情に囚われていては、天風先生のいうところの、有意注意力が乱されて、その結果、精神が統一しないからである。
 
 
さて、天風先生の言う「精神統一」というのは、又、禅でいうところの、「一心」とか「大定心」とかいう言葉と、同じことを意味するものらしい。
 
天風先生は、「真理のひびき」の中で、「大定心」ということについて、次のように述べている。
 
「『大定心』というのは、どんなとき、どんなことにも、いささかも動揺せぬ心、いいかえると、いかなる場合にも、怖じず、怖れず、急がず、焦らず、いつも淡々として極めて落ち着いている心である」
 
だから、剣道で、試合に勝った時でも、「勝った!」ということにも心が囚われない、残心という心がけが、必要なのだろう。
 
 
若いころ私は、「自分に正直に、素直に生きよう」と思っていた。
 
少なくても、心にもないことを言ったり、したり、自分の意志を曲げて、世間に妥協したり、つまり、偽善的な生き方だけはしまいと、誓って生きていた。
 
 
今、考えれば、「自分の正直に、自分に素直に」というのは、言葉だけ見れば、いかにも立派そうだが、
 
実際は、我がままに生きる、ということと、なんら変わりはない。
 
我がままに生きるとは、つまり、自分の感情、感覚、欲望のままに生きることである。
 
だから、さきほどの上司も、日頃から、感情や感覚に囚われすぎる私を見て、警告のつもりで、先ほどの色紙を、くれたのだろうと思う。
 
 
巨人の原さんも、そうだとは言わないが、テレビの中の彼の態度を見る限り、何かそれらしい臭いがして来ないでもない。
 
少なくとも、試合の途中、選手のプレーに一喜一憂することが、さして、悪いこととは思っていないように見える。
 
 
先日、巨人と、どこのチームの試合だったかは忘れたが、中日の監督を辞めてから、初めて、落合博光氏が、今度は、解説者として、テレビでおしゃべりしていた。
 
 
彼の解説を聞きながら、思ったことは、彼は、試合に勝つ方法を知っている、ということと、非常に頭のいい人、ということであった。
 
かてて加えて、もう一つ思ったことは、道理で、原さんはが、この人に勝てなかったはずだ、ということだった。
 
 
と言っても、特別、落合さんのフアンなどではなく、むしろ、個人的には、原さんの方が好きなのだが。
 
 
 
 
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本稿は、本来一つのものとして書かれたものですが、字数が制限字数を超えた為に、二つに分割して投稿するものです。
次回も併せてお読みいただければ、幸いです。
 
 
 
 
私は、二十代前半から、今日に至るまで、数十年間、読売新聞以外の他の新聞を、購読して読んだことがない。
 
だから、プロ野球も、数十年間、読売巨人軍のフアンである。
 
 
と断った上での事であるが、
 
 
テレビなどで、最近の、原監督の、ゲームの采配を見ていると、川上とか、水原とか、鶴岡とかの大監督はおろか、このままでは、野村、落合とかいった、最近、名監督と言われた人たちにも、遠く及ばないのではないか、と心配している。
 
 
なぜかと言うと、彼は、ベンチにいて、試合の流れや、選手の試合中の一挙一投足に、一喜一憂し過ぎる。
 
一喜一憂するのはいいが、それを、態度や表情に出しすぎる。
 
あれでは、選手が、落ち着いて試合に専念できないだろう、と思うからである。
 
 
現役の監督時代、落合さんは、ベンチにいて、どんなピンチに出くわしても、能面みたいな、無愛想な顔をして、ほとんど表情を崩すことはなかった。
 
その無愛想が災いして、監督を首になったのだろうが、
 
 
ある時、無愛想の理由を訊かれて、彼は、「選手は、監督の顔色をよく見ているから」と言っている。
 
それは、
 
例えば、ピンチになった時、監督が、ちょっとでも動揺したら、そして、それを表情に出したら、たちまち、それが選手達に伝播して、総崩れになって、負けることになる、という意味である。
 
また、例えば、ある人がエラーをしたとしよう、本人は、そのことだけでも精神的に動揺しているのに、監督が少しでもいやな顔をしたとしたら、その人は、ますます動揺して、さらにエラーを重ねるようになる、という意味でもある。
 
 
原さんは、エラーの時ばかりではない、自軍の選手がファインプレーをしたり、ヒットで点数が入った時でも、ベンチで、飛び上がらんばかりにして喜んでいる。
 
先日も、亀井選手が、9回勝ち越しのホームランを打ったときなど、ベンチから飛び出してきて、満面の笑みで、本人とハイタッチをしている。
 
こういうことは、試合中ばかりではない、勝った試合の後の、監督インタビュー時なども、自分は、平静を装っているつもりかもしれないが、その表情からは、嬉しくて、嬉しくて、嬉しさをかみ殺しているような様子が、はっきり、見て取れる。
 
 
性格が素直だから、と言えばそうだとも言えるが、野球というのは、毎日が、勝った負けたの、勝負の世界、性格が素直だけでは、とても通用する世界でもあるまい。
 
彼は、野球監督としてと、言うよりも、むしろ、人間として、つまり、人格的に、大いに問題がある、と言わねばなるまい。
 
その人間としての、人格上の欠点が、野球の采配にも現れている、と言った方がいいだろう。
 
 
先日と言っても、2~3ケ月も前の事になるが、テレビで、剣道の日本選手権を見た。
 
剣道日本一を決める試合だったが、決勝で勝って、優勝した選手が、試合直後も、そして、試合が終わった後の、インタビューでも、ニコリともせず淡々と、応答していた。
 
 
天風先生の「真理のひびき」という本を読んでいると、こういう態度を残心(ざんしん)というのだそうだが、
 
残心とは、天風先生によれば、「闘う前の心構えと、闘う最中の心構えと、闘い終わった時の心構えに、いささかの差別もあってはならない」ということらしい。
 
 
特に、勝った時など、この心構えを崩してはならない、と言っているが、その理由は、
 
「なぜならば、誰でも勝利を得ると、勝った!という得意感=安心感が即座に心に生ずる。すると同時に心の構えに緩みが生じて、武道家の最も怖れる隙というものが付随的に生じるからである。」
 
「この隙というのは、心理学的にいうと、放心から生ずる有意注意力の欠如、という心理現象なので、この心理現象が精神生命の内部に発生すると、心のもつ応変可能な自在性という大切なものが萎縮する。」
 
「心のもつ応変可能な自在性という大切なものが萎縮する」とは、分かりやすくいえば、心が臨機応変自由自在に動かなくなる、という意味である。
 
つまり、心が勝ったということに囚われてしまって、心を他に、容易に振り向けることが出来なくなる、という意味である。
 
 
私達は、よく、精神統一という言葉を使う。
 
天風先生は、精神統一とは、心の前に現れた事物現象なり、または、仕事などに他意なく一心不乱に注がれる心の状態ではなく、(これを執着という)
 
心を心の対応するものに捉わしめるのではなく、心にそれを完全に補足することである、と言っている。
 
要するに、精神統一と執着は、まったく正反対の心の状態を言う、と言っている。
 
 
そして、心を、心の対応するものに捉わしめるのではなく、心にそれを完全に補足することが出来るようになるには、つまり、精神が統一するようになる為には、前出の有意注意力というものを訓練しなければならないと言っているのである。
 
 
 
 
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一握の砂

毎年、年賀状には、自分の好きな歌(詩)を、一句、紹介することにしている。
 
今年は、石川啄木の「一握の砂」の中の、次のような、一節を載せた。
 
「命なき砂の悲しさよ さらさらと 握れば指の間より落つ」
 
 
石川の歌は好きで、これまでにも、何度も、年賀状で取り上げてきたが、とりわけこの歌は好きである。
 
 
若い頃、一時的ではあったが、石川の歌の中に、思想的臭いのようなものを感じて、わけもなく忌諱したことがあったが、
 
最近では、私にとっても、彼にとっても、思想なんかどうでもよかったんじゃないだろうか、と思うようになった。
 
 
現実、そういう思想的な傾向があったにしても、彼は、26歳という若さで死んでいるのである。
 
若い頃から、病弱ゆえ、貧乏であったことを想えば、当時の風潮からして、彼が、社会主義思想に傾倒して行ったとしても、無理はなかったろう、と思うし、
 
死んだのが26歳だったことからすれば、思想は思想として、彼がそれを行動に起こすまでには、あまりにも、時間が少なすぎたように思う。
 
 
彼の政治的な思想傾向を云々する人たちは、彼の「働けど、働けど‥‥」とか「母を背負いて‥‥」とかいった歌によって、彼が、持っていた社会主義的な思想傾向を無理に拡大解釈して、その宣伝に使っただけではないかと、思ったりする。
 
彼自身にとっては、歌う目的は、そういった、政治体制を批判するとか、思想を鼓舞するとかいうことではなく、
 
むしろ、青春の、言いようのない、哀しさとか、虚しさとか、焦燥感といったものを、歌という手段を用いて、表現したかっただけではないかと、思う。
 
否、「表現したかった」、と言うのも適当ではなく、彼の場合、意識しなくても、自然に、彼の心の中から、そういう歌が飛び出していた、と言った方がいいか、と思う。
 
少なくても、彼は、一世を風靡した、かのプロレタリヤ歌人たちとは、縁もゆかりもない人だったのではないかと、思う。
 
 
そういう意味で、彼は、一種の天才と言えよう。
 
 
バラバラにして、理窟付けしようとする気はさらさらないが、はっと、気が付いてみれば、彼のこの歌は、完全に、倒置法になっていることがわかる。
 
 
散文的に言えば、この歌は、きっと、こうなっていたはずである。
 
「握れば指の間より、さらさと落つ、命なき砂の悲しさよ」となったはずである。
 
理窟としては、こちらの方がわかりやすい。
 
わかりやすいけど、これでは、面白くもおかしくも、さらには、何の驚きすら感じない。
 
 
何の説明もなく、いきなり、「命なき砂の悲しさよ」と言って来るところが、天才の天才たるべき所以である。
 
 
「命なき砂の悲しさよ」と言われて、人は、はっとする。
 
砂に命なんかあるわけがないじゃないか、バカなことを言って、なんて思うひまもなく、
 
何の関係もない、「さらさらと」という擬音が入ってくるから、おや!何だろう!とばかり、人の関心は、いやが上にでも、高くなる。
 
そして、最後に、これまでのことを、まとめるかのように、「握れば指の間より落つ」と言うから、聞く人は、「ああ!なるほど!」、と納得する。
 
これが、本当の、「落ち」というものである。
 
 
こういう倒置法の歌が、彼の胸の底からは、何の苦もなく、次から次に、泉が湧くようにして、湧いて出ていたのであろう、と思う。
 
 
 
 
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立川談志追悼抄

読売新聞、1月9日(火)の第22面は、亡くなった人を偲ぶ、追悼抄であった。
 
今回は二人、その内の一人が、先日亡くなった、落語家の立川談志さんである。
 
 
幕末・明治維新の英雄、勝海舟には、奥さん以外に7人の妾がいて、全員、一つ屋根の下に同居していたという。
 
正妻である奥さんは、その死に際して、勝海舟と同じ墓に入るのを拒んだ、と言われている。
 
だから、今でも、奥さんの墓は、海舟の横に、並んで建っているらしい。
 
生前、随分つらい思いをしたのだろう。というよりも、心から勝のことを憎んでいたのかもしれない。
 
 
以前、読んだ、人物論の本の中に、「秘書から嫌われている社長は信用するな」という趣旨の、一文があったのを思い出す。
 
その趣旨は、人間の本性というのは、外から眺めるよりも、近くで見ている人の方が、よくわかっているから、近くにいる秘書から嫌われてるような社長には、たいした人物いないことが多い、というものである。
 
 
私は、かつて、会社勤めの頃、仕事で、アルジェリアという国に、2年ほど、滞在していたことがある。
 
その日本人キャンプに、慰問の為、立川談志が立ち寄ったことがあった。
 
スポンサーは、確か、日本航空だったと、記憶する。
 
 
例の如く、座布団から落ちるのではないかと、思われるほどの大げさな身振り手振りと、マイクが途中で故障した為、少しかすれたような声をさらに張り上げつつ、一席を語り終えた時、正直、こういうのを天才と言うのか、と思ったりした。
 
 
談志さん、と言えば、私が一番印象に残っていることは、彼独特の落語観であった。
 
落語というのは、人間の煩悩とか、人間のもつ弱さを、話題にする商売だから、貧乏で、地べたを這いずり回るような生活の中からしか、良い落語は、生まれない、良い落語は語れない、従って、良い落語家にはなれない、というものだったように思う。
 
だから、若くして、その才能を認められ、とんとん拍子で、出世した小朝は、あまり好きじゃなかったのだろう。
 
時々、彼の、悪口を言っていたみたいである。
 
テレビでのことだが、自分が酔っ払って、人前で、パンツを脱いでケツを出した話をしながら、誰それは、できる、とか、誰それは、できないとか、鶴瓶(つるべ)は脱げと言われなくても、自分から脱ぐなどと、さんざん実名を挙げながら、言った後、「小朝、あいつは、できねえな」と言っていた。
 
人前で、パンツを脱ぐのが、落語家にとって、そんなに立派なことか、などと言う向きもあるかもしれないが、談志が言いたかったことは、落語家は自分の汚い部分も人前で、平気で、さらけ出せるようでなくてはいけない、お高くとまって、きれいごとばかり並べていては、いけない、ということだったろうと、思う。
 
 
その外の、談志さんの、非常識というか、破天荒というか、色々、世間をアッと言わせた事件のことは、皆さんもよくご存知だから、いまさらここで触れるまでもない、と思う。
 
この記事を見るまで、私も、「天才とキチガイは紙一重」とか、「人間外れした怪物」とでもいうような、一種の畏敬の念で、彼のことを思っていた。
 
つまり、「こんな人が、世の中に、本当に存在しているのか」といった、驚きと、疑いとが入り混じった、不思議な気持ちで、彼のことを眺めていたのである。
 
この度の追悼抄によって、初めて、自分たちとさして変わらない、等身大の彼の姿を見たような気がして、納得できたし、また、安心もしたりしたのである。
 
 
記事の中から、等身大の彼の姿を、拾い集めると、次のようになる。
 
私のコメントも付けながら、紹介してみることにする。
 
「数々の破天荒な言動でマスコミの注目をさらった談志さんだったが、こと女性に関しては妻の則子さん(73)一筋の人だった。人気芸人にありがちな女性スキャンダルを一切起こさず、妻を「ノンクン」と呼んで生涯、慕い続けた。」とある。
 
また、記事の中には、こうも、書かれてあった。
 
「12月に、弓子(談志の長女)さんが出版した父親の闘病記『ザッツ・ア・プレンティ』には、最初の子が死産だった時、談志さんが愛妻を元気づける為に贈った手紙も収録されていた。『則子クンには僕がいるのです/だれよりも何よりも、則子クンが好きな僕クン‥‥』」と。
 
妻の事を「ノンくん」と呼んだり、自分のことを「僕クン」などと、舌足らずな言い方で、呼んでだりしているところを見ると、いかにも、年上の女房に甘える、ダメ亭主を思わせ、その甘えぶりには、少々、顔を背けたくもなる。
 
又、こういう記事もある。
 
「一門で唯一、2年半の内弟子生活を経験した立川談幸さん(57)も証言する。『旅先では一日一回、必ずおかみさんに電話をかけていました。たとえば、(きょうは夕焼けがきれいだった)って。でも長話はしない。師匠しみったれでしたから』
 
落語風に、「しみったれ」と言えば、角も立たないが、要は、「ケチだった」ということじゃないか。
 
あの豪快な、話しっぷりと、巷間伝えられる破天荒な言動からは、「ケチ」なんて、言葉は、どこからも、思い浮かばない。
 
 
等身大の談志を語る上での、極め付きは、追悼抄の末尾を飾った、毒蝮三太夫さんの次のような言葉だろう。
 
「風雲児とか天才とか言われたけど、背負(しょわ)わされて演じ続けただけ。本当は優しいヤツなんだよ。」
 
蛇足、と言われそうだが、
 
これに、少し私の解説を加えると、要は、自分で自分の虚像を作り上げ、それを利用しようとして、逆に、その虚像に振り回されている、かわいそうなヤツ、ということになるだろうか。
 
 
かつて、自民党総裁を務め、参議院議長にまでなった河野洋平のことを、誰かが、評して、「富士山のような人、遠くから見れば、いかにも、堂々としていて、立派そうに見えるが、近寄って見ると、アラばかりが目立って、失望することが多い」と言っていた。
 
本人には、少し、酷のようだが、この人は、彼のことを、「格好付け屋」と言いたかったのだろうと、と思う。
 
 
談志だって、近くに寄って見ないと、その実態は、よくわからなかった。
 
或いは、彼も、只の「格好付け屋」だったのかもしれない。
 
 
 
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