気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

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お互いに、なんの脈略もなく並べられたように見えるが、私の中では、大いに関連のある名前なのである。


先日、とある、道の駅の食堂で、蕎麦を食べていたら、つけっぱなしにされたテレビから、岩崎宏美の聞き覚えのある歌が、流れて来た。

彼女は、声量もあり、声も澄んでいてきれいだし、歌もうまい、それに、なんと言っても美人である。

すべて、申し分なさそうなんだが、以前から、あまり好きになれないというか、あまり聴きたくない歌手の一人だった。


最近は、素人でも、カラオケなんかで歌わせると、プロ並みに上手な人がいる。

一曲や二曲は、「ああ!この人は、歌がうまいなあ!」と思って感心して聴くのだが、三曲、四曲と続けて聴くうちに、「もういい!もう聴かなくてもいい!貴方はうまい!」と叫びたくなる人がいる。


このブログでも何回も言っているので、見覚えのある方もいるかもしれないが、「悲しい歌は、楽しそうに、楽しい歌は、悲しそうに」歌え、と言ったのは故藤山一郎であった。

詩だって、絵だって、書だって、見る人を意識して書かれたものは、すぐ、それとわかってあきが来たり、いやになったりする。

俳優なんかで、必要以上にオオバーな演技をする人の演技を、「臭い」と言うが、

歌でも、大向こうを唸らせようと思って、歌っている歌には、それなりの「臭み」が漂う。



岩崎宏美、同様、和田アキ子や、吉田美和にも、そういう「臭み」を感じる。

その「臭み」は、歌い方の技術と言うよりも、性格的に、自己主張が強いため、少し押し付けがましく聞こえることによるのかもしれない。


反対に、好きだと言うわけでもないが、ユーミンこと松任谷由美とか、桑田佳祐などは、特別、美人だとか、ハンサムだとか、いうわけでもないし、

歌は、と言えば、これも又、二人とも、上手と言うより、むしろ、下手な方だと思うが、どうしてあんなに人気があるんだろう、と思ってしまう。


たぶん、彼女も、彼も、性格的に、自己主張が少なく、素直なため、その歌が、聴く人に、安心感を与えるためではないかと思う。



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好きになれない人

本当は、そうであってはいけないと思うのだが、そうは思いながらも、それでも、好きになれない人というのは、いるものである。

嫌いというわけではないが、どこかで、何かが引っかかって、好きになれないのが、女優の吉永小百合さんである。


吉永さんは、私たちと、同世代である。

彼女とは、大学も、同じ早稲田だったから、

学生時代、大学のキャンパスで、見かけたとの噂を、よく聞くものだった。

彼女は、文学部だったから、私たち政経学部のキャンパスとはかなり、離れていたが、わざわざ、そこまで出かけて行って、同じ授業を受ける友人までいたりした。


当時から、サユリストなどという言葉もあって、今だに、私たち年代の者には、ファンも多い。

そして、当時も、今も、その容姿は、あまり変わっていないように見える。

いかにも、頭がよさそうで、まじめそうで、清潔そうで、優しげで、そして、なによりも、いまだに、美しい。


そういった、いかにも、非の打ち所がなさそうに見える所が、私の反発を買うところかもしれない。

人間なんて、人生なんて、そんに、きれいごとだけで、済むかい?と思ったりする。

また、キズも、汚れも、垢もあるのが、人間じゃないか?などと思ったりもする。


また、その姿が、あまりに、完全無欠のように見えるだけに、その裏に隠された何かを、つい、想像してしまうのかもしれない。

そう思うのは、彼女が、左翼的な思想傾向をもっていたことも、その原因の一つになっているのかもしれない。

彼女の左翼的思想傾向は、当時から、私たち学生の間でもよく知られるところであった。


今でも、なに食わぬ顔をして、テレビなどで、原爆反対の詩を朗読したり、反戦・反核運動をしたりしている記事を見るたびに、彼女の心の中は、昔と、ちっとも変わっていないなあ、などと思ってしまうのである。


天邪鬼なせいかもしれないが、姿、立ち居振る舞いが優雅なだけに、かえって、彼女の心の中に潜む、コンプレックスにも似た、ある種、陰のような部分を、感じてしまうのである。




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八百長

何とかという名前の、大麻を所持していた外国人力士が、だれそれが、八百長相撲をやったとか、やらなかったとか言って、テレビで騒いでいる。

プロレスは、まったくの八百長、即ち、ショーの部分だけかと言うと、そうでもないらしい。

どこでどう、勝ち負けの線引きがされているか、わからないが、実際のリングの上でも、それなりに、実力差というものがあって、それでもって、勝ち負けが決まっていくものらしい。


お相撲さんだって、プロである。

多少の八百長があっても、それがあって当たり前とは言わないが、あっても不思議だとは思わないし、それに、多少の八百長なら、許されてもいいとも思う。


わが身の事は差し置いて、お相撲さんだけに、完全な清廉潔白を求めても、それは人間の本性から言ったって、無理というものだろう。

だって、わが身に照らして、考えてみたら、すぐにわかることだろう。


天風先生も、「盛大な人生」で、こう言っているね。

「生まれた時から、天風が、今と同じように、清い人間だったら、あなた方、ちょっと傍えくっつけないぜ、あなた方より、どろぼっけな先生だったから、あなた方は先生、先生と言ってあがめるんだ。
初めから私が、傷も汚れもないなかったら、私のそばへなんか寄られはしない。この中に傷も汚れもない人は、あしたから来ない方がいい。」と。

人間、だれしも、多少の、傷や、汚れがあるのが、本当なんだよ。

サラリーマンだって、政治だって、いや、いや、茶道や、華道の習い事の世界だって、実力だけの世界ではない、八百長があるんだよ。

最近は、教師になるのだって、八百長が発覚して、話題になっているじゃないか。


人間の本性には、常に、清い神の性と、醜くて汚い動物の性とがあって、それが、交じり合って存在し、時に応じて、状況に合わせて、出たり、引っ込んだりしているのが、人間の本性というものである。

動物の性として、まず考えられるのが、性欲とか、食欲とかの本能であるが、その本能は汚くて悪いものだから、なくせ、捨てろ、と言ったって、どだい無理な話で、

実際の話しとして、性欲を捨てたら、人類が将来にわったって存続しなくなって、途絶えてしまうじゃないか、それに、食欲を捨てたら、人間、死んでしまうがな。


こういう欲望がある以上、人間の世界から、戦争も、犯罪も、なくなることはない。そういう意味では、悪くて醜い欲望なんだよ、性欲か、食欲とかの本能は。

なぜならそれらの欲望に伴って、闘争心とか、猜疑心とか、嫉妬心とが生まれてくるだろ。

だから、闘争心だとか、猜疑心だとか、嫉妬心だとかが、心の中にある以上、法律や、その法律に基づく警察力だけでもっては、犯罪も戦争も、いつまでたっても、なくなることはない。


そのようにして、戦争も犯罪も、人間の心から出ていると思わないで、「戦争反対!平和!平和!」と、叫んでいれば、そういうものがなくなるように思っているバカがいる以上、いつまでたたって、この世から、戦争も、犯罪もなることはない。

なぜなら、戦争反対!平和!平和!と言って叫んでいる人達が、人と争ったり、人の悪口を言ったり、人を傷つけるようなことを、平気で言ったり、したりしているじゃないか。

戦争や犯罪をなくしたかったら、その出所である、人間の心をきれいにすることを、考えなきゃ。



ところで、私が、大学を出て、人に勧められるまま、いや、いや、仕方なく入った会社が、太平電業という建設会社だった。

結局、入社して17年目に、会社を辞めることになったのだが、その直接の動機は、尊敬して入社した経営トップが、突然、病気で亡くなって、新しい人が、社長になったからだった。

その社長とも、年が離れているにしては、割と、親しくさせてもらっていて、それに私を高く評価してくれていることは感じていたのだが、

その人は、日頃から、そう言っていて、そして、社長になってからも、そういうことを平気で言っている、ある一つの言葉が気に入らなかった。

どういうことかと言うと、「サラリーマンなのだから、上司に対して、ゴマすりがあってもいいんだよ」ということだった。


確かに、サラリーマだって、本音を言えば、高い役職と、それに伴う高い高給が欲しくて、会社に入っているのだから、それも人間の本性の一部分だとすれば、敢えて、それに伴って発生する「ゴマすり」という行為を、を否定するつもりはないが、

と言って、経営トップが、「ゴマすりを容認するばかりでなく、それを勧めるようなことを、公然と言っている会社は、先々見込みがない」と思ったから、その会社を辞めたのだった。

経営トップが「ゴマすりなんか、みっともないから、止めろ」と言っていてさえ、ゴマすりが、人間の本性だとすれば、決してなくなりはしないどころか、せいぜい、10あったものが、7〜8位になる程度ではないかと、考える時、

経営トップが、逆に、ゴマすりを容認しているかのような会社では、反対に、10あるもののうち、7〜8はゴマすりになってしまうのは、目に見えていたからである。

果して、その会社を退社して、既に、20数年が経つが、入社当時、数千円もしていた株価が、今日では、7〜8百円という、喘ぎあえぎ、やっと、息をつないでいるような体たらくである。


世に「水、清ければ魚住まず」とか、「清濁併せ呑む」とか、という言葉もある、それに「寛容」、という言葉もある。

人間の心の中が、清いものばかりでない以上、ゴマすりも、八百長も、そして、犯罪も、戦争も、決してなくなることはないと思う。

なくならない以上、どうしたらいいかと言うと、なくしようとして、無駄な努力をするより、常に、美しく清いものを、8〜9位にして、醜くて汚いものを、1〜2位に保つ努力をしなければならないのではなかろうか。


お相撲さんの世界が、高潔な精神の持ち主だけが、集まってくる世界ならまだしも、私たちと、同じような人達によって出来ているのなら、相撲でも八百長は、決して、なくなりはしないよ。

なくそうと、無駄な努力をしないで、それを1〜2位に押さえて、後の8〜9割は、ガチンコ勝負の世界にしたらいいんだよ。

あんまり、きれい事ばっかり言っていたら、「角をためて、牛を殺す」という結果にもなりかねない。



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素粒子

今年のノーベル物理学賞に、三人の日本人が選ばれて、今、日本中がその話題でもちきりである。

いずれも、素粒子理論の研究者だという。


ところで、素粒子理論の源流は、古代ギリシアにまで、遡るらしい。

アリストテレスは、「万物は、土、水、風、火の組み合わせでできている」と考え、デモクレトスは「物質は無数の粒子から」できていて、それ以上分割できない究極の粒子を「原子(アトム)」と名づけたらしい。

その原子の存在が認められるようになったのは、19世紀になってからで、20世紀になると、その原子もさらに細かい粒子で、できていることがわかってきた。


原子の中心部に原子核があり、原子核は電気を帯びた陽子と、電気を帯びない中性子でできているが、

陽子と中性子、それにマイナスの電気を帯びた電子が、物質の「素」になる粒子ということで、これらを、素粒子と呼ぶようになったという。

その後、1950年から60年代にかけて、加速器で粒子を衝突させる実験が進むにつれ、この外にも、次々に、素粒子が発見され、結局、数百種にも素粒子が発見されるに至って、こんなに物質の「素」があっていいものか、と考えられるようになった結果、

それでは、素粒子の中に、さらに小さな粒子が潜んでいるのではないと、考えられるようになり、それが「クオーク」の発見につながったらしい。

従って、現在、これ以上分けることのできない粒子は、「クオーク」と考えられている。


面白いのは、このように、細かく、物質の「素」を追求して行くと、宇宙がどのようにして誕生かということがわかるのではないか、ということである。

これには、先ず、宇宙は、こうして始まった、のではないか、という仮説を立てておいて、それを、検証するという作業を通じて、宇宙の誕生まで、探ろうというものらしい。


「仮説」と、私が言ったのは、他でもない、理論的には、そうであるということが証明されていても、現在、それを見た人もいないし、実験で証明した人もいないからである。

そして、今後何百年か、何千年かたって、この物質界という宇宙の誕生が、証明された時は、あるいは、今考えられているような宇宙の誕生なんかなかった、という可能性だってありうる、と思うからでもある。


宇宙の誕生について、前提となっている仮説が、宇宙はビッグバンという、大爆発に始まって、膨張を続けながら、次第に冷え続けて、現在の姿になった、ということである。

さらに次なる仮説が、宇宙が誕生した当初の、宇宙の温度は1兆度以上もあり、そこでは、これ以上細分化できないクオークと、電子だけがあって、激しく飛び交っていた。

そして、宇宙が冷えるに従って、クオークが3個ずつまとまって、陽子や中性子でき、その陽子や中性子がくっついて、ヘリュウムや原子核ができ、さらに宇宙が冷えて、原子の周りを電子が回る「原子の時代」になった。


この仮説を、逆に辿って、宇宙の誕生まで、辿り着こうとしているのが、素粒子研究というものらしい。

だから、超極微の世界を研究する素粒子研究は、この宇宙の誕生を、を追求することにもなる、と言う。


ところで、この度、ノーベル賞を受賞した、お三方に対しては、その頭脳の明晰さと、情熱と、忍耐には、率直に言って、頭が下がり、また、尊敬の念を禁じえないものがあるが、

いずれしても、こういったことは、所詮、物質の世界だけに限られた世界の話にすぎない。

こうして、研究者が必死になって、宇宙の誕生まで辿り着きえたにしても、「その物質は何から出来た」という疑問は、依然として残る。


さて、道元禅師は、こういうことを言っている。

「万法を修証するを、迷いとなす。自己を修証は、悟りなり。」と。

これは、簡単に言ってしまえば、科学でいくら研究して見ても、物質で形成される宇宙のことはわかっても、物質界という小宇宙を含めた、大宇宙の実相は、決して、わかり得ないぞ、この大宇宙の真実は、己を大宇宙に存在する宇宙法則に沿わして生きて、初めて、わかるようになる。という意味である。

また、天風先生は、物質を創っているものだけではなく、この世の森羅万象を作っている「素」を、次のように言っている。

「更に、この霊性意識と言うものが、極限に達すると、ここに、最も尊厳な太極意識という幽玄な特殊の意識が発現するようになる。この太極意識が発現するようになると、宇宙の森羅万象を作り出す根源となっている、いわゆる先天の一気と言うものを明確に知覚的に認識する」

「元来この先天の一気というものは、別名を「霊原素」ともいって万物の根源的要素をなすものである。」と。

結局、先ほどのノーベル賞のお三方が、どんなに物質界のことを、突き詰めて研究して行っても、まだ、その先があると言うことなのである。


「よく宗教家が、『神見の妙』という言葉を使うが、これは信仰が本当に徹底すると、神を見ることができる、という消息を形容したものであるが、けだし、この先天の一気を知覚認識した時の微妙な感じを言ったもの、と考える。」

「しかもこの太極意識は、真に一瞬の刹那なのであるが、その刹那には、前述の万物の根源である先天の一気という、自己の生命を現実に抱擁する、大宇宙生命を近く認識するために、筆舌では尽くしがたい無上の歓喜=宗教家の言う無上法悦、という大境地に達入するのである」

「一体、この意識が発現すると、どうして先天の一気という、霊原素を認識し得るのかと言うと、この太極意識が発現すると、人間の精神生命の中枢本体が発動するためなのである。」

「するとその人の観念の状態が、原念状態という特別な状態になる。原念状態になると、その人の心は、絶対にいささかの雑念も妄念もない、純一無雑の状態になる。するとその時の心の知覚作用は、極めて高度の鋭敏さを発揮し、いかなる優秀な顕微鏡を以ってしても、認めることが出来ない、先天の一気=霊原素という超微粒子的のもを認識しえるようになる」

この天風先生が言っていることが、間違いないとすれば、人類は、いかに科学が進歩したとしても、究極的な意味で、この宇宙を創った「素」は、発見できないことになる。


「ところが、普通の人は、平素せいぜい、心性意識(理性)まで位しか発揮していない。従ってその観念領域は、複雑混沌たる雑念妄念で、充満しているという有り様である。だから、到底、この先天の一気を知覚認識するという、尊厳な特殊作用が発生しないのである。」

「かの坐禅三昧の修行も、所詮、この境地に心を達入せしめようとするもので、また、私が精神統一の励行と同時に、平素の人生生活を努めて霊性満足(人の為、世の為に生きること)という点において、それをひたむきに自己の生活目標とせよ、と力説するのも、この境地まで、諸君の意識を拡大向上せしめたいがためである」

「いずれにしても、事実において、人間としての最高理想は、この霊感発現の人たることにあるということは、何ら疑いのないところである。そして、この霊感というものを自由に発現して生きえる人は、いわゆる霊格者と称し、普通の人格者よりも一段超越したか神に近い人といえるのである。」


「要するに、吾人の修業の目的もまた、その点にあるので、実際において、もしも、修養練磨してこの境地に達することを得れば、いわゆる真の安心立命を獲得し、一切の疑惑も恐怖も不満もなく、また、毀誉褒貶も心にかからず、常に、恬淡明朗という輝かしい歓喜の世界に生きられるようになる、というのも、つまり、強固な信念が期せず作為され、それがまた、自己統御の基盤となるからである」

天風先生は、「霊性の生活」をすれば、遂には、人生の全てを、霊感で生きられるようになる、霊感で生きられるようになれば、安心立命、一切の疑惑も恐怖も不平不満もなく、生きられるようになると言う。


上で、天風先生が「霊性満足の生活」と言っているのも、道元さんが、「自己修証」と言っているのも、言わんとしている事は、二人とも、同じなのである。

「霊性の生活」とはつまり、「宇宙法則に沿って、毎日を、生きなさい」ということである。

なぜかと言うと、「人の為、世の為に生きる」生き方が、つまりは、宇宙法則に沿って生きる生き方になり、

その正反対が「自己中心的」な生き方になるが、

「自己中心的な生き方」をすると、心の中に、雑念妄念が群雲の如く発生してきて、先天の一気を見るどころではなくなるからである。


調べたわけではないから、よくはわからないが、その風貌から察するところ、今回ノーベル賞を受賞したお三方とも、天風さんが言われる所の、心性意識(理性心)しか働かせていない生活をしていたように察せられる。

少なくとも、霊性の生活からは、ほど遠い生活をしていた人達のように、見える。


とすれば、ノーベル賞は頂いても、ただ、それだけで、彼らが幸せになる、とは言い難い。

あるいは、これまでも、これからも、幸福な生活を送れるとは、限らない。

つまりは、当たり前の事なんだが、ノーベル賞をもらうことと、その人が、幸福な人生を送るかどうか、という問題とは、全くの、別の問題である、ということである。

だから、野暮とは、思うが、かの人達に、直接、訊いてみたい気もする。

「ノーベル賞を貰って、貴方は、幸せですか?」と。

きっと、我々同様、「否定的な」答えが、返ってくるのではないだろうか。


出世するとか、お金持ちになるとか、名誉を得るとかということと、人が日々「幸せ」を感じつつ、長い一生を送れるか、どうか、ということとは、まったく、別問題なのである。

いや、そういうものを得た人達は、きっと、別のこれに変わる何かを、犠牲にして生きてきた人達かもしれない、と思うのである。


あの人達のように頭が良くないから、そう考えるのかもしれないが、私は、やっぱり、ノーベル賞なんかより、「霊性の生活」をして、安心立命して、日々を、幸せな気持ちで、生きて行きたい、と思う。




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俳句

特に好きというわけでもないが、新聞の俳句欄には、毎朝、必ず目を通す。

他の新聞はどうか知らないが、我が愛読紙である読売新聞の俳句欄には、必ず、写真と句評が、添えられている。

それにしても、残念なのは、俳句だけ読んだのでは、その殆どが、意味が直ぐには読み取れない場合が多い。


写真を見て、句評を読んで初めて、ああなるほどと、納得が行くのだが、それはそれなりの、感動や喜びがあって、その価値を、まったく認めないわけではないが、

文章というものは、平明率直、達意の文で、あるべし、という信条をもっている自分としては、

写真を見て、句評をみて初めてわかる文章、というものについては、いささかの抵抗を禁じえない。


俳句ではないが、例えば、好きな短歌に、会津八一(あいづやいち)という人の

ならさかの いしのほとけの おとがいに
こさめながるる はるはきにけり

とか、

ゆうされば きしのはにふに よるかにの
あかきはさみに あきのかぜふく

というのがある。


全てが、ひらがなで綴られているせいでもあろうが、実に、読みやすく、わかりやすい。


それは、一つ、短歌に限らない。

俳句だって、だれでも知っている句に、

松尾芭蕉の、

古池や、蛙、飛び込む、水の音

とか、

小林一茶の

やせ蛙 負けるな 一茶 ここにあり

などというのがある。

これなども、実に、平明簡潔で、わかりやすく、楽しい。

俳句も、本来、平明率直、達意のものであったはずなのだが、最近、どうしてこうなったのだろうと、いつも、俳句欄を見るたびに、そう思う。



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