気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

無題

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最近、毎週のように、休みになると、近くの温泉に行くことにしている。
幹線道路を折れて、川沿いの、くねくねと曲がった、車がやっと離行できる程度の、山道を上がって約5分、うっかりしていると、見過ごしてしまいそうな入り口を、右に曲がってしばらく行くと、いきなり視界が開けて、唐突にその温泉が出現する。我が家を出てから10分くらいの距離である。
中に入ったら、室内の浴槽群を、一目散に通り抜けて、外にある露天風呂に向かう。そこが私のお気に入りの場所だ。浴槽の脇には、椅子が三つ置いてあって、温泉に居る間の時間、殆どをその一つの上で過ごす。勿論、湯船にも何回か、入るには入る、が、入っている時間は非常に短く、直ぐに上がって来て、又、その椅子に座る。その繰返しである。それで、一時間ぐらいは、すぐに経つ。
露天風呂は、川が大きく蛇行する場所にある。川は大きく蛇行すると、当然そこには、広い川瀬が出来て、反対に川幅は狭くなる。そうなると、そこを流れる流れは速く、瀬音も大きい。
椅子に座って遠くを見やると、遠くの杉や檜の小高い山を背景にして、楠やその他の雑木が、うっそうと茂っている。
後ろに、川瀬の音を聞きながら、見るともなく、目の前の、楠の若葉に見入っていると、そよそよと川風が吹き渡って行く。それが又、濡れた体に、実に心地好い。
いつの間にか、瞑想の時の、三昧境の様な、うっとりとした気持ちになる。「ああ、こういう気持ちになれて、ありがたいなあ」とつくづくそう思う。その時、いつも想い出すのが、かつてサラリーマンをしていた時の、同僚との会話である。
あるとき、その男は僕に言った「もういやになったよ、一週間ぐらい仕事を離れて、どこか田舎の温泉にでも行ってのんびりしたい」と。
よく聞く話であるが、職場を離れて、遠くへ行ったら、のんびりできるかといったら、そうは行かないのである。それは、「心は、置いて行けない」からである。
皆さんも経験がないだろうか?静かな気持ちになろうと思って、田舎の、だれもいない所に行ったら、これまで以上に、雑念妄念が、次々と湧いてきて、困ったというような事は。
ストレスも、雑念妄念も、自分の心が創り出しているものである以上、環境をいくら変えても、心が変わらない以上、逃れようがないもなのである。
話は変わるが、かつて、私も、大学を出て、22年間位、サラリーマンをしていた。藤沢の自宅から、東京の職場まで、約一時間半位、満員電車に揺られて、通勤していた。
電車の中には、マナーを知らない、無神経なヤツが一杯いるもので、その頃、私が、気になったのが、ウォークマンの音漏れと、新聞であった。
どだい満員電車の中で新聞を読むのは無理があって迷惑なものだが、中でも、私が一番いやだったのが、朝の通勤ラッシュの電車の中で、吊り革につかまりながら新聞を読んでいるヤツだった。
満員電車の中は、自分の嫌なヤツが来ても、逃げ出すわけに行かない。吊り革につかまって新聞を読んでいるヤツは、最初のうちは、それなりに新聞が他に触るのを、気に使っているようにも見えたが、そのうち、夢中になって、新聞の裾が垂れて来て、他人に迷惑かけているのも、気が付かないようになる。
私は、背は162センチくらいしかなく、おまけに中年の頃には、頭髪が殆どなくなりかけていたので、そういうヤツが傍に来ると、もう最悪だった。電車が揺れるたびに、次第に新聞の裾が垂れてきて、触るか触らないか、微妙なタッチで触れてくるのが、実に嫌で、不愉快だった。自ら、逃れようがない環境だけに余計に腹が立った。
今でも、その気味は多少残っているが、その頃は、もっと短気で、結構喧嘩早かったので、随分、イザコザを起こしたものである。
それが、とあるところで、瞑想をするようになってから、気持ちが、変わり始めるのである。話は、こういうことである。
瞑想を始めて半年も経った頃だろうか?頭頂(百会)に軽く針で刺されるような痛みを伴って、何物かが頭の中に入ってくるのを、感じ始めた。
時を同じくして、それまでイライラしたりカリカリして怒っていたような事に出会っても、割と平気でいられるようになったのである。つまり「あれ!いつもならこんなことがあったら、直ぐに怒ったり、気にしてくよくよしていたのに、ちっともそうならない」と思うようになったのである。

ところで、私たちの思考というのは、どういうメカニズムの元に発生しているのだろうか?ということを考えてみたい。心理学的に言うと、我々人間の思考と言うものは、心の深部で行われるのではなく、実在意識と称される、心の表面で行なわれているものである。
ところが、この思考が、心の表面である実在意識領で行なわれる時、実在意識単独の働きで行なわれるのではなく、実在意識領が何らかの刺激なり、衝動を受けて、思考を行なおうとする時、とっさに、これに応じて心の深部にある、心の倉庫とも言うべき、潜在意識の中から、その思考を組み立てる材料を実在意識領に運び込んで、ここに、一つの思考形態が具体化する。そして、この思考の材料ともなるべきものを、観念要素と言うのである。
だから、人間の思考と言うのは、この観念要素次第ということにもなるのである。例えば、一つの問題に対して、10人の人がいれば、10通りの違った意見が出てくるのは、それぞれが持っている観念要素の違いによるものなのである。
また、こういう経験をしたことはないだろうか?ここで怒っちゃいけない、ここで悲しんじゃいけない、ここで動揺しちゃいけない、と思いつつ、自分で自分の心がどうにもならなくて、心ならずも怒ってみたり、悲しんだり、動揺したり。
あなた方は、偉いからそうことはあまりなかろうけど、つい5〜6年前の私など、それこそしょっちゅうだった。「心こそ、心迷わす心なれ、心に、心せよ」なんていい言葉だ、全くそのとおりだよ、と思っていた。
だから、この心の潜在意識の中にある観念要素を変えない限り、いくら実在意識で、人間はかくあるべしなどと、努力してみても、しょせん無理なのである。
それでは、潜在意識の観念要素はどのようにしてできるか?それは、先祖代々受け継いだものもあるが、その殆どは、この世にオギャーと、生を受けて以来、見たり、聞いたり、触ったり、嗅いだり、考えたり、したものが全て、人間が持つ暗示感受習性というものよって、潜在意識に貯えられて、観念要素となるのである。
私が、通勤の満員電車の中でウォークマンの音漏れを気にしたり、新聞の端が垂れてきて頭に触るのを気にしたりするのも、全て、自分の潜在意識の中にある、観念要素のせいだったのである。
言い換えれば、気になる原因は、外にあると思っていたが、それは全て、自分の心の中、つまり、内にあったのである。
又、私が友人に、「職場を遠く離れて静かな所に行けば、仕事も、煩わしい人間関係も忘れて、落ち着いた静かな気持ちになれるか、と思ったら大間違いだよ」、とそう言うのも、そのストレスの原因は全て、外にあるのではなく、内、つまり自分の心の中にあるからなのである。心だけを職場に置いて行ければいいが、心はどうして、そのままの状態で、自分の行く所へ、くっついて来るからである。

私は、今では、通勤電車の中でも、歩いていても、気療の仕事をしている最中でも、瞬時にして無念夢想の状態になれる。人が、心のことで苦しむのは、マイナス思考はいけないと思っていても、その不愉快でいやな思いを、断ち切れずにいつまでも、どこまでも、引きずってしまうしまうが為である。
うつ病とか、ノイローゼとか神経衰弱などという心の病は、このような連綿と続く、嫌な思いを断ち切れずに、どこまでも引きずってしまうため、遂には、心のボルテージが低下してしまうことから発生する病気なのである。
と考えていくと、このような心の病に対処する方法も、自ずと見えてくる。連綿と続くマイナス思考を、どこかで断ち切りさえすればいいのである。
お前は簡単にそういうことを言うが、心というのはそのように簡単に変えられるものではないよ、と言う人が大多数ではないかと思うが、それは、心を変える具体的な方法を知らないからそう言うのである。
その具体的な方法をここで述べるには、あまりにも、このブログの紙数は限られているので、少しだけ、しかも結論だけを先に述べておく。
後は、ご自分で、考えたり、勉強されたりしたい。私も望まれるなら、そのお手伝いぐらいするのは、少しもやぶさかではないのだが、「求めよ、さらば開かれん」である、少なくとも、扉く押し開こうとする努力ぐらいは、ご自分でされなければいけない。
先程来言うように、人間の思考と言うものが、潜在意識の中の観念要素に左右されていて、その観念要素は、この世に生を受けてこの方、見たり、聞いたり、触ったり、考えたり、することから発生するものであるとするなら、今後、見たり、聞いたり、考えたりすることを、意識的に変えればいいだけの事である。
病気の人、それも特に、心の病で苦しむ人に、言いたい。毎日毎日、来る日も来る日も、寝ても覚めても、病気の事ばかっり、心配したり、気にしたり、怖れたりしていませんか?そいうことをやって気持ちいいですか?それはプラス思考だと思いますか、マイナス思考だと思いますか?
そういう風に、恐れたり、心配したり、したマイナス思考が、潜在意識の中に、観念要素としてインプットされ、事あるたびに、実在意識の表面に現れてきて、貴方を悩ませ苦しませていると思いませんか?
そういマイナス思考が、気持ちよくて、楽しいならまだしも、そいう嫌で、不愉快な感情が、とつおいつ、昼も夜も、のべつまくなしに、心に現れてきたら、どんなに心が強くて、毛が生えているような強心臓の人でも、心のパワーが落っこって、うつ病にもノイローゼにもなると思いませんか?自分で自分の首を絞めるようなことをしていると思いませんか?
とは言っても、私だって、若い頃、高校受験に失敗して、ノイローゼになったことがあるんです。だから、あまり偉そうなことは言えないんです。私だって、生まれ付いての強心臓だったのではないんです。私もやはり、元は、あなた達と同じように、弱い人間の人間なんです。

悟った人というのは、心の中に、怒りや、悲しみや、怖れ、といったマイナス思考が心の中に起こらない人を言うのではないのです。どんなに悟った人でも、そういう感情はあるんです、心の中に発生するのです。
では、そういう人たちというのは、我々と、どこが違うかと言うと、そういうマイナス思考が発生しても、直ぐにその感情や感覚を断ち切って、プラス思考に心を転換させるテクニックをを持っているだけなんです。ただ、それだけなんです。つまり、貴方達のように、マイナス思考をいつまでも引きづらないだけなんです。
私は、自分自身、悟っているとは思いませんが、それでも、いつどこでも、瞬時に(少し時間がかかることもありますが)、無念無想の心境になることが出来ます。私が、先程のように、露天風呂で、川風に吹かれつつ、遠くの山々を眺め、「ああありがたいなあ!」とつくづく思うのは、心を瞬時に切り替える方法を、体得しているからなんです。
その心を瞬時に切り替える方法は、「気」と断然関係があるのです。だから、私は、「気」がわからない人は、どんなに名が売れた学者であろうと、どんなに大きくて、名の知れたお寺の住職であろうと、おそらく、きっと、偽者に違いない、とそう思っているのです。
不思議なことに、書けば書くほど書きたいことが一杯出てきて、もう止めようもなく、文章が長くなってしまうんです。だから、この後は、いずれ又の機会を、お楽しみに。と言って、終わらせなければ、終わらせようがないんです。

前稿で、気と心の関係を、心が、怒り、怖れ、悲しみ、等いわゆるマイナス思考で満たされている時、気が私たちの命の中に流入する程度が、減少し、反対に心が、明るく、朗らかで、活き活きとして、勇ましい、いわゆるプラス思考になっている時は、気の流入する程度が増加するということを、自分の体験を交えながら、お話しました。
ということは、気の流入する程度を多くするためには、常に心の状態を、明るく、朗らかに、活き活きとして、勇ましい状態に保って、怒り、怖れ、悲しみといったマイナス思考要因を心の中に発生させないようにすれば、いいわけでしょう。

「いいわけでしょう」、なんて、あんた、簡単に言うが、これが難しいんだよ!と叫んでいる貴方、貴方は正しいのです。私も半分、貴方達に同感です。同感しない後の半分は、これからおいおい話することにします。

これを簡単に出来るように言うのが、現在の三大宗教と呼ばれるものを含めて、宗教というものの正体なんです。
心、という不思議な働きをする、掴まえ所のないもの正体を、ハッキリ明確に説明しないで、つまり、どういう風にすれば、あの人たちのようになれるか、その方法を具体的に論理的に教えないでおいて、「ただ信ぜよ」とか「信なき衆生は度し難し」などと言われたって、そう簡単に信じられるか、というのが貴方達の立場でしょう。実は私も同じ立場なんです。

私は、幸福とは、「日々感じる、心の平安」の事を言うのだと、そう思っています。そう考える時、
何もない時は、「神われとともにあり」とか「ありがたいことです、救われました」と言いながら、大病だとか、不幸に出会ったりすると、「神もめちゃくちゃ、我もめちゃくちゃ」、取り乱しちゃって、何もかもめちゃくちゃ、というのが、宗教を信じる人たちの真相・実態ではないですか?
何かあった時に、精神的な助けになってくれるのが、本当の宗教じゃないですか?困った時にこそ「心の平安」を与えてくれるのが、本当の宗教じゃないですか?なんでもない時は、助けてもらわなくたっていいですよ。
宗教を信じて救われたと思っている信者達、又、そうすれば救われると言っている宗教家達、本当にそうですか?人生になにがあっても、つまり、病気をしても、不幸にあっても、泰然自若、虚心平気、少しも取り乱すことなく、事に対処できる強い心になっていますか?そうなら私もその宗教を信じますがね。

心なんて、ある宗教に入ってその宗教の教義を信じたら、たちまち強くなって、平安と安心で毎日をすごせるようになるか、と言うと、心なんてそんなに単純なもんじゃないんです。「心こそ、心まどわす心なれ、心に、心、心せよ」と言うのが、本当なんです。

とは言っても、その心を何とかしなければ、幸福にはなれないんですが。皆さんは心なんて自分でどうにかなるもんじゃないよ!と思っていませんか。あるんです。その方法が。事実、私はその方法によって、自分の心が強くなれたばっかりに、こうして自分の健康ばかりでなく、人の病気まで治してあげられるようになっているんです。
心が強くなれば、私が繰返し、繰返し言っているように、人間の命の中に、我々の命を生かしてくれている、「気」が豊富に流れ込んでくるようになっているんです。そういうしく仕組みに人間の体というのはなっているんです。
又、これも何遍の言っているように、心も体も(森羅万象全て、と言っているのはそういう意味)気から出来ているんです。だから、気が私たちの体に入って来れば、心に入って来れば心に力となり、体に作用すれば、体の力となって、健康になるんです。

さて、その心を強くする方法なんですが、次ぎの二つがあるんです。
1、自己中心的な生き方をしないこと
2、心を強くする方法は、その心に何らかの方法を駄目なんです。その方法があるんです。

先ず、第一の自己中心的な生き方をしないことなんですが、
この世の生き物で、目的をもってこの世に生を受けていないものはない、と言われます。即ち、黴菌一つにしても、目的があってこの世に生を受けて来た、と言われます。ましてや万物の霊長と言われる我々人間に、この世に生まれてきた目的がないはずがありません。

皆さん、我々人間というものは、誰しも、崇高な目的をもってこの世に生まれてきたんですよ。
それは、お金儲けをするためでもなく、出世するためでもなく、ましてや、いい着物を着たり、旨いものを喰ったりするために、この世に生を受けているんじゃないんですよ。

何をするために、人間はこの世に、生を受けたのか?
それはこの世の進化と向上に貢献するために、この世に生を受けたんです。もっと具体的に言うと、「人のため、世のために」ばることをするために、私たちは、この世に生を受けているんですよ。これが宇宙法則なんです。これは未来永劫絶対不変の宇宙の真理なんです。
この法則に反して、自分のためだけにお金儲けをしようとか、人はどうでも自分だけが出世すればいいとか、なるべく苦労をしないで、いい着物を着て、旨いものをたらふく食って、いい家に住んで、美人の奥さんを嫁にもらってなどと、自分に都合のいいことばかり考えているから、病気になったり、不幸が訪れたりするんですよ。

そういう意味では、病気も不幸も、お前は、この宇宙真理から外れて生き方をしているぞ、というこの世を創った造物主からの、警告であり、反省を促すイエローカードなんです。
最近の事柄で言えば、ホリエモンも村上フアンドもなるべくして、ああなったんです。村上フアンドの村上世彰さんが、記者会見で「お金儲けして何が悪い」と言っているのを聞いて、「ああ本当だ」と思った人いませんか?そう思わなくても、「なんかおかしいが、よくわからない」と思った人が大半だと思うが、どうだろうか?

私は、言うんです。あれはエンジョ交際をして咎められた女の子が「お金をもらって、楽しいことして何が悪い。大人だってしているじゃん。人に迷惑かけていないじゃん」と言っていることとと全く同じ論理だ、と。
お金儲けだって、エンジョ交際だって同じなんです。「お金儲けして何が悪い。エンジョ交際して何が悪い」と言い出したら、もうお終いなんです。だから私が、ホリエモンも、村上世彰もなるべくして、そうなったと、そう言うんです。
あなたたちも、一緒だと思うが、残念ながら、あれが、どうして間違っているのかを、正しく答えられる人は、ごくわずかなんですよ。
セックスもお金儲けも、適当に抑制されることがなく、「何が悪い」と言って、それだけを追いかけていくと、そういう欲望は、燃やせば燃やすほどボウボウと燃えてきて、始末に終えなくなるんです。
つまり、1億円儲かったら、10億円、10億円儲かったら100億円ときりがないんですよ。そういう人間の本能から欲望は、あたかも、塩水を飲むようなものなんです。飲めば飲むほど喉が渇いてきて、余計水が欲しくなる。
そして、厄介なことには、そういう自己中心的な欲望は、際限がなく、決して満たされることがないことから、その満たされない不満からくるストレスも又、際限なく発生するのです。人の迷惑になって、法を犯してでも、欲しい欲しいと、とこうなってしまうんです。
こういった自己中心的な生き方こそ、怒り、怖れ、悲しみといったマイナス感情が、心の底から次々と湧いてくるような、生き方なんです。ということは、つまり、私たちの体の中に気が入ってくるのを拒否しているような生き方、と言うことなんです。

これに反して、人のため、世のためにする生き方は、すればするほど、喜びや楽しさが、ますます、増えてくる生き方なんです。第一、自己中心的な生き方から発生する、満たされないことによる、不平不満がありません。つまり、毎日を明るく、朗らかに、活き活きとして、勇ましく、生きられる生き方なんです。言葉を変えれば、気が体内に豊富に入ってくるような、そんな生き方なんです。

現代風に言えば、ストレスもないんです。皆さん、こういう生き方以外に、ストレスを避ける方法はないんですよ。自由、気まま、本能の赴くまま、自己中心的に生きて、しかもストレスもないなんて生き方は、この世にはないんです。
こういうことからして、人のため世のため、生きることこそ、本当にに神の摂理(宇宙法則)に沿った生き方だと思いませんか?神に愛される生き方をして、初めて幸運も、健康も得られるのだと、思いませんか?(お断りしておきますが、私は、特別な宗教又は、団体とは、一切関係ありません)
2、の心を強くする具体的な方法については、稿を改めます。お楽しみに。

気と心

この世の森羅万象全てが「気」から出来ているのです。つまり、月も太陽も、そしてその他の星たちも、この地球上の岩も、土も、水も、空気も、光も全て「気」を材料として出来ているのです。勿論、全ての植物、人間も含めて、全ての動物が「気」を材料として出来ているのです。
そう言うと、何をもって、お前はそういうことを、自信ありげに言うのか、その証拠を示せと、さも不満げに訊く人がいるんです。本当は、皆さんも、今、そう思っているんでしょう。
それは理屈じゃないんです。本を読んだり、テレビを見たり、新聞を読んだりした結果、つまり勉強して知りえた知識ではないんです。自らの実体験によるものなんです。つまり自分の体を通して、即ち、経験を通じて、知り得たものなんです。
眉に唾をつけながら、見ている人が多いことは、十分承知しながら、私が、サイ気療(気功とは違う)と称して、「気」によって病気を治すことができ、「気」によって治せない病気はない、だから、特に、医者に行っても治らない病気でお困りの方は、私に相談しなさい。と殆ど叫ぶように言っていることは、私のブログを真剣に見られている人は、既にご存知の事と思う。
そうなんです。気によって治せない病気はないんです。だから私が、人間の体も「気」から出来ていると言うのです。だってそうでしょう。この病気は「気」によって治せるが、あの病気は治せない、と言うんだったら、人間の肉体は「気」によって出来ていて、その気が不足している所を、病気と言い、そこに気を補ってやりさえすれば、どんな病気でもたちまち回復して来るのは、当たり前、などと、言える訳はないでしょう。私はそう言っているんです。
と言うのも、私が治せる病気は、難病ばかりではないんです。簡単な、切り傷、擦り傷、やけど、打撲、捻挫、骨折から神経痛、肩こり、喘息、リュウマチなんでもござれなんです。女の人に多い、偏頭痛なんか、ものの10分か20分あれば治してあげられます。偏頭痛に悩む女性は多いというのに、何故僕の所に来てくれないのだろう、などと不思議に思うくらいなんです。
偏頭痛なんか特に難しくもなんともないんですよ。ただ、首筋の、とある神経を触るだけなんです。他の病気も方法はこれと全く、一緒です。だから、難しくもなんともないんです。難病たって、私は、ただ、患部の痛んだ神経を触っているだけですから。
我ながら、ワンダフルと思うのは、ぎっくり腰である。ぎっくり腰の場合、痛みが起こるのと同時に動けなくなってなってしまう場合が多い。つまり、私の診療所に来てくれと言えないのである。
その場合どうするかというと、電話を用いる。有線でも、無線(携帯)でもいい。私に電話をかけていただいて、本人は、動けなくなったその場で、電話の受話器を痛んでいる個所に、ただ当てていさえすればいいです。ものの10分や15分でたちまち、痛みが引いて、治ってしまうのである。
電話による遠隔治療も、毎朝、数人の方にしてあげているが、正直言って、なぜ電話で病気が治るのか、いまだに自分でもわからないんです。多分思いがそうさせているのだろうとは思っているのですが。
もう一つ、私が、この世の森羅万象、特に人間の肉体が「気」によって出来ていると、考えるのは、私自身の体調である。5〜6年前に「気」が自分の体に、頭頂(百会)から渦を巻いて、入ってくるのを感じるようになる前と後とでは、私の体調に、正に、雲泥の差があったんです。
今でこそ、疲れ知らずで、患者を一日に10人診ても、20人診ても、一向に疲れを感じることなく、毎日をそれこそ、元気はつらつ、颯爽と生きていますが、それまではそうではなかたんです。
当時、藤沢から東京まで通勤していましたが、それこそ電車の中でつり革を持って立っているのがつらくて、その場にしゃがみこんでしまおうかと思ったことも、一度や二度ではないんです。それが、どうです、先にも言ったように頭頂に気を感じ出してからというもの、我ながら感心するくらい、全く疲れ知らずの体になってしまったんです。
こういうことは、私だけではなのです。勉強のためと思って、何年か前から数人の人に、瞑想を教えていますが、私と同じように「気」を感じることができるようになった人は、異口同音に言うんです。「前のように疲れなくなった」「風邪を引かなくなった」「なんとなく毎日が元気だ」などと。
それが、一人や二人ではないんです。極めて簡単にそうなるんです。別に、私から瞑想の仕方を教わらなくても、週に1〜2回、私のところに治療に通っているだけでそうなる人がいるんです。
このことについては、機会があったら改めて話しましょう。私の場合、こうしてこういう話を追かっけだすと、本来のテーマから離れて、直ぐ、とんでもない所に話が飛んで行ってしまうんだから。 
ああ、今日も、初め、話そうと思っていたこととの半分も書けなかった。
そうだ、テーマは「気と心」だった。
森羅万象、全て「気」から出来ている。人間の心も体も、「気」からできている。だから健康も運命もこの気を、人間の命の中に豊富に取り入れることが出来るかによって決まるんだ。それは、プラス思考とかマイナス思考とかいった、心のあり様によるんだ。よし、そうだ、この次はきっとこういう話をしよう。

脳は心の道具(1)

人間の命というものを、仔細に観察してみると、心と、体と、二つあることがわかる。心は目には見えないけれども、体の外に、確かに、心というものがある、と誰でも思っている。「いやあ、心というものは、目に見えないから、俺は、ないと思う」という人は、皆無と言っていい位、いない。
にもかかわらず、健康とか、病気とかいったら、100人が100人、もう肉体の事だけ。食い物かしら、水かしら、空気かしら、日光かしら、いや、医者かしら、薬かしら、サプリメントかしらと、ただ目に見える肉体の事だけを考えていれば、健康になったり、病気が治るが如く勘違いしている。
その目に見える世界(肉体)は、目に見えない世界(心)に、支配されていることなど、更に、思いも及ばない。思い及ばないのではなくて、目に見えない心という世界が、あることをわかっていながら、考えても難しいし、面倒なので、考えようともしない。自ら努力することを怠っていながら、いや難病だ、不治の病だなどと慌てふためいて、そして他人のせいにしている。自分がさぼっているんじゃないですか。
私に言わせれば、救われる世界が、すぐ目の前に転がっているのに、そこには目も向けようともしないで、悩んだり怖れたりして大騒ぎしているのは、自業自得と言っちゃ何ですが、自分で掘った穴に自分が落ちて、もがき苦しんでいるようなもんだ、位は言わせてもらってもいいように思う。
何遍も引用するようですが、道元さんも「万法を修証するは迷いなり、自己を修証するは悟りなり」と言っている。これは、目に見える物質(肉体)だけを、追っかけていると、迷いはますます深刻になるばかりだよ。宇宙の真理というものは、目に見る世界にあるのではなくて、目に見えない世界にあるんだよ。それには、先ず自分の心というものを掘り下げて考えて見なきゃいけないよ。という意味なんです。
医者が、この世の出来事は何でも知っていると思う人は、医者に「貴方の病気は現代医学では治せないよ」とか、「貴方の命はあと5年しかない」と言われたら、「ああそうですか、それでは貴方の言われたとおり、あの世に旅たつ用意をしましょう」と、思って、その準備をしなさい。
医者というのは、この世の物質、それも肉体という、非常に狭い、限られた世界しか知らない、ある意味では世間知らずで、視野の狭い、専門バカ位に思う人は、道元さんが言われるように、見えない世界にを、「面倒くせえ」などと思わずに、死んだ気になって、目に見えない世界を、一生懸命勉強一から勉強し直してみたらどうですか。私もお手伝い位は喜んでしますよ。
なにも医者に命を預けたりしなくても、貴方が救われる道はまだまだ、いくらでもあるんですよ。
私が、こう言ったとしても、決して医者は侮辱された思わずに、その通りだ、私の言う通りだと、内心考える人のほうが多いでしょう。預けるといわれた方は、迷惑に思っているんだから。
だって、考えてもみてください、医者が本当に病気を治せるんだとしたら、医者やその家族は、病気一つせず、毎日健康に生きて、長生きしているはずですよね。事実は逆と言うのが一般世間の通り相場なんですから。
貴方達が、少し物を知らなさ過ぎるんです。大抵が「医者は病気を治すことが職業だ」と思っている。多分、こういうことを聞いた医者は、「迷惑だ、買いかぶりだ」と思う人の方が多いんですよ。よく考えなさいよ、「医者は病気を治せない」と、思っている人の中にこそ、優秀な医者がいるんだから。

ところで、心と体の関係。
何も難しい理屈を言う必要はないんですよ。その証拠を示せと言うんでしたら、簡単なんですよ。心に変化が起これば、直ぐに体に変化が起きる。
恥ずかしいと顔が赤くなる。怒ると青くなったり、赤くなったり、果てはブルブル震え出す人までいる。
そして、特に私達が真剣に考えなければならないことは、感情と血液との関係である。それは、心に、怒り、怖れ、悲しみといったマイナス思考が発生する同時に、たちまち血液の色や味が変化するということである。
怒ると血液の色は、黒褐色になり、味は渋くなる。悲しむと、茶褐色になって、にがくなり、怖れると、淡い紫となって、すっぱくなる。
そして、このように変色し、変味した血液は、健康にとって、非常に大切な、アルカリ度を著しく低下させ、酸性化する。そして、このように血液が酸性化した結果、いずれ時が来たれば、何かの重大な病気に必ず犯される事になる。
その目に見えない心によって、体がコントロールされていることには、全然気が付かない。
こういうことを考えて見ましょう。例えば、今日は仕事に行きましょうと思って、家を出たのに、ハッと気がついたら、体が勝手に動いて、競馬場に来ていた、なんて人はいないでしょう。翌日職場に行ってそんな言い訳しても、誰もまともに受け取ってくれないでしょう。
例えば、万引きをしているのを見つかったとしましょう。言い訳に「いや私は、万引きするつもりは全然なかったのに、手が勝手に動いて、気がつたら品物がバッグの中に入っていました」と言ったって、言い訳が通って、貴方は無罪放免だということにはならないでしょ。
それもこれも、全て心が先に動いて、体が動いているんでしょ。
さて、次回は、いよいよ「気」と心の関係です。この世の森羅万象、全て「気」から出来ているのです。言い換えれば「気」を材料として出来ているのです。森羅万象が「気」で出来ているとしたら、その森羅万象(自然)の一部分である、人間の肉体も、当然「気」で出来ているのです。
病気と言うものは、読んで字の如く、「気」が病んでいる個所、つまり「気」が不足している個所を指して、言います。だから、その不足した所に「気」を補ってやりさえすれば、病気などたちまち回復して来るのは、当然の理屈なんです。これが、私の「気療」の、理屈なんです。
また、その肉体を作っている材料である「気」を、日頃、豊富に体内に取り込むことさえ出来れば、病気どころか、もう毎日を、極めて壮健でエネルギッシュに、生きられるようになるんです。現に、私がそうなっているんですから。私だって、心がグチャグチャだった5〜6年前まではそうじゃなかったんですよ。
そうなんです、「気」を豊富に体内に取り込む方法は、心のあり方と密接に関係しているのです。その次は次回をお楽しみに。

私の宇宙観(その2)

人間の本質が体でも心でもない証拠を、少しお話しましょうか。先ず、体ですが、体が本当の自分なら、人間は何故死ぬんです。自分で自分を殺す必要もないじゃないですか。体に自分を生かすとか殺すとかに関しての主体性がないから、肉体は滅びるのでしょう。それに、人間の死んだ直後の状態を見たことがありますか?人間が死んだら肉体が融けてなくなるか、霧のように蒸発してなくなると言うんでしたら、人間の死というのは肉体が滅んだからとも考えられるし、それは又、人間の本質(真我)とは肉体なりと断言できますが、そうじゃないでしょう。人間が死んだ直後というのは、何日かは肉体はそのままの形で残っているでしょう。
これらのことからして、よしや、そこのとを今、確信できなくても、仮の問題だと考えても、人間の死に関して、肉体にその主体性がないのではないか、ということぐらい察せられませんか?つまり、人間の生死に関しては、何か肉体以外の何物かにその主体性なり、原因なりがあることが察せられませんか。
結論を先にすると、人間の肉体も心も、真我(ヨガではアートマン)という目に見えない一種の「気」が
これらを動かしていて、真我と心や肉体との関係は、真我という本当の自分が、この世で活動するために、真我に与えられてある、丁度道具のようなものだと言うんです。例えば、人間と自動車とか、画家と絵筆のようなものなんです。自動車は人間が遠くへ行くとか、重い荷物運ぶと時とかの、いわば道具でしょ。絵筆だって、人間が絵を描くための道具でしょ。心や肉体も真我の丁度道具のようなものなんです。
だから、この真我という「気」が肉体から抜けてなくなるから、肉体は動かなくなるんです。肉体に「気」という人間が生きていくためのエネルギーを与え続けている「気」が抜けてなくなれば、肉体が動かなくなるのは当然じゃないですか。
心だって、本当の自分じゃないんですよ。例えば、夢を見ますよね、目が覚めてからも夢を見たことを覚えていますよね。心が本当の自分だとしたら、意識が消えた、つまり心というものがなくなった状態で、どうして夢を見たという記憶が残っているんです。もっと直接的に言うと、夢を見たことを覚えている、或いは心が夢を見ているのを、傍から眺めているもう一つの自分がいるのではないか、ということが想像できませんか。夢でなくたって、私たちは「ああ昨夜は熟睡した」などと言いますよね、心が本当の自分なら、完全に記憶がなくなっている熟睡した状態の時、どうして覚えているのです。それは、熟睡した状態を知っている、もう一つの、心とは別の意識が、存在しているからではないかと、考えられませんか。
さて、結論を急ぐために、話題を全然別なものに変えます。
道元禅師は、「正法眼蔵」という本の中で、次のように言っています。「万法を修証するを迷いとなす。自己を修証するは悟りなり」と。これは、平たく言えば、宇宙の真理というのは、外にはないよ、本や学問をするだけではわからないよ、科学じゃわからんよ。という意味なんです。外に真理を求めないで、自己の内側、つまり心を勉強すればわかってくるよ。という意味なんです。西洋でも同じ事を言った人がいます。ソクラテスは「汝自身を知れ」と言っています。これは道元さんと同じこと言っている言葉なんです。
坐禅や瞑想はただボーッと座っているだけでは駄目なんです。本当の自分を訪ねて歩くインナートリップなんです。雑念妄念がこの心の旅路の邪魔をするために、先ずこの排除から始めなければいけないのです。雑念妄念を排除することは、最終の目的ではないのです。本当の自分を訪ね当てることが、本当に、本当の目的なんです。
又、道元さんはこうも言っています。「尽十方界真実人体」。尽十方界とは大宇宙という意味なんです。つまり、この大宇宙の仕組みは、全てそのまま人体(人間の生命)の中に仕組まれている。言い換えればこの大宇宙の仕組みはそっくりそのまま、人体の中にある。という意味なんです。
だから、この大宇宙の真理を究めようと思うものは、人間の心の研究をしなければならない、ということなんです。
ところで、では、人間の命とはどうなっているんでしょうか?それがわかれば、宇宙の真理も当然わかってくるはずですよね。人間の命とは、今までの繰返しになりますが、真我という目に見えない気体が、この現象界で活動を行っていくために、心と体がその道具として与えられていて、目に見えるものが肉体で、目に見えないものが心なんです。心も体も目に見えるか見えないかの差だけであって、「気」によって動かされ、気によって出来ていることには、変わりはないんです。
大宇宙もこれと全く同じ仕組みになっているんです。つまり、人間と同じ心と物質(体は物質)から出来ているんです。人間に意志や精神活動があるように、大宇宙にも我々人間と全く同じように「真我」というものがあって、この真我(これをヨガでは、ブラフマンとかこの世を創った造物主と言ったりしています)の精神活動の結果としてこの大宇宙という物質界が存在するのです。そのブラフマンの片割れとして、それと同じ仕組みを持って、この世に遣わされているのが人間なんです。
だから、道元さんは「尽十方界真実人体」と言ったのです。これは、人間の命というものは、大宇宙の運行と同じような仕組みによって、動かされている、という意味なんです。つまり、人間の命の中には、大宇宙と同じ小宇宙がある、という意味なんです。
何故そうなのか?それは人間というものを使って、この「ブラフマン」とか「この世を創った造物主」とかが自分の目的を達成するためにそうしたのです。つまり我々人間と言うものは「この世を作った造物主」の活動をお助けするために、つまり神や仏のお使い(使者)としてこの世に生を受けているのです。人間は、この世の進化と向上を目的としてこの世に生まれて来た、としょっちゅう私が言っているのは、そういうことなんです。
そういう意味では、この世に神様はいるのです。人間に心があるように、大宇宙を創っている造物主にも意志も心もあるのです。だから、人間にも意志や心という精神活動があるのです。このことからして、造物主も我々人間と同じように、意志と目的をもって日々生きている生ける大生命体なのです。この日々の活動から生まれているのが、我々人間も含めて、この大宇宙と呼ばれる、現象界なのです。
その造物主の創造活動に反するような生き方をするから、不健康と、不運命が発生するのです。お前の生き方は俺の意図に反しているぞという、警告であり、正しい生き方を教えようとする示唆なんです。
この続き(その3)をどうしようかと、今迷っています。言い足りないような気もするし、面倒な気もするし。 


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