気と心と宇宙法則

難病(難しい病気)の人たちの力になりたい、と思っています。

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

私の宇宙観(その1)

腕が痛いのです。特に左腕が。肘と肩の付け根が特にそうなんです。多分筋肉痛だろうと思って放っていたらますます痛くなるのです。何故だろうと、ずーっと思ってきて、パソコンのキーボードの打ちすぎと気が付いたのは、つい最近なんです。と言っても、パソコンには何の罪もありません。私の腕や指の使い方に問題があったのです。なにしろ全て我流ですから。おじさんですねえ。
ということで、ここ一週間位キーボードを叩くのを止めていました。おかげで痛みはだいぶ和らいで来ました。今、右手一本でキーボードを叩いています。
「私の宇宙観」とは、聞いただけで、重たーいテーマなのに、右手一本で軽く、と行きますかどうか。自分では、さてどうなるか、楽しみなんです。というのも最近ズーッと温め続けてきたテーマだからなんです。
この問題を解決するためには、その前提として、皆さんにどうして知ってもらわなければならないことが一つあります。それは、本当の自分(真我)、とは心でも体でもないということなんです。「ええっ」とビックリなさった方もいるんじゃないかと思うんですが、そうなんです。ヨガではこの真我のことを、アートマンと呼んでいます。
何故、皆さんがビックリするくらい、わからないかというと、「真我」とは目に見えない「気体」だからなんです。目に見えないものを見えるようにするには、瞑想(坐禅)をして、心を無念無想の状態である、禅では三昧、ヨガではサマディという状態にまでもっていかないと、決してわからないからなんです。逆に言えば、ヨガも坐禅も「真我」というものがわかるようになるために、坐禅を組んだり、瞑想をしたりするのです。
人間の煩悩といわれる雑念妄念(怒り、憎しみ、怖れ、嫉妬等)は、本当の自分は、体か心かと間違って考えることから発生するのです。本当の自分を体だと思うと、肉体を維持する目的の為にだけ与えられてある本能心(心にも色々な種類があります)だけを本当の自分だと思う為、性欲だとか、食欲だとか、権力欲だとか、名誉欲だとかだけを目的として生きるように、どうしてもなります。
こういう欲望は、燃やせば燃やすほどさらに、ボウボウと燃えてきて、際限がありません。際限がないだけに、満たされないことから発生する不平不満(ストレス)も又、際限なく大きくなって、止まるところ知りません。何べんも私が言うように、「気」と「心」の関係から、これが人間の不幸の始まりなんです。
そして、心を本当の自分だと間違って考えると、理性だけを発達させれば、幸福な人生を生きられるかのように錯覚してしまう。もっと具体的に言うと。勉強して知識を増やしさえすれば、世の中のことが全て解決するかのように勘違いする。結果は、知識が増えれば増えるほどますます、迷いや悩みが増えてくる。いわゆる「学んでいよいよ苦しみ、知ってますます迷う」状態になってしまうのです。
これこそ、世のインテリと称する、理屈だけで世の中が割り切ろう、と考えてる輩が、陥り勝ちな人生の罠なんです。
さて、ところで、では、本当の自分(つまり真我)の何たるかが、わかるようになると、どうなるかということですが、「真我」とは目に見えない気体だけに、水にも火にもそしてその他のどんな物理的な力にも(物理的な力とは、勿論刀剣の刃や銃の弾も意味します)負けないものであることが確信できるようになります。
これを裏返して言えば、死の恐怖も、その他の病気であれ、リストラであれ、何であれ、怖れというものは全て、肉体が自分と思い違いするところから、発生するのです。
さて、私はこれから、正確に言えば午前6時45分から、例よって電話による遠隔気療に入ります。ちょうど、話も切がいい、と思われますので、続きは次回のお楽しみ、ということでこの辺で打ち切ります。今、丁度6時40分になろうとするところです。

私はリアリスト

気で病気の治療をするというと、何年も苦しい修行の末に、神秘的な能力を身につけたのだろう、と思ってそのように言う人もいますが、どうしてどうして、私は、5〜6年前までは、気なんぞ興味すらなく、今の貴方達のように、「そんなバカな」と、思って生きていたのです。
どころか、5〜6年前というと、現在63歳ですから、57くらいは迄は、人が何と言おうと、自分が見たり聞いたり、経験したりした以外のことは絶対信じない。自分の今日の一歩、明日の一歩の役に立たない、つまり現実に役に立たないことは、一切、価値を認めない。そういう考えで生きてきた人間なのです。つまり、自分は根っからのリアリストと思って生きてきたのです。
ところが、脱サラをして、経営コンサルタントを始めたところ、仕事の関係上、どうしても天とか、神とか、いわゆる目にも見えなければ、感覚でもとらえることができない、形而上学的な勉強の必要に迫られて来たのです。
どうしてそういう必要性を感じたのか?という疑問もおありでしょうが、そのことについて書き出すと、文章が又長く煩雑になって、本論から逸脱する可能性なきにしもあらず、ということで、ここでは触れないことにします。
そんなこんなんで、とにかく、とあるところで瞑想を始めることになったのです。瞑想を始めて6ケ月くらいした頃でしょうか、頭頂部(百会と言ったり頂門と言ったりします)の所に、針で刺されるような軽い痛みを伴って、何物かが頭の中に渦を巻いて入ってくるのを感じるようになりました、と同時に上半身が大きな円を描くように回転運動を始めたのです。勿論自分の意思とは関係なく。
その後は大変でした。瞑想をするたびに上半身が大きく弧を描いて動くばかりでなく、前後左右に曲がったり、折れたり、のけぞったり。果ては、上半身が上下動をするようになって、いまにも体が宙に浮いてしまうのではないかと思うようなことも、しばしばでした。オウムの連中が、テレビでやっているのを見て知っていると思いますが、あれと似たような事態が、当時、わが身にも起きていたのです。
それからなんです。私が「気」のことを勉強するようになったのは。「気」に関する本を読み漁ると同時に、その本を書いた気功師たちを訪問して歩いたりもしました。
で、見よう見まねで、治療の真似事をしているうちに、何だ、自分にも出来るじゃないか。ということになったのです。
私が簡単に出来た、ということは、皆さんも簡単に出来ることなんです。私は何も皆さんと特別変わった体をしているわけではありません。ヘソは一つですし、目は二つ、鼻は一つです。変わったところは何にもありません。私だけヘソが二つというのであれば、私にしか出来ないことなのかもしれませんが、違ったところは何一つもありません。少なくても、「気」を感じたり、「気」を自分の体内に豊富に取り入れることなど、誰にでも出来る至極簡単なことなのです。
今、私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている間も、額の印堂というところに、気による圧迫感を感じています。私にとって、「気」とは、なにも、特別なことではなく、日々、生活の中で実感していることなのです。そういう意味で、私は、今でも、自分のことをリアリストだと思っているのです。
リアリストとして、もう一つ強調しておきたいことがあります。「気」のことを、何か小難しい屁理屈を並べて、わかりにくいことを、余計わかりにくくしたり、「気」のことを、ことさら何か神秘的で不思議なもののように言い立てたりする連中のことです。本屋に並んでいる「気」こ関する本は、全て、とは言いませんが、十中、八九はそういう類のものと思っていいでしょう。お読みになっても、別に文句を言う立場にはありませんが、私の主張とは大いに異なるものであることを申し添えておきます。

欲は捨てられない

第一、人間が、性欲や、食欲を捨てたら、人類の未来も繁栄もありはしないじゃないですか。
そういう意味では、色々な宗教が、「捨欲」(欲を捨てなさい)と言っているのは、間違いです。
少なくとも、できもしないことを、さも出来るかのように言うのは、間違っています。「欲を捨れば、悟りが開ける」というが、「悟りを開きたい」と思うのも欲じゃないですか。
しかし、欲には燃やせば燃やすほど、さらにぼうぼうと燃えてきて、煩悩で身を焦がす欲望と、燃やせば燃やすほど楽しく、嬉しく、幸せになって行く欲望と、二通りあります。
最初の欲望が、自己中心的な考え方からなされる欲望です。「俺が、俺は、俺に」という欲望です。自己中心的な考えからからなされる欲望は、あたかも、塩水や麻薬のようなものです。塩水は飲めば飲むほど、ますます喉が渇き、もっともっと水が欲しくなります。麻薬もそうです。結末が悲惨なものになるのは眼に見ています。
例えば、貧乏人の私達は、十億のお金持ちは、さぞ幸せに暮らしているだろうなあ、と思うのですが、その人の内情を知らない外の人間が考えることで、それはあたかも、隣の芝生が青々と美しく見えるのと同じことのようです。
お金持ちの内心はというと、お金は持てば持つほど、さらにお金が欲しくなって、その欲が強くなればなるほど、満たされないことから来る、不平や不満がさらにつのってきて、苦しみや悩みが多くなると言うのが、実情のようです。
お前は、十億のお金を持ったことがないからそう思うのだろう、という人は、お金持ちや、地位のある人に聞いて御覧なさい。十人が十人現在に満足して、幸せに暮らしている、という人はいないから。逆に、お金持ちでない人たちの方が、こころ豊かに幸せな気持ちで毎日を生きているから。
社会的地位や名誉にしても同じことです。求めれば求めるほど、さらに欲が強くなって、本人を苦しめます。
反対に、「人のため、世のため」と思ってなされる行為には、第一、求めれば求めるほどさらに強くなる欲望と、それが満たされないところからくる、不平不満を感じることがありません。
私達の年齢になると、いやでも定年後の生活を考えます。仕事で忙しい時は、月に一回や二回のゴルフではなくて、毎日ゴルフが出来るような身分になりたいな。毎日、好きな絵がかけるなったら、さぞ充実した生活が送れるだろうな。暇になったら、のんびりと、妻と豪華客船で世界一周の旅をしたな、などと考えるのですが、それが現実のものとなってしまうと、決してそうではないことを、イヤというほど身を持って感じさせられるそうです。城山三郎という作家が書いた「毎日が日曜日」という本は、そういう人間の心理を描いた傑作です。一読をお勧めします。
なぜそういう生活に満足を感じないのか。それはあくまでも、自分の欲望の満足を満たすためになされる行為だからです。自己中心的な欲望は、それによって決して、人生の幸福は得られないという明確な証拠のようなものです。
それは、何べんも言うように、人間には万物の霊長として果たすべき義務と責任が課せられています。それは何かと言うと、「この世の進化と向上に貢献する」つまり「人のため、世の為に尽くす」ということです。
これが、自己中心的な欲望を満たすことを目的として生きると、満足を得られないどころか、身の破滅を招く原因なのです。つまり天の意思に反して(宇宙法則に反して)生きることに対する、天の警告であり、罰でもあるのです。それが病気となって現れたり、不幸という形で現れたりするのです。
欲は捨てられません。また捨てようと無駄な努力をする必要もありません。ただ、何事も「人の喜びを、わが喜びと」するような生き方をしていると、なくそうと思わなくも、自然にそういう強くて不自然な欲望が少なくなります。当然、そこには不平不満を感じることが少なるし、勿論「人のため世のため」と考えてなされる行為には、燃やせば燃やすほど、喜びが付きまとって来ます。
マザーテレサについては詳しくは知りませんが、我々俗人は、あんなに自分を犠牲にして、不幸な人の為に自分の生活まで犠牲にして、さぞ大変だろうな、などと考えますが。あにはからんや、本人は毎日が楽しくて楽しくて、幸福で、なぜ他の人たちも、こういう幸せな生き方をしないのだろうか。と、きっとそう考えていたに違いないと、私は思うのです。ああ、書けば書くほど、書きたいことがますます出てきて、つい長い文章になってしまう。

昨日、貴方のコメント見たんですが、なにしろ、ブログを立ち上げたのが、の4月初めで、おじさんですから、書くのは少しも苦にならないのですが、どうやって返事を書いていいか、その方法がわからなくて、今になってしまいました。
(1)神様はこの世にいるのか?
結論から先にしますと、いません。特に、一般の人が考えているような、あの人間の形をした、仏像や宗教画で見るような、神、仏は絶対にいません。いると言う人がいたなら、私はその人に「連れてきて見せてくれ」と言います。これまでも見せてくれた人はいませんし、これからも未来永劫に、見せてくれる人はいないでしょう。いないからです。
私は以前このブログで「仏陀もキリストも気功師」という文を投稿しましたが、あの時にも言いましたが、この世の中に原因のない結果は、絶対にありません。彼らは当時、色々な奇跡を見せていますが、これも「気」を使って病気を治したり、色々な不思議をやって見せたのです。
不思議や、奇跡に見えたのは、あたかも、タネのわからない手品や奇術を見るようなものです。そして当時の人々は、野蛮な時代であり、「気」と言っても、理解する能力がなかったために、仏陀やキリストはこれを、仮に神、仏と言ったのです。
以前からこのブログに書いていることを、繰り返すようですが、この世の森羅万象全ては、「気」を材料としてできています。人間の体もそうです。だから、病気というのは気が病んでいる所、即ち気が不足しているところを指してそう言っているのです。
キリストも仏陀も、あの当時言いたかったことは、「気」は心がきれいになれば、人間の体に豊富に入ってくるようになっているのだよ。と言うことだったと、思います。私も、常に、このブログで言いたいことは、「気がわからないから、不運も、不健康も発生するのだよ」という事です。だから「気」のことを一人でも多く知って欲しいがために、このブログを立ち上げたのです。
逆に、仏陀やキリストも、自己本位の生き方をすると、満たされない不平不満から、心の中が雑念・妄念で一杯になって、心がグチャグチャになると、「気」は人間の命の中に入ってこなくなるため、病気や不幸になるのだよ、ということを言いたかったのだと思います。だから、私達は心をピュアな状態にするために、瞑想もするし、坐禅も組むし、その他の修行もするのです。
よっぽど、へそ曲がりか、陰険な人でないかぎり、「気」は誰でも実感できます。というより、私はわからせることが出来ます。といった方がいいでしょう。しかも、このブログ上で皆さんに、「気」のことをわかっていただけるような、そんな方法を、近いうちご紹介したいと計画しています。
(2)人は死ぬのか?
結論から先に言います。必ず死にます。私達が死に対して恐怖を持つのは、それは肉体や、心が自分だと思い違いするところは発生します。心も、体も本当の自分ではありません。本当の自分は別にあって、ヨガではこれを、アートマンと言ったり、禅でも「真我」と言ったりします。このことについては、実際にこのことを経験しないうちは、わかりません。だからあまりここで説明しても意味がないと思います。
ただ、知っていて欲しいことは、本当の自分と言われる「アートマン」とか、「真我」と言われるものは、元、実相の世界(絶対の世界とも言います、それは又、「気」が充満した世界でもあるのです。それに対してこの世を仮相の世界と言います)に居て、この世に出てきて、死ねば、又、元、居た世界に返るだけなのです。私達は、この世が本当の世界であると思い違いして、仮のもの(バーチャルな世界)を追い掛け回すところから、不幸が始まります。瞑想や坐禅でいうところの、三昧とか、サマディとかの状態に心が到達すると、この実相の世界とコンタクトできるようになります。そうなれば、断っても、断れ切れないほどの「気」が人間の命の中に流入してきます。と同時に、この世を創った造物主の心もわかるようになります。孔子さんは、弟子から「死」のことに訊かれて、未だ「生」も知らないのに、どうして「死」がわかるのか、といったと言われます。つまり、「死」というのは、結局「生」の延長線上にあるのだから、余計なこと考えないで、一生懸命「生」について勉強しなさい。ということです。そうすれば自然と死のことがわかってくるよ、ということです。

それはあたかも、塩水や麻薬のようなものです。塩水は飲めば飲むほど喉が乾いてますます飲みたくなります。麻薬は使い続けると、そのうち精神を病み、中毒にもなると、一日たりともそれなしでは生きて行けません。早晩、身の破滅は目に見えています。
えんじょ交際をしている女の子に「どうしてえんじょ交際がいけないの。大人だってしているじゃん。楽しいことしてどうしていけないの。誰にも迷惑かけていないじゃん。」と言われて、返事ができなかったという話をよく聞きます。
そういう時は、「こういう本能的欲望は、追いかければ追いかけるほどますます強くなって、満たされないところから来る、欲求不満はますます強くなって、ついには身を持ち崩すようになるからだよ」と言って教えてあげなければなりません。
世間には、お天とうさんに背を向けて生きているような、生き方をしている人たちがいます。そういう人たちの生き方は、できるだけ楽をしてお金を稼いで、旨いものを食って、いい女と寝て、いい車にのって、ということだけを目的としている、と言われます。「俺も、同じだ!」と思っている人いやしませんか。
こういう人たちの結末は、よく新聞やテレビで見るじゃないですか。縄張りとか、しのぎとか、抗争とか言って、お互いに殺しあったりしているじゃないですか。動物達の生き方とどこが違います。
彼らだって、最初からそうだったわけではないはずです。自己中心的な生き方をした結果、そうなったのでしょう。
人は、他の動物達とは違います。霊的な動物です。だから万物の霊長なのです。万物の霊長にはそれ相当の義務が課せられています。それは、この世の進化と向上に貢献することです。
つまり、平たく言えば、「人のため、世のため」に生きることです。最初は、ムリムリでもいいから、世のため人のためと思って、行動してしてごらん。そこに本当の人間の喜びを感じるようになるから。
第一、「人のため、世の為に」生きていると、満たされないところから来る、不平不満がありません。ストレスがありません。ストレスは自己中心的に生きることから、発生するのですよ。
西田幾多郎という哲学者もこういっています「我々の欲望の中から、他愛的な要素を去ったら、ほとんど何も残らない。我々は自己の満足よりも、自己の愛するもの、又は、自己が所属する社会に満足によって満足させられる」と。つまり、自己愛よりも他愛の方が、より喜びが大きいのだと。
自己の欲望を満たした喜びよりも、人様に喜んで頂いた時の喜びの方が、何倍も何倍も大きいことを知っている貴方、貴方は天に愛される方法を知っている人です。本当に正しい生き方を知って、生きているいる人です。宇宙法則に沿って生きている人です。


.

ブログバナー

-
-
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事