弁護士が再び問う、日本の刑事司法が抱える現実的課題
【6/8】小池弁護士がフォローアップのブログを書いた。そのことについてフォローすることが重要と考える。私も小池氏同様、上田大使の発言の内容よりも、そのような発言をさせた背景に注目してこれまで持論を展開してきたつもりだからだ。
渦中の小池弁護士が8日にUPしたこのフォロー記事は、ほとんど人の目に触れていないようだ。だがそこには、弁護士として伝えたかった本質が伝わっていないことへのジレンマが滲み出ていた。私がこのフォローアップ記事の存在を知ったのも、実はつい先ほどロケットニュースの記事で、情報の出典として記載があったのを見つけたからだ。このスカスカの報道内容にも、小池氏はきっと困惑することだろう。
小池氏はフォロー記事ではっきりと、こう述べている。
いちばん伝えたかったことは、日本の刑事司法は「中世」か、というキーワードだった。 つまり、日本の刑事司法は現実、モーリシャスの委員の指摘の通りということ。これを強調したいのだ。
モーリシャス判事の指摘が"medieval"だったのか"Middle Ages"だったのか、一番最初の情報源であった小池氏のブログが日本語で「中世」になっており、氏がそのことにフォーカスしたので私も当初のまとめ・ブログでその観点から日本の人権外交の問題点を指摘したつもりだった。
小池氏は記事で、こうも述べている。
私が最も言いたいことは、日本では、未だに、取調べへの弁護人の立会が実現していないことと、連日長時間にわたる取調べがいまも普通に行われていること。 これは、日弁連が現在活動のテーマとしていることであるから、代表団としては当然の認識だと言える。
この「取調べの可視化」問題について日弁連は、だいぶ前から取り組んでいる。私自身、日弁連主催の国際シンポに参加したことがあるのでその内容を承知している。当時の所感も掲載してある。また現在も日弁連は「取調べの可視化」を中核的なテーマとして捉え、国内外で啓蒙活動に取り組んでいる。ただその広報があまりなされていない。なぜか日本の団体は広報が下手だ。
小池氏はこの日弁連の取り組む中核的なテーマを取り上げながら、「東電OL事件」などの具体例に言及していく。また自身が担当した事件についても、被疑者が夜遅くまで取調べられた実態について詳述し、こう結んでいる。
東電OL事件では、被告人と同居していた同じネパール人が2か月近く連日「任意」で取調べられた。午前3時まで取調べられ、その後午前7時から取調べが再開されたこともあった。私が最近担当した事件では、逮捕された夜遅くまで取調べられ、仮眠をとった後、午前3時50分から5時10分まで再び取調べられている。異常だ。前近代的(まさに「中世」か)刑事司法といっても過言ではない。 小池氏が最初のブログで述べたかったことは、アフリカの判事に指摘されるまでもなく、日本の刑事司法は「中世的」であり、またそのことで失笑を買った今回の上田人権人道大使の発言の問題が意味することは、そのことが「日本の官僚司法家にはわかっていない」ことの象徴だということなのだ。
そして、フォロー記事の最後で小池氏は、まさに「中世的」としかいいようがない現代の日本の国際刑事司法の現状を例示する。「取調べに過度に依存した日本の刑事司法は時代の流れとかい離したものであり、根本から改める必要がある」(2011年3月検察の在り方検討会議提言)という反省から設置されたはずの法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」についてこう評価する。
弁護人の立会は先送りされ、取調べ時間の規制については一言も触れられていない。何とも時代遅れな構想であり、マスコミがなぜ批判しないのか、不思議でならない。基本構想は撤回して、一から出直すべきだ。 これは、小池氏の共著『えん罪原因を調査せよ』(勁草書房)からの引用だそうだ。
なぜ、弁護士でもない私が小池氏のフォローをしているのかわからないが、「誰もやらないから」としか形容しようがない。仮にも国際刑事司法の発展に関わってきた者だからこそ、同じ「畑」の人の切実な思いをなんとか届けたいと思ったのだろう。これで小池氏の無念が少し晴らされればと願う。
マスコミ含め、日本での各種情報は「慰安婦問題について国連にまで口出されている」というアングルに固定されていおり、その実態は、日本の現実的かつ現代的課題を国連に指摘されている事実を右も左も国内のメディアがロクに伝えようとしていない。報道の本質を見誤っているから、こういう事態になる。
実際、今回のこの【06/05付】の東京新聞の報道だって、本質を捉えていない。 小池氏は【06/08付】のブログで東京新聞の取材を受けたと書いている。その結果がコレでは、まさに報道の名が廃るというものだ。
先日、東京新聞の取材を1時間ほど受け、その大半は刑事司法について語ったのだが、翌日の6月5日付朝刊は、「国連で日本政府代表『笑うな、黙れ』」の大見出しとなってしまった。 私が当初から一貫して、小池氏のブログと外部の公式ソースのみに頼り、報道を一切参照せずただ参考として掲載した背景にはそういう報道のあり方への警戒と独自評価がある。そして、後発でやっと報道されたと思ったら思った通り。殆どが発言問題のみにフォーカスしたセンセーショナルな記事に成り下がってる。
当然ながら、中にはセンセーショナルな部分を極力抑え、社会に訴える姿勢を維持する良質な記事もある。「センセーショナル」組の『ロケットニュース』の報道から約9時間遅れでUPされた、市民メディアとして躍進著しい『ガジェット通信』がそれである。そのタイトルこそ、一見すると「センセーショナル」の誹りを免れないが、コンテンツが慎重に“配分されている”ことが窺える。
その真摯な姿勢は、記事の結びの文にも表れている。
かねてからの懸案である取り調べの全面可視化は一向に進まず、拷問禁止条約批准当初から一貫して廃止を求められている代用監獄(代用刑事施設)も依然として維持され続けているなど日本の人権状況は上田大使が強弁して失笑を買った「世界最先端の人権先進国」にはほど遠い状況と言わざるを得ません。政府はこの事件を単なる“外交上の失態”で終わらせるのではなく、警察・検察や法務官僚の抵抗に遭っても公務員の人権侵害を無くす決意のもと堂々と「世界最先端の人権先進国」と言えるような刑事司法制度の確立に向け努力して欲しいものです。 日本の刑事司法がいっこうに改善されない背景には、日弁連の力不足(広報力不足)も当然あるだろうが、こうした良質の市民メディアとは事なり、その広報や社会への啓蒙・啓発を行わないマスメディアの責任も多分にある。本来ならこうした社会勢力は手に手を取り合い、共同戦線を張って社会の発展と向上に努めるべきなのだから。
しかし、それは所詮、現代日本社会においては理想論なのかもしれない。
国際刑事裁判所問題日本ネットワーク
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2013年06月10日
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日本の前時代的な人権外交を支える「人権人道大使」の実像
前のコラム(コメント1)について、ある方がこのように簡潔に要点をまとめて下さった。
上田人権人道大使の発言の背景の問題は3つある。
だが、上田大使の件には実はもう1つ、コラムでもブログでも詳しくまとめずに書いていた4つめの問題がある。この問題の一部に、ヒューマン・ライツ・ナウ事務局長の伊藤和子さんも話題となったブログで触れているが、それはそもそも「人権人道大使」という役職ができた背景にある。
「人権人道大使」という役職が第一次安倍内閣の時代に創設され、その初代大使が故・齋賀国際刑事裁判所判事であったことは前回も述べた通りだ。しかし創設された理由は、日本の人権外交を「推進」するためではなく、これを「擁護」するためだ。即ち、人権人道大使は人権人道スポークスマンなのだ。
「人権人道大使」の職務は、日本が人権上問題を指摘されている課題について、これを擁護し日本の人権外交の正当性を知らしめることにある。即ち上田大使は日本が議題となった国連の拷問禁止委員会において、日本政府の立場を擁護する任務を負っていた。
ここに日本の人権外交姿勢の最大の問題がある。
国連の条約機構としての専門委員会は、様々な課題についてその問題を討議する国連という多国間フォーラムにおける”小フォーラム”という位置づけにある。つまり、自国の政策の正当性を訴える場ではなく、「国際的な課題について意見交換を行い、対策を練るための場」なのである。これに参画している認識が日本側にはまるでない。ところが、世界はそうは見なかった。「日本がやっと人権問題に”集中的に”取り組む役職を作った。これで日本と人権に関する集中論議ができる」と、国際社会はその新しい役職が果たす役割に期待したのだ。
日本政府の意識は国際社会の「常識的」な見方から全く乖離していたのである。
前回紹介した外務省資料を見てのとおり、日本は2005年頃から人権外交に力を入れ始め、2007年に初めて全権大使として人権と人道を併せて担当する現在の役職が作られた。当初の目的は、北朝鮮拉致問題への対応だった。拉致を強制失踪として国際社会に訴えるスポークスマンが必要だったのだ。この点について、前任者の故・斎賀氏は見事その役割を果たした。北朝鮮を強制失踪の罪で国際刑事裁判所に提訴することを真剣に検討していたのである。(参考まとめ)
さて、国際社会からは、「人権人道大使」の役割は、「世界の人権潮流に歩調を合わせ、知見を共有し、世界の人権状況の改善に貢献することを担当する大使」であると見られていた。ところが、日本は自国の人権状況に関する擁護姿勢しか見せない。挙げ句には自国の正当性を喧伝する場に委員会を利用する始末である。これでは国際社会と協調していることにはならない。自国の利益のみを追求する一国主義的な外交姿勢である。
狭い意味での国益を重視する者からすれば、慰安婦問題などで自国の正当性を主張する役職は必要であると単純に考え、「人権人道大使」が果たすスポークスマンとしての役割を支持するだろう。しかし、広い意味で国際協調を通じて日本に対する信頼を高めるという国益に、この役職は合致するだろうか。
言い方を変えてみよう。「人権人道大使」が日本の人権状況を擁護するため”だけ”に創設された役職ならば、その大使が世界の問題を話し合い改善を検討する委員会に参加するのは、適切な人材配置なのだろうか。もっと言えば、日本にそのための人材は存在するのだろうか。
否、日本には真に国際社会における人権問題を担当する大使は存在しないのだ。
言葉を選ばずにいえば、日本の人権外交そのものが「やっつけ」である。自国の人権状況を擁護することしかせず、人権擁護において問題のある国には平気で経済支援を行い、またその国を擁護する。似たような国が集まる「中世クラブ」の代表スポークスマンみたいなものと考えてよいのかもしれない。
そういう意味で、実は第一次安倍内閣による2008年の上田人権担当大使の任命は、皮肉にもまさに「適材適所」であるといえる。狭い国益を守るための「人権外交擁護」スポークスマンとしての役割を果たすのに、上田氏のような我の強い愛国心あふれる外交官はまさに適任だったのだろう。
だが、今回の上田氏の失態は、その政府の思惑としては「適材適所」な人事の中でも最悪の人選ミスであることを示した。外交官としてのセンス、儀礼をわきまえた国際良識、致命的な語学力など、どれをとってもおよそ「スポークスマン」として役に立つ人材ではないことが明らかになった。
日本にはおよそ、自国の人権状況を擁護できる人材も、他国と協調して人権問題に取り組むことができる人材も存在しないのである。国際社会は日本の人権意識の向上に期待した。そして建設的に話し合うフォーラムの場を設けた。そのフォーラムの場で、我が国の代表は外交プロトコルを全て破った。
アフリカ、モーリシャスの委員は、日本の刑事司法の現在について実に的確な指摘を行った。それに1つ、付け加えることがある。中世的(前時代的)なのは、刑事司法だけではない。日本外交そのものが前時代的なのである。この時代錯誤の外交姿勢から脱しない限り、日本は国際社会の責任あるステイクホルダーとしてその地位を認められることはないだろう。我が国が、世界全体の安全保障という重責を担う国連安保理常任理事国入りはおろか、憲法前文にあるような”国際社会において名誉ある地位を占める”ことなど、夢のまた夢ということである。
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