2013年5月21日〜22日の間、日弁連の代表団がジュネーヴで行われた国連の拷問禁止委員会に出席した。その代表団の一人が、委員会で行われた現役の人権人道大使の問題のある発言をブログに記載し瞬く間に話題となり、後発で一部新聞でも報道された。国際刑事司法の発展に関わってきた市民社会の人間として、この問題を個人の資質の問題で済ませるわけにはいかない。その核心にある日本政府の国際人権・人道課題に対する基本姿勢の問題についてツイッター上でコメントし、まとめた(英語版もある)。 以下は、そのまとめを、コメント欄も含めブログ形式に改めて再編したものである。(※転載歓迎)やや遅まきながら6月5日付けで掲載された東京新聞の記事(※執筆時点では電子版は掲載なし)
問題の発言を行った場面の動画(国連Webcastより)
Certainly, Japan is not in the middle age.動画からの音声起こしテキスト+好意的翻訳 日本の人権外交の基本姿勢という、問題の核心
相田みつを氏の言葉ではないが、これは、「だって人間だもの」では済まされない問題だ。
国際社会は、日本社会ほど“お行儀のよい”社会ではない。失笑すべき内容の演説には失笑で応える。それが正当な評価でもある。その評価に対して、たとえ屈辱的でも自らが行った失笑に足る演説の内容の自覚をもって、ウィットの利いた皮肉という作法で返すくらいの器量が外交官には求められる。たとえば、「委員の具体的なご指摘については持ち帰って検討させていただきます。」と、まず失笑に耐えた上で応え、「他方、我が国の司法制度を「中世的」とされた点については誤認があると思われますので追って資料を送付させていただきます」と加えれば、完璧だった。
大使として「日本は人権先進国の一つだ」と宣う前に、一歩立ち止まって考えてみてほしい。
「いままさに人権人道大使として、これら人権・人道上の具体的な懸念(取調べの可視化の問題)を、自分より遥かに刑事司法について詳しいあるアフリカの国の法曹界に属する国連の委員(元判事)に指摘された。そこで、自分は国際社会への日本の使節団の代表として、どう振る舞うべきなのだろうか。」――これを、コンマ2秒くらいで考えるのが外交官の務めだ。そこを、コンマ1秒で「シャラップ」と逆上していては、理性がまるで追いつかない。
ただ、人権人道大使という、“名目上の職責”(詳しくはこちらの伊藤和子氏のブログを参照)ではあるものの、故人である前任者の名誉のために補足しておくが、人権人道大使という仕事は、世界に日本の人権外交のありようを示すためには必要な仕事である。そしてこの仕事は、日本と国際刑事裁判所の関係とも深い関わりがある。
国際刑事司法による「法の支配」を目指す国際社会の潮流に圧され、日本政府は2007年、これまで“兼任”の担当業務でしかなかった人権人道問題大使を全権大使の地位に格上げした。こうして2008年、初めて日本に『人権人道大使』という肩書きが正式に生まれた。
2005年、その前身として初代の人権担当大使に任命されたのが故・齋賀富美子駐ノルウェー国兼アイスランド国大使だった。斎賀氏はその後、とくに拉致問題を含む北朝鮮に関する人権問題等を担当し、国際刑事司法に関する知見を高めた。その2年後の2007年末、斎賀氏は国際刑事裁判所の初代日本人判事として指名され当選を果たす。法曹界の人間でも裁判経験者でもない同氏を選出することには、国際市民社会から異論を持って迎えられた。
しかし日本には斎賀氏しか人材がいなかった。少なくとも、外務省にとっては。
法曹経験の浅い斎賀氏は、国際刑事裁判所の予審裁判部という部署に配属された。ローマ規程の定めに基づいて捜査開始の可否について審査・判断したり、捜査の中止を判断する部著だ。
しかし、この部署の仕事は激務だった。次から次に検討案件が舞い込んでくる。そして2009年3月、二度目の当選を果たした斎賀判事は急逝する。私自身、前職時代に斎賀判事とは何度かお会いしたことがあるが実直に仕事に取り組まれる方だった。 その姿勢については評価したい。だから、尚のこと、上田大使の短慮な言動には激しい怒りを覚える。
なぜか外務省の日本語版プロフィールがデッドリンクとなっているので公式な日本語プロフィールを紹介できないが、福田内閣時代に、その故・斎賀初代国際刑事裁判所判事の後任となったのが、今回、暴言が問題となった上田秀明人権人道大使である。上田大使のこれまでのプロフィールをざっと見る限り(実際、ざっと見れる程度しかないのだが)、法曹関係者ではない前任者と比べても、大使には人権・人道業務に関する実績が全くない。
外務省公式プロフィール(筆者仮訳)
また、外務省サイトで検索しても、そうした実績がないことは歴然している。
もうおわかりだと思うが、前任者の故・斎賀判事が第一次安倍内閣の時代、2007年の暮れに選出され、福田内閣時代の2008年の1月には判事に就任することになったため、福田内閣の下で後任者選びがほとんどやっつけで行われたのである。その結果、今回のような国際的失態を犯す人事となったのである。
外務省における人権・人道問題の位置付けがよくわかる事例となったと言える。
さて、上田大使の前任者である斎賀判事の死後、空席となった判事の席もまた日本人判事が埋めることになる。2009年11月、判事死亡により補欠選挙が行われ、尾崎久仁子外務省参与が当選し、任期は9年間となった。尾崎判事は、公判を執り行う第一審裁判部に配属された。
この大臣談話を見てのとおり、やっと「刑事法分野及び人権・人道法分野の専門家」といえる人材を日本は国際刑事裁判所判事として任命することができた。それでも、日弁連や国際刑事弁護士会(ICB:International Criminal Bar)などからは依然、不適格として不満の声が挙がった。
本来、国際司法機関に判事を指名するのであれば、それは国内の法曹界で要職を務めた人であるべき。国際司法裁判所については、国際法の基礎知識と判例を読み取る力があれば足りるかもしれないが、国際刑事司法を扱う国際刑事裁判所では全く違う次元の資格や知見が求められる。
国際刑事裁判所判事には「刑法や刑事訴訟法に関する知識・経験を有する裁判官」(リストA)と、「国際法に関する知識・経験を有する裁判官」(リストB)という判事の知識・経験別の選出の区分けがある。当然ながら、日本は常にリストBでしか輩出していない。
しかしこれは、日本の法曹界にとってみれば屈辱的なことである。まるで日本には刑法や刑事訴訟法に関する知識と経験を持つ人材がいないみたいではないか。しかし、違う。これは外務省がその人事権を掌握しているために起きている弊害なのである。日弁連にはICBの理事だっているのだから。
また単に人材を輩出できないことが問題ではない。
実効性のある国際刑事裁判所の設立を発展に寄与するという締約国の義務として、提供できる素地がありながら国の最良の人材を提供しないことは、「実効的かつ公正な国際刑事裁判所の創設を目指す」という、裁判所の設立理念に背く行為なのである。これが、我が国の国際刑事司法への貢献の程度であり、実態なのだ。
無論、中にはアジア周辺国のための司法開発協力(カンボジア特別法廷の設立支援及び人員派遣)など、実態のある貢献もなされている。またカンボジア特別法廷で上級審判事として選出された野口元郎検事は、日本が国際刑事裁判所に加盟する前、「判事、検事など選挙で選任される幹部ポストと一般職員の双方で、その地位にふさわしい貢献をすることが求められる」と述べていた。外務省には、斎賀判事や野口検事のように、こうした志のある人材は少なからずいる。 だが、今回の上田人権人道大使の問題の核心は、単に個人の資質の問題でもなければ、単に人事の問題でもない。日本政府の国際人権・人道問題に対する基本的な姿勢の発露にあったのである。この姿勢が、適材適所でない人事を生み、上田大使のような人間を任命し、今回のような失態に至った最大の要因であり、核心なのである。 国際刑事裁判所問題日本ネットワーク
事務局長 勝見貴弘
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