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台中師範学校OBが「感謝の声」
「あの時代の日本人による教育は、人としての品格を向上させたと思う。私の財産といえます。」
昭和14年台湾総監府立師範学校に「日本人」として入学した林 永隆さん(談)
この記事を見ていままで街宣で演説したことの内容がやはり正しかったことを再認識した。
「今の日本を救うのは教育の建て直し・・・」
本日神戸護国神社を参拝してあらためて日本人の素晴らしさを英霊から教わった気持ちでした。それを素直に演説で述べたかったが小生 まだまだ勉強の身上手く伝えれなかったが演説終了後 拍手をいただき活動が少しでも誇りを取り戻すきっかけになることを再認識いたしました。
今後、先輩同志皆様に負けないように活動を続けて参ります。民族派同志皆様よろしくお願いいたします。
中共 韓国 左翼 左翼政治家に戦いを挑む。
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日清戦争の結果、台湾が日本に割譲された1895年当時、そこは化外(中華文明の及ばない)の地とされ、213年間の清朝統治時代に154回もの住民の反乱が記録されている。住民達は、3年交代で送り込まれてくる清朝の兵士や官吏に収穫の半分を収奪されていたからである。
日本統治の最初の数年間も反乱とゲリラの抵抗が続いた。台湾経営が軌道に乗ったのは、98年に着任した第4代総督児玉源太郎と民生長官後藤新平のコンビによってである。後藤は全島に800人の調査員を派遣して、土地の測量と権利者の登記を行った。
台湾大学の歴史家呉密察教授によれば、中国人社会において、「民衆の財産所有権を政府が初めて法令によって保証し、台湾を資本主義社会の道に踏み込ませた」と評価している。後藤はさらに交通や流通のシステムを整備し、度量衡、通貨の統一を図った(『台湾の歴史』p303)。
法治は国家統治の基礎だという見地から、総督府は細かく法を定めて厳格に執行する日本方式を持ち込んだ。たとえば、官吏と民衆がともに守るべき娯楽規則などが逐一詳細かつ明確に作られた。
2016/11/3(木) 午前 7:47 [ 壮年老い易く学成り難き ]