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パナマの熱い夜

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前回は、米軍のパナマ侵攻事件の裏側に潜む、ブッシュの本音、日本との関わりについて論じた。
今回は、21世紀に文字通り世界の中心になろうとしている国、中国が登場する。
 
4.パナマの歴史(中国の台頭編)
 
1990年代以降、日本の経済が停滞していくのと対照的に大躍進する国があった。中国である。
米国にとって日本以上に要注意な国が、仮想敵国のひとつである中国だ。21世紀に差し掛かろうとした頃、その国がパナマで米国の安全保障を揺るがそうとしていた。
 
パナマ運河が米国からパナマに返還されるのを前に、運河の管理施設の運営権を民間会社に入札させた。そして、いくつかの拠点のうち香港の会社(つまり中国の会社)が二つ落札した。これは一大事である。
パナマ運河は、スエズ運河と違い、一定の水面を航行するものではない。フランスが工事をしていたときは、スエズ運河を建設したフランス人レセップスにより、スエズ運河と同じ水面式で推し進められたが、途中の山を切り崩していくのは困難を極め、マラリアによって、多くの作業者を犠牲にしたため、頓挫してしまった。米国は、このやり方を見直し、最小限の土砂を掘削すれば済むように、水面を持ち上げた。つまり、太平洋側、大西洋側(カリブ海側)、双方の出入り口に、閘門という仕切りとプールを設置し、船がそのプールに入ると、プールに水を注入あるいは抜いて、水面を上げ下げできるようにしたのである。これにより、船は、海抜20メートルほどの水路を航行できるようになった。水面式ならば、少なくとも、あと20メートル以上は余分に深く掘り進めなければならなかったのを、大幅に工事量を削減したわけである。パナマシティーの郊外の道をカリブ海方面に進んでいくと、山の中を大型船が進んで行く様子が見られる。これが大変圧巻なのである。
 
さて、ここで、一つ、パナマ運河の泣き所が生ずることは、もうお分かりだろう。閘門を仕切って、水を注入・抜き取りして、一つ一つ捌くので、当然時間がかかる。大量の船を通過させるには、この時間を短縮させたい。そんなにべらぼうに大きなプールにはできないわけである。
となると、当然、そんなに広いプールにすべきではない。したがって、プールの大きさは、必要最低限に抑えることになる。この大きさはパナマックスという規格として定められ、米国の軍艦は、このパナマックスに収まるように設計されている。そう、この運河は、米国の軍艦も通るのである。その航路の施設が中国の手に落ちたとあっては、米国にとって安全保障上、黙っていられない話である。
 
21世紀は中国が大きな力を握ると言われているが、21世紀を目前に控え、このような話があったのだ。すでに、中国は、政治・経済ともに大国となっていた。私がパナマ隊員だった1999年から2001年でさえ、パナマの街には、中国製品が氾濫し、中国からの移民も相当多かった。もう、パナマにとって、21世紀付き合っていくべきパートナーは、日本ではなく中国だという感じである。それから10年経って、2009年にパナマで活動したときは、10年前にJICAのシニア海外ボランティアが立ち上げたパナマの自然保護NGOに、台湾の国際協力の手が入っていた。(パナマをはじめ、中米諸国の中には、国際援助を得るため、未だに台湾政府と国交を保っている国が多い。)
日本の援助で建てたNGOの施設だが、この先あと10年経って再訪してみたら、竣工プレートの日の丸が五星紅旗に塗り替えられていたということがなければ良いがなあ。。。と思うばかりである。
 
(パナマの熱い夜は、まだ続く)

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前回は、日本とパナマが歴史上いかに深く関わっていたかをご紹介した。
今回は、今もなお真相が知らされていない事件、米軍によるパナマ侵攻事件について掘り下げてみたい。
 
3.パナマの歴史(米軍のパナマ侵攻とブッシュの本音編)
 
米軍のパナマ侵攻事件を指示したブッシュは、かつてCIAの長官をしていた。当時、ノリエガはトリホス将軍の部下であったが、CIAに通じ、中南米の左派政権の攪乱に協力していた。トリホスのあと政権を握ったノリエガが、トリホス将軍の事故死に関わっているか否かは、全く不明である。
一方でノリエガは、麻薬の密売をするなど不正を働いていたが、CIAに協力していた見返りとして、ブッシュは目をつぶっていた。しかし、いざ、ノリエガが実権を握り、民主的な選挙を無効化したり、麻薬密売を止めなかったりと、やりたい放題し、ブッシュのCIA長官時代の秘密も握っているとなれば、ブッシュとしては黙っていられないというのも分かるというものだ。
世界には、もっともっと酷い独裁者がいて、米国が軍事介入していない国は多々あるが、如何せん、パナマは小さな国であり、首都の隣に大きな米軍基地が存在する。やろうと思えば、いつでも叩ける国である。かと言って、レーガンの時もそれはしなかった。そんなことをすれば、米国の不正義性が世界中に知れ渡ってしまう。
パナマ運河返還の声が高まり、ブッシュにとって危険な男(秘密を握る男)が実権を握る中、ブッシュとしては、何とかしたかった。そんなところに、ノリエガがいろいろ不正を犯してくれたことは、ブッシュにパナマ侵攻の大義名分を与えることになった。
米軍と米国マスコミは、筋書き通りの作戦と報道を展開し、米国流正義は短期間で完結した。パナマ侵攻事件=米国への麻薬流入阻止とパナマ民主化のためにノリエガを逮捕した事件というイメージが我々の頭にインプットされることになった。
そして、キューバへの経済制裁を強化し、日本という経済的脅威を遠ざけることも成し遂げることになった。この事件の直後、東西冷戦が終焉、さらには湾岸戦争を機に日本経済は低迷し、アメリカは地球上唯一の超大国となっていくのであった。
 
ちなみに、ブッシュは、第二次世界大戦中、米空軍のパイロットとして日本と戦い、二度撃墜され生還している。うち一回は、同時に撃墜され捕虜となった米軍兵士が殺され、日本兵がその人肉を食べるという「小笠原事件」が身近なところで起きており、相当悪い対日感情を持っていた。
 
ところで、ブッシュは、ノリエガに圧力をかけるため、駐留米軍を増派したり、反政府勢力に支援をしたが、1989年に発生した、ノリエガ将軍に対する二度に渡るクーデターに支援をせず、どちらも失敗に終わった。つまり、見殺しにしたのである。また、パナマ侵攻の際には、事前に手を結んだ軍の要人を利用し、軍が身動きできない形にした上で、大量の兵力と最新兵器を使って、首都パナマシティーとパナマ軍基地のあるリオ・アートを攻撃している。これら3つの事件により、パナマの国軍は壊滅し、パナマは軍隊を持たない国になった。
 
それから10年後、私はパナマで、その二つの攻撃現場の跡地を見たが、事件から10年経った当時でも、弾痕は生々しく残り、廃墟、瓦礫が残っていた。特に、パナマシティーで今も弾痕の残る跡地付近は、パナマの最下層の人々が暮らし続けてきた地域である。民主化とは名ばかりで、経済的に弱い立場の市民が大量殺戮された。
 
(パナマの熱い夜は、まだ続く)

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前回は、パナマの歴史を思いっきり大ざっぱに紹介した。それは、スペイン、フランス、米国という順番での大国の興亡であった。パナマにおいても、やはり、そうであったか。。。という感じであるが、20世紀の中頃になると、興味深い国々が登場する。我々日本人は、この歴史を知っておいた方が良いと思うので、ご紹介したい。
 
2.パナマの歴史(日本の台頭編)
 
パナマ運河はアメリカ大陸の東と西を結ぶものである。言い換えれば、大西洋(カリブ海)と太平洋を繋ぐものである。このことは、日本にとって、長年大きな意味を持ってきた。現在で言えば、自動車などを米国東海岸や大西洋側の国や地域に運ぶため、無くてはならないものであるが、第二次世界大戦の頃であれば、大西洋側の艦隊が太平洋側に移動する際に通る軍事的な拠点である。
 
日米開戦前、旧日本軍は、太平洋側への物資補給、艦隊の流入を迅速に行うことを阻止する狙いで、パナマ運河を攻撃する作戦を立てていた。その訓練を能登半島で展開していたそうである。その頃、アメリカ大陸では、米国が日系人を強制収容所に送り込んでいたことは、皆さんもご存知であろう。特にそれが徹底して行われたのが、米国とパナマであった。当時パナマにいた日系人は、パナマから消えてしまった。米国にほぼ全員移送されたのである。(厳密には、周りのパナマ人に囲まわれて一難を得た日系人が僅かにいる。パナマに派遣された隊員ならば、全員そのご子息と会っている。)当時、日系人の米国への身柄引き渡しに全面協力したのは、パナマだけである。米国の言いなりであり、これはもう属国である。さらに興味深いのは、日本が真珠湾を攻撃する前に既に日本とパナマは戦争状態にあった。
 
戦後、日本はパナマに対し国際援助を行うが、再び、パナマは日本を裏切ることになる。
日本の漁業支援は、しばしば、捕鯨権を守る側への一票と見返りにという側面で行われることがあるが、日本の援助でパナマシティーの水産市場が完成したあと、パナマは米国側に追従した。計画では、そのあと水産市場に競りのシステムを導入し、漁業者の収入を増やすための仕組みが構築されるはずであったが、漁業者の生活向上という目標は達成されることなく、日本は手を引くことになった。
 
これらの歴史について、パナマは酷い国だと私は思わない。パナマが自らの意思で行っているのではなく、常に米国の力が大きく作用していると思うからだ。
 
そんなパナマと米国との蜜月の関係に、戦後大きな影響を与える国が二つ登場する。一つはキューバであり、もう一つは再び日本である。
 
米国がアメリカ大陸の国々など周辺諸国と協力し、キューバを経済制裁している中、経済制裁を破る国があった。パナマである。
 
1968年、オマール・トリホス将軍は、クーデターに加わり、最高司令官としてパナマの実権を握った。彼は、国民の悲願である、パナマ運河地帯の返還のために、キューバのカストロ議長と親交を深め、周辺諸国と協力して米国を揺さぶった。
そして1977年、当時のカーター大統領(民主党)と運河返還条約締結に成功した。オマールは、正にパナマの英雄である。
しかし、1981年、英雄は、美人薄命ともいうべく、この世を去った(オマールは、実際カッコ良いです。ネットで探してみてください。)。飛行機墜落によるものだが、その原因は謎のベールに包まれたままである。(この記事を読んでいる方々なら、なんとなくピンとくるであろう。)
このころ(1981年)と言えば、カーターの後のレーガン大統領(共和党)の時代である。そう。強い米国を唱えて軍事費を増やした、あの大統領の時代である。そして、1980年代の日本は、正に「ジャパンアズナンバーワンだべ〜!」と浮かれていた時代でもある。日本の経済力は米国を脅かすほどに成長していた。米国の利益と安全保障のためにあったパナマ運河は、いつしか日本経済のためにも大きな役割を果たしていた。パナマ運河は次第に手狭となり、許容通過量に迫っていた。こうして、第二運河の必要性が唱えられるようになってきた。
そこで、パナマは日本と手を組むことにしたのである。いや、日本を利用し、米国に揺さぶりをかけることにしたのである。
(パナマ運河委員会は、パナマ、米国以外に日本が加わり、3つの国で、将来の運河を考える機関である。この動きにより、現在、日本はパナマ運河の拡張工事に協力している。パナマにとって日本の協力は非常に重要なものになっているのだ。)
 
米国の安全保障を脅かすキューバへの経済制裁を破り、米国経済を脅かす日本の躍進に手を貸すパナマ。そして、パナマ運河はパナマのものとなる・・・一旦締結した条約ではあるが、米国内で反対の声が上がるのは当然である。
 
レーガンの後を引き継いだ、同じく共和党のブッシュ(ブッシュ前大統領のお父さん)の時代になり、事件が起きた。米軍によるパナマ侵攻事件である。マヌエル・ノリエガ将軍という名前を聞いたことのある人は多いであろう。日本ではそれほど深く掘り下げて報道されていないので、私もパナマに派遣されるまで、あまり関心がなく、その真相など全く知らなかった事件である。
 
大切なのは、何故この事件が詳しく報じられなかったかである。
この事件での米軍側の死亡者は30名ほどと公表されているが、パナマ軍、パナマ市民の死亡者は公表されていない。米軍がパナマを突如攻撃し、最初に占拠したのは、放送局をはじめとする、報道機関である。多くのジャーナリストが犠牲となり、それだけでも米軍側の死亡者を上回るものと思われる。死亡者数については、多くの説があるが、40人から8000人の間ということである。後に新聞に掲載された死亡者の氏名のリストには、300以上が名を連ねている。
しかし、いずれにしても、この事件の映像は、米軍がジャーナリストの活動を妨害し、国内だけでなく世界への配信を阻んだため、明らかになっていない。そのうえで、米国のマスコミは、大統領選挙で負けたノリエガ将軍が選挙を無効として不正な方法で最高権力者になったり、麻薬を米国へ密輸しており、パナマの民主化と米国への麻薬流入阻止のために、米軍がノリエガ将軍の身柄を捉えたというストーリーを世界中に配信した。私も、パナマに行くまでは、そういう事件だと信じていた。しかし、僅かに残る映像をパナマで見て、書物やネット上の情報を
読み、この事件の真相は全然違っていたということを知ってしまったのである。
 
(パナマの熱い夜は、まだ続く)

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(ひょ)は、1999年に青年海外協力隊員としてパナマに派遣された。前の年に合格通知が届き、派遣先がパナマであることを知らされるまで、私にとって、パナマというのは、遥か地球の裏の、日本とは縁の無い国だと思っていた。パナマ運河以外に思いつくものが無かった。
派遣の3カ月前、派遣前訓練で、資料やJICAの先輩関係者たちの話を聞いて、意外に日本と関わりがあることを知った。同時に、米国の強かさも知った。そして、日本のお人好しさ、外交の下手さを痛感した。我々は、協力隊活動を通じて、途上国の人々のために貢献しようと日々活動していたと思う。それはそれで、大変大切なことではあるけれど、日本の国益ということも同時に考えていないと、我々よりも遥かに強かな国々に利用されるだけで終わってしまうという危険性も知っておかなければならないと思うようになった。そういうことを、これから数日間で、書き綴って行きたいと思う。
 
1.パナマの歴史(大国の興亡編)
 
パナマのカレンダーには2つの独立記念日がある。
一つは、パナマを最初に植民地支配したスペインからの独立であり、もう一つは、独立後属していたコロンビアからの独立である。いずれの独立記念日も11月にあることから、11月はパナマにとって大変大切な独立月間として、祝日も多く、街は飾り付けられ、ウキウキした季節となっている。
 
パナマには、カレンダーにこそ載っていないが、もう一つの独立記念日といえる日がある。それは、12月31日。私がパナマに派遣中の1999年12月31日正午、それまで、100年近く、米国の管理下にあったパナマ運河がパナマに正式返還されたのである。
当時パナマには、この運河を防衛するために、米軍最大級の基地が存在していたが、運河返還の前に、軍は撤退し、跡地はパナマに全面返還されていた。
 
パナマという国は、独立国家ではあるが、本当に独立しているかというと怪しい面があった。言葉こそスペイン語が話されているが、米国の基地があり、流通通貨は米ドルである(通過単位としてはバルボアという単位があのだが、1バルボア=1米ドルであり、50セント以下の硬貨はパナマ政府発行のものが一部流通しているが、紙幣は発行しておらず、米ドル札のみが流通している。つまり、中央銀行による通貨政策が一切されていない国である。パナマは米国51番目の州、日本は52番目の州と揶揄されるほどである。
 
パナマという国は、米国と非常に深い関係がある。それは全て運河に起因する。
パナマ運河は、1904年から10年間米国により工事が行われ、1914年に完成した。しかし、その前からフランスによって建設工事が行われていた。フランスの工事は、マラリアによって、作業者に大量の犠牲者が出たため、大幅に遅れが生じ、やがてフランスは撤退した。そこへ入ってきたのが、米国である。米国は、運河建設を引き継ぐのを前に、米国にとって有利となる企てを図った。パナマに住むパナマ独立派の人々を支援し、コロンビアからの独立を支援したのだ。このとき、見返りに、パナマとの間に、パナマ運河の採掘権とその後の運河の権限を無条件に保証する運河条約を結んだ。これにより、パナマ運河の永久支配権を得ることになった。この不平等な条約は、パナマ国民にとっては屈辱的な条約であり、運河返還はパナマ国民の悲願となった。当然反米的な運きが繰り返されたが、事ある毎に米国の力によって弾圧されてきた。
 
しかし、このような米国とパナマの関係に影響を与える国々が台頭して来る。
一つは日本であり、一つはキューバであり、そしてもう一つは中国である。
この人口300万人ほどの中米の小国の歴史も、実にグローバルに諸外国の影響を受けていることが分かる。((ひょ)は、逆に、偉大なパナマのリーダーたちが、グローバルにそれを利用してきたとも思うのだが。)
 
次回は、パナマ史における諸外国(特に日本)の台頭についてご紹介したい。
日本人にとっては大変興味深いものがあるからだ。
(パナマの熱い夜は、まだ続く)
 

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パナマの熱い夜・・・このコーナーは、2008年の夏3カ月間パナマの避暑・観光地エルバジェで、JICA草の根技術協力プロジェクトの現地調整員として活動した(ひょ)の、熱いナイトライフと活動風景の一端を綴ったものですが、途中で中断してしまっておりました。嗚呼、三日坊主はいけませんねえ。。。
(ひょ)は、その一年後、今度は短期シニア海外ボランティアとして、同じ活動地にて7カ月間の活動を行いました。そのご挨拶を書き込むこともなく、活動報告を再開することもなく、失礼いたしました。
一旦中断してしまうと、なかなか復活するのって、腰が重くなるのですが、先日上司の送別会の席で、パナマのことを話していたら、ふと、「パナマは良い国だよなあ。。。」という思いを再確認し、今日、久しぶりにゆっくり休日を過ごしていたら、パナマのことをもう一度書きたくなってきました。
パナマの素晴らしさを知ってもらいたいということもあるのですが、もう一つ知ってもらいたいと思うことがあるのです。それは、パナマという国が実に日本と深い関係を持っているということ、そして、そこには、大国の企みが存在しているということ、さらには、協力隊を通じて日本を好きになったことなのです。

明日から、時間を作って、しばらくの間、下記のようなコンテンツで書き綴っていきたいと思っています。ご興味のある方は、どうぞお付き合いください。

1.パナマに協力隊員として赴任して気づいた、世界を裏で動かしているのは誰かということ

2.意外に深い関わりを持つ日本とパナマ

3.日本の終戦後と米軍パナマ侵攻事件の歴史に見る、米国の強かさ

4.協力隊OV、隊員に今一度知っていただきたい、米平和部隊と違う協力隊の素晴らしさ

(ひょ)

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