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長崎は思案橋(厳密には浜町)にあった音楽喫茶「マイルス」
私が長崎に来たときにはもうありました。創業?は昭和38年(1963)。
店はかなり広い一般のティールームと、その奥に防音が施されたジャズルームがあり、
ジャズファン間で「マイルス」といえばこのジャズルームを指していていました。
ジャズルームに行くには、ティールームを横切って進んだのです。
「オレはジャズを聞きに来たのだ」という顔をして・・・・
なんとなく面映いとか、ジャズが分かるというエリート意識的なものもあった世代でした。
 
ジャズルームの扉を開けるとアート・ブレイキーのドラムロールとぶつかりました。
店内は暗く、三等夜行列車との仇名通り細長く、その先に大きなスピーカーが二つ、デ〜ンと!
背面の壁にはアート・ブレイキーの引き伸ばしたモノクロ写真が飾られていました。
(後にこの写真がジョン・コルトレーンに代わったと思います。また店名の主マイルス・デヴィスは、
表のティールームの壁面に初期のクインテット時代の引き伸ばしたモノクロ写真がありました)
さてジャズルームにはコーヒーの香りとタバコの煙りが満ちていました。
ジャズ喫茶はこうじゃなくちゃ!ですが、あの頃は老若男女、美醜を問わず煙草を吸っていたのです。
私が通い出した昭和41年頃、週末ともなれば常連が押しかけ、空席待ちはティールームで、でした。
 
当時はまだステレオが一般化しておらず、ジャズの渇したときはジャズコーナー行き。
LPレコード1枚が2500円前後、ジャズコーナーでもコーヒーが1杯250円(不確か)前後。
例え250円でも何時間も聞けたのですからジャズファンにはオアシスでもありました。
しかし、経営する側にとってはジャズが好きであっても、さぞ苦しかっただろうと思い返しています。
それに毎月出されるレコードの新譜も買って・・・オーディオのメンテも考えて・・・と。
後に同じような店を開いて、その実感が分かったのでした。
 
「音楽喫茶マイルス」では、内外のアーティストの招聘にも尽力していました。
なかでもアート(ds)ブレイキーは何度となく当市で公演を行っていますし、
主催以外でも後援に名を連ねたことも再三でした。
当時話題だったジョン(ts ss)コルトレーンの後援もその一つで、演奏内容には賛否両論!
当市のジャズファンは前衛と称されたジャズより4ビートジャズをメインとしていたからです。
公演が終わっても、暫くの間、ジャズルームでの話題はコルトレーンの是非の終始していましたが、
あるときマスターが「キミ達にはコルトレーンが分かっていない!」と一喝されたのも思い出です。
 
当時のジャズルームでの仲間達はもういい伯父さん伯母さんの歳です。
中には早世した方もいて時代の推多を改めて感じています。
末尾になりましたが、私たちの面倒を見て頂いた経営者のNさんに厚くお礼を申し上げます。
 
 
 
 
 

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