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桜が咲き四月に入りました。
「エプリル・フール(四月馬鹿)」当日は気温が高くときどき小雨。大気がモヤっています。メイド・イン・チャイナの汚染微粒子が、飛んで行かないで立ち止まっています。
こんな日は外出したくありません。が、どうしても!の用事あり。防御?万全でいかなくちゃ・・・・
先週は探偵小説愛好会の諸氏が、誕生日を祝って宴会をしてくれました。その席で会報に連載していたコラムを簡単な冊子にして、そのお披露目もありました。こうなることなどまったく予想していなかったので、冊子を読み返して赤面×2!ちなみにこの愛好会、もう十六年余り続いています。
冊子を手に「これって引退勧告だろ?」と聞いたら「まだまだ!」の返事。でも探偵小説を読む気力ってもんが衰えてきました。後期高齢者になると、読書もまた体力の要る趣味となるのです。
さて表題は長崎在住の年月です。デラシネでしたがどうやらこの地でこれだけの歳月を過ごしてしまいました。かって日本脱出を夢見てこの地を出発点に選んだのは、どうやら失敗だったようです。当時は沖縄がまだ米軍統治下にありましたからね。ま、それにしても(簡単に脱出できる)と思った私は浅はかでした。
この五十余年の間、いろいろな仕事に就き、たくさんの人たちに支えられ、助けられて生きて来ました。振り返り思い浮かべるお顔に、この欄を借りてお礼を申し上げます。なかには早世した方もいて、その方のぶんだけ生きていようか・・・と。なにも報いる手段がありませんものね。
前回のブログにも書きましたが、私が長崎に着いたのは四月一日の夜でした。とりあえずねぐらを確保し、ジャズ喫茶探訪に出かけました。教えられた店は『音楽喫茶マイルス』で、浜町にありました。店内に入って戸惑ったのは、流れているBGMがごく普通のポピュラーで、ウェィトレスのお嬢さんに尋ねたら奥まったドアまで案内してくれました。分厚いドアを押し開くと、ジャズがド〜ンとぶつかってきました。これが私と『音楽喫茶マイルス』との出会いです。
以後、仕事がお休みの週末やら祝日には足繁く通い、同じようにジャズが大好きな若者たちと知り合いになりました。そのうちの何人かとは、いまだに交遊があります。みんな好々爺、好々婆になっていて、それでも出会うと往時の話に花が咲くのです。残念なことに『音楽喫茶マイルス』はもうありません。この店はいわばこの街のジャズ・パイオニアだった、これが古いジャズ仲間の一致した意見です。
最近になって『音楽喫茶マイルス』のオーナーだった女性の情報が入りました。だいたいの現住所まで分かるので、折りをみてお訪ねしようかと思っています。
さて、今でもジャズを心のより所にしています。もっぱら聴く側ですが、この半世紀にジャズも流れを変えましたね。流れが変わったというより進化?したのかな。
バップ以降、ハードバップ、前衛ジャズの台頭、ネィティブなジャズからボサノバという南米の血を受けた時代もありました。でも、いままた、本来のフォービート・ジャズへの回帰を耳にすることが多くなりました。嬉しいことですね。
ただ残念なのは、かってのレコード(音盤)の発売数が少ないことです。往時のレコード・プレーヤーを大切にしている身としては、アナログ時代の再出発を心待ちにしているのですが・・・・・。
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気がついてもらえますように。
そう願いながら、初めてのコメントを緊張しながら書き込ませてもらっています。
まず、初めまして。
私ですね。
逃げるべきなのか立ち向かうべきなのかそんな悩みを抱えてます。
ただ、考えても答えが出ず自分を自分でせめてばかり…頭の中でダメだとわかっていても無意識にいつでも自分の事を攻撃しちゃってました。
でも、たまたま立ち寄ったjoe**aga*さんのブログを読ませてもらっている内に、私ってわかってるようで何もわかってなかったのかな…と。
頑張れって言ってもらえたようで妙に落ち着いたんです。
ありがとうございました。
それで…ですね。不躾で申し訳ないんですが…
harunan_n@i.softbank.jp
お話させてもらえませんか?
joe**aga*さんとお話することが出来たらもっと気持ちに変化が出て来るような気がするんです。
待っているのでお願いします。
2015/4/5(日) 午前 3:34 [ mil***** ]