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昨年も暑かったけど今年も昨年以上!
これじゃ人間の丸干しが出来ちゃうね。諸氏、くれぐれも熱中症にはご注意を!

さて、レコードが復権の動き、これは嬉しいねぇ。演奏録音する側にもレコードへのささやかな移行が見られる。確かにCDも飽きる音だし、CD自体も売れない、とか。それでも音楽を志す若者たちも多いことから、そのあたりも見極めも出て来たのだろうね。

CDが出て来た頃までラジオで音楽番組を制作していた。音源はほとんどレコードだった。45センチの局用のターンテーブルにレコードを乗せ、音出しを確認してオープンリール・デッキをまわし番組クレジットを入れる。10秒のカウント後に本編のテーマ曲を・・・まさに手造り感横溢のジャズ番組だった。
やがてCDの時代とともにレコードデッキもなくなり、録音用のでかいコンソールも消えた。私の出番も・・・

その放送局から連絡があり、処分中のレコードを見に来ないか、と。まさか見るだけ?じゃないよね。
出向いて残ったレコードから30枚ほどを頂いた。見本盤のシールが貼られているがほとんど処女(未使用の意)。なかでもキャロル(vo)スローン嬢の都内ジャズクラブ深夜録音をゲットできたのは幸せだった。たしかオールアートのボスがお膳立てしたセットと思う。

中級と自認するわが再生装置で、ときどきレコードをかけている。聴き込んだアルバムには傷音もあるが、『往時のジャズはスクラッチ・ノイズこみで聴け!』である。そに時代に青春を過ごしたのだから。
旧友ながら元気にジャズを聴き、バーを経営しているM氏から連絡があり「放出レコードあり。見に来ないか」と。
彼とは項表題の拙著にも登場しおり、フェイスブックじゃ何かと近況を知らせてくる、知らせるという間柄。
折から同じような連絡を受けたÝ氏と出向く。場所はわが町から車で40分ほどのО市である。
放出レコードの出どころは、閉店したとある喫茶バーの由。旧友の店には数百枚のレコードが段ボールの詰まっていた。とりあえずジャック・ダニエルスを頼み、これを啜りながらひと箱ずつチェックしはじめる。Ý氏と能書きをいいながら全部見終えたのが3時間後。
私が選んだなかで掘り出し物は「dancin'in the modern touch」という25㌢盤。演奏は「猪俣猛とウエストライナーズ」で1962年の録音である。当時のメンバーは鈴木(as)重夫、仲野(tp)彰、原田(bs)忠幸、前田(p)憲男、滝本(b)達郎、そしてリーダーの猪俣(ds)猛。前田氏の訃をしったのも今年だったなぁ、と感慨。また原田氏とは三年前に氏の祖先の墓について話し合ったことがある。
翌日レコードをクリーニングしターンテーブルに乗せた。若干のスクラッチノイズは覚悟していたのだが、そのわりじゃなくてホッとする。ジャズ以外で選んだのはシャンソンシンガー金子由香里氏の「銀巴里ライブ」と「テファナ・ブラス」の♪ビター・スイート・サンバ♪収録の2枚。
もうちょっとトラッド系を選んでおけば良かったかな、と反省。

イメージ 1話はがらりとかわるが、写真は友人のG氏が千葉県市川市で経営するジャズバー「クール」である。氏の膨大なトラッド系のレコードがここにありJBLで聴かせてくれる。数年前に帰郷した時はここの入り浸りだった。最近、メールしても返事がないのが心配である。どなたか近況を知らせていただければ、と思う。氏は病持ちだったから気にしているのだ。



あれれ・・・もう今年も残りひと月!

子供の頃はお正月が来るのを楽しみにしていたねぇ。
まずお小遣いがちょっぴり多く貰えたし、それなりのご馳走があったり。
近所の小店で凧を買い、川辺の土手(堤防)から揚げる楽しみがあった。
学校は冬休み。宿題帳なんか放り出して遊んでいたなぁ。
父親が大きな凧を拵えてくれて、糸もたっぷり繋ぎ、
「これでウチの上まで飛んでくるだろう」と揚げたもんだった。
確かに我が家の上空まで姿を見せた自家用の凧。見上げる父も嬉しそうだった。ちなみに堤防から我が家までは100㍍弱である。

小学校六年生のときに終戦。物(食料含む)のない時代が続いていた。
そうした世の中でも父は食べるものを調達できる男だった。
自家営業だったので物々交換できる品物があったのだ。
前出の堤防の河川敷を借りて野菜を作り、仕事に熱中している父にお弁当を届けるのが私の役目だった。
子供の間でウサギを飼うのが流行り、私もねだって買ってもらったが、ある晩、野犬に襲われ死んでしまった。この時はとても悲しかったね。
しかし振り返ると、とうに父の歳を越えている私だが、食料調達や遊び心じゃとても父には及んでいない。

さて当節、家の近所じゃ子供の声もしない。いないわけじゃないけど、もっぱら家にこもってゲームに興じているのだろうね。
町内会の寄りあいじゃ、挨拶の励行を呼び掛けているのだが、通学途中や下校時にちゃんと挨拶する子供、そうでない子供もいる。
挨拶を交わすさない子供の家庭環境まで、つい案じてしまうのは余計なお世話なのかも知れない。
子供は父親の背を見て育つという。いい歳をした私はまだ父の背中を見つつ追いかけている。



初冬の柔らかな陽射しが静けさを引き立てている。
ここ10日間ばかり快晴で、冬の気配が濃くなった。それもそのはず、来月は師走!
ちょっと早い!ちゃんと365日があったの?と問いたくなる。
日だまりでくつろぐネコを見ていたらシャンソンが聴きたくなった。
で、仏本場ものじゃなく越路吹雪嬢のアルバムを取り出した。

越路吹雪嬢のステージは何回か見ている。場所は今はない都内有楽町の日本劇場である。
当時の私は大学の映研(映画研究会)に入っており、映画観客の動態調査という名目で劇場や映画館に出入りしていた。調査なので無料入場である。億悪様に簡単なインタビューをして記録する。
映研のОBたちがそれぞれ映画関係の仕事に就いていたので、そのあたりで便宜を図ってくれたのだ。
インタビューは映画館の開館時と映画、または実演の合間に行っていた。

越路吹雪嬢の公演は、映画なしの日だったと思う。一緒に見た映画の記憶がないからだ。
それでも観客の調査は会ったのだ。いま考えると劇場側の資料とならからだろう。
私は彼女のステージを舞台袖で見守り聴いている。客席に座るなんてできない。無料入場者だから。
舞台袖には彼女の付き人がいたが、とくに咎められなかった。
その時の歌で記憶に残っているのが♪誰もいない海♪である。
ステージが終わり拍手を背に彼女が戻ってきた。私も思わず拍手をた。
すれ違うとき目が合った、「ありがとう」と彼女が応えてくれた。

その時から半生記以上もたって・・・・
家の近所の理髪店。経営者でもう初老の親父さん、
かって東京で修業していた店が彼女のご主人行きつけの店で、そんなことから色紙を頂いたという。「あげようか?」むろん頂いた。
だいぶ色あせてはいるが、天下のコ―ちゃんのサイン色紙である。わかる人はわかるね。
少しばかり遠のいた彼女の記憶が、アルバムを聴いていてまた近くなった。


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