あづまもぐらのブログ

短文故にリコメでの展開もありますので、そちらもお目通し下さい。
「僅か20秒、しかも遅延ではなく先発なのに」との特に外信が伝え、その反応が逆に国内に伝えられている。

確かに旅客への時刻表示は秒単位切り捨ての分表示故に、40秒発を20秒発に間違えても実害は起き得ない。
10秒を前分の50秒に間違えると、表記より10秒早く出てしまい、乗り遅れの可能性が"ほんの少し"ある。
件の場合は、発車告知メロディ前に発車させてしまった点にある様だ。
20秒云々よりも、発車予告と発車の順番が逆になった、謂わばパンツを脱ぐ前に風呂に入った事の詫びと云える。
要するに時分の長短ではなく、仕事の手順ミスを詫びていて、客の命を預かる運輸業務に携わる上での基本に関わる責任感の表れなのである。
今回はたまたま事故に繋がる様なミスではなかったが、これを契機に従事者への戒めとし、重大事故の芽を摘んだ事と云える。
鉄道とは縁の薄い個人的感想や高速大量高頻度輸送文化と縁の薄いか後進的諸国のメディア報道ならともかく、日本のメディアならば、もう少し掘り下げた見解を示してこそプロではなかろうか。
子供の作文ではないのであるから、「動物園に行きました。そこにはゾウさんがいて、長いお鼻が立派でした。」ではなく、何故鼻が長く進化し、それを如何に役立てているのかを考察してこそ大人なのである。

昭和50年頃、上野から乗った東北線急行八甲田号が、早朝の青森駅に10分早く到着した事があった。
「まむなく、すうつぁくの青森です。ほんずつは、予定をずっぷんほンど早めますてのとうつぁくです。」とのローカル色濃い車掌の放送は今も甦る。
八甲田号は、仙台からも寝台車と座席車を増結して、深夜帯に東北本線北半分を走り、青森へ朝一番で到着する列車であった。ダイヤも空いていて快調に走ったのであろう。
青森10分早着の為には、手前の停車駅野辺地辺りもお構い無く早発していた筈だが、乗務員も駅員もそこからの乗車客がいない事も経験的に心得ていたのであろう。
当時はまだエアコンの設備もなく、背板がほぼ直角になった昭和20〜30年代に製造された客車(但し、台車のバネは柔らかく、軽量化を考えぬ鋳造物で、極めて乗り心地はよく、今の空気バネとは異なるドッシリ感が快適であった)で、一刻でも早く青森に着けて、夜通し窮屈に椅子で過ごした旅客に青函連絡船の桟敷席へ座らせてあげようとの"心意気"であったのだろう。
斯様な人情味も乗せての今では味わえぬ旅情も昭和の列車にはあったとはノスタルジーに過ぎぬのであろうか。

在来線頻繁運行線区のダイヤは、古くから10秒刻みだったが、昭和40年代の初頭に京浜急行が5秒刻みになり、その後20年位して国電も5秒刻みとなった。
刻みを10秒から5秒にした事で、各駅での停車時分を詰め、京浜東北線は確か大宮〜大船間全線運行列車で3分の所要時間短縮が果たせた。
たった3分しかも大船〜大船でと笑うなかれ。この効果は利用者へは直接的に所要時間なのだが、その意味する所は、例えば3分間隔で運行しているなら、車輌1編成が少なくて済む点で、12億円の車輌価格(30年使うとすると年4千万円)とその保守維持のランニングコストが永遠に節減出来る事にあるのだ。
逆の例としては、プラットフォーム柵設置とワンマン化で大阪市営地下千日前線13.1kmの所要時間27分が3〜4分延びてしまった。新規車輌投入はなされていないので、現有車輌の余裕分で賄えたのであろうが、路線長や運行間隔によっては逆の事となるのだ。
誤解のない為に付け加えるが、プラットフォーム柵に反対しているのではない。
柵の設置にかかるコストは直接的な柵の費用だけではなく、様々に波及する事を心得ねばならないと云う事である。

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少子化対策

子供は標準的には将来成人して生産活動により従事し、個人的には糧の源泉を得ると共に国家的には納税により社会構成の一員となる。
経費面では、子供の養育は根本的には親の義務であるが、将来的な貢献に鑑みて補助が国よりなされる。
利益面では、国へは納税により金額を指標として測れる一方で、親にとっては心理的、感覚的であって尺度の設定には難がある。
更に核家族化とか都会への転出の有無で個々に差がある。
もとより、国にせよ親にせよどちらも子供の養育期に個別に後の利益を想定するのは不可能である。全体とするならある程度の統計値は求まるであろうが、個々の親にしてみればケセラセラの世界である。

本来は次世代へのDNAの継承と云う生物的本能に依存した潜在的な動機はあるにせよ、医療の進歩で予備の子供の必要性も減って子供をもうける動機低下に拍車がかかり、更に様々な娯楽の登場も夫婦メオトの営み機会を損ねている事は想像に難くない。

動物の雌雄にあっては生殖行為とされる営みは、人にあっては悦びを求める点から性行為と転化した。
性行為の末に結果的に生殖行為と同じ結果に至る場合もあって、人だけが避妊策を取るに至っている。生物学的に見れば人の妊娠は母体への負荷も大きい事も一因であろうから、本能と理性知性との葛藤の産物とも云える。

こうして考えると性行為を生殖行為へとの回帰を促す為には、そこそこ強い動機付けが必要となる。
医療の進歩は子供の救命ばかりではなく老後の延命をも果たし、今後もそれは向上すると見られる。
寿命の延長にあっては当然その質もよいに越した事はない。質の裏付けの一つには資金も要素である。

子供を無しか二人かと或いは一人か三人かと迷う者は先ずいない。無しか一人かとか一人か二人かとか二人か三人かとか「あと一人」で考えるのが常であろう。
子供の数に応じて年金額が率にせよ額にせよ(その具体案は別に考えるとして)加算されるとするなら、あと一人に迷った場合に背中を押す一助になるであろう。

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今日は何の日

昭和18年の今日、父と母は結婚した。
当時は明治節であった。
今は文化の日と名を替えているが、日にち指定の祝日たる根拠は明治節であるからに他ならない。
4月29日を昭和の日としているが、要するに昭和節であり、何か不統一感が否めない。
11月3日は確か晴れの特異日でもあった筈で、今日もそれは違えなかった。

父は群馬県館林の先の多々良(邑楽村)から出て来て、鶴見の伯父の家に間借りしていた。その伯父が妾を作ってその妻と揉めた折に妻側に立った為に追い出された。
そこで、背広を仕立てていた鶴見駅近くの洋服屋に下宿先を尋ねた。

母の実家は鶴見にあり、当時は母方の母の祖母も娘(私の祖母)の嫁ぎ先に同居していた。そこへ母の父方の祖母や本来なら揉める筈の元は柳橋の芸者であった祖父の妾も訪ねて来て、三人で仲良く世間話に興じていたそうである。
母の父は先妻を早くに亡くし、後妻として母の母を世話したのがお妾さんであり、母を実の孫の様に可愛く思っていて頻繁に訪ねて来たそうである。
母の父方の祖父は国会議員であって、来客の扱い等はお妾さんが優れている点を本妻も認め、田舎者の自分を補って充分との認識から互いに認め合っていたそうである。
同居していた母の母方の祖母は慶応3年生まれにして欧米系のハーフであって、故郷静岡の中田では中田小町と呼ばれたとかで、祖父に強く乞われて結ばれた。
その祖母が亡くなったのだが、日本人離れした顔立ち故に母やその弟妹が亡くなった部屋への立ち入りを怖がった。そこで用心も兼ねて男の人をその部屋(丁度玄関の直ぐ左側であった)に下宿させようと云う事になり、あちこちに伝えていた。件の洋服屋もその一つであった。

父が下宿した当時、母は高等師範学生で勉強を教えたりもしたとの由。
軈て父は逓信省の委託航空学校を終えて中華航空の航空機関士として北京住みとなった。

休暇で羽田へ帰国すると、遠い群馬の実家ではなく、近い鶴見の母宅を訪ねて過ごした。

「母の実家の近隣では年頃の娘の家へ通う男の噂が立って仕方なく」との母の弁と「母の父に頼まれて仕方なく」との父の弁を私は聞いているが、そんなこんなで昭和18年11月3日となり、式を済ませて水上温泉で初夜を迎えるに至った。

戦時中で戦局も芳しくない事もあり、父は単身北京に赴いていた。
終戦となって父が帰国して姉、兄と授かり、私が産まれたのは結婚から大分経って夫婦間にカビも生えてからと父からは聞いた。道理で私の臍の緒だけはない訳である。

昭和62年に父は他界した。
母は北京と福岡に父の女が居た事を父の同僚から聞いて知っていて、私に父の遺物を調べさせたが、母の入院中に全てを始末してあったらしく、何も危うい物は出て来なかった。先の長くない事を悟り、上手く処理した見事な死に方であった。

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俺は悪くない人達

先の衆院選で敗北した党、取り分け希望の党および民進党にあっては、小池、前原両氏への批判が党所属議員や落選候補者から上がっている。
正に勝てば官軍、負ければ賊軍を絵に描いた騒ぎである。

誠に情けない事に、敗因をスケープゴートに擦り付ける醜さで、小学生の揉め事を見る思いである。
麻生副総理が奇しくも立民、社民、共産等の左翼陣営を合わせても2割との感想を述べていたが、正規分布でザックリと考えれば、右コア層2割、中間層6割、左コア層2割に合致していると云える。
コア層とは何があろうが支持を変えぬ層であり、この層に対しては実績も政策提示も必要がないのだ。
選挙結果が気に入らず、籤引きにと言い出した朝日新聞等は典型と云える。
立民が議席を大幅に伸ばした結果も、左コア層が集中しただけの事であり、民進左派と共産から動いたに過ぎない。
共産も反省するなら、次回選挙では立民からの議席奪回を考えるのが真っ当である。

その対極が中間層と云え、傾向の強弱があるとは云え、実績や政策更に思慮深い人にあっては、その整合性で投票先を選ぶ事となる。

さて、先の衆院選を振り返って、緑、立民、社民、共産の各候補は国家運営全般に亘り整合性ある政策を提示したであろうか。私には、モリトモ隠しだの誹謗やただ反原発を云うだけでエネルギー政策には踏み込まぬ抽象論しか聞こえて来なかった。
アベ一強がぁと言った処で、政策面からの追及はなく、一強にしているのは自らである点にすら気付かぬのかと思う他無かった。

有権者の6割は、看板で見ているのではない事を知るなら、国防や内政に踏み込みで挑まなかった俺が悪いのだと真摯に反省すべきである。

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衆院選が終わった。
定数10減の中、欠員3と元民進の引退7を除くと、丁度定数465での比較となる。
自民 284→284 ±0
公明 34→29 −5
維新 14→11 −3
希望 57→50 −7
立民 15→55 +40
社民 2→2 ±0
共産 21→12 −9
無属 38→22 −16

定数10減の中、自民は占有率からして単純には−6でも許容範囲である中、±0は勝利と云える。
小池党首の責任が出ている希望は、確かに減らしてはいるが、公明と大差ない負け方である。
彼女の誤りは、都知事選は自民党都連が相手であり、国政選挙は自民党本体が相手である点を理解しなかった点である。
あまりに期待を盛られた故の失望の大きさの反映でもあるが、何年も地盤を固めて来た候補者に政治塾に参加したとかのぽっと出でいきなり当選出来る程甘い筈はない。落選候補者は今後地道な活動を重ねられるかが、実は問われるのである。一度の落選で懲りるならば、仮に当選したとて途中で投げ出した大橋巨泉や田島陽子なみの体たらくを呈したであろう可能性が高い。
民進は衆議院で分裂しながら参議院で残っていると云う、二心房一心室の爬虫類の様な姿となって、これからもカメレオンの様にコロコロと色を変えるのであろう。
斯様な小池、前原への風当たりがクローズアップされる中、共産の−9に対して志位の責任を問う話が出ないのは奇異極まりない。
4割も議席を減らしたのである。彼等の得意技を持ち出せば粛清されるレベルである。
「市民と云々」と得意げに主張していたが、何故国民でなく市民なのか?
国民でなくとも市民になれるからである。国政選挙に市民を持ち出す時点で既に支離滅裂である。
そもそも民主勢力を語るならば、代表者を一度でも党員間の選挙で選んだ事があるのかと問いたい。
何も選挙で選べと言っているのではない。そうでないなら「民主的に云々」などと語るなと言っているのである。
今回の選挙での最大の敗者は共産党であり、志位がその責任を如何に取るのか見せて貰おうではないか。

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