あづまもぐらのブログ

短文故にリコメでの展開もありますので、そちらもお目通し下さい。
政権内にあっては粛清し、対外的には勝手に言いがかりをつけて危機的情況を煽る、誠に迷惑至極の北鮮である。
慰安婦だぁ、徴用工だぁと条約で数十年前に済んだ件に言いがかりをつけて来る南鮮とも一脈通じ、半島の民族的メンタリティなのであろう。
南が元手の要らぬ捏造話なのに対して、北はミサイルだ核兵器だと金のかかる方法である点は対照的ではある。

捏造話に対してなら、証拠を示して対処は出来るし、煩わしさ以外に"直接的"には危害はない。
ミサイルによる核兵器攻撃に対しては、同等の兵器を以て抑止力とするのが、好むと好まざるとに拘わらず最終的な解答である。

インドとパキスタンも核兵器を有している。こちらは、この二国間限定抑止力との認識故に、副次的にはインドにあっては対中共への抑止力ともなってい。
北鮮の場合は、長距離ミサイルと核兵器をセットとして世界中へ危機を煽る点で印パと性格が異なる。
それでも米国の核抑止力故に行使は難しく、斯様な理由から北鮮の核保有を消極的ながら認める論調もある。

北鮮は第二次大戦後、日本の残した産業資産を活かす事が出来ず大した産業の育成も出来なかった。
ミサイル技術も旧ソ連圏や中近東からの流入と見られている。
大した産業もない中、麻薬や偽ドル札、インターネットによる他国資産の横領と国ぐるみでマフィア紛いの犯罪で資金を得ていて、国家としての矜持の微塵もない。
斯様な犯罪国家北鮮にもし核兵器保有を認めた場合、それらのテロリストへの流出が最も危惧される。
通常兵器でさえも難渋しているテロ対策であるが、テロリストに対しては相互抑止力は働かない。
政府を構えず、狂信的な輩へ核兵器保有が為された場合、手の施し様がなくなるのであって、なりふり構わぬ北鮮からの流出は絵空事ではないのである。

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朝ドラの電車 其のニ ケータイ投稿記事

イメージ 1

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8月10日の記事への補遺である。

先の投稿時、走り去る電車のパンタグラフは隣り合っていた気がしたのであったが、実際画像を見ると先の記事の通りであって、遂にボケ出したかと己れを疑ったのであった。
しかし、やはりその映像も存在している事が分かった。

日曜11時にその前一週分を20分に編集したダイジェスト版の放送があるのだが、そちらのタイトルバック映像では、電車の仕様が違っているのだ。

パンタグラフはどちらも連結面側に設置する京浜急行式、屋根の上には通風器が無く、浅い屋根のカーブと併せてこれまた京浜急行230形を彷彿とさせる形態となっている。
恐らく当初はこちらの方であったのであろう。同じ形態2輌を作り、背中合わせに繋げるのは自然な思考である。
ただあまりにもサッパリしていてディレクターは面白みに欠けると判断し、手直したのであろう。
パンタグラフの位置を変え、通風器を載せて取り直したものと推察される。
但し、模型製作者のオリジナリティも尊重し、ダイジェスト版には最初の映像を使う事でその意を示したのではなかろうか。

誠にどーでもよい事を勝手に推し量っているのは、視聴者で私くらいであろう。

尚、京浜急行が前頭部へのパンタグラフ設置を避ける理由は、脱線事故や大型自動車或いは鉄道車輌どうしの衝突事故となった場合に、吊架線への被害を最小限にする為の措置で、昭和34年以降の新造車から、またそれ以前の車輌に対しても更新工事に併せて移設し、この40年間守られているポリシーである。

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無駄な抵抗

議員の不純異性交遊がback to backと巷間を賑わしている。
地球上の生き物の中で、一年中発情している数少ない存在である人類の面目躍如である。
但し、年中発情と共に知性をも授けられた存在である事を併せて考えれば、その発露の乏しさ故にケダモノ以下と云えよう。

乏しい知性の発露は言い訳である。
下衆の極みを代表するフェイクメディアが、「一線を越えたのか?」とバカ丸出しの質問をする。
「越えました。」と答える筈はなかろうに。
斯様な質問を愚問と云う。
「一線は越えていません。」と真顔での弁解はこれまた浅はかさを感じる。
「無駄な抵抗はよせ!」と拡声器で言いたくもなる。

健康体で且つ下半身の人格形成が終えていない男女が、同じ部屋で一夜を過ごして一線を越えなければ「異常」である。
妻子或いは夫子ある身で一線を越えれば、これまた「異常」である。
どちらに答えようが「異常」なのである。
要するに一夜或いは数時間であっても、分別あるべき大人が密室で共に過ごす事が「異常」なのである。
斯様な理屈の分からぬ輩が、議員の前職が検事であったと云う事実にも驚愕を覚えずには居られない。

いかれた弁護士、いかれた判事にいかれた検事と三拍子揃って、天下泰平である。
勿論、まともな弁護士、判事、検事の居られる事は充分承知はしている。

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話し合い

生命体が陸上へ進出して啼くなり哭くなりする事が始まり、その強弱や抑揚の使い分けで単純な意味分けとなり、現生人類は言語を得て複雑な概念まで表現する事で文明や文化の発展を得てきた。
動物なら睨み合い、唸り合い、取っ組み合い、場合に拠っては殺してしまう事に代えて、人類では話し合う事で効率的に物事の解決を図ってきた。
と、此処までは通り一遍の図式である。

子供に言い聞かす原理と云えばよい。
これを金科玉条として奉り、何事に於いても譲らぬ「話し合い原理主義」の最たる例が日本国憲法第九条である。
当時12歳児のメンタリティと日本人を見下していた米国が押し付けるに相応しかったとも云える。

この原理主義には、信じて疑わぬ誠に子供のメンタリティのグループと都合によって目眩まし的に持ち出すグループがいる。
前者は今更云う迄もない。

昨今北鮮絡みで、中共やロシアが話し合いでの解決を主張しているが、こちらは後者の最たる例である。子供のメンタリティである前者は易々と丸め込まれる。

最近の南シナ海、インド国境、ブータン国境、少し遡れば必至に国内では隠蔽する天安門事件、チベット・ウイグル・内モンゴル等辺境地域侵攻などで、中共が話し合いを重んじた形跡は欠片もないではないか。
ロシアにしてもウクライナでは今も燻っている。少し遡れば、チェコ・ハンガリー動乱と歴史は隠し様もない。
これら二国の今回での「話し合い」解決は違和感を通り越して奇異ですらあるのは二国も承知の上とは充分想像に難くない。厚かましさ、図々しさに於いては何れ劣らぬ点はひけをとらぬ故に。

子供のメンタリティから脱して考えれば、話し合うにはその時点で如何に有利な条件とするかが肝要な点に行き着く。
WW2での対米戦もそれを目論見、タイミングを得る事なく行き着いてしまったのが我が国の例である。
終末兵器を得た今日では、ポイントが前倒しとなって、終末兵器を何処まで得るかが話し合いの為の環境条件となる。
話し合いと有利な環境獲得とはニワトリとタマゴであり、単に「話し合いでの解決」を振りかざすのは何ら解決に寄与しない事を悟るべきである。

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少し旧い話になるが、米国での白人優越主義者や不法移民を快く思わぬ保守グループとその反対勢力リベラルとの暴行沙汰に対してのトランプ大統領の喧嘩両成敗発言に人種差別への言及がないと大統領の敵対メディアが煽動し、その煽りは南軍のリー将軍やコロンブスにまで至るヒステリー状態を招来している。

米国に於いて異なる主張は何ら珍しいものではなく、議論を戦わせる価値観は米国の誇る文化の一つであった筈である。
debateなる単語は日本語には見出だし得ない。
その文化を蔑ろにして暴力沙汰に至ったのであるから、喧嘩両成敗との大統領の発言は至極真っ当である。
人種差別云々を論ずる以前に、米国の伝統文化を蔑ろにした己れの行動に対して真摯に反省して然るべきを怠り、自分等の気に食わぬ大統領であるからと新たなクレームをつける、誠に恥の上塗りそのものである。いつから米国のリベラルは特亜並みに成り下がったのであろうか。
対する保守グループも無能である。
こちらも暴力沙汰への反省はなく、加えて人種差別を持ち出されて二の句が接げねば痛い所を突かれた事丸出しではないのか。

リー将軍にしても堪ったものではない。
リンカーン大統領にしても、人道的見地から奴隷解放をした訳ではなく、児童図書の逸話は教育上のものであるのは大人なら常識である。リー将軍はあの時代のあの背景に於いて南部の利益を負っていたのである。
コロンブスにしても然りであって、バイキングがグリーンランド伝いに北米大陸へ達していたのは今や周知である。コロンブスが異なるのは、その後の世界史への影響である。
単に今の価値観で百年単位で過去の事を評価するのであれば、ローマの塑像とか彫像とかは全て破壊の対象ではないか。

ではその考え方で突き詰めるとするなら、究極は不完全な生き物を創造した一神教の神こそ棄却の対象となる事を心得よ!
今でもdiversityとやらを吹聴するのであれば、保守とかリベラルで争う以前に、一つの価値観へ行き着く一神教ではなく、価値観の多様性を容認する多神教へと行き着いて然るべきではないのか。

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