ジョニィからの伝言

気になることを気が向いた時に。。。

哲学

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悪人

検査入院から退院した父ですが、在宅診療に切り替えたものの、
その後、次々と周囲とトラブルを起こし、この2週間トラブルの解決に右往左往の日々でした。
まだ来週も、続くのですが。。。
 
そもそもトラブルの原因は、父の恐ろしく歪んだ性格です。
その大きな特徴の一つは、「一切他人を信用しないこと」。
そして、もう一つは、「人の神経を逆なでするような、嫌味な口撃」です。
 
残念ながら、父は私にとって、「人生最大の反面教師」であり、
絶対こういう人間になりたくはないという最高の手本なのです。
 
どうしたら、ここまで他人に迷惑をかけることに関して無頓着なのか、理解不能です。
とにかく、「常に自分が正しい」のですから、どうにもなりません。
 
 
詳しいトラブルの経緯などは、ここに記す気力もありません。
考えるだけで、憂鬱で、気持ちがブルーになってしまいますし。
 
しかしながら、結果から言いますと、結局本人の人の迷惑を顧みない言動のせいで、
在宅診療のクリニックの先生も、調剤薬局も、手に負えないと、逃げ出したのです。
 
 
ところで、何故父はここまで「他人を信用しない」のだろう?
最近、なんとなく、その答えに辿り着いたような気がします。
 
それは、本人が「悪人」だからではないのでしょうか?
善人は、人を信用するが、悪人は人を信用できない。
自分が悪人なのだから、「人間というのは皆本質的には悪人なのだ」と思っても不思議ではありません。
 
父が、時々自慢のように話す話は、
若い頃に生活のために、社会のルールを無視して、おカネを掠めていた話。
嫌味な手口や言動で、他人に恥をかかせたり、他人をやり込めた話。
そんな話がほとんどなのです。
 
後は、他人に対する悪口が延々と続きます。
 
しょっちゅうそういう話を聞かされるのは、本当に不愉快です。
いまや、兄嫁一家とは既に絶縁状態(兄は20年前に亡くなりました)。
妹の旦那は、父には全く寄り付かず、妹も父の面倒を一切見ようとしません。
みんな、父を嫌って離れて行ってしまったわけです。
 
父が素直に自然に「ありがとう。」と言ったのを一度も聞いたことがありません。
父の「ありがとう」には、必ず嫌味があるか、表面的かのどちらかです。
 
 
あっ、愚痴が長くなってしまいましたが、結論。
「悪人は人を信用しない。」
 

仕事の「さしすせそ」

先日、5年ぶりで結婚式の披露宴に出席しました。
しかも主賓での出席は10年ぶりでした。
 
祝儀袋を買いに行ったら、この5年間に随分世の中変わったんですね。
水色の祝儀袋や、紺色、ピンクなど、カラフルなものが色々あってびっくりしました。
祝儀袋といえば、白地に赤と金色だと思っていたのですけどね。
 
 
さて、今回は唯一の女性の部下の結婚。
仕事も大変頑張ってくれている女性ですし、主賓としてのスピーチは10年ぶりだし、
スピーチの内容の核をどうしようか、色々考えた挙句、こんなことを考えました。
 
仕事の「さしすせそ」
 
料理の「さしすせそ」は、みなさん御存じの通りで、
「砂糖」「塩」「酢」「醤油」「味噌」ですよね。
 
私の考えた仕事に必要な5つの要素、「さしすせそ」は、
細心……細かいところまで、気配り、目配りができること
真摯……真面目で、誠実に仕事に取り組めること
素直……成長の為には、人の意見を素直に聞き入れられることが大切です
責任感…これはもう、言わずもがなですね
聡明……やはり仕事面での頭の良さは欠かせません
 
そんな話をしたうえで、
新婦はこの「さしすせそ」を、程よくバランスよく兼ね備えている、とお話しました。
 
 
まあ、私が勝手に考えた「さしすせそ」ですので、世間一般的に当てはまるのかどうかは分かりませんが、
このスピーチ、意外と評判が良かったようで、新婦の言によれば、
「色々な人から、あのスピーチが凄く良かった。」と言われたそうです。
 
正直、ほっとしています。
とにかく、新婦に喜んでもらえて、良かったです(笑)。
 
 

こだわり

人には誰にでも、他人にはなかなか理解できない「こだわり」
一つや二つはあるものですよね。
 
私の「こだわり」
それは、スポーツ選手を愛称で呼ばないこと
 
例えば、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手。
私は、決して「マーくん」とは呼びません。
私の中では、田中選手は田中選手なのです。
 
マラソンの高橋尚子選手。
彼女は「Qちゃん」ではありません。高橋尚子選手なのです。
 
まあ、この辺りまでは、そういう方も沢山いらっしゃると思いますが、
私の場合、ゴルフの宮里藍選手や卓球の福原愛選手も「藍ちゃん」「愛ちゃん」とは呼びません。
ゴルフの石川遼選手も「遼くん」ではありません。石川遼選手です。
 
後はもう、列挙してもきりがないので、書きませんが、
とにかく、スポーツ選手を愛称で呼ぶのが嫌いなのです。
 
 
恐らく、その背景には、前回の記事で書いたように、
私の元々のスポーツに対するコンプレックスがあるような気がします。
 
私の中では、競技スポーツは特別なものなんですよね。
スポーツ選手は、スポーツ選手として評価すべきであって、
それ以外の+αのアイドル性が表に出る「愛称」は、決して使ってはならないものなのです。
 
まあ、こんな「こだわり」人に説明しても仕方がないことですし、
あまり理解してもらえるものでもないかもしれませんが、
とにかく、私は、「スポーツ選手を愛称では呼びません。
 
 
みなさんには、何かそんな「こだわり」ありますか?
 
 

二つのタイプ

先日、ある飲み会の席で、ある女性からこんな質問をされました。
 
「もし、人生をやり直せるとしたら、どの時点からやり直したいですか?」
 
少し考えた後、私の答えは
「もう少し早い時期からジムに通って、膝まわりの筋肉の補強をしておけば、
膝の故障も防げただろうし、今でもバスケの現役でいられたに違いないので、
戻れるとしたら、そこからやり直したいね。」
 
「本当にバスケットが好きなんですね。」
 
「いや、というより、ずっと現役のスポーツ選手であり続けたいということかな。」
 
 
そんな会話をしていて、自分のこれまでの人生の中心が、
コンプレックスの克服にあることを感じました。
 
小学生の頃、体育は5段階評価の2と3しかとったことがなく、
運動神経が鈍いことに、大きなコンプレックスを感じていました。
そして、中学でバスケットボール部に入部して以来、
私の人生はコンプレックスの克服を中心に回ってきたのだと実感しました。
 
「そうですかあ、コンプレックスの克服の方へ走ったんですね。
自分の強みを生かそうという方向に進もうとは思わなかったんですか。」
 
 
そう言われて、またまた気がつきました。
ああ、なるほど、人間には二つのタイプがあるのだ、と。
 
一つは、自分の優れている部分を伸ばすことを目標に生きて行くタイプ。
そしてもう一つは、自分の不得意な部分を克服することを目標に生きて行くタイプ。
 
私は、間違いなく、後者ですね。
そして、恐らく、前者は基本的には「楽観主義者」、後者は「悲観主義者」なのかもしれません。
 
前者は多少自分自身がバランスを欠いていても、
「自分は、そういう人間なんだから、それでいいじゃないか。」と思えるタイプ。
「この部分は人より劣っているけど、この部分は誰にも負けないよ。」と割り切れるタイプ。
 
一方後者は、自分自身がバランスのとれた人間でないと許せないタイプ。
「たとえこの部分が多少人よりすぐれていても、他の部分が劣っていてはだめなんだ。」
根本のところで、自分自身に自信がないタイプ。
 
まあ、人間を二つのタイプに分類して考えようとすることに、無理があるのは承知の上ですが。
 
 
「強みを生かす」ことに重点をおいて生きてきていたら、
きっとまた別の人生が待っていたのでしょうね。
 
でも、私はそれがどんな人生だったのか、考えようとも思いません。
コンプレックスの克服を目標に生きてきて良かったと思っています。
それはそれで、今の自分を形成し、今の自分のバックボーンになっているわけですから。
 
 
 
 

人生は不公平

数週間前のことでした。
会社の喫煙所でタバコを吸っていると、我社の執行役員を定年で退任し、
この6月に監査役に就任したK氏が、こう話しかけてきたのです。
 
「人生って、不公平だと思わない?」
 
 
私は、人生が決して公平だとは思っていません。
 
同じように努力をしても、持って生まれた才能によって、一流になる人もいればそうでない人もいます。
スポーツの世界でも、学問の世界でも、社会に出てからの職場でも、
当然努力によって達成できることもありますが、
持って生まれた才能によっては、努力で超えることのできない壁があるのも事実です。
 
振り返ってみれば、ここまでの私の人生は、恵まれていたなあとつくづく思います。
もちろん、世の中の平均に比べれば、それ以上に努力をしてきたという自負はありますが、
それでも、運がいい人生であることは、間違いないと思います。
 
同じように努力をしても、決して同じだけの成果や結果を得られると限りません。
そういう意味では、もともと「人生は不公平」なものなのです。
 
だから、そう思って生きることが大事なのだと思います。
どんなに頑張っても、努力しても報われない時もあります。
そんなとき、運が良い人を羨んでも、仕方がありませんし、何の解決にもなりません。
そもそも、人生自体がそういうものなのだと、受け入れるしかないのだと思います。
 
但し、だからと言って、努力すること、真摯に生きることを放棄してしまうのも、それは違うと思います。
 
「努力は必ずしも報われるとは限らないが、努力をしなければ報われることもない。」
結果が公平であろうが、不公平であろうが、努力すること、それ自体に意味があるのだと思います。
 
そして、うまく行った時には、自分の「幸運」に感謝すること
「人生は不公平」であるからこそ、物事をそうやって肯定的に捉えていかなければ、
人間としての成長はないと思うのです。
 
 
さて、かのK氏との会話を続けましょう。
 
私  「そうですね。人生は不公平だと思っています。
     だから、そういうものなのだと思って生きることが大切だと思います。」
 
当然、私は上に書いたような考え方が背景にあって、こう答えたのですが、
K氏の意図は、実は180度違いました。
 
K氏は、今の我社の社長や取締役に比べても、自分は能力的にも優れているし、
努力もしてきたと思っているようですが、それが正しく報われず、
自分の方が出世しなかったことを嘆いているようでした。
 
ひょっとしたら、事実はそうかもしれません。
しかし、私から見ればK氏は、経営のトップになるような器ではありませんし、
彼のこれまでの社会人人生は大変恵まれているように思います。
 
一流大学を卒業して、大手銀行に就職し、支店長を経験して、
グループ会社の子会社に転籍し、そこで執行役員を勤め、監査役に就任した。
 
彼がいままで、どれほどの努力を続けてきたのかは、私には知る由もありませんが、
それでも、彼のこの社会人人生が幸運でなかったとは、とても思えないのです。
 
 
「人生は不公平」。
だからこそ、努力しても報われないこともあるわけで、そんなことを恨んでも仕方がない。
そして、努力の結果が報われた時は、自分の幸運に感謝をしないと。

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