Nichiren_Gosho

末法の本仏 日蓮大聖人の御書(著作)を解説致します。

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国家諌暁(信仰の誤りを正す)の書『立正安国論』 一

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【立正安国論(りっしょうあんこくろん】
■出筆時期:文応元年7月16日(西暦1260年8月31日)、日蓮大聖人39歳の時自らが持参し、当時鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼(元執権))に提出。
■出筆場所:駿河国、実相寺(現在静岡県富士市)、及び鎌倉
■出筆の経緯:
当時鎌倉にいた日蓮大聖人は地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が起きるのは、法華経を信じず、浄土宗(法然の念仏宗)などの誤った教えを信じていることにあるとして、当時信仰されていた、主に民衆に広まっていた念仏、武士に多く信仰されていた禅宗、その他律宗、真言宗の4つの宗派を批判。このまま誤った宗派に政治的保護、布施による経済的支援をするならば、薬師経に説かれている7難のうち既に5難は起こり、残されたた2難(他国侵ピツ難と自界叛逆難)が起きるので、直ちにこれらの宗派への国家による保護を取りやめなければならないと訴えた。日蓮大聖人は4つの宗派を禁止せよと訴えたのではなく、あくまで鎌倉幕府による政治的保護をやめることを訴えた。民衆個々の信仰に対してはあくまで自らと弟子(僧侶)による法華経の布教活動で正していった。
この諌暁の結果、禅宗を信仰していた鎌倉幕府の役人及び時頼の怒りを引き起こし、日蓮大聖人は翌年伊豆に流罪となる。
尚、日蓮大聖人が立正安国論出筆のため訪問した実相寺には、円珍が唐より招来した一切経を保管しており、その経蔵に篭もり一切経を閲読し立正安国論を著した。その後実証寺で学ぶ多くの学徒が日蓮大聖人の弟子になったという。

http://pds2.exblog.jp/pds/1/201401/11/54/f0301354_539995.jpg

<立正安国論 ご真筆[巻頭部分] 中山法華経寺所蔵>

[立正安国論本文]その一
旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで天変地妖・飢饉疫れい・遍く天下に満ち広く地上にはびこる。牛馬巷に倒れ骸骨路に充てり、死を招くの輩既に大半に超え、悲しまざるの族(やから)敢えて一人も無し。

[立正安国論本文]その二に続く。

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