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プロローグ1 明星サイド
初めて、その子を見たのは、風の強い日。
綺麗な長い髪の、女の子だと思った。
父さんが言うには、その子のお父さんとお母さんが急に死んでしまって、だから家に来た。のだとか。
初めまして、と手を出したら小さな声で返してくれた。
それが、雲母との出会い。
小さいからまだお手伝いの仕事はできない雲母は、僕と兄さんの遊び相手になっていた。
「これはね、「いぬ」」
「…いぬ」
「これは「きく」」
「きく…」
二人兄弟で下が居ない僕にとっては、一つ下の雲母は可愛い妹みたいで、本を読んだり、文字を教えたり。
一緒に走ったり、眠ったり…
それこそ毎日一緒に居たんだ。
それから間もなく、僕は東風学園に通うことになり、雲母と会えるのは学園が長期の休みくらいになってしまった。
「お帰りさないませ、明星様」
「…うん…ただいま」
長い、金の髪が動きに合わせて揺れる。
大きな瞳に、白い肌。
あの時、綺麗だと思った女の子は、あの頃よりずっと、もっと綺麗になっていた。
ただし、それは彼女…雲母が大きくなったという事で。
僕が東風学園に通うようになったころから、雲母とははっきりと立場が分かれてしまった。
使用人と、主人。
でも、他に手伝いがいるときは、周りの目があるから仕方がないけどせめて二人きりなら前みたいに名前で呼んでほしい。
雲母が使用人の仕事に本格的に就いてからずっと僕の中で燻ぶっている思い。
「それでは、お食事のときに、呼びにまいります」
「…うん」
もう、一緒に遊んだり、本を読んだりすることはできないんだろうか。
小さくため息をついた時だった。
「お、もう帰ってたのか、早いなぁ」
星夜兄さんが襖を開けた。
僕より6つ上で、もう高等部に上がってしまったから、学園でも殆ど会えないけれど。
「僕もさっき帰ってきたばかりだから」
「そっか。成績優秀で、母さんも父さんも喜んでるだろ」
「兄さんだって、また主席なんでしょ」
「はは。そういうなって」
大概、天狗の血統の子は成績が優秀で通ってる。
僕や兄さんが通う東風学園は天狗の子が通う学園の中でもその最高位にあるらしい。
別に、父さんと母さんの母校だし、兄さんも通ってるからよく考えないで通うことを決めたけど…。
「そういえばさ、雲母ちゃんにはもう会ったか?」
「さっき会った」
「随分と可愛くなったなぁ」
「…そう…かな」
兄さんに言われなくても、分っているのに、何故か俺は素っ気なく応えてしまった。
「そうだよ。驚いたなぁ」
「そんなに驚くほどのものでもないんじゃない…」
結局雲母と話ができたのは帰ったこの日と、学園に帰る日だけだった。
もやもやした気持ちのまま、僕の休暇は終わりを迎えてしまった。
「どうしたんだよ、明星浮かない顔して」
旧友の良秀が声をかけてきた。
初等部のときから一緒で、気心も知れている。
「なんか…上手くいかないなぁって…」
「なにが?」
「自分の気持ちを伝えるってこと」
もっと、友達みたいに話がしたいのに…
「なに?好きな子でも出来たのか?」
「そんなんじゃ…」
好き、なんだろうか…僕は雲母のことを…
「まあまあ、どんな子なんだ?明星のことだから、頭の良い子なんじゃないか?何処のご令嬢だよ?」
「だから、そんなんじゃないって言ってるだろ」
これ以上詮索されるのはたまらない。
僕は話の腰を折って席に着いた。
「この学園でも成績優秀で通ってる「あの」篁山明星でも悩むことだなんて、かなり興味があるんだけどな〜」
斜め後ろの席でまだぶつぶつ言う良秀をよそに、僕は教本に視線を落とした。
好きだとか、そんなんじゃ決してない。
小さいころ見たいに遊んだり、話をしたいだけなんだ。そうなんだ。
何度も自分に言い聞かせるみたいに、僕は心の中で繰り返した。
ただ、小さいころから一緒に居たから。妹みたいに思ってるだけ。
そう、それだけ…。
それから、何度か季節が巡り、僕と雲母の距離は詰まることが無かった。
「お帰りなさいませ。明星様」
「……」
「御用が御有りでしたら、御呼びください」
「……」
「では、失礼いたします」
「……」
静かに、襖が閉まって、衣擦れの音が遠ざかったの確認すると、僕は重い息を吐いた。
中等部に上がってから、会話も殆どしなくなってしまった。
兄さんはもう、義塾に入ってしまい、余程のことがないと家には帰ってこられないし。
父さんが病で倒れたという知らせで、僕は長期休暇でもないのに屋敷に戻ってきている。
随分と我慢していたようで、ここ数日が峠という状態。
畳みかけるように色んな事を教えられて、僕は混乱していた。
家のことは心配ないって兄さんや母さんは言うけれど…。
この先どうなってしまうのか全く先が見えなかった。
父さんの容態は、日を追って悪くなる一方で、結局医師の見立て通り僕が屋敷について4度目の朝に、苦しみながら息を引き取った。
それから、葬儀はあっという間に終わって、母さんと兄さんは親族で難しい話をしている。
僕は、「子供の聞くような話じゃないから」と兄さんに諭され部屋に居た。
父さんが逝った時も。
葬儀の時も。
僕は一滴も涙が出なかった。
あまりに実感が無くて。受け止めきれていなかったのかもしれない。
こうして一人きりになって、漸く落ち着いて考えを巡らすことができるようになった。
父さんがもう居ないとか。
この先これまで居たみんなと一緒に居られないかもしれないとか。
これまで考えられなかったことが一気に湧き上がって、僕はひとり押しつぶされそうになった。
「っく…っ父さん…っ父さん…」
そうしたら、それまで全く出なかった涙が堰を切って溢れだした。
止めようと思っても、涙も嗚咽も止まらない。
その時だった。
「…失礼いたします」
「だ、誰だ」
使用人たちにも皆暇を出しているはずだったから、誰も来ないと思っていた。
「黒木…雲母です」
「な、何だ」
「お、お飲物を…その…」
「頼んでないだろ、要らないことをするな」
「申し訳…ありません…」
久しぶりの会話がこんな状態で、僕は益々苛立っていく。
こんな事を言いたいわけじゃないのに。
「暇を…出したはずだけど…」
「……」
「ここは、お前の家じゃないんだ、そっちに帰ってろよ」
「…無い、んですよ…」
「あ…っ」
「私に…帰るところなんて…無いんだもん…」
雲母が家に来た理由を思い出した。
雲母には、もう家族が居ないんだった…
「その…ごめん…色々あって…その………」
「あ、すみません、失礼なことを…っ」
「いや、良いから…昔みたいに…話していいから…どうせ、周りに誰も居ないんだし…」
「明星…さま」
「さま、も要らないよ。呼び捨てて。昔みたいにさ」
「明星…」
「少し…聞いてもらえるかな…」
「は…うん」
今まで話せなかったのが不思議に思えるくらいに。
障子越しなら、素直に話せた。
父さんとの思い出。
楽しかったこと、怒られたこと、悔しかったこと。
雲母はただ、静かに座って、たまに相槌を打って聞いてくれた。
いつも間にか空が白んできて、随分と長く話し込んでいたことに気がついた。
「雲母…っごめん気がつかなくて、寒くないか…っ」
急いで障子戸を開けると、凭れかかりながら寝息を立てている雲母が居た。
朝焼けで白く輝く頬に触れると、氷のように冷たい。
掌も、肩も。すっかり冷え切っていて。
「なんで…言わないんだよ」
きっと寒かったろうに…ゆっくりと抱きあげて、僕は敷いたままになっていた布団に横たわらせた。
「ありがと…雲母…本当に…ありがとう」
一生守る。そう決めた朝だった。
「明星、さま。行ってらっしゃいませ」
「うん」
荷物を受け取って、屋敷を後にする。
そこまでは、これまでと同じ景色。
でも、今日からは違う。
『学園に帰ったら、手紙を書くから』
『え?でも』
『母さんのこととか、家のこと知りたいし…あ、雲母が嫌じゃなければの話だけど』
『迷惑…じゃない?』
『なんで迷惑だなんて思うのさ』
『だって…私…全然勉強とか出来ないし…』
『だったら尚更だよ。手紙を出しながら、僕が教えたりできるからね』
『…うん』
「ちゃんと、約束だからね」
「…うんっ」
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