今日の聖書の言葉は次の通りです。
さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、
「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、
『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」(旧約・出エジプト19章5〜6節)
ユダヤ教は一民族の宗教として始まりましたが、一民族のものとして存在しているのではありません。
ユダヤ民族は神の器として、神の祭司として選ばれ、
全人類、世界に対する宣教者として選ばれ立てられた祭司の民族なのです。
ユダヤ教を母体として与えられた神の救いの契約はイエスによって成就、実現されました。
キリスト教もまた一国家、一民族の宗教ではありません。
それは本来人から生まれた宗教ですらありません。
それを一国家の宗教であるかのようにしていることは神の計画、御心でもありません。
その過ちのためどんなに悲惨な歴史を刻んできたことでしょうか。
旧約聖書の神は“有りて有るもの”という万物の創造者なる神であり、
新約聖書におけるイエスは“わたしはある”という人であり、神の御子なのです。
すべての人は永遠なる神の被造物であって、“有りて無きもの”なのです。
人という存在も、人の考えも、人の手のわざもすべて相対的で、有限な“有りて無きもの”です。
旧約聖書を通してご自分を啓示された“有りて有るもの”なる神は
“わたしはある”と言われた神にして人であられるイエスをとおして、すべての人に
あなたを愛し、あなたの救いを成就し、ご自分こそ、唯一の天地万物の創造者であり、
あなたの神であることを明らかにされたのです。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。
それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、
あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
(新約・ペテロの第一の手紙2章9〜10節)
それでは神の平安がありますように!
神の平安がありますように!
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