その名は不思議

「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」(旧約・士師記13章18節)

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★今日のみ言葉★(2014.6.13)
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「どちらを選ぶか」

人生には大きな選択から小さな日々の選択までいろいろあります。
どちらを選ぶかで、その先の進む道が大きく違ってくることがあります。

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詩篇119:29、30

偽りの道をわたしから遠ざけ
憐れんで、あなたの律法をお与えください。
信仰の道をわたしは選び取りました。
あなたの裁きにかなうものとなりますように(新共同訳)。

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今日のみ言葉には「偽りの道」と「信仰の道」とふたつの道が出てきます。
「真実の道」「真理の道」と訳されている聖書もあります。
偽りと真実とは大きく違います。ところが、現実には、偽りが本物のように思えることがあり、
また、真理や本物が偽りのように思えることがあります。

どちらも外からは分かりにくい心の内面から始まる道です。
ですから、どちらを選び取るかの決断は心の中でなされ、それが外に、行動に現されます。
あなたやわたしには、その決断のための判断、基準となるものがあります。

何でしょうか。

世間の常識、自分の経験や知識を基準とすることもありますが、
 他方は主の「律法」、つまりみ言葉ですね。そして主の「裁き」、主の判断です。

ですから、信仰の道、真理の道を選び取るとは
自分の中の不真実や偽り、偏見によって道を選び取るのではなく、
私が道であり、真理であり、命であると言われた主イエスを選び取ることです。

どう思いますか。


《shalomのコメント》

平和と安全を求めながら、戦争の火の粉が絶えたことのない人類の歴史。
だからと言って、人間がみんな悪人というわけではありません。
いや、むしろ、善人のつもりでいるのではないでしょうか。

ひとりひとりの人と会ってみるとよい人なのに、
群れの中のひとりになったり、権力を持つと別人に変わることがあります。。
日頃は常識も良識があるようでも、人はそれほど強くはありません。

いや、むしろ、ひそかに弱さを恐れているのではないでしょうか。
弱い犬ほどよく吠えるといわれます。的を得た言葉のようです。
ですから、誰でも心ひそかに力を求めています。

体力、能力、集団の力、精神力、経済力、軍事力、政治権力など・・・。
力はもつとやはり誇示したくなるし、支配したくなります。

親の養護なしには生きていけない幼児にも万能感があります。
泣いたり、笑ったり、駄々をこねたりして、なんとか自分の思い通りにしようとする。
いつまでもできることではありませんが、親が甘やかしすぎると、
いつまでも幼児的な万能感を手放せなくなります。

誰しもいくらかそんな幼児的な万能感を残しているにちがいありませんが、
人は生きてる限り弱さから卒業できないのではないでしょうか。
人は決して自存的な存在ではないからです。

弱さには恐れ、不安がつきまといます。
むしろ人の成長、成熟には必要ですが、やはり辛いものがあります。
いつまでも甘えたり、吠えたりしないで、そんな自分に向き合うかどうかが分かれ道のようです。

そんな弱い自分を支え導き、守ってくれる存在が必要ですが、
他の人や見えるものを当てにしていると、きっと傷ついたり、躓いてしまい、
依存と支配の罠にはまってしまい、ますます不安に囚われてしまいます。
本当に信頼できる助け、確かな導き手が必要になります。

  「偽りが本物のように思えることがあり、
また、真理や本物が偽りのように思えることがあります。」

 しかし、弱さは人と人とをつなぐ絆かもしれません。
強さと弱さ、どちらを大事にして生きているでしょうか。
むずかしい選択ですね。

イエスは生ける神を信じ、信頼して生きる弱さを選択されました。
その道は“ローマ人でなければ人ではない”といわれた政治的権力、
イスラエル社会の宗教的、社会的権力者によって十字架につけられる道でした。
十字架の道がいのちの道であることを証しされたのです。

かつてはユダヤ人でありながら、生まれながらのローマ市民権を持ち、
イスラエル社会の権力者としてのエリートの道を歩み、
イエス・キリストを信じる人々を神を汚すものとして憎み、激しく迫害していた
使徒パウロは次のように書いています。

「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。
人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、
身分の高い者も多くはいない。 それだのに神は、知者をはずかしめるために、
この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、
すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。
キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
(新約・コリント人への第一の手紙1章26〜31節)

神の平安がありますように!
 


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