その名は不思議

「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」(旧約・士師記13章18節)

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★今日のみ言葉★(2018.7.9)
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「誕生時にも、死の直前にも」
 
神の国とは何なのか。
神の国に、正確には神の王国に王がおられるとするなら、それは誰なのかについて見てきました。
 
イエスは生まれた時、王家に生まれた人のように、
ユダヤ人の王として生まれたということを見てきました。
もうひとつ、イエスの十字架の死を前にして、王の話が出てきます。
 
イエスはローマの総督ピラトの下で、裁判を受けました。
その裁判の席で、イエスは当時の宗教家たちの
いろいろな訴えに対しては何も答えず、沈黙しておられました。

ところが、ただひとつ、ピラトが「お前はユダヤ人の王なのか」と聞いた時だけ、
「そのとおりである」と答えておられます。
聖書によれば、このようにイエスが王であることに反応したのは、時の権力者でした。
その誕生の時はユダヤの国の王ヘロデでした。
そして、また死刑の判決を受ける裁判の場では、
当時のローマ帝国から遣わされていた総督ピラトでした。

ここでユダヤの国もローマ帝国も、どちらも王としてのイエスのことを問題にしています。
そのどちらも王としてのイエスに立ち向かう抵抗勢力とも言えます。
 
イエスの十字架の死、復活、その後、聖霊が降り、初代教会が誕生しましたが、
その教会の使徒たち、クリスチャンたちが同じような政治的、宗教的な抵抗勢力によって苦しみ、
イエスと同じような苦難の道を通ることになります。
イエスを主とし、信じ、従う道を貫いて行ったからでした。

この人たちは「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」と言われた
イエスの言葉に文字通り従った人たちでした。
 
イエスが王であるとすれば、それはどこの国の王なのかは、もうお分かりですね。
ユダヤの国においても、ローマ帝国の支配下にあっても、
イエスを主とし、王とする人々によって神の国が前進していきました。

4つの福音書とそれに続く使徒行伝には、そのことがハッキリと記されています。
ここから分かることは、
「御国が来ますように」という主の祈りは、確実に現実のものとなっていったことです。
それはこの時代に生きるわたしたちにも関係があるのでしょうか。


《shalomのコメント》

イエスさまの言葉とみわざを見聞きした多くの人のうわさが広がり、群がり集まり、
多くの人たちがイエスさまについてあの方は誰だろうと噂し合うようになりました。
イエスさまはそのような人々を避けて、弟子たちと静かなピリポ・カイザイアに行かれました。

そのとき、イエスさまは弟子たちに、人々は私のことをだれと言っていますかと聞かれました。
弟子たちは人のいろんなうわさをイエスさまに伝えました。すると、
イエスさまは弟子たちを見つめて、では、あなたがたは私をだれというのですか?と聞かれました。

一瞬弟子たちは顔を見合わせ、沈黙し、ペテロが言いました。
「あなたはメシア、生ける神の子です」と。すると、
イエスさまは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、
わたしの天の父なのだ・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」と言われました。

ところが、その後、イエスさまが、ご自分の苦難と、死、復活についてお話になられると、
ペテロは「イエスをわきへお連れして、いさめはじめた。
「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と。

イエスさまは、そのペテロに「サタン、引き下がれ、あなたはわたしの邪魔をする者。
神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われたのです。

ペテロの言葉を聞き、そのことは私の天の父があらわされたのですと言って、
あなたは幸いだ、と喜ばれたイエスさまでしたが、その同じペテロの言葉を聞き、
今度は「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と
厳しく叱られたのです。

同じペテロの言葉と、同じイエスさまの言葉なのです。
ペテロの心にはイエスさまに対する信仰の言葉と、
サタンの神のことを思わず、人間のことを思う言葉が同居していたようです。

でも、イエスさまはペテロの信仰告白をご自分の父から与えられた言葉として受け容れ、
またペテロが神のことを思わず、人間のことを思うサタンからの思いをもち、
私の邪魔をする者であるという弱さをも知りつつ、しかし、
イエスさまはペテロを退けることなく、その後も共に歩き、ともに生きてくださいました。
イエスさまは父なる神によってペテロを義としてくださったことをご存じだったのです。

ペテロの心のうちにある神のことを思わず、人間のことを思う、人としての弱さは
イエスさまに従うこと、イエスさまの十字架の死によって挫折をし、砕かれ、
さらに、よみがえられた神の国の王なるイエスさまとの出会い、さらにイエスさまの言葉に従い、
イエスさまから聴いていた父の約束である聖霊に満たされることによって、
イエスを邪魔する者から、神の国の証人、人間を獲る漁師に変えられたのです。

弱いペテロを導き、強い迫害者パウロをも導き救われたように、
聖書は私たちをも神の国へ招き、導いて下さる神の契約なのです。

聖書箇所 新約聖書マタイによる福音書16章13〜23節






 

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