その名は不思議

「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」(旧約・士師記13章18節)

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この記事は中根千枝著「タテ社会の人間関係」(単一社会の理論)
〈7.人間と人間の関係〉より引用。
講談社現代新書1967年発行。900円(税別)

真の「対話」がありえない社会

こうしたわずらわしさは、何も書評などという特殊の領域に限られているのではなく、
私たちが、毎日の生活で経験するものである。
人のことをいったり、ある事件に、ある問題に関して、
私たちが自分の意見を発表するとき、対人関係、特に相手に与える感情的影響を
考慮に入れないで発言することは、なかなかむずかしい。
(これを忖度というんですね)

もちろん、いずれの社会においても、こうした考慮は多かれ少なかれあるわけであるが、
日本社会におけるほど、極端に論理が無視され、
感情が横行している日常生活はないように思われる。

その証拠に、日本人の会話には、スタイルとして、弁証的発展がない。
「ほめる書評」と「けなす書評」しかないように、「ごもっともで」というお説頂戴式の、
一方交通のものか、反対のための反対式の、平行線をたどり、
ぐるぐるまわりして、結局はじめと同じところにいるという、
いずれかの場合が圧倒的に多い。
(論理的な批判能力が未熟で貧しいといえるようです。)
まず一方交通の場合は、「話をする」とか、「話を聞く」という、話し手と聞き手にかたよっており、
「会話を楽しむ」という、ゲーム的な対話というのは実に少ない。

外国人とのやりとりになれてみると、日本人の会話には実に退屈なものが多い。
日本の小説も、この現実をよく反映している。
たいていの小説の会話などは、、書かなくてもわかっているような、
川の水がきまったコースを流れていくようなものが圧倒的に多い。
それは論理的かみ合いの妙などという面白さには遠く及ばず、むしろ、
主役の感情の流れに、沿って喋るのである。
聞き手は、その「ワキ役」を演ずるのが普通で、対話者として、同列にたつことがむずかしい。
そして、ここにも例外なく登場するのは「タテ」の関係であり、
話し手の役は普通上位の者(あるいは一座の人気者)が独占する。

続く

《shalomのコメント》

世界中で極東の島国日本ほど自然豊かで、
異文化による脅威の少ない歴史の国は少ないと思われます。
狭い島国で同一言語、文化で生きていくには社会的な序列による秩序、
言葉より情緒による忖度的交流が必要だったのかもしれません。
中根千枝著「タテ社会の人間関係」(単一社会の理論)が1967年に書かれて50年。
世界はすっかり変わってしまいました。
日本も明治維新150年、敗戦後73年、うわべは大きく変わったようです。
しかし、日本人の心はそれほど大きく変わってはいないようです。


著者紹介 (ウィキペディアより)
中根 千枝(なかね ちえ、1926年大正15年)11月30日 - )は、日本社会人類学者。専門はインドチベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった[注 1]。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。

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