その名は不思議

「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」(旧約・士師記13章18節)

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奇跡をされる方

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★今日のみ言葉★((2019.1.27)
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「人間とは、イエスとは」
 
この「盲人バルテマイ」の話(マルコ10:46−52)から、人間とはどういう者でしょうか。
ここでは、目の見える人と目の見えない人のことが対比されています。
不思議なことですが、目の見える人の方が信じないで、
目の見えない人の方が信じていたのです。
目が見える人が分からなくて、耳から聞くだけで
目が見えない人の方が分かっていたのです。
目が見えている人は何でも分かっているように思えるのですが、
こんなこともあるのですね。
目に見えない心の問題や霊的なことは特にそうです。
イエスを目の前に見ていた当時の人たちは、見えていることで、
イエスのことを知っていると思っていました。
しかし、この人たちは、目の見えないバルテマイが知っている
ダビデの子としてのイエスのことは知らなかったのです。
今日も同じです。
イエスのことを知識として、ある程度の常識としては知っていても、
心で、霊的には知らないでいる人の方が圧倒的に多いのは、
いつの時代もそうなのかもしれません。
 
人間とはどういう者かについてもうひとつ分かることがあります。
人々は叫んでいる盲人を黙らせようとしました。
それは盲人で物乞いをしている人間に対する、
人々の偏見や軽蔑の思いもあったかもしれません。
それとともに、人々は、イエスが大勢の人たちと一緒に行動しておられる時、
見も知らない、ひとりの盲人の物乞いに構ってくださるとは思わなかったのでしょう。
社会的な貢献は何も出来ず厄介者のように思われている人よりも、
人の数の多い方が重視されるというのは、今の時代も同じです。
 
では、この話の中で、イエスとはどういう方でしょうか。
盲人で物乞いをしている人間に対して、
人々の見る目と違った目を持っておられた方です。
ご自身に心の目を向け、ご自身を求める人に目を留め、
心にかけ、声をかけてくださる方です。
人が見えていない信仰の心を見られる方であり、
また、質問によって、その信仰をその人から更に引き出される方です。
また、信仰を見られて、癒しの奇跡をされる方です。
 
さて、盲人バルテマイの、その信仰は、どこでどのように養われたのでしょうか。
次回に続きます。

《shalomのコメント》

奇跡といえば、超自然的なことだとおもいます。
もちろん生ける神は無からこの天地を創造された方ですから、
人の思いも力の及ばない御業をなすこともおできになられます。
しかし、そういうことばかりではないようです。
たとえば、心や体の病気や苦しみ、悲しみにもかかわらず、
それを受け容れ喜んで生きていることも奇跡です。
自分の過ぎし日を省みて、
あの砂浜の足跡という詩のような
奇しき足跡という奇跡も見せてくださいます。
聖書に“数えよ主の恵み”と言葉という言葉があります。
あなたも奇跡を発見し、数えてみませんか。
きっと生きる希望と勇気が与えられます。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」
 

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