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やまとうた
法然院 三名椿の一つ「五色散り椿」

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今週は『仏説無量寿経』の中の一節を味わってみましょう。『仏説無量寿経』は浄土宗や浄土真宗で依り所として大切にするお経の一つです。

前回の仏教語でも「愛語」について少し触れましたが、「和顔愛語」という言葉は「柔らかな笑顔と優しい言葉」で人に接するという意味の言葉です。この「和顔愛語」は「無財の七施(むざいのしちせ)」と呼ばれる誰でもができる布施行としても知られるものです。「無財の七施」には、優しいまなざしを向ける「眼施(げんせ)」、和やかな表情で接する「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」、柔らかな言葉を使う「言辞施(げんじせ)」、身体で何かをしてあげる「身施」、優しい心を振り向ける「心施」、自分の席を人に譲る「床座施(しょうざせ)」、宿を与える「房舎施(ぼうしゃせ)」の7つがあります。

この中のどの行いにも共通するのが、相手に不安を与えず、安らぎを感じてもらえるようにするということ。「布施」と言うと、何か物やお金を与えることをイメージしがちですが、「慈悲」の行いでもあります。「慈悲」とは、不安を取り除き、安心を与えるという心ですから、「和顔愛語」や「無財の七施」もまた慈悲の行いであり、立派な布施行となるのですね。

そして「心を先にして承問す」というのは、相手が言葉に出さずともその心の内を察して、相手の想いを満たし、教え導くという意味の言葉です。この「和顔愛語」と「先意承問(せんいじょうもん)」とは、別のことを言っているわけではありません。相手の心の内を真に思いやるからこそ、その想いを満たそうと笑顔と優しい言葉で接することに繋がるのです。とは言え、相手の心を本当に思いやるということは難しいことでもあります。相手を思いやるつもりが、時にそれが空回りし、独り善がりになってしまうこともあるでしょう。けれど、それでわかってもらえないと怒りの心を起こしてしまっては却って逆効果です。自らの不完全さと謙虚に向き合いつつ、試行錯誤してく中に、本当の思いやりの心が育っていくのではないでしょうか。

最後にもうひとつ忘れてはならないことがあります。それは自分が人から「和顔愛語」の心から接してもらうことがある、いうこと。そのことにもつい鈍感になりがちですから、優しい笑顔と言葉で接してもらった時、こちらも「和顔愛語」でお返しをする。そうすれば、素敵な「和顔愛語」の連鎖が起こることでしょう。

厳しいまなざしや言葉が飛びかいがちな時代だからこそ、一人一人が大切にしていきたい教えですね(日下賢裕 浄土真宗本願寺派の僧侶)

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    慈悲preman, snehapreman, snehaは、他人に対する、隔てのない愛情を強調する。子に対する親の愛が純粋であるように、一切衆生に対してそのような愛情を持てと教える。この慈愛の心を以て人に話しかけるのが愛語であり、愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし、励ます。この愛の心をもって全ての人々を助けるように働きかけるのが、菩薩の理想である。
    仏教でも人のことを深くおもい大切にする、という概念はある。ただし「tRSNaa」や「kaama」の中国語での翻訳字として「愛」の字を当てたため、別の字を翻訳字として当てることになったのである。仏や菩薩が、人々のことを思い楽しみを与えることを「maitrī」と言うが、その翻訳としては中国語では「慈」の字を、人の苦しみを取り除くことkaruṇāには「悲」の字を用い、それらをあわせて「慈悲」という表現で呼んだ。

    特に大乗仏教では、慈悲が智慧と並んで重要なテーマであり、初期仏教の段階ですでに説かれていた。最古の仏典のひとつとされる『スッタニパータ』にも慈悲の章がある。

    [ j*s**_**s*r ]

    2014/8/31(日) 午前 8:48

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