小さい韓国と日本

日本に住んで10年目になる韓国人です。自分の思い出を振り返って書いた内容です。

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Part 4

夕方、友達と約束があって町に出かけた。
「もうここでの生活も今年で5年になるのかあ。」
ここにきて間もない頃を思い出した。
はじめは限りなくシンシンと降り積もる雪をみて息苦しさを感じてた。
夏には夏らしくない涼しさがやけに寂しく感じた。
やけにただっぴろく感じる空や町は孤独感を増してた。
でも今はもうそう感じる回数はだいぶ減ってきてる。
それは周りにわかってくれる人、何かを分かちあえる人達ができたからかも知れない。
でも昔のような疑問や悩む気持ちはもうない。
これからはもう迷うこともないだろう。

「わ! 久しぶり〜」
弾けるような声で私は現実に帰った。
何年か前に韓国と日本の交流会で知り合った女の子が立っていた。
彼女は私より年が一つ下で旅行社に勤務してた。
私 :「わ〜 久しぶりだね。 元気だった? どうやって過ごしてたの?」
彼女 : 「実は会社辞めたの。 私今韓国にいるんだよ。 語学院で韓国語習ってるの。」
彼女を知り合ったのは3年くらい前で、旅行社で長く勤務していた。
当初からかなり韓国にはまってたけど、退職して韓国に行くなんて‥
いくらはまってる国だからと言ってもやっぱり全然知らない土地だし、長く努めた会社を辞めるなんて相当な覚悟と決心だったのだろう。
彼女の表情をみて聞く必要もないと思ったが、一応聞いてみる。
私 :「樂しいの?」
彼女 : 「すごく樂しいよ! まだ仕事はしてないけど、もっと韓国語うまくなって韓国で日本人のガイドをしたいんだ。 韓国に來たら連絡してね。」
私 : 「うん。」
バイバイと手を振って彼女は走っていった。
何がそんなに樂しいのか私にはわからない。
でも彼女がこんなに樂しんでるのだ。
きっと周りにいる韓国の人達も一緒にその樂しさをわけあってるに違いない。
彼女の周りも何かが少しづつ変わってるに違いない。。
私は人混みに去っていく彼女の後ろが見えなくなるまでずっとみていた。 -END-

Part 3

ここは佐賀よりも韓国よりも都会で空もこんなに広くて、町もきれいなのに気持ちは晴れない。
たくさんの人といればいるほど孤独感だけが増してくる。
心の中でベソをかいている。

私はずっと長い間何かを勘違いしてたかもしれない..
ここは私が恋しがってたその場所ではないんだ。
私が恋しかったのは日本やきれいな町ではなかったのだ。
好きだったのは子供の頃のクラスメートや樂しかった思いでだっのだ。
ほんとは汚い校舎とか発展してない町とかどうでもよかった。
あの時私が泣いたのは周りに私をわかってくれる人のいない寂しさ感だったのだ。
思い出と日本との区別がついてなかったのだ。

私は自分も知らず知らずの内に中学、高校、大学と韓国での教育を受けながら、韓国の友達を一人一人作りながらちゃんと韓国人になっていたのだ。
今の私は佐賀に行ったときのようになんでもまっさらに受け入れてた子供の頃とは違う。
なのに私は子供の頃の物差しで見ながら全部知ってたつもりで日本や日本人をみて、そして同じ付き合いを求めるからこんなに違和感を感じるのだ。
私は国とか過去の歴史とか関係なく「私」という一個人でみてほしかった。
でも成長しながら学んだ事、考えた事、経験した事から私は知らず知らずの内に自らいろいろな事をみにつけてきたのだ。
子供の頃のように何もかも受け入れてたまっさらな付き合いではなく、今の私には私なりのつき相方があったはずだ。
私は成長しながらちゃんと韓国人として育ち、不平をいいながらもあの国があの人達が大好きになってたのだ。

私は今まで自分の考えを口に出すことで非難されることが怖くて逃げてた。
自分が長く疑問に思ってた事の答えがやっとでたようだ。
私は他の韓国人より日本に関して知ってて、長く日本に住んでいる。
他の人より少しだけ韓国と日本を客観的に見れるのではないかなと思う。

Part 2

それでも時間が経ち徐々に友達も増えていったし、韓国の生活にも成れていった。
中学よりは高校。高校よりは大学の友人が多くなっていった。
それなりに毎日樂しくやっていた。
それでもたまに佐賀の事を思い出した。
思い出すと、今韓国での生活も樂しいけど、やっぱり日本の方がいいかもと心のどこかで思ってた。

私は大学卒業後、就職が日本に決まりまた日本に來ることになった。
もちろん佐賀ではなくもっと北の方だった。
子供の頃みたいにポポポ(뽀뽀뽀)で号泣する事はなかったが、やっぱり新しい土地でだれも知り
合いがいないのは心細かった。
でも日本語もできるしそれに子供の頃あんなに樂しくやってたのだ。
絶対うまくやっていける。
友達もすぐできる。
でもそんな私の考えは全然甘かった。
何ヵ月が過ぎても1年が過ぎても一行に日本の生活にもなれず、友達なんてできなかった。

毎日の会社までの道もよそよそしく、だれといても気が休まらない。
はじめて会う日本の人とは私が韓国人なので話題は自然と韓国の話になる。
知り合ってだいぶ仲よくなったかなと思ってもそれまでだった。
なんか打ち解けられない。なにかが昔と違う。。。
ほとんどの人は好意的だが、なかには意地悪な人もいてわざと韓国人の悪いところを指摘する人もいた。
私も韓国にいたときはムカついてた部分で「こんな韓国人嫌いだ」と思ってたくせに、他人に言われると腹が立つ。
「いったい私はどうしたいの?」と自分に聞く。

Part 1

韓国にもどり学校を通いながら私には一つの悩みがあった。
自分はホントに韓国人なのかという事だ。
もちろん血筋で考えたら私はまぎれもない韓国人だろう。
でもそういう事だけではなく私の内面だった。
韓国に戻り私は5年生に転入した。
母のハングル講座はそれでも成果を発揮し他の子供たちが何を話してるのかはわかっていたが、話すことはできなかった。
休み時間はたいてい妹が私のクラスにきて日本語で話をしてた。
それをみてある子たちが「チョッパリ」とこそこそ言ってる声が聞こえてきた。
チョッパリは日本人と言う意味だが決して言い言葉ではない。
「私チョッパリじゃない!」と思ったが口には出せない。
昔みたいににらんだり、拳を振り回すこともできなく私は聞いて聞かないふりをした。

中学に入り国史の時間で具体的に植民地時代の歴史を学んだ。
そんな授業の後は「日本は悪い国。大嫌いだ」と言いながら私に同調を求めてくる子達もいた。
私は自分の経験上そんな悪い事はなかったのでこう言ってみた。「そんな事もないよ。いい所もある」
すると彼女たちは私の事を裏切り者を見るような表情でみる。
私はそんなつもりじゃないけど‥と思いながらも自分の思ってる感情をちゃんと説明することができなかった。
やっぱりそんな表情で見られるのはきつい。
裏切り者にはなりたくないと思ってたのでそれ以上は言わなく、次からは適当に話を合わせるようにした。
私が日本の肩を持つのは私に愛国心が足りないから?

正直韓国に戻りはじめて小学校に行ったときは愕然とした。
石炭を使ってるストーブとてもきれいとは言えない古びた校舎…
町も子供たちもどこか小汚く感じた。
戻って1ヶ月くらいは毎晩布団のなかで泣いてた。
佐賀が恋しかった。友達に会いたかった。
私やっぱり偽チョッパリなのかな?

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