小さい韓国と日本

日本に住んで10年目になる韓国人です。自分の思い出を振り返って書いた内容です。

韓国の子供と日本の子供

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Part 4

子供の頃日本で住んでいたと言うと韓国の人からよく受ける質問がある。
それは「日本でいじめとかされなかった?」
まだ子供だった私は佐賀の友達や周りの人達を否定されてるようで、ムキになって「そんな事はなかった」と反発し不快な気持ちになったが、それくらい日本の「いじめ」というのは海外でもイッシュになっている。

韓国や他の国にもいじめはあるのに、日本のいじめは他の国よりかなり深刻な問題になってる。
人を一回でも泣かせたことのある私がいじめに関して話す資格はないのかも知れないが、そんな質問をされるとどうしてこれまでに日本でいじめが大きい問題になってるのか考えずにはいられない。
いじめの原因を一言にはいえないが、私は日本人の国民性が反映されてるのではないかと思う。
日本のいじめが他の国と違うところはそれが「集団性」という性格を持つようになるとき違ってくるとおもう。

日本人は他の国の人に比べて自分の感情や意見を表するより、みんなの「和」を亂さないようにする事を優先する人が多い。
もちろんそれはすばらしいことだが、でもその反面自分の意見をちゃんと言わずに周囲にながされやすい人が多いのではないだろうか。
「悪いこともみんなでやったら怖くない」みたいに集団でやることによって自分のやってる行動の言い訳をしてるようにもみえる。
そしてみんなでする事に參加しないことにより仲間はずれにされ、自分も同じくいじめられる事を恐れている。
「和」を大切にするほどそこから弾け出された子達はそういう状況をどうしていいのかわからなくなり、追い込まれて行くのではないかと思う。

韓国にもいじめはある。
それは「タ」と言われ、「仲間はずれ」という意味だ。
たくさんの人に仲間ハズレられてると「ワンタ(왕따)」、 全校生に仲間はずれされてる人は「ゾンタ(전따)」とかおもしろおかしな言葉も作られてる。
でもその「ゾンタ」にされてる子はめげる所か「私がみんなを仲間ハズレしてるのよ」のいきおいで対抗する。
これは笑い話のようによく言われるが、その分韓国でのいじめはまだ深刻ではない事を物語ってるかも知れない。
「ゾンタ」だろうが何だろうが自分の意見を主張し、なおそのゾンタの子は悪いのは私ではなく周りと思ってるため開き直るのも早い。
このちょっとずうずうしいとも思えるが、こういう子供に育つのは家庭教育の一つが影響してると思う。
韓国の家庭はとても家族の絆がつよい。
特に親が自分の子への溺愛ぶりは日本の人からみるとかなり驚くほどだと思う。
たいてのこの子供たちは愛情をたっぷり受け明るくハキハキした子に育ってゆく。
しかしこの溺愛ぶりは良い面だけではなく、「我が子が一番」とか「生意気な子」になるためにオーバーヒートするケースもあるが、このような育て方が「ゾンタ」にされてもめげない子にしてる理由ではないかと思う。

連日のように日本のテレビで流れるいじめ、未成年による残悪な犯罪、最近の子供の行儀の悪いさ‥
報道を見ながらこれが今の日本の子供達の現状なのかと疑ってしまう。
私が子供の頃うけた日本の子達の印象はとても行儀がよく素直でいい子たちだった。
でもそれを話すと「佐賀は田舎だからね。それに最近の子達は違うよ」という人が多い。
やはり時代は変ってしまったのか…
私は日本人でなくても、もしほんとだとしたらやっぱりそれはすごく残念な事だ。

そんなある日、仕事で日本の中学生たちに韓国の言葉と文化について説明をする機会があった。
初めその話を持ちかけられた時は「ゲッ」と思った。
めんどくさい気持ちと「最近の日本の子達は怖いと聞くけど、私がちゃんと相手できるかな?」と不安が過る。
赤ちゃんの面倒を見る事は好きだけど、聞き分けのできる子達を相手にするのは苦手だった。
そんな私の気持とは裏腹に当日は着実にやってきた。
当日は午前中からの大雪で交通も亂れ、歩く人も一苦勞の大荒れの天気だった。
私は「やれやれ」と思い、これじゃ午後からくる学生達は絶対遅れて來るなあと思った。
予想通り学生達は時間より遅れてきた。
でも感心したのは自分たちの遅れを察して約束時間の10分くらい前に遅くなって申し訳ないと丁寧に電話をいれてくれた。
実際あってみると身なりや服装もしっかりしてて説明を聞いてる間も礼儀正しくて私は内心とても驚いた。

私は彼女たちを見送りながら自分自信を情けなく思った。
私は何をびびってたのだろう‥
経験もなしに他の人から聞いた先入観で彼女たちをみていた。
子供に日本だろうが韓国だろうが関係ないのに…

それから1ヶ月後彼女たちは私はまねできなさそうにもない立派な礼状と自分達が作ったレポート集を送ってきた。
ペラペラとページをめくってみるとクラスみんなでつくったレポート集らしくいろんな学生がいろいろな国の人に聞いたことが綴られている。
他の学生さんたちを出迎えた人たちは何を思ったのだろう‥
当りが良かったと言えばそれまでかも知れない。
でも大人達が言うほど今の子供達はだらしなくないのでは、日本の未來も明るいのかもしれないと勝手に思った。

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Part3

出だしはイマイチだったが私の日本での生活は順調だった。

先生は日本語の喋れない私の為に友達を一人つけてくれた。
同じ方向に住んでる女の子で一緒に家まで帰るようにと。
でも私はそのことが気に入らなかった。
こんなことしてもらわなくてもいいと意地になってた。
相手の女の子をにらんでやったり (どうも入学式以來にらみ癖がついたようだ)、かなり意地悪な行動にでた。
泣かせたことも有った。
どうしてそんな行動をとったのか今考えたら自分でも理解できないが少々グレてしまったようだ。
それでも彼女は先生からの言いつけを守り、少しの距離を保ちながら私と一緒に家まで帰ってくれた。
学校側の配慮なのか私が韓国に戻る4年生の終りまで彼女と同じクラスだった。

母はこの頃の事を思い出してこう言う。
入学して間もないころ「父兄參観日」に母が学校にきた事があった。
教室の後ろで我が子を見守りながらため息がでてきたそうだ。
「何話してるかも全然わからないし、お母さんは1時間聞いてるのもつらかったのに、家の子は偉いと思ったよ」
私は「そうだったっけ?」と答えたが、母は知らないことがある。
私は少しづつなれてきた頃から保険室の常連になっていた。
たいてい4時間目くらいになるとお腹が痛いと仮病をいい、保険室のベットに避難してた。
それは恐怖の給食時間が近づいて來るからだった。

日本人のほとんどは学生時代の給食は樂しい思い出でで、社会人のための給食レストランと言うのもあるそうだが私にとっては悪夢そのものだった。
授業中にボーッとしてるのは耐えられても、口に合わない食事を食べるのは辛い。
たまに先生は無理やり食べさせようとすると私の給食は涙とスープがグチャグチャになった。
給食の時間にはいつも保険室か残り組のどちらかにいた。
それ以外の学校生活はとても順調だった。
優しい先生と友だちに見回れ私は日本の生活になれていった。

両親も私たちをのびのびと育ててくれた。
たまに日本の人から「韓国の家庭では家のなかでも歴史や反日教育とかするの?」と聞かれる。
他の家庭はわからないが私は特にそういう教育をうけた記憶はない。
歴史や教育よりも早く環境になじんでほしいと願ってのことだったかもしれない。
だが両親の心配とは裏腹に私はもうスピードに環境に順応していった。
半年くらい過ぎると日本語も喋れるようになり、友だちも増えていった。
それでも私の片言の言葉や他の子達と違うことをからかう子がいたとりあえず拳を振り回した。
新しい環境に置かれたとき子供は子供なりに自分に合う対応の仕方を身につけていくみたいだ。

ある日本に引っ越してきた韓国の子はいじめられないように休み時間ごとに空手チョップで鉛筆を破ってたという話も聞いたことがある。

子供によってその方法は様々だが家の家族で一番の問題児は妹だった。
妹は言葉が通じないのが気にくわなかったのか何なのか幼稚園に行っては家に帰ると毎度暴れだして先生を困らせてた。
先生は勝手に家に帰らないように彼女が幼稚園にきたらまず靴を隠してたらしい。
しかもお知らせ帳には毎日のように「今日は○○君と喧嘩しました」と書かれて両親を困らせてた。
でもそんな元気いっぱいな(?)彼女だからこそ早く環境に順応し、日本語も家族では一番最初に話し、近所の子供達と毎日遊び回ってた。

1年が過ぎると私たち兄弟の会話のほとんどは日本語で行われるようになった。
大人になってからはじめて日本語を習った(習ったというより話さないといけない状況におかれた)母はあまり日本語が上達せず私たちとの会話は韓国語でしてた。
日本に来たとき上の二人の姉はすでに高学年だったので韓国語もしっかり話せて、なお日本語もとり入れられるくらいの年だっが私と妹はそうではなかった。
あっというまに韓国語より日本語が得意になった私と妹は母が韓国語で話しかけると日本語で返事をするようになった。
娘たちのこの状況をみてこれはまずいと判断した母は私と妹が学校から帰るとハングルの勉強をするように命じた。

急に韓国人だからハングルの勉強をしなさいと言われてもすでに納得いかない状態になっていた。
そのときはすでに友だちと遊び回るのに夢中だった。
私は自分が日本人ではないのは知っていたが韓国人と言われてもピンと來ない。
「ママと一緒にやるハングル講座」がいやで寝たふりをしたり、他の勉強で忙しいふりをしていつも逃げてた。

そんな感じで4年がすぎ私たちは韓国に帰る事になった。
父は今までのお礼に私たちが通ってた小学校に一本の植木を送った。
今はその木をだれが送ったのかはもうだれも知らないだろうが、でもその木がそこに立ってると思うだけでなぜか胸が熱くなる。

Part 2

入学式。

当時の佐賀にはインターナショナルスクールと洒落た物はなく私は日本の子供と同じ学校に行くようになった。
セーラー服をきて、長い髪は二つに三編み、胸のポケットにカーネーションの造花。
私の新たな人生の第一歩。
なかなかかわいい。(笑)
私と妹は制服という珍しい服を着てただはしゃいでいた。
  
父と母の手につれられ、新しい学校、担任の先生そしてクラスメートに対面した。
学校に行くと、何も知らずはしゃいでた気持は薄れて行きこれからの自分に待ち受けてる未知の世界が徐々に現実としてやってくるのを感じた。

始めに驚いたのは制服だった。
自分が着てる時はただ珍しかっただけだったが、大勢が集まってるとへんに威圧感をを与える。
人より制服が先にみえるその光景で私はその中に入っていくのが怖かった。
あの中に入ったらお父さんとお母さんから離され、見失われるのではないかと不安になってきた。
私はお母さんの手を離さないようにギュッと握った。
そんな私の不安はお構い無しに父は日本語で先生と挨拶をすると私の手を先生に渡した。

先生は私に向かって話始めた。
何をはなしてるのかはさっぱりわからないが、先生は男の子と女の子を番号順に2列に整列させ、そして順番に仲よく手をつないで入場するんですよと案内してるようだった。
先生のジェスチュアによると私が通う学校では男の子、女の子と出生順に出席番号をするらしく、小学1年もう一回通う私は出席番号1番らしい。
人間は身体の一部に障害を持つと他の部分が発達するというが私はこのころから場の雰囲気を読むという第6感が発達しだしたのかも知れない。

私は日本での始めてのパートナ-出席番号1番の男の子を見つめた。
黒っぽいお河童頭の背の小さい男の子だった。
その時突然その男の子が泣き出した。戸惑う先生達。
事態が飲み込めない私だが、ただ感じ取れるのは私と手をつないで入場したくないと言ってるらしい。

こっちも好きでこんなところにいるわけではない。
今まで学校に来てからの緊張と不安が一気に押し上がってきた。
泣きたいのはこっちの方だ。彼の鳴き声がいやに苛正しい。
私は心のなかで「こっちから願い下げだ!」と思い切り叫んでやる。
でも声にはならない。
声にならない言葉の代わりにおもいっきりにらみ返してした。
彼は私の顔をみてもっと泣き出した。

アルバムの整理をしてて入学式の写真が目に入った。
1番の私たちだけ手をつながず入場してる瞬間が撮られてる。
彼がどうしてその時泣き出したのか今も私はわからない。
今としては意味のないことだが、写真の中の彼に聞いてみたくなった。
今は名前も覚えてない出席番号一番君。
「その時泣いたのは私が韓国人だったからなの? 」
もしそうだとしたらこのことが私が初めて経験した理不尽な差別だったかもしれない。
彼とは2年生まで同じクラスだったがその後、口を聞く事はなかった(笑)

Part1

1823年2月 福岡国際空港

私が日本という国にはじめて上陸した瞬間だった。

当時の事はあまり覚えてないが、私は父の仕事で日本にいくと言われたとき、号泣したそうだ。

その理由は私がもっとも樂しみにしてた「ポポポ(뽀뽀뽀)」(日本で言えば'開けポンキッキー'に値すると思う)という見れなくなる母に告げられたからだ。人生初めの試練だった。

弱8才で人生最大の危機を迎てた私はまだ韓国も日本もまだわからないただの小さい女の子だった。

私たち家族は佐賀と言う日本の中でももっとも地味だと言われる町に住むことになった。

韓国でももっとも地味な町で育った田舎娘の私には丁度良かったのかもしれない。

私の家族は両親と4姉妹で、一番目の姉は中学1年に、2番目の姉は小学5年に、妹は幼稚園に入園する年だった。

私は韓国ですでに小学1年を通っていたので日本に來たときは2年生に上がる年だっが、父は一からやり直した方がいいと判断し、私を小学1年生から入れ直すことにきめた。

できるだけ早く他の子達となじむようにと思っての判断だったんだろうが、罪を犯して出所した人でもなく一からやり直す意味がわからないが、このことで私の人生の歯車が一気に向きを変えたのは間違いないだろう。

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