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次は、平蔵城というお城です。これも知る人はほとんどいないでしょう。] 応永25年(1418)に、鎌倉府に対抗して上総本一揆という武士の一揆が起きますが、その時に一揆軍が籠城したのがこのお城、と言われています。というのも、当時の史料に「平之(三)城」と登場しまして、これが平蔵城を指すのかどうか微妙なんです…。その後、土橋氏という人物が城主をしたとも伝えられてますが、さらにその後に正木氏が拠ったのではないかと推定されています。現在の遺構は、この頃のものかもしれません。 まずは、平蔵城近くにある、吉沢城の麓にある、国指定重要文化財の鳳来寺観音堂です。室町時代後期のものとされてまして、関東ではなかなか珍しい当時の建築物といえるでしょう。 観音堂跡地と吉沢城。観音堂からちょっと歩いたところに、移築前の観音堂があった場所があります。裏山が吉沢城跡です。城跡は今回は行きませんでした。 西願寺阿弥陀堂。吉沢城から山を隔てたところが、平蔵です。その平蔵にも、なんと、同じように室町時代の建造物がこうして残っているんですね。もちろん、重要文化財です。奇跡的なことです! 阿弥陀堂から見た平蔵城(平蔵城山城)。阿弥陀堂から歩いてすぐのところにあります。城と関係が深かったものと思われますね。 平蔵城の曲輪。右側が腰曲輪のようになっていて、左側上が主郭方向です。写真撮ってわかるのはここくらいなので、写真はこれだけです… さっきの腰曲輪の奥。こんな感じで、土塁っぽいものがあります。この後、上に上って主郭を見ましたが、藪がすごくて何にもわからない状態でした。主郭内は削平が不十分な感じがしましたが、どうなのでしょうか… この後、里見義頼印判状(恵日寺文書)に登場する、平蔵郷の地名の比定地をめぐり、文書の世界を体感できました。 千葉の鄙びた田舎にある平蔵ですが、中世の面影をよく残している稀有な地、といえましょうか…。 ********************************************** 参考文献 小高春雄「城郭史におけるひとつの画期―史料にみる地域の例から―」(『千葉城郭研究』第2号、1992年)
千葉城郭研究会編『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年) |
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阿弥陀堂は凄いですね!!
本当に貴重な建物ですね!!
[ - ]
2009/3/11(水) 午後 9:00
室町時代!
よく これだけ綺麗に残りましたね〜
なるほど 説明と写真でわかりやすいです
(o ̄∇ ̄)σ[傑作]ポチ☆
[ - ]
2009/3/11(水) 午後 10:00
阿弥陀堂、戦乱を潜り抜けよくぞここまで残ってくれたという感じですね。
2009/3/12(木) 午前 8:40
おはようございます。
いつも見させて頂いています。
これからもよろしくです。
こちら野球情報ページやってます。
高校野球の注目選手リストや上原選手の秘話をアップしました。
ぜひ、来て下さい。
お待ちしています。
[ 選手 ]
2009/3/12(木) 午前 11:03
観音堂、阿弥陀堂とも確かに奇跡的です。
せり出した軒、大屋根がいいですねえ。これはもう、いかにも
唐様から進化した和風な趣です、日本的な禅宗の凛とした趣が
感じられます。
HPの城郭のコメはもしかして、ご本人ですか?
2009/3/12(木) 午後 11:22
>東次郎さん
千葉、恐るべしです…東日本では特に貴重なですね。
>媛さん
こんな風景が残っているのは、滅多にないでしょう。千葉はもうちょっとこういうの売り出さないと…
>オブ兵部さん
ホント、その通りですね〜。平蔵城の目の前なのに、よく残ったもんです。
2009/3/13(金) 午後 11:43
>野球人さん
こちらこそよろしくです。ちなみに私は千葉ロッテファンです。
>ロベルト・ジータさん
中世の建築物の独特の雰囲気、昔から好きなんですよ〜。HP?あ、これはただ単に検索したら市原市のHPが出ただけで、全然関係ありませんよ!
2009/3/13(金) 午後 11:47
平蔵城ですか。阿弥陀畑の城山が本城で東陽寺あたりが出城ってやつですよね。名前は知ってても行ったことはなかったです。そんないいお堂があるなら行けばよかったなぁ。関東には一年ほどしかいなかったので市原市の城は五つ六つしか行ってないんですよ。また貴重な情報ありがとうです。
[ 高橋 遊 ]
2009/3/14(土) 午前 5:18
かやぶきですね、しかも手入れが行き届いている。どこに依頼しているんでしょうかね。
今は職人さんも少なく、ずいぶん大変でしょうねえ。
[ 半覚斉 ]
2009/3/14(土) 午前 10:15
またまた訪問〜村クリックしました〜
[ - ]
2009/3/15(日) 午後 7:32
今晩わ。わたし、女だけど、ちょんまげオタクです。先週、「センゴク」の4巻、購入しました。長篠の戦い についてよく書かれてました。いままでの見方とかわりました。武田軍は、打たれても、打たれても、猪突猛進してきたとおもってましたが、この本によると、クルワの中におびきよせ、上から一斉射撃したそうです。このほうが、道理に合うと思います。
[ 亜紀 ]
2009/3/15(日) 午後 8:24
はじめまして。訪問ありがとうございました。素敵なブログですね。
早く私の地元のお城が出てこないかなぁ〜。楽しみに待っています。
[ mei seitennari ]
2009/3/16(月) 午前 8:41
>高橋遊さん
お名前をご存知だとは、さては相当お城がお好きですね!?ああいう風景の中に中世のお堂が二つも残っているなんて、本当に貴重な存在です。
>半覚斉さん
実際、どうやって修理しているんですかねぇ。今年から始まる姫路城の修理工事は、実際に見学できるそうですね!
>媛さん
どうもありがとうございます!
2009/3/16(月) 午後 2:59
>亜紀さん
ご訪問ありがとうございます!センゴクって、戦国かと思ったら「仙石」なんですね!これはまた面白いところを突いてきたなぁ…。マンガはあまり読まないので内容はわかりませんが、結構調べられている方もいるようですから、こういうので広まっていくのは嬉しいことですね。また遊びにいらして下さい♪
>meiさん
ご訪問ありがとうございました!地元はどちらでしょうか…出てくるといいですね!また遊びにいらして下さい♪
2009/3/16(月) 午後 3:04
こんにちわ、室町時代のお堂が二つもあるなんて素晴らしいですね。
ところで、「平蔵」の地名で、さる人物を思い出しました。
長谷川平蔵(鬼平)です。彼は実在の人物ですが、多くの方は池波正太郎氏の鬼平犯科帳の主人公と思っているのではないでしょうか。
江戸時代「火付け盗賊方検め」として大活躍しましたが、彼の実母は上総国の生まれです。長谷川家へ奉公人として出仕しましたが、平蔵の父に見初められて平蔵は生まれました。母の身分が低かったので、将軍へのお目見えも遅れグレていましたが、後に火付け盗賊方検めを率い、大活躍します。長谷川家は平氏で、母が上総の生まれ(もしかして、この観音堂のある地域?)・・・
竹さんの記事を見てこのような事をふと考えてしまいました。
[ 玉依姫 ]
2012/3/1(木) 午後 5:33
>玉依姫さん
私もよく知らなかったので、まさかここにこんなすごいものが残っていたとは驚きでした。
平蔵の地名の由来、気になりますね。名前なのか、なんなのか…
2012/3/9(金) 午後 9:19