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『戦国の城の一生』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、引き続きよろしくです

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新府城、続きです。

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絵図を再度。

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二の丸からの眺め。南西側の釜無川方面を望む。「七里岩」と呼ばれる断崖絶壁になっています。対岸から見ると、岩山になっていて、要害堅固であることがよ〜くわかりますよ。

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ようやく到着、本丸!本丸もなかなか広いんですね〜。

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本丸からの眺め。信濃方面を望む。天正壬午の乱の時、家康はこのような景色を見ていたのでしょう…。

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本丸にある武田勝頼供養塔。他にも長篠の戦いで戦死した家臣の供養塔みたいなものがいくつかあります。これらは江戸時代かもしくは最近のものでしょう。

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本丸から、北側に山を下りて行きます。北側はそんなに目立った遺構はないんですけど、一応外堀とされるものが残っています。絵図の上の堀ですね。それがこれ。湿地帯?のようになっていて、往時は水堀だったのでしょうかね…。

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これも外堀なんですが、真ん中左から出っ張っている台地、これが「出構」と言われているものです。堀の中に横矢をかけるために出っ張らした施設なのでしょう。

ということで、新府城のご紹介を以上です。3回目はやるかどうか…考え中です。

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    出構!現地の案内板では矢というよりも鉄砲による攻撃を意識したもの、と書かれていたような・・・。実際どう思われますか?

    [ mstmrtrsp ]

    2009/7/10(金) 午前 1:32

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    竹さんこんばんは。
    以前、茅ヶ崎城址レポの時に私のブログにおいでいただきました。その後もたびたび拝見させていただいております。
    七里岩という断崖絶壁の上に築かれた新府城、かねてより見たいなと思っていてなかなか行けずにいたので、現地写真、大変楽しく見させていただきました。「出構」という遺構も興味深いですね。やっぱり現地に行ってみたいな、と思ってしまいました。 削除

    [ へたれ中年 ]

    2009/7/11(土) 午後 9:14

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    >mstmrtrspさん
    この時代はそうでしょうね。堀幅も広いですし、全く意識していないとは考えにくいですね。

    >へたれ中年さん
    それはそれは、恐縮でございます。これからの季節は、死ぬほど暑いでしょうからオススメしませんが(笑)、秋には紅葉など素晴らしい景色を満喫できるのでは!?

    竹

    2009/7/13(月) 午後 10:55

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    新府城は武田勝頼が織田信長や徳川家康の侵攻に備えて作られた白ですが、その頃には武田家の勢力が減退し、多くの民が築城に借り出され、多くの民が苦しんだ城でしたね。
    ですが、もし武田家が強大な勢力を持っていたら逆に素晴らしい城というイメージがあります。
    武田信玄が早く死んだのがとても残念です。

    [ - ]

    2009/9/18(金) 午前 8:53

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    >白の猫丸さん
    そうですね、いちおう、未完成の城とも言われていますし、どこまでが武田段階で徳川段階なのかはよくわかりませんが、いろいろと謎多き城で面白いです!

    竹

    2009/9/18(金) 午後 8:45

    返信する

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